白樺の森で神様を待つ
雪深いその北国で、白樺の森は冬には一層真白に染まる。右も左も全てが白だ。
うっかりと迷い込んだり、或いは道中で親とはぐれた子などあろうものなら、到底無事には帰れまい。そうして村の皆が諦め、捜索隊も匙を投げていたそんな子どもらがあっけらかんと帰還することがその冬は不思議と幾度か立て続いた。無事に帰った子どもたちが楽しげに口を揃えて曰く、「モモンガが一緒に遊んでいてくれた」、「モモンガが連れて帰ってくれた」。
確かにエゾモモンガの住む地ではある。だが、子どもたちの話すモモンガは、明らかに理性のある様な、人の言葉を解っている様な——。もしかしてモモンガの姿を借りた森の神様ではないか、誰かがそんなことを言い始めるやまことしやかに広がって、いつしか森には小さな祠が建てられた。夏でも冬でも年を通して木の実をお供え出来る様、村では穀物と同様に木の実を蓄える風習さえ出来ていた。
そんな篤い信仰心が、ただの一匹のエゾモモンガを萃神・むいと言う守り神へと昇華させたことには何の不思議もないだろう。村の人々は「神様」と彼女のことを呼んでいたが。
さて、件の神様は眠ることが大好きだ。お昼頃までは祠の近くで騒いではならないと大人達は口を酸っぱくして子どもらに語る。癖がちな白鼠色の髪をよく整えて神様がお散歩に出かけるのはいつもお昼過ぎ。森の中に異常がないか、迷子の子どもなんかが居ないかを見て回った後で祠に戻り、供えられた木の実のランチをゆっくりと味わって楽しむ。モモンガの仲間たちも集まってくるこの時間、神様にとっても遠くから眺める人々にとっても、とても穏やかで幸せなひとときだ。
午後は一日に一人だけ、神様はヒトのお話を聞いてくれる。作物のことや猟のことに関しては神様が不思議な力で何とかしてくれることもあるものの、恋の悩みや兄弟喧嘩、そうした類のお話は皆話すだけ話し、神様からの静かな相槌と言葉少なで控えめなアドバイスを受け取って、それで十分に満足してしまうこともある。いずれにしても神様は一人一人と真摯に向き合い話を聞いてくれるため、一日に相談出来るのは一人のみ。力を使い果たして疲れた神様は少し夕寝をした後に、日が暮れてから日が昇るまで、それは元気に過ごして居るとは聞かれるものの、夜行性ではない人々は誰も目にしたものはない。
或る子どもは母親から、また別の子は祖父母から聞かされて神様のことを知ると言う。その母親も祖父母らも、そのまた親や祖父母からの受け売りだ。そうして神様はこの地に長く寄り添って生と死を見つめ続けて来た。この地に生きる人々が物心ついてから世を去るその日まで、神様の存在は当たり前のものとしてそこに在るのだ。
その神様が消えたのは、あまりにも突然のことだった。
或る日の昼下がり、祠に向かった少女は神様に会えなかった。その翌日も、その次の日も。順番待ちをしていた村の人々が皆で連れ立って様子を見に行って、辺りを探し回っても神様の影も形も見当たらない。
何があったかと皆が頭を捻ってみても思い至るものがない。見放されたのでは、とやがて誰かが恐る恐る口にして、残りの皆が首を横に振り、言った当人も思い直した。あの神様に限ってそれはない、何故だか皆が確信できた。
白樺の森には今日も雪が降る。降って降って、降り積もる。だが、森に在る小さな祠は常に雪を除けられて、木の実が供えられて居た。そうして人々は時々、神様に何か相談したくなった時には、昼下がりを待ち足を運んだ。
今は神様は不在だが、きっと戻って来てくれる。
人々の信仰は慎ましくも脈々と受け継がれ、彼等は今日もこの地で神様を待つ。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴 成功