さよならアイドル
●|偶像《アイドル》
人間は無意識のうちに“異質”を厭う。
定石外れは、常識外れ。未知なるものは、安寧の日々にとっての危険因子。遠ざけるのは、いわば保身術。
そして、子供は子供らしくあるべきもの、というのが大人にとっての常識。
子供は愛らしいもの。子供は弱いもの。子供は無知なもの。子供は大人に及ばぬもの。
そうでないモノは、子供のガワを被った|異分子《バケモノ》だ。|常人《只人》に慈しめるわけがない。
よくて無視。酷ければ虐げさえする――だのに。
「ねえ、聞いた? オーステナイトさんの話」
「聞いたわ。高等部の期末試験問題で満点を取ったんでしょ」
「それだけではないらしいですよ。天文学の知識は、地学の先生が舌を巻いたって――」
「え、工学だけじゃなくって!?」
「――ちょっ、!」
朝のホームルームが始まる前の職員室。話に花を咲かせていた|おしゃべり雀《教師》たちが一斉に口を噤む。
「失礼します」
丁寧に開けられた引戸が無粋な音を立てることはない。が、礼儀正しく下げられた銀の頭に、職員たちの視線は釘付けになる。
「あら、オーステナイトさん」
かしましい囀りに加わっていなかった高齢の女性教師が、顔を上げた。その反応を許可ととり、銀の頭――小柄な少女は淑やかに入室を果たす。
「学級日誌を受け取りに来ました」
「教室で待っていても良かったのよ?」
「ハコは二日お休みしてしまったので……」
「そんな事、気にしなくていいのに」
ふくふくと微笑む教師が差し出す、黒い板目表紙の冊子を、少女はきちんと両手で受け取ると、その場でまた折り目正しく一礼をする。ふわりと揺れた銀の髪からは、香気が立ち昇るよう。
一挙手一投足が人目を引く少女だ。
「いつ見ても、お人形さんみたいにキレイな子よねぇ」
「どうやったらあんな風に育つのかしら?」
「本当に素晴らしいわ」
しずしずと辞す少女を視界の端に、おしゃべり雀たちはひそひそと感嘆を零し合う。そこに嫌悪の色は欠片もない。
品行方正、成績優秀、眉目秀麗。
揃い過ぎの三拍子は、通例であれば大人達を遠巻きにするもの。そうならないのは、少女という概念が常識の埒外にあるから。何より、小中高一貫校のお嬢様学校という|相応しい《似合い》の|場所《箱》に身を置いているから。
少女――ハコ・オーステナイト(▫️◽◻️🔲箱モノリス匣🔲◻️◽▫️・h00336)は教師陣にとって|偶像《アイドル》である。
●|憧れ《アイドル》
|装い《世間体》を知らぬ子供は、大人以上に残酷だ。嘘偽りのない素直さで、他人を傷つける。
子供社会は狭く、堅牢。一度“異物”と判じたなら、容赦なく締め出す。それは正義でも道徳でもない、歪なヒエラルキーの元で執行される。
優劣は関係ない。同じじゃなければ、違うもの。だから遠ざける。嫌う――はずなのに。
「おはようございます」
からりと教室の扉を開く。
二日空けての登校だが、頭の上から黒板消しが降って来るようなことはない。むしろ一瞬にして歓待ムードが幼い少女たちの間に湧き上がる。
「おはようございます、オーステナイトさん」
「おはよう、今日は来れたんだね。よかった!」
「体調、もう平気?」
一人、また一人と出迎えに立つ。ハコを囲む人垣ができあがるまで、さほど時間は要らない。
「無理しないでね。いつでも言って」
一人の少女がハコへ手を差し伸べる。風にも手折られる花を案じるような気遣いぶりに、不満を口にする者はいない。クラスメートの殆どが、小柄な――6歳なのに小学三年生と通しているから当然だ――ハコのことを病弱な子と認識しているせいだ。
「ありがとうございます」
断りの代わりに礼を述べ、ハコは小さく頭を傾ぐ。やわらかく揺れた銀の髪に、羨望の感嘆が口々からこぼれた。
すっかり慣れた朝のルーティン。病弱ではないと訂正したところで、彼女らの過保護は変わるまい。何くれと理由をつけて皆、ハコに関わりたがる。
だって皆、ハコに憧れてやまない。
「ごめんね、オーステナイトさん。私が先に職員室へ行っておけばよかった」
今日の日直の片割れが、やや強引に人の輪に割って入る。途端に上がった不満に、ハコはやんわりと言葉を被せた。
「いいえ、これくらいハコにさせてください」
また級友たちが、讃嘆を円い息にする。その隙に、ハコはするりと自席につく。
「お休みの間のノート、とっておいたよ」
隣の席の少女が笑いかけてくる。言葉通り、机の中にはハコのものではないノートが一冊、入っていた。
「助かります」
「ううん、ぜんぜん」
ページを捲ると、きれいな文字が並んでいる。だがハコの目を引いたのは、一枚の付箋。
『昨日もかっこよかった。私もハコさんみたいに強くなりたいな!』
あ、と。小作りなハコの唇が、思い出した記憶を形作る。
昨日の戦いの最終版に見かけた彼女もまた、√能力者だ。駆け出しらしく、ハコのように頻繁に学校を休むことはない。
「今日はゆっくり過ごせるといいね」
労いを含んだ柔い小声に、ハコはそっと頷きを返す。
ハコはクラスメート達にとって、|憧れ《アイドル》そのものである。
●|ハコ《アイドル》の昼休み
「小耳に挟んだんですけれど、中等部のカレーはスパイスカレーらしいんですよ。デザートのフルーツポンチにはマンゴーも入るようになると聞きました!」
給食時間が終わったばかりの教室に、天真爛漫な声が響く。異なる棟から風が運ぶ香りに触発されたのだろう。ちなみに初等部のメニューはサーモンのクリーム煮がメインだった。ほのかなミルクの甘みに惹かれ、ハコはいつもより多めに食べた。
「あとですね。昨日、ものすっごい美人なお兄様を見かけたんです。動画を撮影してたから、きっと配信者さんだと思うんです!」
「凪、話題に脈絡がないよ」
ツーサイドアップに結った黒髪を右へ左へとひっきりなしに跳ねさせる少女を、癖のない紫がかった髪をさらりと背へ流す少女が窘める。
「あと、少しだまって」
「えー、どうしてですかミア。ここからが大事なんですよ!?」
「ハコの手が止まってる」
「あ」
「ハコのことは気にせず、続けてください」
凪とミア――特に親しくしている友人たち二人の視線を手元に感じ、ハコは書きかけの学級日誌へ意識を戻す。
「そんなの後でぱぱっとでいいんですよ!」
「そこは同感。ハコ、そんなにみっちり書かなくていいよ」
口々に言われて、ハコは埋め行く紙面をまじまじと眺める。確かに他のページよりも文字の密度が濃い。でも。
「記録は大事です。いつか役に立つ日が来るかもしれませんから」
口調は静か。反論ではなく、ありのままの吐露。
ハコの裡に過る記憶を、|二人《友人たち》はもちろん知らない。しかし凪もミアも、悟りでも得たかのような貌になる。
「次からはハコの半分くらいは書くようにしようかな」
「そこは“同じくらい”って言うところじゃないんですか?」
口許へ手をやり考え込む風のミアへ、凪がずいっと身を乗り出す。学生机は、三人で囲むには小さい。けれど距離が近しい子供たちが、大人に見咎められぬよう笑い合うにはちょうど良い。
「二人とも、無理をする必要はありません」
「そう言われるとやりたくなるよね」
「言ってもミアは半分でしょう?」
「じゃあ、凪はハコと同じくらい書くの?」
「もちろんです! 次の日直当番が待ち遠しいです!」
「凪もミアも声が大きいです。そしてハコは、今日はいつもの半分にすると決めました」
ハコの決意に、ミアと凪が目をぱちりと見開く。思わず浮いた腰に、それぞれ持ち寄っていた椅子がカタリと鳴った。ちょっとだけ行儀は悪いが、誰も気にしない。
「じゃあじゃあ、時間が余ったら放課後。一緒に駅前へ行きませんか!?」
「綺麗なお兄さんを探しに、ですか?」
「それもあるけど、そうじゃなくって。素敵なストーンショップが出来ていたんです!」
件の配信者はその店の紹介動画を撮っていたとのこと。それくらい綺麗な|鉱物《ルース》がたくさんあるのだと語る凪の熱弁に、ハコの赤い瞳が微かに煌めく。
「ハコ、気になる?」
「はい。鉱物は好きですから」
「だと思いました! ハコの目も、宝石みたいにキレイですもん」
気の置けない友人たちとの時間は、|いつも《・・・》より息がしやすい感じがする。おかげで感情が顏に出ないハコの頬も、どことなく緩む。
●さよなら|アイドル《日常》
ハコは、暗殺者として生まれ瞬間から育てられて来た。その家は既に消失すれど、作り上げられたハコの根底はブレない。
美貌は天賦。しかし余人より優れるのも、大人びるのも、育ちと経験と――黒き奇跡ゆえ。
学級日誌は、ホームルームの直後に提出した。
「起立、礼」
鳴り渡る号令に、少女たちが素早く直立し、うやうやしく頭を垂れる。
「先生、さようなら」
「「先生、さようなら」」
一日を締めくくったハコは、続く唱和を聞き遂げると、泳ぐように踵を返す。
「オーステナイトさん、またね」
「バイバイ、オーステナイトさん」
「お疲れ、ハコ」
「そのうち、行けたら行きましょうね!」
クラスメートと同じに手を振るミヤと凪が、ハコを引き止めることはない。誘いはしたが、ハコが頷かないのに慣れているのだ。
ハコも皆へ手を振る。ただ『また』とも『明日』とも言わない――言えない。
階段を降り、靴を履き替え、昇降口を出る。校門を越えたら、小学生としての時間は終わり。
「楽しい日常もここまで、ですね」
そして始まる、√能力者としての|逍遥《冒険と戦い》。
とはいえ、ハコはハコだ。ハコは常にハコとして在る。変わるのは|景色《世界》の側。
首から下げたペンダントトップを、ハコは華奢な指で辿る。肌身離さぬそれは、宇宙を思わす黒のモノリス。
「さぁ、行きましょうか」
斯くてハコはモノリスを傍らに、まだ見ぬ|√《世界》へ今日も迷い込む。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴 成功