シナリオ

依頼人のいない日

#√EDEN #ノベル

タグの編集

作者のみ追加・削除できます(🔒️公式タグは不可)。

 #√EDEN
 #ノベル

※あなたはタグを編集できません。


 取り出して使う。そして使い終わったら元の場所に戻す。たったそれだけのことが、どうしてこうも難しいのか。
 自分の仕事場、探偵事務所をぐるりと見渡して、コイン・スターフルーツ(人間(√EDEN)の妖怪探偵・h00001)は世の不条理に思いを馳せる。依頼人を迎えるためのソファ周辺、それからレコード周りだけ見ればそれなりに片付いているのだが、逆に言えばそれだけである。ひとつひとつは細かなもの、些細なサボりの積み重ねが、今この状況を形作っているのだろう。
 抱えている仕事も一段落しており、今日のところは次の仕事の準備を行う予定だったが、このままではよくない。
「――とりあえず、片付けますか」
 誰にともなく、あえて言うなら自分に対してそう宣言する。窓を開け、冷たい新鮮な空気を部屋に通せば、億劫な気持ちも少しばかり変わるもの。気合を入れるように深呼吸をひとつして、コインは書類の山へと手を伸ばしていった。
 始めに取り掛かるのは身の回り――デスク周辺に積み上げられたものからだ。明らかに目立つキングファイルを、元あった本棚に差し込んで、残った紙束をパラパラと捲っていく。メモ用紙代わりに使ったこれはもう要らなくて、こちらの資料はさっきのファイルに挟んでおくべきだろう。やはり上の方に積まれているのは、直近の依頼に使ったものであり、コインにとっても記憶に新しい書類ばかり。この辺りの仕分けはとても順調に進んで、彼女は意気揚々と最後のファイルを棚に収めた。
「……あれ?」
 いや、収めようとしたが、どうやってもそれが奥に入っていかない。どうやら書類を足されて分厚くなったファイルによって、本棚はもはや限界を迎えていたらしい。僅かな隙間を広げるようにぐいぐいと押し込んでいくと、どうにかそれは棚に収まったけれど、代わりに別のファイルが手前にはみ出してきていた。
 うーん、と頭を悩ませつつそのファイルを引き抜く。今の悪戦苦闘の結果でファイルの並びが偏っている。これを正せばあるいは……などと考えながら、彼女は何の気なしにファイルを開いた。
「あ、これ懐かしい……」
 それは過去にこなした仕事の記録。そんなに長い時間を経たつもりはないけれど、今見ると拙い自分の仕事が、確かにそこに残っていた。
 迷子の猫を探したり、浮気調査に勤しんだり、地味ながら懸命に過ごした、そんな日々の足跡。そういえばあの仕事もこの時期にやったんだっけ、とページを捲って。
「……違う違う、片付けないと」
 思い出に浸りそうになっていた自分を、どうにか理性で引っ張り戻す。
 はみ出した分、収まりきらない分は、また別途置き場を用意しようと結論付ける。しかしながら、この整理の利かなくなった状況も、日々を積み重ねた結果だと思えば悪くない。ふふ、と満足気に笑った彼女は、ようやく見えてきたデスクの天面を眺める。久々に見た気がするそこは、使い込まれた味のある色合いをしていた。
「……」
 前言撤回、これは埃が積もっているだけだ。溜め息を吐いて、彼女はまた腰を上げた。
 さて、掃除道具はどこに置いたっけ。

 机の上を磨いて埃を落としたら、次は別のところが気になってくるもの。机の上の次は棚を、それから窓の桟を拭くと、今度は床に放置した段ボールやPCデスク周りが目に付いて、彼女はそちら整理へと移っていく。
 こうなってくるともう終わらない。机の引き出しの中身を引っくり返して、レコードの並びを納得のいく順番に入れ替えて。そうしているうちにお腹が鳴って、ようやくコインは我に返った。
「……休憩しよっか」
 はあ、と一息ついて掃除道具を置く。とりあえずラーメンにしようかな、と事務所据え付けの簡易キッチンに向かった彼女は、思わずそこで眉根を寄せた。
 調味料入れがちょっとだけ汚れている。確か中身が切れてそのままの調味料もいくつかあったはず。ご飯にしようと思いながらも、掃除に向かった頭はそう簡単には切り替わってくれないようだ。
「あれの賞味期限……大丈夫だっけ……?」
 いよいよ冷蔵庫の中身も気になり始めた。
 ドツボにはまっていく自覚はあれど、止められない。もう行きつくところまで行くしかない、改めてそんな覚悟を決めて、コインは冷蔵庫の扉を開いた。
 とりあえず、ラーメンは美味しかった。けれど食べている最中も割り箸の整理や食器棚の並びなどが気になり出して、『やることリスト』は膨らむ一方。おかげで彼女の午後は食休みもそこそこに始まった。

 そうして数えること数時間後、そろそろ日も落ちかけた頃に、コインがぜえぜえと肩で息をしていた。
 大変だった。いや、本当に大変だったが。
「終わった……!」
 そう、次から次へと現れていた気になる場所を、片っ端から潰していった結果、事務所は見違えるほど綺麗になっていた。
 若干模様替えの域に到達していたのでそれはそうかもしれないが、これほど整理が行き届いているのは事務所の歴史上初めてのような気もする。
 もちろん作業の過程は簡単ではなかった。誰かの忘れ物や使われなかった証拠品も出てきたし、整理から漏れていた領収書や、予定期日の過ぎた付箋のメモなど厄介なものも多数発掘されてしまった。色々と頭を悩ませられたものだが、『封印された未解決事件のファイル』や『秘密の隠し扉のスイッチ』など、ドラマが始まりそうなレベルの物が出てこなかっただけ良しとしよう。
 ぴかぴかになった事務所を満足気に見渡してから、コインは「今日の仕事はここまで」と結論付ける。いや、よく働いた。清々しい気持ちで照明を落とし、ドアを開けたところで、もう一度事務所の中を振り返る。
 ――で、これは何日もつのかな?
 ふと脳裏を過ぎった言葉に苦笑いしつつ、それを追い払うように頭を振って、彼女はばたんと扉を閉じた。
 緩やかな休日はお終い。ばたばたと騒がしかった事務所に静寂が戻る。
 整理整頓を完璧に終えて、明日からはきっと気兼ねなく仕事に勤しむことができるだろう。


 訂正。ドアの汚れがまだ気になる。
 無言で戻ってきたコインがごしごしとドアを拭き上げて、今度こそ事務所は眠りについた。
🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​ 成功

挿絵申請あり!

挿絵申請がありました! 承認/却下を選んでください。

挿絵イラスト