欠け落ちて尚

少し語ろか、昔の話。
一つ二つと数える度に、人の身竦んで、心は凍る。
足りぬと嘆くその声に、欠けを顧みて、魂は沈む。
数えてみよか汝の欠落、足りぬ恐怖を、今ここに。
此度のノベルのテーマは|物語《ルートエデン》の裏に存在する物語。
『なぜ、怪談「番町皿屋敷」は御伽使いの基本ルート能力なのか』です。
話の流れは『何の欠落を持つか分かっている簒奪者相手に、騙名がその欠落に沿ってアレンジした怪談「番町皿屋敷」を使用して撃退する』ことさえ守って頂ければ形式を問いません。
また、簒奪者の設定やお名前、欠落の詳細もお任せします。
既存の公式簒奪者さんでも構いません。
怪談の類いは、多数あります。
ただ怖さだけを求めるのであれば、見た目が恐ろしい妖怪を呼んだり、四谷怪談のような愛憎モノを語る方が刺さる方は多いでしょう。
ただ攻撃能力だけを求めるのであれば、問いに答え間違えれば即死の怪異や、片葉の葦のような悍ましいものまで、多数あるでしょう。
しかし、その中でもこの技は選ばれました。
番町皿屋敷は|「1枚足りない」の《欠落をなげく》声と共に恐怖を与える物語です。
それゆえ、「必ず何らかの欠落を持つ」ルート能力者や簒奪者には、どれだけ心が強固でも刺さりうるのです。
そのため、この怪談は御伽使いの基本の話として広く流布するに至りました。
(捏造設定です。この部分は自由に膨らませて下さい)
敵対した簒奪者の欠落に合わせて、足りないものを数え上げて、その心を折りつつ倒して頂けると幸いです。
文量はお任せします。
今回のノベルの目的は大きく2つ。
1つ目は、怪談「番町皿屋敷」は基本のままでもアレンジが効いて使いやすいよと皆に周知したいから。皆バンバン使ってね。
2つ目は最重要。カッコよく敵を語り倒す騙名が見たいから。
以上です。よろしくお願いします。
――今回の物語はこれにておしまい。
少し語ろか、かけおちの話。
親の反対、身分の違い、古よりの昔から、人の思慕は儘ならぬもの。
けれど結ばれないと思うほど、燃え上がるのも恋の常。
思い詰めた若人達は、新たな地へと、駆けて落ち往く。
●
タイヤが濡れたアスファルトをこすり、鈍い音を立てる。地面を這うヘッドライトの光が、雨の名残に反射して、不気味に揺らめいて見えた。
バスのエンジンが低くうなりをあげながら停車し、車内に微かな振動が伝わる。空港の待合エリアを照らすそれに比べ、ぼんやりと薄暗い灯の中、彼女の手を握り締める。
「さあ、行こうか」
小さく微笑み、彼女が頷く。その指先は、少し冷たく感じられた。
バスのステップを降りて、最終便が待つ夜の空港へ。振り向くことはしたくなかった。二人が生まれ育ったこの土地には、たくさんの思い出があるけれど、同じだけの深いしがらみと、苦い記憶が残っている。
この地を捨てて、新たな場所へ。滑走路の向こうの夜空、底無しの暗闇にも見えるそこへ、飛び去っていく飛行機の光に少しだけ見惚れた。
「――美咲?」
振り向いたそこに、彼女の姿はない。
上げた声にも返事がないことを悟って、口元が震える。
いつの間に手を放してしまったのか、記憶を辿ってみても鮮明にはならず、悔やむことすらうまくいかない。早鐘のように心臓が脈打ち、冷たい汗が背中を伝う。化粧室か、売店か、どこかへ立ち寄ったのかもしれない——そう思いたかった。
行方を眩ませるに当たって、スマートフォンは処分してしまっている。成すすべなく必死に周囲を見回す自分は、さぞ滑稽に見えただろう。こちらを向いた視線のひとつが嗤っていたような気がして、思わずそちらを見返す。
すると、空港の職員や見知らぬ旅行者、その中にひとつだけ、異様な気配を放つものが居た。フードを目深に被ったその人影は、こちらをじっと見つめている。顔には影が差し、表情までは読み取れない。だがその足元、そこには二人分の影があった。
思わず息を吞む。照明の下に描かれた影、その輪郭は、見慣れた彼女のものではないだろうか。
「待っ――」
声を上げて、手を伸ばす。しかし飛行機を降りたばかりの一団が目の前を通り過ぎた後には、あの異様な気配も、彼女の影も存在していなかった。
今のはただの見間違いか、それとも。
繋いでいた手のぬくもりだけが、空いた掌に残っている。
●
生まれ育った故郷を捨てて、誰も二人のことを知らない、新たな場所へ。そう願ってはいたけれど、それはこんな形ではなかったはずだ。黒い靄の中を彷徨い歩くような気持ちで顔を上げた彼女は、空港の光景が一変していることに気付く。
滑走路を照らす光や街の灯が見えていたはずの外は、一面黒で塗り潰したように真っ暗で、空港の中の照明もやけに寒々しい。行き交う人々も影そのもののように真っ黒で、表情はおろか服装さえも見分けられない。
疲れているのだろうか、それともこれは悪い夢か。ただはっきりしているのは自分を引っ張ってくれる彼の掌の感触だけだった。
「……直人?」
振り返った彼の顔、見慣れているはずのそれに妙な違和感を覚えて、美咲はそこで足を止めた。
「ねえ、どこに行くの?」
『どこって……二人で暮らせる場所だよね?』
聞き慣れたはずの声はそう答えて、腕を強く引いてくる。違う、と本能が告げるけれど、どうしていいか分からない。助けを求めるように周囲を見回した彼女は、そこで妙な呪文を聞くことになる。
――開け、ゴマ。
空港の天井を割るようにして、あたたかな光が降り注いだ。
「開いた開いた、よかったわぁ間に合んかったらどうしようかと思ってたんよ」
続けて緊張感に欠ける声が響いて、着物姿の女性が降ってくる。着地した彼女は華美な着物の裾を払って、金色の目でこちらを見た。
「あかんよそんな、女の子を乱暴に扱って」
飽くまで軽い調子のそれに、直人の顔をした彼が表情を歪める。
『誰だ、お前は』
「うちは騙名、ただの猫やで。そんで、そちらさんは……妖怪の方? それとも怪異ってやつやろか。何て呼んだったらええの?」
一緒くたにして『簒奪者』でいいんやろか。そう首を傾げる相手を、彼は無視して問いを重ねた。
『……どうやって入ってきた?』
「そらもう、普通に。うちには隠し扉を開けるのが生き甲斐みたいな子ぉが居ってな?」
流れるように続く口数を遮るように、周囲の人々――黒塗りの影達が、一度に彼女に襲い掛かる。だがその悉くを、刃を手にした別の影が押しとどめた。盗賊団の影の後ろで、騙名は肩を竦めてみせる。
そうせっかちに挑んでくるなら、こちらにも考えがあるのだと。
――少し語ろか、昔の話。語り部がひとつ言葉を紡げば、かく世界は塗り替わる。
一つ二つと数える度に、人の身竦んで、心は凍る。
足りぬと嘆くその声に、欠けを顧みて、魂は沈む。
数えてみよか汝の欠落、足りぬ恐怖を、今ここに。
●
怪談「番町皿屋敷」、それはいわゆる御伽使い達にとって、もっとも|一般的《デフォルト》な√能力である。物語として見れば、もっと心揺さぶるものが、もっと破壊力や殺傷力を伴うものが、それぞれいくつも挙げられるだろう。けれど彼等は知っている、この物語の使い方を。
『その程度の力で、俺を止められるとでも?』
「ええ感じやねぇ、その自信。力もあるし頭も回る、度胸もあって、ついでに運にも恵まれとるやろか」
結構なことやない? 簒奪者の言葉に対して、騙名はそう笑って返す。
「めんこい彼女さんも手に入れて、眩しい未来もあるんやろなぁ」
褒めたたえ、おだてるような口ぶりで、彼の持ち物を挙げていく。少々大雑把ではあるが、順番に、そして執拗に、数え上げて。
「でもなぁ、駆け落ちするには足りないものがあるのと違う?」
簒奪者の表情が変わったのは、誰の目にも明らかだった。
『黙れ、お前に何がわかる』
あら、これは一本取られた。騙名が愉快気に喉を鳴らす。笑ってしまうのも仕方のないことだろう、だって――。
「だって、ねぇ。そういうお前さんこそ、自分が誰だかわからんのやろ?」
『……!』
歯噛みするような気配と共に、簒奪者の輪郭が大きく揺らぐ。
うちの名乗りに聞こえん振りして答えんかったのは何で? 他人に成りすまして、その続きを奪おうとしとるのは何で? 猫の瞳で見透かして、彼女はそうして問い詰める。
――ほら、『一枚足りない』。
簒奪者とてくくりの上では√能力者である、つまりは例外なく、彼等もまた『欠落』を抱えているのだ。どれだけ強くとも、賢くとも、運に恵まれていようとも、完璧にはなり得ない。だからこそ、この物語は確実に刺さる。
「誰かの真似なんかしたってな、満たされることはあらへんよ」
この簒奪者が欠落したのは恐らく『自己認識』。自分の名前をそうであると認識できず、鏡を見ても他人のよう。
全てを持っていようとも、それがなければ自分のものとは思えないだろう。その飢えが満たされることは、永遠にない。
物語が示すのは致命的な『欠落』。それを理解し、屈した簒奪者の胸には、ぽっかりと黒い穴が開く。誰かに似せた顔が剥がれて、影のようなその姿が乱れる。その場の闇に沈み込むように、簒奪者は形を崩し、消滅した。
●
空いていた掌に、ほのかなぬくもりが戻る。気が付けば彼女がそこに居て、わけのわからぬまま、呆然と二人で顔を見合わせた。恐怖と焦燥、背を伝う汗の感触が生々しく残っているものの、周囲の人々が足早に行き交う様子には、何の異常もありはしない。
一瞬の出来事、それとも悪い夢だったのか、奇妙な体験をもう一度思い返そうとした、その時。
「もう手を放したらあかんよ」
着物姿の女性が、そう声を掛けてきた。
この人は何か知っているのか、問い返そうとしたところに、空港にアナウンスが響く。搭乗を急かすようなその声に、慌てて発着時刻の電光掲示板と、時計を見比べている内に、名前も知らないその女性は踵を返して歩き始めていた。
その背に声を掛けようとして、言葉に詰まる。自分は何を聞こうとしているのか、ここで起きた何もかもが、記憶の中でぼやけた形に滲んでいく。
背を向けたままひらひらと手を振って、散歩の途中のような調子で彼女は去っていった。ただはっきりとしているのは、女性が残した言葉だけ。
欠け落ちの話は結びに向かって、駆け落ちの話はまだまだ続く。語り尽くすにはしばらく時間が必要ゆえに、一旦は、そう。「こちらの続きはご想像のままに」ということにしておこう。
――それでは、今回の物語はこれにておしまい。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴 成功