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#√妖怪百鬼夜行 #ノベル

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 この道の果てに待つものを共に見届けたかった。それでも私の選択が間違っていたとは思わない。今日でお別れだ。刻を繋ぐお前なら、未来から再び私の元へと会いに来てくれると信じている。その時は聞かせておくれ。お前が見てきた沢山の物語を――
 咲き乱れる黄金の中で懐中時計に遺した最後の言葉。時計の針は、過去へは戻らぬと言うのに。


 往来に添う沈丁花の香りを、それと知る事もなく取り込んでいた窓をパタリと閉める。途端に息を潜めていた静寂が、欅の柱の影から顔を覗かせた。大正硝子を梳いて店内へと射し込む陽が時計達の息遣いに触れて揺れゆく度に、過ぎ去った日々の言葉が遠ざかる。そんな刻懐古の記憶の竜頭を廻す様に、時計屋に訪れた一人の少女が凛声を張った。

「時計を探しているのですが」
「いらっしゃい。どんな子を探してるのかな?」

 肩に届く檳榔子を纏める鼈甲の髪留めに、淡い夕焼けを透かし籠めた錦紗縮緬の花柄は、良家の育ちを思わせる気品を湛えている。髪と同じ黒の瞳は周囲の時計達に留まる事なく、帳場に座す懐古を見据えていた。彼女はお辞儀をすると一枚の写真を取り出した。そこには、色褪せた世界から気難しい面持ちで此方に視線を投げ掛ける男性。おや、と懐古は写真を覗き込んで思う。なんとも見覚えのある顔。

「この時計です」

 右手から下げられた懐中時計も矢張り見覚えのある顔で。当然だと懐古は内心頷く。その男性は、嘗て別れを交わした懐古の“持ち主”その人なのだから。まさかこの様な形で再開を果たす事になろうとは。

「これは……僕だ」

 呟きを零せばはてなを浮かべる少女に、懐から懐中時計を差し出して見せる。写真の彼が持つ懐中時計がセピア色を払ってそこに存在していた。様々な持ち主の手を渡り、未だ輝きを宿す懐古の器。止まる事のないその針を見た少女の瞳孔は一瞬絞られ、溜まっていた感情が堰を切ったかの様に大粒の涙となって溢れ出る。

「っ!やっと見つけた……!おじいさまの懐中時計!」

 口元を抑えて涙ぐむ少女を見守りながら懐古は気付く。彼女は記憶の中の主が遺した孫娘だ、と。


「どうしても、売っては頂けないのでしょうか」

 名を|葵月《きづき》|怜乃《ときの》と言った。付喪神の本体たるその懐中時計を巡り、二人の問答の針が滔々と時を刻む。ここでアルバートチェーンを手放して新しい主の手に収まる訳には行かない。懐古は首を横に振った。

「僕はこの時計の付喪神なんだ。今は特定の誰かの|時計《もちもの》として生きるつもりはないよ」

 少女の逸る気持ちをほほろぐ為にこの身を明かすと、怜乃は一瞬肩を落とす。しかし直ぐ様面を上げて。

「付喪神ならご存知ですよね?祖父は貴方を片時も離さず携えていたと聞いています。手違いで質に出してしまったみたいですが、貴方は祖父の忘れ形見。葵月家の繁栄を願う物なのです」
「手違いで質に、か」

 懐古は、彼が己を手放した本当の理由を知っている。当時確かに彼は裕福では無かったが、朱金交えぬ訳合が二人を別った。その選択を咎めるつもりはない。彼も、そして次の持ち主となった女性も、懐古にとっては大切なパートナーだった。

「もう一度、葵月家を護る者として我が家に戻る気はありませんか?望むものは与えます」

 そんな事情を知らないらしい怜乃が言う。

「確かに僕は君のお祖父さんと過ごした。けれど、繁栄を叶えたのは懐中時計の仕業でもなければ付喪神の所為でもない。彼自身の力だ。悪いが、御守りになるのはご免だよ」
「……」

 懐古の口調は柔らかく、しかしその言葉はどこか突き放すようで。揺らぐ事の無い店主の意志を否応と無く感じ取った少女は、金銀杏の彩を曳く脣の淵を薄く咬む。

「……今日はこれで失礼します。また明日伺います」

 何度来ても答えは変わらぬよ、と声を掛ける間もなく懐古は怜乃の揺れる後ろ髪を見送るのだった。


 それからと言うもの、怜乃は足繁く懐古の元へ通った。在る日は家の鳩時計を直して欲しいと理由を着け、在る日は店を手伝いたいと趣を変えながら。

「今日も来ました」
「いらっしゃい。常連さん」

 その度に懐古がのらりくらりと話を聞くものだから、その内にいつかはという根拠の無い冀望の芽が生える。

「貴方の望みは何ですか?」
「君はランプの精か何かかな?それなら自由を望むよ。だから君と一緒には行かない」
「私なら貴方の自由に付き合います」
「ううん、それはとても不自由そうだ」

 雨が多い時節には真っ赤な傘を差して。水玉簾の合間からひょっこり出た馴染みの顔に溜息ひとつ。

「刻さんって何かお好きなものはありますか?」
「物で釣る作戦かい?最近は横丁の鯛焼きが好きだよ」
「我が家に来れば鯛焼き食べ放題……」
「それは安直だなあ」

 二人の攻防は平行線を何処までも描いていった。交わる事のない天と地がいつしか二人にとっての日常となり、その内側を他愛のない談で和気藹々と満たしてゆく。

「今日は何か持って来たね」
「この間、美味しいクッキーを頂きましたの。だからお裾分けにと思って」
「おや、美味しそう。これは紅茶が合いそうだ。待っていて」

 にこりと微笑みを湛えながら支度する懐古の横顔を、怜乃は思わず見つめる。長い睫がたおやかに瞬き、それはまるで梢に停まる蝶の様に儚げだった。夕焼け色の眸の奥では懐っこい光が耀い、ハイカラな煉瓦色の髪で匿う。時折揺れて、少年の様な無邪気さを一抹覗かせては怜乃の胸を高鳴らせた。

「さぁさ、美味しいお茶が入ったよ。お客も来ないし今日は店仕舞いかな。一緒におやつの時間にしよう」

 彼の繊細な、それでいて男らしく骨張った手指が此方を招く。怜乃は自身の視線が熱を帯びていくのを自覚する。もっと彼と一緒に過ごしたい、と。


 夏の盛りも過ぎて。近頃は形見の時計で言い合う事も少なくなった。端から見れば僕達はすっかり友人同士だ、と不思議な縁に目尻を下げる。今日も顔を出した怜乃の姿に安堵感にも似た親しみを覚えて、笑顔で招き入れればふと薫る甘い香り。なんだろう、怜乃から特別な花が咲いている。

「君から良い香りがするね」

 思わず顔を寄せて訊ねれば、忽ちに少女は顔を赤らめて俯き、ぎこちない声音で呟いて。

「あ……金木犀です。香りが好きで、練り香水を……」
「金木犀?」
「懐古さんはご存じない?そろそろ時期なので、今度枝をひとつ持って来ます」


 祖父との想い出にはいつも金木犀の香りが寄り添っていた。花言葉は初恋。いつかお前に一緒に居たいと思える人が現れた時、それこそが初恋なんだと記憶の中で紡がれた言葉。その冬、祖父は帰らぬ人となった。胸に抱える真実の想いは、口に出さねば伝わらない。

「懐古さん。貴方と私の共通点をご存知ですか?」
「今度はどんな風に話を持っていくんだい?共通点かぁ。なんだろう。お互いに譲らない、とかかな」
「ハズレです。私は懐古さんと違ってそんなに頑固じゃありません」
「十分頑固者の発言だ」
「正解は、二人の名前には“とき”が刻まれています」
「刻懐古、葵月怜乃。なるほど、それは確かに」

 金木犀の香りに背中を押され、心を決める。

「私、お祖父さまの形見として貴方を手に入れたかった。でも、今は違うのです。懐古さん、貴方に恋をしました。貴方とこれからも同じ時を刻みたいです。どうか私の元へ来てくれませんか」

 恋。人の感情の一つ。彼女とは親交を深めたけれど、この気持ちがそうなのだろうか?とは言え、それが彼女の家に縛られる理由になるとは到底思えなかった。

「君と過ごす時間は楽しい。だけど、僕は自由を手放す気はないよ」
「……」

 幾度となく繰り返された答えはあまりにもいつも通りだった。時計の針すらも呼吸を忘れる程の長い沈黙の果てに、少女の黒髪が揺れた。

「……わかりました。私、貴方を諦めます。もう来ません」

 最後には、潔い言葉と共に堪えた涙。何かを言わねばならぬと手を伸ばし、掴んだ残香は想い出の彼方に消えてゆく。

 翌日から、彼女が顔を見せる事は無かった。ぱたりと途絶えた存在が、懐古の心に小さくない穴を遺す。その感情もまた、懐古が初めて味わう物だった。
 不意の別れ。今も図れぬ彼女の気持ちに胸が焦がれる。店の軒先から顔を覗かせては、今日も思う。君がまたここに来れば良いのに、と。
 秋を迎えた街では沢山の金木犀が咲き乱れていた。

――嗚呼、あの日。主との想い出に咲いていたこの花は、彼女が残していった香りだったのか。

 この想いを彼らに語る日は来るのだろうか。それでも忘れはしない。彼女が抱いた心緒の面影を、この香りと共に。
 やれやれと笑う懐古の表情はどこか寂しげだった。
🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​ 成功

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