月はまた、宵闇と灯る。
早朝。小鳥のさえずりが優しく窓を叩く頃。蔦を飾りに佇む木造の建物の中を一人の少年が歩いていた。大きな窓から入り込む朝日が真白い床に反射して目に眩しい。床に映るいくつもの光の窓を乗り越えて、茶治・レモン(魔女代行・h00071)はひとつの扉の前で立ち止まった。
ここは『大鍋堂』。随分と前にネギを買いに行くと出掛けた魔女がそのまま不在となったため、彼が代理店町を務める魔女の店だ。大きな窓がいくつもあるというのに中は全く窺い知れず、ドアの看板だけがこの店の存在を教えられる。とはいえ、店は店だ。玄関を抜けるとお客様用の憩いのスペースが存在する。
レモンが今いる場所はその部屋を通り過ぎた先になる。この大鍋堂には他に専用の鍵を持つ人間だけが入れる部屋がいくつか存在した。大鍋堂の鍵で管理された部屋は様々な効果を持っており、今日はそのうちの一部屋に用があった。
「やっぱり、直すならここですよね。万が一、失敗なんてできませんから」
気合と共に鍵を差し扉を開ける。ふわりと香草のにおいが風に乗って抜けてきた。
いわゆる「魔法部屋」と称されたここは、大気に漂う魔力を意図的に集めて満たした空間だ。これにより魔法が成功しやすく効果も高まり、魔法使いにとってはまさに理想の空間と言えるだろう。部屋の中央に鎮座した乳白色のオーブが空調管理の効果を持っており、一定範囲外にある魔力を吸い寄せる効果を持つ。便利な魔道具ではあるが、固定して使わなければ高い効果を望めないため用途が限られており、携帯には向いていない。まさしく魔法道具生成や修練用に使われる事が多い。
部屋に来たついでにポーションの元になる薬草の様子も見ておく。基本的な世話は部屋内にある自律型アイテムがこなしてくれるが、魔法で動くそれらの原理はいまいちよく分からない。人形のようなゴーレムの胸元には古代語が刻まれており、不用意に触るなとだけ言われていた。異常を感知したら知らせてくれる魔法陣も今は沈黙を貫いている。
室内には作業用に広いテーブルがあり、作りかけの部品がいくつか載せてあった。それらを丁寧に、ひとつの欠けも出ないように隅に寄せてスペースを作ると、レモンは懐から壊れた時計を取り出す。
「……あなたを必ず、カナトさんのもとへ帰してあげますからね」
さる雨の日、大事なものを執拗に狙う椿に壊された代物だ。出来る限り部品は集めたが、あの戦いの中ですべてを拾い切る事は難しかった。それでも、壊れたまま放置されるよりは随分と良いだろう。大事なものと言われ、カナトが手にした物なのだから、そのままでいい筈がない。
あの日から進まなくなってしまった懐中時計は今も針を進ませようと壊れた身体を動かしている。しかし、針がそれ以上持ち上がる事はなく、同じところを往ったり来たりするだけだ。共に歩みを続けてきた大事な物なのだから、これからも共に歩み、動き続けるべきである。
細かい部品も丁寧にテーブルに並べると短く息を吐いた。
「――ふぅ、よし、やります」
焦がれるは〝生〟への輝き、悦ぶは〝死〟への歪み。魔女から託された魔導書に書かれた魔法のひとつだ。今でも唱える度に魔導書に刻まれた悪筆が脳裏を過る。これがなければもっと早く習得出来ていたものをと思わず苦言のひとつでも言ってやりたくなるほどだ。
翳した手のひらの真下に魔法陣が開く。ゲートの役割を果たす魔法陣からはにゅるりと闇色のタコ足が生えてきた。いや、蛸ではない。てらてらと光を反射し、白色の空間に見合わない影と見紛う色のそれは、感触としては植物だ。脳裏の師匠が植物とレモンに語り掛けてくる。植物だ。うん。昆布ではない。
葛藤してる間にもわさわさと山盛りになった闇色の植物は蠢きながら机の上にも溢れようとしていた。
「あ、今日は物品修理です。宜しくお願いします」
意思疎通がきちんととれるものとは理解しているが、実際に動くまで少し不安もある。
机の上に葉を乗り出した昆布モドキたちは卓上に留まるために体をどんどん小さくしていく。それ自体は見たことがあったが、想像以上に縮こまったいくので流石のレモンも二度見した。なんならそこからさらに細く小さく枝葉のように分裂していくのでなかなか見ごたえがある。
「意外な発見ですね……」
師匠の魔法なのだから効果は疑うべくもないが、戦いでお手伝いをしてもらった時の事を思い出すと不思議な感じだ。
創造された植物は白色の大鍋堂に絡みつく蔦のように懐中時計に細い蔦葉を伸ばし巻き付いた。職人が壊れ物を扱う時と同じように丁寧な手つき、もとい蔦つきはとても器用だ。レモンが自分で修理するよりも目的は達成されそうである。餅は餅屋というように、修理効果もある魔法に任せて良かったかもしれない。
直るまでやる事がないとはいえ、ちゃんと直るかそわそわしてしまう。たまに裏返されたり逆さまになったりする懐中時計を見ていれば、蔦が突然消失した。あまりに急な出来事で、一瞬理解が出来なかったくらいだ。ぽかんと空いた口が呼吸をする事も忘れていたが、はっと我に返る。
「え? 直っ、た? もう? 動いてる……?」
慌てて手に取ると微かな秒針の音が聞こえた。丁寧に現在の時刻に矯正された長針は、しっかりと秒針が一周するに合わせて時を刻む。もう二度と時を逆行することはなく、再び現代に合わせて歩みを刻み始めた。
ほっと安堵の溜息が出るも、持ってる手に違和感を感じる。何度か触って確かめてみるが、壊れてしまった時に出来た割れ目が感じられない。見た目もつるりと綺麗なもので、金属の光沢がひとつなぎの光を返している。確かに修理出来たらいいなとは思っていたが、欠けた部分まで補えるとは考えていなかった。
「え? 欠けたパーツとかどうなったんです? 『闇を這うモノ』……?」
再び混乱が押し寄せる。
仕上がりに不満がある訳ではない。むしろ、時計が動くくらいを保証する80%の仕事を完璧な仕上がりの150%で返された気分だ。うーんうーんと唸り声が出てしまうのも無理はない。
「……よし! まぁ、良いことにしましょう!」
今のところ変な動きは追加されていないし、悩んでいる間に短針も無事動いた。結果オーライだ。
「ふふ、カナトさん、喜んでくれると良いなぁ」
すっかり探し忘れていたが、魔法部屋に保管されていた魔力感知力が高く繊細な鉱物を扱うための布を引っ張り出してきて懐中時計をくるんだ。折角直ったというのに、渡す前に壊れてしまっては元も子もない。これだけ保護すれば届けるまでの道中も問題ないだろう。もうあの元凶は存在しないのだから。
最後にちらりと時計を見ると、朝ご飯にはちょうどいい時間だ。想定よりずっと早く終わってしまって拍子抜けというか。
「そうだ、早速カナトさんへ届けに行きましょう!」
この時間ならオススメのパンが焼きたての頃合いだ。行きつけのパン屋はふかふかの食パンがサンドイッチに絶妙と有名どころだが、その他にもカレーパンやクロワッサンも美味しく、更にタイミングが良ければ趣味で焼いているクッキーも手に入る。お土産にはこれ以上ないラインナップだろう。
しっかりと懐中時計を仕舞ったレモンは大鍋堂を後にする。とっておきのサプライズを仕込んで。
後になって作りかけの部品が減っている事に気付くのだが、それはまた別のお話。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴 成功