儚く美しい世界のために
●対峙
ここは丘の上にある封印の祠の前。
深い夜の最中、空に浮かぶ三日月が静かな光を地に落としている。
周囲の木々は風を受けてざわめき、辺りは不穏な空気に満ちていた。
祠の前には鋭い眼光の鮫妖が立っており、目の前にいる獣妖――|八海・雨月《はちうみ うげつ》を強く睨みつけている。
「……何故、ヒトに味方する?」
鮫妖は問う。
古妖として封じられていた彼は復活を遂げようとしていた。
だが、今は上手く動けないでいる。丘は周囲が開けた広い空間だが、少しでも動けば雨月が付かず離れずの距離を保ち続けて牽制するからだ。
「さぁ、どうしてかしらねぇ」
雨月は片目を閉じ、鮫妖に曖昧な答えを返す。
その際も相手の動きは捉えたまま、静かながらも確かな殺気を向けていた。
「見るにお主も古きモノじゃ。今の状態は不自然だと解るはず」
相手は古妖らしい考えを持つ者だった。
妖怪は好きに生きてこそ。それゆえに人間に準じた文明社会が気に食わないらしく、過去に多くのヒトを食い殺したという。
「わたしは今も昔も好きに生きてるだけよぉ?」
「なれば尚更のこと」
鮫妖は妖気を巡らせ、戦いの準備を整えているようだ。
対する雨月は一切の隙を見せていない。
「今がどれだけ儚くて美しいかを理解できないなんて哀れねぇ」
「笑止! 哀れなのは今の妖怪達じゃ」
考え方の根底は両者とも同じだが、話は平行線でしかない。
雨月にとっては今が心地良く、皆が楽しく賑やかにしているのが幸せであり、弱き者は守ることが当たり前。結果的に文明社会側の妖怪だと自覚している。
されど古妖は弱きを喰らうだけの者。
頭を振った雨月もまた、己の力を巡らせながら語っていく。
「好い気分を台無しにするようなやつは気に食わないし、そんなやつは殺して喰うだけだわぁ。それが妖怪の在り方でしょ」
それこそが好きに生きている証。
雨月が言葉と態度で示すと、鮫妖は甲高い叫び声をあげた。
「それならば……お主も喰らってやるだけじゃ!」
「大人しく喰らわれるつもりはないわぁ」
刹那、凶暴さを剥き出しにした鮫妖が飛びかかってくる。すると雨月は白く巨大な獣妖態へと変じた。
着ていた憲兵服を引き千切り、人の姿を内から食い破るように変じる雨月。
アクチラムス種のダイオウウミサソリとなった彼女は全身を軋ませて宙を泳ぎ、尾で鮫妖の牙を弾いた。面食らった様子の古妖は驚愕まじりの声を紡ぐ。
「その姿……思い出したぞ、お主はあの、神――」
「あなたは、どんな味が、するかしらぁ……」
鮫妖は古の名を口にしかけたが、次に雨月が動く方が速かった。
ギラギラと煌めいた金の複眼には、夜空の三日月が映り込んでいて――。
●矜持
次の日。人や妖怪で賑わう街中にて。
路面電車から長身の女性――雨月が窮屈そうにしながら出てきた。
看板や軒先に頭をぶつけないよう気を付けて歩く彼女だったが、不意に下から軽い衝撃を感じた。どうやら走ってきた少年がぶつかってしまったらしい。
「あっ、ごめんなさい!」
「前に気を付けなさいなぁ。食べちゃうわよぉ」
雨月は冗談交じりの注意を伝えながら屈んで視線を合わせ、優しい声音で告げた。うん、と元気よく答えた少年は、友達らしき妖怪の方へ駆けていく。
手を振って見送る雨月は目を細めた。
人と妖怪が賑やかに暮らす光景はいつ見ても美しく、快いものだと感じる。
「さて、今日もお仕事ねぇ」
雨月は行く先を見つめ、星詠みから聞いた事件の場所を目指してゆく。
そうして、雨月は人混みの中に消えていった。
今日もまた、気に食わないやつを喰う為。
或いは――自分が好きだと感じている、この世界を守るために。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴 成功