シナリオ

ありうべかりし

#√妖怪百鬼夜行 #ノベル #名画鑑賞

タグの編集

作者のみ追加・削除できます(🔒️公式タグは不可)。

 #√妖怪百鬼夜行
 #ノベル
 #名画鑑賞

※あなたはタグを編集できません。


 世が世なら、彼はこうして穏やかに微笑んで時を送って居たのだろうか。
 そんなことを考えながら僕の唇は少しだけ綻んでいたかもしれない。それが絵の中の彼の微笑みに釣られたものであることは言うに及ばず、加えて、僕が知る何処までも無表情な彼が、今、この絵にはこの微笑みで描かれていると言う事実そのものが、どうしようもなくそうさせた。彼が——クラウス・イーザリーが、たとえ絵画の中であれこの装いと表情をしていることは、僕にとってはあまりにも新鮮で、とても嬉しいことだったから。
 さて、着物に袴、その下に縦襟のシャツを合わせたスタイルは昔の書生と言われる学生たちの装いなのだと、何処かで得た知識で僕は知って居る。そうして、その装いで居る彼が、そう言えば本来はまだ、学生だのと呼ばれる様な若い身空であることを今更痛烈に思い出す。幾ら戦いに長けていて頼もしく、僕なんかよりも数段落ち着いて思えても、彼はまだもうじき19歳になるばかり。この前まで少年だった身なのだから、この絵の中の姿こそ本来であるのかもしれない。青年と少年の狭間の様に、精悍と繊細を交えた様な微笑みを見て、僕はそう噛みしめる。
 でも、学生と言ったけれども、これは本当にそうだろうか? 織柄が菱を描いた銀鼠の着物に深い藍鉄色の袴。肩に靡かせた短いマントを留めた組紐の小粋な加減に、飾り気のない立襟の生成りのシャツの洒脱さ、浅く被った制帽の加減の完璧さと来たら、さて、こんなによく整った『学生』なんてどの時代でもそこらにそうそう居るものだろうか? つまり、これは著名な劇場で誰か名の知れた役者扮する、役柄としての学生だって言われた方が僕は納得が行くような気がする。彼の白い肌に、青い瞳に、制帽の下から零れて肩に揺らした黒髪に、この装いはあまりにも誂えた様にぴったりだ。だからこの装いにしてみたって、優れた衣裳方の心づくしの仕事だと言われた方が僕にはよほど違和感がない。
 他方、名うての俳優を引き合いに出したのにも理由があって、それは彼のこの穏やかな微笑の自然さだ。常の彼とはおよそ別人に思えるほどに印象の異なるこの表情。それをまるで違和感も何もなく向けられて、事実、この僕がつられて微笑むこの奇跡。それこそこれは、名俳優がカメラに向けてお披露目をする類のワンシーンとも、ポスターに収める為のカットとすらも思われて、不思議な心地がしてしまう。否、本当はこの感覚こそ既におかしくて、装いや周りに描かれた景色の雰囲気に僕が呑まれているだけで、彼は常からこんな表情を出来るのかもしれないし、よく考えればその方が望ましいのだとも思う。
 でも、どれだけそうと願っても、それは何処かでやっぱり『否』だ。彼——クラウスの、邪魔にならない長さに切りそろえた前髪の下の青い瞳は、照準の先を睨んで鋭く眇めることはあっても、こうまで穏やかに弧を描くことはそうないだろうとも思える。この絵の中で嫋やかに鍔に掛けた細い指先は——嗚呼。そう言えば、初めて僕は彼の手指を見たのかも。戦いの為の籠手めいた黒い手套で覆った彼の手指しか、僕は目にしたことがない。
 だから、初めて目にしたその手を、指を、存外に白く繊細なものだと思う。そうしてこれは酷く象徴的な話だ。例えば、僕の今知った繊細さを武装で鎧ったものこそが、僕の知る常の彼であると言う様な。そう考えると、今のこの絵の彼こそが彼の本来にも思えて——嗚呼、何だろう。以前僕を守ってくれた彼こそが、本来は未だ守られるべきものではないかと、本人は認めないだろうけれどもそう思われて——いつかお酒が飲める様になったら、この話も、出来るだろうか。
🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​ 成功

挿絵申請あり!

挿絵申請がありました! 承認/却下を選んでください。

挿絵イラスト