シナリオ

たとえば全て失ったとしても、

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 窓から一条の月明かりが差し込んでいる。偶然か、はたまた必然か、今日の月はぽかりと夜の空にまあるい穴を明けていた。電気を付けずとも差し込む光で部屋の中は薄明るく、どれだけ物が多くとも見渡すのにも歩くのにも支障はない。掃ききれなかった埃が舞っている様子さえ、満月の恩恵のように思える。
 窓の下、ガラクタが転がる狭いヌックでひとり緇・カナト(hellhound・h02325)は精霊銃を手にしていた。引鉄に指はかけず、大して力も込めずに緩くグリップを握っている。銃身とシリンダーを覆う手のひらは傍から見れば手入れのようだが、どれだけ長く観察しても動く気配はない。
 瞼を下ろし壁に背を預けるカナトの横には、あの雨の日に壊された懐中時計が置いてある。繊細な生地で編まれた布をクッションにした懐中時計は、部屋に存在するすべてに聞こえるよう時を刻む音を届けていた。針の音はそれほど大きくない。積み重なる歳月により増えた物がカナトの自室を圧迫して、小さな音でも隅々まで聞こえるくらいに狭くしているだけだ。
 一度は歩みを止めた。とある月によく似た気がした銀色の懐中時計は、月が曇天と分厚い霧に覆い隠されると同時に時を刻むのを止めた。いや、強制的に止めさせられたと言った方が近いだろう。部品が砕け、歯車が外れ、どれだけ必死に針を動かそうとしても歯止めが効かずに下がってしまう。
 抜け出せないループに放り込まれたそれを掬い取り、強く願い、空を晴らす朝日で雲を払って、再び月を空に浮かべた存在がいた。今日は晴れるみたいですよと宣った彼は、今日の月も、銀色の月も、どちらをも空へ導いたようだった。
「オレは、確かめたかったのかな」
 息を吐く。精霊銃に置いたままだった手を下ろすと繋ぎ合わせた鎖に指をかけ、手のひらの中へと懐中時計を引き寄せた。確かに動かなくなった筈の時計は一秒一秒をしっかりと刻み、今もなお昔と変わらず時間の経過をカナトに訴える。時を伝えるだけの絡繰りにそれ以上の意味などないのだと理解していても、どうしても感情というのはままならない。こんなにも近くに銀色の満月があるからだろうか。
 数日の間、すっかり空にしていた懐へと戻す。こんなちっぽけな重さの物が、それでもカナトの中で強く存在を主張した。金属にぬくもりなど在る筈もないのに、その冷たさがかえってあたたかく感じる。
 どれだけ精密に作られた絡繰りであっても、ものである限りいずれは壊れ、捨てられていく。使い物にならなくなったものの末路なんて、誰が想像するだろうか。新しい何かが代わりに居座り、やがて、多くの人々から忘れ去られていく。いつか思い出すこともなくなり、存在したことすらも証明できず消えていくのだ。
 確かめたかった事は、なんだっただろう。
「オレは……、……」
 気だるげに視線を室内へと移すと、もう古びて動かない物ばかりが目に入る。元々小綺麗にしてあった部屋もいつしか捨てられない物で埋もれていき、生活感の満ちた部屋へとゆっくりと変貌を遂げた。
 ゼンマイが取れて音を鳴らす事も出来なくなったオルゴール。
 フックが壊れて役目を終えたキーホルダー。
 ダイヤルをどれだけ回しても電波を取得しないラジオ。
 長く使っていれば劣化し、いずれ動くのを止める。どんなものにも寿命があり、時にそれは人より長く、時にそれは人より短い。カナトの部屋に積み重なった物はどれも後者の品であり、一般にジャンク品と呼ばれる物だろう。たいして関わりのない人間がこの部屋を見たとして、物置ではないと言い切れるだろうか。それほどまでに積み重なったガラクタの数々に、カナトにとって無意味なモノはひとつとして存在しない。手に入れたならば、何一つ手離さない。手離せない。
 ふと目に入ったCDプレイヤーはいつ手に入れた物だろうか。記憶というのはあやふやで、特にカナトの体は記憶を覚えていられない事がある。このCDプレイヤーに関しての記憶もそのうちのひとつだ。過去を遡るほどに記憶は曖昧になっていく。思い出そうとすると靄の中に佇んでいるようで抜け出す事も難しい。ひとつなぎに過去から今まで繋がっている筈の記憶の鎖は、あの日壊れた懐中時計と同じように、鎖がちぎれてバラバラになってしまった。
 過去が完全に消えるわけではない。手繰り寄せられるひとすくいが今のカナトを形作っている。それに、少なくとも、あのCDプレイヤーを所持していた過去は存在している。この狭く小さな部屋がカナトの記憶の代わりだ。どれだけ忘れようとも、モノが存在を証明してくれる。あれを見る度に沸き立つ掴みどころのない感情は、存在したはずの過去の面影をカナトに遺す。
 これが、唯の執着だとしても。
「……お前はどう思う?」
 囁き声は精霊銃へと向けて零れた。
「なんて、ね」
 返事はない。理解している。トゥルエノの分霊、のようなモノが宿っている精霊銃が言葉を返すことはない。これもただの物だ。たまたま迷い込んだ先で出会ったあの雷精霊が気に入って居座っているお陰で特殊な力を得ているだけの物に過ぎない。
 いつか壊れる時が来るまで、このデリンジャーはトールの入れ物になるのだろう。その時にトールが同じ物に拘るか、新しい物を要求するかは分からない。だとしても、ひとつだけ言える事があった。壊れ物になっても、この精霊銃がカナトの所有物から外れる事はない。
 ドラゴンファンタジーにいる本霊は今頃どうしているだろうか。こうやってモノ思いに耽る自分を笑っているだろうか。それとも、独り言なんて全く聞いていなくて、次も変わらず寄ってくるのだろうか。
 においがするというだけで纏わりつくモノ好きな雷精霊の事を思い出すと、呆れとも脱力ともつかない溜息が出た。
「たまには本人……いや、本精霊の顔でも見に行こうか」
 意味のない行為だと分かっていても、銃身に呼び掛けるようにとんとんと撫でる。雷鳴の仔がここにいたなら、きっと喜ぶのだろう。そうやってこちらの調子を崩して、気にもせずきらめきの中で楽しそうにするのだ。
 瞼を閉じる。暗闇の中で、雷鳴が瞬いたような気がした。
🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​ 成功

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