ガランサスと春に舞う
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ガランサスの危機を救って、数日後。
「イサ、約束したでしょう? ララにも箒の乗り方を教えて頂戴」
「ううん……」
春めく若草の原には二人の人影があった。
悩まし気に腕を組む詠櫻・イサの袖を、ララ・キルシュネーテはせがむように引く。
「ララは翼があるけれど……ララは迦楼羅だけれど、まだ飛べないの。だからね、イサ」
唇を尖らせるララに否と言うわけもいかず、かといって任せろと胸を叩けもせず。イサは手にした真白の箒に視線を落とす。
snowdrop.
白竜の街の建国祭で出会った、待雪草色の魔法の箒だ。後日練習しようと思っていたのに向かったダンジョンはそれを許してはくれず、ぶっつけ本番で空を飛ぶ羽目になってしまったのは記憶に新しい。
「あの時はなんとか使えたけど」
「洞窟でみせた飛行はさすがだったわ。さすが、ララの護衛よ」
「いや、そんな褒められることは」
「あら。ララの言葉をうたがうの?」
「……聖女サマを放り出さなかったことだけは、まぁ……」
頑張った、と言えるかもしれない。
素直に賞賛を受け止められなかったが、かといってララに褒めてもらえると正直悪い気はしない。
おずおずとでも首肯したイサに、ララはにんまりと笑みを浮かべる。
「だから次はララの番よ」
念を押すように問うララは、確かに『魔女』も似合うかもしれない。
白虹の魔女。小さくとも漂う雰囲気は神聖そのもので、愛らしさがぎゅっと詰まっているのにどこか畏怖を感じる魔性。否と言いたくない不思議な魅力が、彼女にはある。
「わかった。約束通り練習しようか」
「ええ!」
やっとイサから快諾が返ると、ララは無邪気に箒を握り締めた。箒を持つと、何だか魔女になったような心地がしてララの胸が高鳴っていく。
「絵本で見た魔女のように、今度はララがイサを乗せて飛ぶのだから」
「え? 俺を!? 俺は走るからいいよ……」
意気込むララにイサはしどろもどろ遠慮を示す。だって落ちそうだし、という言葉だけはギリギリ飲み込んだ。
「俺が持っててやるからのってみて」
「ええ、……こうかしら」
言われるまま、ララは箒に跨ってみる。箒自体の調整機能によってバランスは取れているはずなのだが、いざ跨ってみるとその細さにやはりララの胸に不安が過る。
落ち着かず、ぱたぱたと可惜夜の翼をはためかせると――、
「あ、」
「ララ!」
羽搏くことでかえって箒とのバランスが崩れた。落ちかけたララを、イサは咄嗟に自分に引き寄せる。
抱き留められれば自然と二人の距離が近くなった。視界いっぱいに映ったイサの美しいかんばせを、ララは思わずじっと見る。
(……バレンタイン。イサ程に美しいならたくさん貰っているのでしょう)
ふと、そんなことがララの脳裏に過る。
勿論ララだってバレンタインに贈り物は貰う。けれどそれは、イサが誰かから貰うものと意味が違うことくらいわかっている。
学園に行けば『溺愛倶楽部』だとか『イサ様を見守る会』なんてあって、イサに恋心を寄せる者も多いことだってララは知っていて。だから……。
「……どうした?」
「む、なんでもないわ」
「そう? ならまた練習しようか」
ずっと注がれるアネモネの視線にイサが問うと、ララはついと顔を逸らす。理由を教えてあげる気はないらしい。
そのまま練習を重ねるにつれ、ようやく落ち着いてバランスを取れるようになった。何度目かの練習で、ようやくララの両足が地面からふわりと浮く。
「どう!? 浮いているわ!」
「いいね、ララ! 上手いよ!」
のろのろ、ふわふわ。箒の方が空気を読んで初心者に気を遣ったみたいな速度と高度ではあるが、ちゃんと浮いて進んでいる。それは大きな一歩だ。一度コツさえ掴めば、きっとすぐに慣れていくだろうとイサも頷いた。
そうしたらやっぱり『今度はイサを乗せて飛ぶ』のだと意気込むララに、反射で遠慮しそうになったけれど。懸命に練習に励む姿を見ていたら、やっぱり『否』なんて言えはしない。だから返すのなら、きっと。
「うん、楽しみにしてる」
そんな言葉がいい。
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「そうだわ、イサ。お礼よ」
休憩中。ララが急にイサに向き合い、鞄から丁寧に包装された小箱を差し出す。それは、ララの大事なぬいぐるみ『シュネー』を象ったチョコレートだ。
「ハッピーバレンタイン、よ」
「チョコ? 俺に?」
両手で受け取ったイサは、大きくて食べ応えもありそうなシュネーチョコを呆けたように見つめる。
「なぁに、うれしくないの?」
「貰えると思ってなくて。それに俺みたいなただの人形……兵器が聖女サマから貰っていいのかなって気も」
嬉しくないわけではないけれど遠慮の方が勝る。そんな迷うような視線と言葉に、ララはほんのりと唇を尖らせた。
「ララはたくさんチョコを貰うけど、ララのお気に入りをあげたのはお前だけよ? 誇るがいいわ」
だからちゃんと喜べと言わんばかり。そんなララをじっと見つめ、やがてイサは小さく吹きだした。
「……はは、聖女サマらしいな!」
葛藤なんかそんな一言で吹き飛んでしまった。彼女がそうまで言うなら受け取らなければ失礼というもの。わざと恭しく受け取ってみせては、イサはようやくほんのりと笑みを浮かべた。
「まぁお前も沢山もらっているだろうけど」
「いや……バレンタインの贈り物はいつも何やかんやと理由をつけて受け取ってないんだ」
贈り物を大事に両手で持ちながら、イサは少しだけ形の良い眉を下げる。
知らない誰かからの得体の知れない好意が苦手だった。それはまるで深淵から這い上がる何かに絡め取られるような気持ち悪さを感じてしまう。
その理由も自分ではわからないから、いつも適当な理由を探して口実にしては断っていたのだと。
「……でもララからの贈り物にはそんなのは感じない。むしろ――あたたかい心地がする」
「ふぅん、そうなのね?」
どこかくすぐったそうに微笑んでチョコを見つめるイサが、なんだかいじらしい。それに、そう。今までは断っていたのなら。
「じゃあ、ララが一番乗りだわ」
ララは得意げに笑みを深めた。
人気者の|護衛《イサ》が、もうとっくに沢山もらっているだろうと思っていた彼の一番乗りがララだということが、思っていたよりも嬉しい。
ふくふくと満足げなララの笑顔にイサもまた笑みを浮かべ、……ふと気づいた。
「俺は何も持ってきてないのに……悪いな」
ララが自分にくれるとは思っていなかったから、お礼なんてひとつも準備していない。
気が利かなかったな、なんて目線を沈ませるイサに、ララはきょとんと首を傾げた。
「別に? ララはもう貰っているわ?」
「何を? まだララにはあげてないけど……あ、箒のことか?」
練習の礼かと納得したイサに、ララはくすくすと笑って『それだけじゃない』と首を横に振る。
「お前が笑ってくれたから、それで十分なのよ」
首を傾げるイサがおかしくって、可愛らしくって。
嬉しそうに笑ってくれただけでなく、そんな表情を見せてくれたことにララは大層満足したのだ。
「ふふ、ララの護衛はなんて可愛いのかしら」
瞳を細めるララに、イサの胸の奥がむずむずと落ち着かなくなる。
自分なんかがいいのか、なんて未だに胸の隅に過るけれど。だからこそ、そんな言葉を振り払ってきちんと伝えなくては。
「ありがとう、ララ」
嬉しげにはにかむイサにララも頷いて。二人、春風のように笑い合った。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴 成功