御手
~事故報告書No.0103419~
《重要度》重大
《内容》収容事故疑い
《関連怪異》不明
《被害者》職員1名
《経緯》█年█月█日発生。当機関の男性職員1名が存在置換の被害に遭った状況で発見されました。エリア全体に異常事態警報を発令すると同時に急ぎ被害者を収容。駆け付けた職員全員が彼を『男性である』と認識する事が出来なかった為、何らかの怪異による収容事故である可能性が濃厚に──。
──────。
ぽかぽかと陽光が射し込む中庭で、エルンスト・ハルツェンブッシュ(あまいろの契約・h02972)はカメラを手にしていた。
香る梅の花が咲き誇る枝と、ちちちと行き来する野鳥に向けて、ぱちり、ぱちり、とシャッターを押す。
──ここは√EDEN。
あの日エルンストは『災厄』の被害に遭った。
具体的に言えば、肉体と精神のレベルを大きく引き下げられたのだ。
エルンストの身柄は一時的に隔離され、その後、世界を隔てた此処『サナトリウム』に移された。
精神的な療養が必要であるとの機関の判断によるもので、おそらくその判断は正しかったのだろう。
似てはいても陰鬱さに満たされた故郷とは大違い。穏やかな楽園のさらに静かな片隅に誂えられた箱庭のようなこの場所で、エルンストは来る日も来る日も写真を撮っていた。
昔ながらの趣味に過ぎない。だがこうした事態に立ち至った今、それは残された自身の記憶を体から呼び覚ます、ほぼ唯一の手段となった。
自分自身の事を忘れないように。見失わないように。
エルンストはひたすらシャッターを押し続け、そして。
「ふぅ」
腕の筋肉の限界が来たところで、呼吸と共にカメラを下ろした。
大きく縦長の二眼レフは重量も相当なものだ。エルンストはそれを華奢な体で扱い続けている。
──これが『改竄』の結果。
誰がどう見ても成人男性だった彼の身体は、あの日以来、少年とも少女とも取れる中性的なものに変えられた。
どちらかといえば少女寄り。それも女性に間違われる程の美貌を備えてはいるが、無理矢理に押し付けられたその端々から、元の性別が何気ない仕草や面影となって主張を繰り返している。
男の娘とでも言おうか。それまでのエルンストからすればこの体は明らかに異質なものだ。何より年齢不相応。扱いに困る。
事件の後、同僚が過去の記録を見てもエルンストが男性であるとの認定には至らなかった。それほどに『改竄』は徹底しており、簡単に戻せるものではない事はエルンストも理解したが、同時につくづく自身は苦労人だとも思った。
「……」
再びエルンストがカメラを構えた。
その時。
「……うわっ!?」
何かが至近距離でレンズに写り込んだ。
慌ててカメラを胸元に抱え、その反動でエルンストは春草の上に尻餅をつく。
目の前では、いつのまにか異質な存在が漂っていた。
女性と思しき巨大な両手だ。
「……っ」
固唾を飲んで見つめるエルンストに向けて、両手は自身を差し伸べた。
文字通り、優しく助け起こそうとするかのような、そんな形だった。
害意は無い──エルンストが直感した直後。
ふ、と両手は掻き消えた。
それから毎日のように。
『両手』はエルンストの元を訪れ、手を差し伸べ続けた。
エルンストも当初は不気味に思っていたが、やがて両手が自身を丁寧に扱ってくれる事を理解すると、意思の疎通を試み始める。
そんな事を繰り返していたある日、遂にエルンストの方から両手に向けて手を差し伸べた。
はじめて触れた、その瞬間。
彼は自身の運命が決した事を悟り、同時に自身の護霊に名を付けていた。
──「母の偶像」と。
そして現在、2025年。
√汎神解剖機関へと戻ったエルンストは職員として活動を続けている。
体は元のままだが、自身を『少女』にした元凶である災厄は、今では相互のAnkerという立場になっている。
進展した、と言えるかは怪しい。それでも「母の偶像」は少女の『定義付け』に抗ってくれているようだ。
もっとも「母の偶像」も、当時どういうつもりでエルンストに近づいたのか、未だに伝えてはくれていない。
己に憐れを催したのか、それとも当然の反応としてそうしたのか。
急に蒼い魔力の水流と化して自身の背後で輪を作った時はエルンストも驚いたものだ。
疑問は尽きない。
様々な存在に振り回され、それでもエルンストは、なんとか過ごしている。
大変ながらも充実に満ちた。
そんな日々を、本当に、なんとか。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴 成功