失恋カタストロフィ
疑似的な失恋を味わった帰り道は、すっかり後味のなくなったケーキの味を思い出すのに忙しかった。
「失恋カフェなんてモノ好きも居たもんだなぁと思っていたけれど、出てきた珈琲とオペラケーキは美味しかったねぇ」
緇・カナト(hellhound・h02325)は仮面を外した顔を機嫌よく無駄に整った笑みにする。
「時雨くんの感想はどんな感じだい?」
そのまま隣へ視線を流すと、呆れたような半眼の後輩――野分・時雨(初嵐・h00536)の視線とぶつかった。
「ケーキ食ってたのカナトさんだけじゃん」
「そうだっけ? ケド、結構面白かったと思うのだけどねぇ。モイヒェルメルダー社の先輩と後輩が、手を取り合い新天地に旅立とう〜みたいなヤツ」
「モ……なんて?」
頭の中で詰めていた設定が口から漏れて、時雨が怪訝な表情になる。そういえば概要しか話していなかったっけ。ぺらぺらと連ねて見せれば、面白がるように時雨が唇の端を上げた。
「時雨君の感想はどんな感じだい?」
「時雨クン的にはだいぶ楽しかったですよ。実家より良いトコ行けましたから!」
「だから君の実家どういうトコなの……っていうのも気にはなるけれど、オレ的には後輩だったらどんな告白なのか気になるなァ」
カフェではカナトが振られる側、つまりは告白をする側だった。役が逆ならば果たしてどうなったか。悪戯を仕掛けるようにカナトが向けた視線に、時雨がきらりと目を輝かせる。
「ぼくからの告白? 知りたがりさ~ん。んふふ、そうですねぇ。可愛い後輩からの誘い文句としては~……」
帰路にはまだ先がある。戯れに失恋の一席を演じるのも一興だ。
●失恋ごっこ
「先輩、こんな場所抜けましょうよ」
彼にしては珍しく、酷く真面目な声音で時雨がカナトを見据えた。
こんな場所、で示されるのは互いに職業暗殺者として属する会社――この茶番の設定のことに違いない。
「ついてきていただけませんか。……先輩の物腰の柔らかさで隠す狂犬ぶりにも、非情な腕前にも惚れ惚れしてるんです」
「野分クン……君がそんな風に想っていてくれたなんて」
でもそれだと|告白《ヘッドハンティング》かも。いや|自分《カナト》が仕掛けたのもそうなので文句はない。この界隈、信頼というのは命ほどにも価値がある。命と書いてハートと読めばこの告白も一種愛である。重くない?
「ね、尽くしますよぼく。お利口さんな犬のように……いや暴れ牛? 闘牛のように」
そこは素直に犬でよかったんじゃないかなァ。暴れ牛ってお利口さんの対局にないかい。
とはいえ時雨らしいと言えなくはない。気を取り直して、カナトも表情を真面目に繕う。
「君の気持ちは確と受け止めたよ。……ただ、ボクには共に行けない理由があってネ」
「理由、ですか?」
「そう。委細は省くんだけどボクには帝位継承権二位の立場というものがある。血で血を洗う争いには正直独りで暗躍する方がたのし、」
勢い素直に言いかけた言葉を息と一緒に引っ込める。止められたことを褒めてほしいくらいだが、横目で伺った後輩の視線がどうにも痛い。
「――血で血を洗う争いに、有能な後輩で大切な友でもあるキミを巻き込んでしまう訳にいかない」
咳払い一つ二つで言い直して、憂いを帯びた表情を作ってみせる。擬装の顔の良さはこういうところで便利が良い。
「君が|風狂無頼猛牛《妖怪ぎゃん鳴き》の二つ名を世界に轟かせる程に強くなった暁にまた其の言葉を聞かせてほしいな」
因みに二つ名は本人談である。確かにいい声で鳴いていたのが記憶に新しい。
「……先輩がそのような血筋の方だったとは」
|茶番《こくはく》を始めてからゆっくりになっていた時雨の歩みがますます遅くなる。沈んだ声と落ちた視線が夕陽が色濃く伸ばす二つ分の影を見つめた。
「ぼくを案じてくださっていることも重々承知致しました。ありがとうございますね。先輩をも守れるよう力を付け精進します――」
聞き分けよくそう言った時雨は、吐いた言葉の余韻がまだ消えぬうちに、すうっと息を吸って。
「……なわけねぇ~だろヤダ~!!」
ぎゃんと鳴いた。
「傍においてくれなきゃ全力駄々を捏ね涙鼻水涎撒き散らし足に縋り付き先輩の名前連呼します。床に寝転び菓子を強請る餓鬼の如く。いいんですね?」
淀まず息継ぎもなく据わった目で時雨はカナトをずいと覗き込む。そう来るんだァ。感心して答えてもいない間に時雨は「それでもダメ?」と畳みかけてきた。
「わかりました。じゃあ|能力《水姫》を使って死にます。大丈夫、ぼくの仇は水姫が取ってくれることでしょう。彼岸……ぬるい。等活の底まで道連れです」
「野分クン……それ地獄確定なんだ?」
「そりゃぼくらの仕事柄ね。果てでお会いできるのが楽しみです。地獄でも一緒にお仕事しましょうね、先輩?」
時雨がにっこり笑ってがっしり腕を捕らえてくる。簡単に振りほどける気もしないその力強さにカナトがつい乾いた笑みを浮かべたところで、時雨はぱっとその腕を解放した。
「……みたいな! ね~? 水姫」
どうやら|茶番《ごっこ》遊びは終わったらしい。時雨の傍らで同意を求められた地這い獣のほうが慌てたように首を横に振っている。そっちのほうが常識あるのかと、カナトは同意しろと傍らを凄んでいる後輩の首根っこをきゅっと引く。
「ホント悪ノリには全力だねぇ、後輩くん」
「うふふ、また褒められた。楽しんでもらえました? ぼくの告白」
機嫌よく笑った時雨は悪戯に成功したような顔でカナトを覗いた。その視線をするりと避けてしまうのも遊びのうちだ。少しだけ歩く速さを上げてから、せんぱい、と追ってくる声と足音とまた並ぶ。
「そういえば先輩、帝位継承権二位とかよくぱっと出ましたね」
「ああ、あれ。継承権二位ってなんだよって話なんだよなァ。まあ、次男ではあったんだケド。昔は」
昔、と一度だけ首を捻った時雨だったが、すぐに深追いをやめるように気安い笑みに変えた。
「弟さんでしたか。ぼくの無茶振りだいたいなんとかしてくれるので、てっきり下がいるかと」
軽薄に遊んで悪ノリをしようが、決して深く踏み込もうとはしない。その危機管理のバランス感覚も、この後輩を見込む理由のひとつでもある。
「さて、先輩。まだ食えますよね? 洒落た店のケーキって小さくない?」
ひょいと話を変えた時雨が、帰路の順路とは別の繁華街へ続く道のほうへ足を向けた。夕暮れに人通りが増えて来た街路には、忙しない騒がしさがある。
「なんか食って帰ろ。フラれて傷心したんで奢って」
先輩がぼくを振ったんですから、と時雨がわざわざ強調する。それを言うなら、カフェでは時雨がカナトを振ったわけだけれども。
「はいはい。フラられて傷心じゃなくても、いつも奢られたがっているでしょ~」
けらけら笑って頷いて、カナトは時雨が進んだのと同じ方向へつま先を向けた。
鮮やかな夕焼けがひともそれ以外も、嘘も真心も等しく鮮やかに染め上げて、騒がしくもなんでもない日常へ、ゆっくりと溶かしていく。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴 成功