シナリオ

渋谷スクランブル交差点のエトランジェ

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 音もなくたたらを踏む。傘のフェルールがアスファルトに擦れてカツツと鳴った。
「ごめんなさ――」
 肩がぶつかった誰を探して振り返った|霓裳《げいしょう》・エイル(夢騙アイロニー・h02410)は、彩春めく眼を大きく見開く。
(え、どうして)
 戸惑いに立ち竦む間もなく、エイルは雲霞の如き人波に押し流される。

 クラスメートの上背を衝立にスマホを眺めていたアイルは、不用意に触れてしまった通知に眉を寄せた。
 開いたスケジュールアプリは家族で共有するもの。でも週末に増えていた星マークの意味をアイルは知らない。
 きっと四歳下の弟がらみだ。そういえば、と家を出る間際に聞こえた母と弟の会話を思い出す。
 諦念と閉塞感が当然の|日々《世界》。強請ったものが与えられるのは、弟にだけ許された特権。
 またか、とうんざりするのにも飽いてしまった。そのくせ、割り切れてもいない。
『お姉ちゃんでしょ』
 代り映えしない担任の話を傍耳に、両親の|建前《口上》を脳内でなぞる。俯いた首筋に、水色と桜色のプリズムが遊ぶ真白の髪がふわりと流れた。
 黒髪黒瞳が揃いな|家族《父母弟》の中にあって、エイルはいつだってつま弾き。そんなエイルに与えられるのは義務の教育と住処と食事と、我慢だけ。
 この星マークの予定も、きっとエイルは頭数に入っていない。
(透明人間だった方がマシなのに)
 しょうもない思いつきに口元を緩め、春色の光を散りばめる髪に指を絡める。
 家族と同じ色に染めても、この煌めきは消せなかった。どうしたって異彩を放つエイルは、生まれついてのエトランジェ。
 コンサバティブな両親が遠回しに拒絶するのも仕方ないかもしれない――と、大人なら諦めてしまえたろう。でもエイルはまだ思春期真っ盛りの少女なのだ。
「きりーつ、礼」
 お決まりの号令に合わせて立ち上がり、いつの間にか喋り終えていた教師へ頭を下げる。
 気の好いクラスメートへ手を振って教室を後にし、昇降口でシューズを履き替え、お気に入りのパステルカラーを目印に傘立てから自分のものを選び取る。
 足が向かうのは、私物を賄うお小遣いを捻出するための花屋。年齢的にアルバイトは無理だが、それでも“手伝い”として置いてくれている店長には感謝しかない。
 けれど、その後を考えると気持ちは沈む。
「戻りたくないなぁ」
 人もまばらな校門を通り抜けながら、エイルは唇だけで呟いた。

 弾き出された駅の出口は厚い人垣の彼方。
 広大な五つのゼブラゾーンを目の前に、エイルは呆然と立ち尽くす。
「――ウソ」
 見つけた『渋谷駅前』『スクランブル式』の標識に息を飲む。知らないはずのない地名だが、エイルの知る“渋谷スクランブル交差点”ではない。
 二色が遊ぶ瞳をゆっくりと瞬かせる。そして唐突に、違う|世界《√》に迷い込んだことを理解する。
 予兆も衝撃もない変遷は、文字通り、瞬きの間の出来事。だのにパズルの最後のピースがぴたりと嵌った気分だ。
 むしろずっと違和感があった。本能的に自分が|取り替え子《チェンジリング》なのを薄々察していたせい。
 だとしてもエイルが持っているのは妖精のような儚げな見目だけ。だから疎外感に胸を冷やしても、朗らかな笑顔でつくろい、無理やり乗り切ってきた。
 だって戻りたいと希っても、目指す場所さえ識らなかった。
 それなのに、それなのに。こんなにも簡単に、世界に|出会って《別れて》しまった。
 不慣れな高密度の雑踏に、足元がふわふわする。
 もしかしたらいつか、“本当”の居場所を見つけられるかもしれないという希望。
 やっぱり自分は元の世界にとって、不要な異物でしかなったという絶望。
 入り乱れる二つに心の中はめちゃくちゃだ。
 嬉しさと寂しさの境目が判然としない。膨れ上がった名前をつけようのない感情が、一筋の涙となって静かに頬を伝う。
 人は無尽蔵に溢れているのに、泣くエイルを気に掛ける誰かはいない。けれど透明人間みたいに扱われているのとは違う。
 ここに在るのは、人と同じ数の自由と選択権。
 個性的でカラフルな群衆の中では、今までより楽に息が出来る気がする。
 切り替えるのは簡単じゃない。
 “進む”なんてカッコいい言葉で表すには、覚悟が足りていないし、自暴自棄を否定しきれない。
 かといって、手を伸ばせば届くところにある眩しい|光《希望》を諦めたくもない。
「……少なくとも、立ち止まってはいられないし?」
 傘を持つ右手にぎゅっと力を入れると、ざわついていた気持ちが少し落ち着く。
 歩行者用の信号が青になった。鳥のさえずりを模した音が、喧騒に負けじと響く。
 高層ビルが聳える空はくすんでいる。
 けれどこれまでより鮮やかに見えるそれを振り仰ぎ、エイルは人波に押し出されるより早く、自分の足で√EDENの一歩を踏み出す。
 渇いた頬を撫でた風に、モルガマリンに似た色彩に移ろう髪が軽やかになびいた。
🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​ 成功

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