這い寄る感冒
感染するかのような思想だ。
虐殺された人々の心が積もっている。
隅から隅まで、果てから果てまで、世界と呼ばれる『もの』を観察したとして、嗚呼、何処に理想が存在しているのか。世界に理想が存在していないのであれば、嗚呼、その横あたりは如何なのか。たとえば、√を跨いだところで、世界の|景色《●●》とやらは変化しない。たとえ、自ら動いて変質させようと、試みたとしても――ちっぽけな人間には難い話だ。あらゆるものが病的に見えてしまう、あらゆるものが悪質に思えてしまう、けれども、無私の精神とやらが絶滅していないのだ。これは、ある意味での世界の救済となり得る、何者かからの情報提供――嗚呼、暗い。何処までも、何処までも、昏い。まるで七つの呪いにでも掛かって、解放された瞬間、突き飛ばされたかのような――頭痛の訴え。いっそ、邪悪であるなら、邪悪の儘、貫き通してくれたなら楽だったのだ。いっそ、敵であるなら、敵である儘、悪態を散らかしてくれたのなら、良かったのだ。いいや、きっと、良くはない。どのような結末であれ、おはなしであれ、何もかもは曇らせるのに十分な役を演じていたのか。
……エミ……なあ、エミ……大丈夫か? 大丈夫な筈がない。いつも元気な、いつも溌剌な、オマエの妹が影のような面構えを晒しているのだ。きつかったに決まっているし、おそらく、如何しようもない、考えても、考えても、答えのない何かに直面したのだ。なあ、エミ。俺に、全部、話してくれないか? そのつもりなのは知っている。話さなければならない、と、職員なのだからわかっている。だが、わかっていても、中々に、言い出せない内容なのだろう。覚悟をしていたのか、こくりと、妹は頷いてくれた。まるで藪の中に潜んでいる蛇をわざわざ攫ってやるかのような行為。頷きの後のゆるい首振りは――さて。軽度のめまいを抑え込む為の仕草であったのか、或いは……。
この世は物質主義である。クヴァリフの肚も、クヴァリフの仔も、天使も、扱いはまったく同じであった。
橋渡しするかのように、慎重に、叩きながら言葉を選ぶ。あの男は――連邦怪異収容局員『リンドー・スミス』は――オマエに対して如何様な『優しさ』を揮っていたのか。「お嬢さん、世の中には、知らない方が良い事だってたくさんある」知っている。そんなことは知っているし、だからこそ、知らなくてはいけない。一枚岩ではない事だって承知している。承知はしているのだが、しかし、頭の中でぐるぐる回って『あべこべ』よりも、鐘のように――おじさまがこの機関について指摘してきた時、胸がすごく痛かった。全てをお話ししたところで痛痒は増すばかり。膨張して、膨大となって、それでも破裂する事は赦されない。リツ君も、私達も……機関の一部に疑問を感じてるから、余計に、今の状況は……辛く……。未曾有の中にでも封じられているのか。全てが全て、肚に何かしらを抱えているように思えて、ならない。
何が起こっているのか、誰が動いているのか、その目で見る事が出来たんだな……。妹の成長は素直に喜ぶべき沙汰ではあるのだが、成程、アマランス・フューリーではなく例の男と再会していたとは、最悪だ。いや、アマランス・フューリーと遭遇していた場合よりかは『マシ』ではある。しかし、身体ではなく精神の方に『疵』をつけてくるとは、あの男も本当に意地の悪い奴であった。リンドー・スミスが言っている通り、信頼できるかどうかは……俺も、お前も、昔から疑問に思っているからな。そういう疑念を……疑心暗鬼を、減らしていく為に研究を続けているが……。俺の力不足で辛い思いをさせて……すまなかった。頭を下げるオマエを、兄を、ぎこちない笑みで迎えながら妹は囀る。やめてよ、シュウ兄、私は、私の意思で『向かった』んだから。それに、ほら、ワッフル君だって頑張ってくれたんだよ。地を這う獣の忠実さを見て、地を這う『もの』を見て、何を想い出したのか。
誰かの声が聞こえる。おい、もう手遅れだ。はやく解剖士のところに連れていけ。新物質として期待できるのかは不明だが、少なくとも、怪異に対抗する為の『武器』にはなるだろう。何をやっているのだ、一ノ瀬、そこを退け、作業の邪魔になる……。殺処分だって? 違う。臓腑が使えるのであれば、これは、再利用だ……。まだ助かるかもしれない『人間』の前で、如何して、そんな会話ができる。まだ、救えるかもしれない『人間』を相手に、もう『怪異』扱いをしている……?
シュウ兄……シュウ兄……?
……あ、ああ、それで、お前の意見も聞いておきたい。
私は……私は、これからも、見ていかないと。
みんなの分まで頑張って、私が、できることを……。
天使のような返答だ。天使のような在り様だ。
天使……? 天使……だと?
いや……可能性は『なくはない』か。
徹底的に予防をせねば。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴 成功