『ある手記の顛末』
『■月■日(■)
とんでもない男に依頼をしてしまった。必要に迫られたとはいえ、やはりマフィアの手など借りるべきではなかった。
だが、今更後悔したところで遅いだろう。関わりを持った人間が行方を晦ましたくらいで逃げられるものか。何しろ奴はおれを一目見て――』
「あ、例の仕事の人ですか? 心配してたんですよ。遅いから道にでも迷ったんじゃないかなと思って!」
――などと、血塗れの顔で笑ったのである。
別の|仕事《・・》とバッティングしているから、そちらまで足を運んでもらえれば――というのが、おれが怪異の討伐を依頼した相手の要望だった。急ぎの案件であるからには多少の不便は吞むつもりだったし、相手が裏社会に頭まで浸かった人間であることも分かっていたから、別の職場といわれて全く覚悟をしなかったわけでもない。
だが、まさか返り血を浴びて、へらへらと笑っているとは思わなかった。
帰りたいと心底思った。だが今更踵を返せるものかと、今思えば下らぬ意地を張り、おれは奴の後ろにある部屋に視線を遣った。
身の毛もよだつような悲鳴が聞こえて来る。呻き声は獣のようだ。こんな場所に来るのではなかった。胃の腑がひっくり返りそうな異臭と共に心の底から後悔が込み上げたが、おれには逃げ帰る選択肢は与えられていない。
「奥は見ない方が良いですよ」
へらりと笑ったまま、赤髪の男はたたらを踏んだおれを諫めた。
本当に|見ない方が良い《・・・・・・・》とは欠片も思っていないような口ぶりだ。その証左のように、随分と軽いらしい口が続ける。
「いやね、|俺たち《マフィア》ってナメられると終わりの商売でしょう。だから、まあ、色々あると逃がしてやれないことも多いんですよ。俺としては、もっと平和的に対話で解決したいんですけど――こういう世界じゃ暴力が全て! みたいなとこ、ありますからね。俺も食い扶持は必要ですから、大口の仕事は断れませんし」
さも本意ではないとでも言いたげだ。手際良く手にかかった血を拭う仕草からは、言葉に載せているような善性は読み取れなかった。
否――。
こんな世界に足を突っ込むような生き方をして来た人間に、善性など端から期待すべくもない。
おれとて同じだ。こんなところに繋がるコネクションを持っている以上、この男の遣り口は勿論、請け負っている仕事とやらにとやかく言う権利はない。
だがどう勘定したところで眼前の男は|異常《・・》だ。拉致誘拐も臓器売買も秘密裏の|処理《・・》も都市伝説だと思っている連中と同じような感性を、手を血に染めておきながらいけしゃあしゃあと口にする。饒舌にも笑顔にも軽薄な印象の滲む、どこか信用の置けぬ語り口の男は、極めつけに言い放つ。
「うっかり喧嘩を売る相手を間違えて、運が悪かったってことですね」
思わず悪態が口を衝きそうになるのを何とか呑み込んだ。
こういう手合いが一番恐ろしいのだと知っている。何が逆鱗になるのか分かったものではない。口を噤んだおれの内心を知ってか知らずか、男は再び軽薄に笑う。
「って、こんなとこまで来てくれる人はご存知ですよね! 失礼しました」
「あ、ああ――」
おどけたように広げられる両手に、おれの足は知らず数歩を下がっていた。
――何なんだこの男は。
確かに、この男とのコネクションになった相手には、目的を達してくれればどんな奴でも構わないと告げていた。おれ自身も自らの発言には相応に責任を持っていたつもりだ。だから、|ヤバい《・・・》相手の想定は幾つか重ねたうえでここに来た。
しかしまさかこんな相手に連絡先を握られる羽目になるとは思わないだろう。大枚を|叩《はた》いて頼んだ甲斐もありやしない。守銭奴の情報屋に思い付く限りの悪態を吐き出してやりたくなるが、おれはそれを一片たりとも顔に出しはしないように務めた。
果たして目の前の男は、返り血を拭う指先の下で先と同じように笑う。
「日宮・芥多(塵芥に帰す・h00070)です。ここの事務所使って良い契約なんで、すぐ茶を出しますから、話はそっちでしましょう。俺は着替えて来ますね」
案内もそこそこに、おれは広大な応接間に独り取り残された。豪奢な調度品が惜しげもなく並べられているのを見渡す余裕もない。傷はおろかへたりもない、高級な三人掛けのソファの上で石のように硬くなっていたおれは、それと悟られぬように四隅に視線を遣った。
監視カメラの一つや二つあるだろう。仰々しく睨みを利かせる護衛はないが、少なくとも誰ぞが紛れ込んだおれを見えない目で見詰めているはずだ。
下手は打てない。
口ぶりからしても、日宮と名乗った男はこの組織の正式な一員ではないのかもしれない。だが少なくとも深い結びつきがあることは明白だ。でなければおれはここに足を踏み入れることさえ出来なかったろうし、ましてや一室を自由に使う許可など降りるものか。
緊張に身を固くしているおれの前に、現れた男は軽やかに座った。一つ笑う表情は一見すれば好青年の如くも映るが、先の惨状を前にして貼り付けていたものと変わらぬ色だという事実が、おれの警戒をひどく煽る。
「やあ、遅くなりまして恐縮です」
「いや――構わないが」
商談のたびに浮かべていたはずの笑顔を繕うことすら出来ず、目を眇めるおれをよそに、日宮というらしい男は足を組んで見せた。差し出された茶で乾いた唇を湿らせながら盗み見た姿は、線の細い無辜な美青年――といった風情である。
一刻も早く帰りたい。
この男の前から立ち去りたいといった方が正しい。慎重に切り出すべき案件であることは理解していたが、おれの心に染み着いた違和感は悍ましいほどに膨れ上がって、日宮に対する恐怖に似た思いに変わっている。茶で紛らわした先から乾いていく舌先を溜息で誤魔化し、おれは声が震えぬよう努めて慎重に唇を開いた。
「それで、金さえ払えば何でもしてくれるというのは」
「ああ、勿論です! 俺たちはそういう生業ですからね! でもお客さんの案件なら身構えるほどは要求しないと思いますよ」
開かれた紫紺の双眸は、おれの心を見透かしたように真っ直ぐに目を見据えて来る。脳髄の奥までもを俯瞰されている気がして思わず唾を呑んだ。
日宮には見えているであろう冷汗を拭うための自然な方法が分からなかった。おれの狼狽も知らぬげに、男は軽い調子で続ける。
「察するに、俺個人宛なら怪異関連でしょう? 怪異を自由にする権利さえもらえれば相場よりは割引します。世の中は支え合いですからね。お客さんにとっても悪い話じゃないと思いますし、どうです?」
広げられた掌が問うようにおれに向けられる。血の一滴も残さず拭われた、しかし頭からたっぷり血に浸かっているのだろう男の指先から目を離せなくなる。
悪い話ではない――というのは本当だ。
大企業の経営者でも政府の要人でもないが、金さえ払えば何でもやる連中を雇って余裕のある収入はある。独り身には余るほどの給与は、しかしおれが背に負った重責に比べれば薄給と言わざるを得ない。幾らでも出すと断じられなかったのは、字義通り|幾らでも出す《・・・・・・》ような貯蓄が存在しないからでもあった。
要求を呑むことで酷い不利益を被るのではないか。あのとき何としてでも言い値を払っておけば良かったと心底後悔する日が来るかもしれない。目の前の胡散臭い笑顔を一瞥し、茶に口をつけて沈黙をはぐらかして、結局は頷くことになった。
「――分かった。機関の連中に悟られないようにやってくれ」
「はは。そうだと思いました。勿論ですよ」
やはり軽薄な笑顔と共に下された快諾を見据え、おれはうそ寒くなる背筋に人知れず震えた。
◆
『■月■日(■)
思い返すだに選択を間違えた。しかしあんな男でも妻は愛しているらしいから驚きだ。
おれにこんなことを喋ってどうする気なのか知らないが、少しでも弱みになりそうなことは探っておいて損はない。
仕事が立て込んでいるというのは本当のようだ。その間に準備を整えるべきだろう。たとえ望み薄でも、完遂を見届けたら早く逃げてしまわなくては――』
――おれが殺される。
何故呼び出されたのかは分からない。待ち合わせは個室の使える店だった。この頃は注文もタブレット式に変わり、給仕もロボットばかりになったから、こういう後ろ暗い会合に使える場所は飛躍的に増えているといえよう。
おれの金でたらふく飯を食う男は、理由を|ただ話をするため《・・・・・・・・》だと言った。
嘘だろう。こういう連中がわざわざ無意味に人を呼び出すことはない。おおかた、そういう瞑目で逃げられないことを知らしめるつもりなのだと予想はついていた。
しかしおれに断る選択肢はない。
それに悪い話ではなかった。どうにも掴みどころのない日宮から弱みになりそうな話題を引き出せれば、おれにも活路が見出せるかもしれない――。
おれの予想に反し、一頻り妻の惚気を零した男は、返り血を浴びていたときと大差ない笑みでおれの問いに軽やかに応じた。
「怪異退治ですか? 大丈夫ですよ。負けたことありませんしね。まあ、趣味の一環でもありますし」
――家族がいるのに怪異退治なんぞしていて大丈夫なのか、とか、そういうことを問うたはずだ。
あっけらかんとした応答に絶句した。怪異を殺して糧を得る連中がいることは知っているが、おれからすれば、そもそもあんなものを目にして戦っても良いと思う方が異常だ。あの怪物どもの真相にほんの少しでも手が届く距離にいるのに、正気を保っている方が狂っている。
今回のことがなければ、おれだって手を出すつもりはなかった。組織に悟られず殺すためにこの男を前にしなくてはいけなくなっているのも、単なる運命の綾――背に腹は代えられないから、渋々選択したというだけである。
それを|趣味《・・》だという。
価値観が違いすぎる。言葉を失うおれをよそに、肉を口に運んだ日宮の声は滔々と言葉を続ける。
「あいつらって色々使えるんですよね。お兄さんもやったことありません? プラモとか、電池で動くミニカーみたいなの。ハマりませんでした?」
「まあ――小さい頃には、幾らか」
「それは良かった! 話が早そうです!」
何が嬉しいのか、日宮はまるで親しい友人にそうするような顔で笑った。器用に箸を動かしながら、男の声はおれが口を挟むよりも早く声を紡いでいる。
先からずっとこの調子だった。訊いてもいないことを口にし続ける馴れ馴れしい男に相槌を打っているだけだ。だが都合は良い。おれは文句も言わずに自分の分を口に運ぶだけに留めた。
沈黙は金だ。奴から一つでも有益な情報を引き出してやらねばなるまい。既に手遅れの身ならば、少しでも平穏に生き残れるすべを見出して足掻くほかに出来ることはないだろう。
しかし注意深く日宮の台詞を聞いていたおれは、次の瞬間には身を固くする羽目になる。
「あいつらを|解体《バラ》して組み上げて、新しい武装にするわけですよ。それで次の奴を相手に試し撃ちです。ついでに使えそうなパーツを拝借して改造――これが結構面白いんで、自由にさせてもらえれば割引ってわけですね」
――こいつは何を言っているんだ。
本当に、最近よく聞いている音楽の話をするかのような調子だった。思わず噎せる。水を飲み乾して顔を上げれば、日宮はこの短時間で見飽きた笑顔で首を傾いだ。
おれの方がおかしいのか。今のは聞き間違いだったのか。怪異を解体して武装に変える――そういう連中がいることも知っているが、まるで幼い子供が新しいプラモデルを手に入れるかのような気軽さで口にされる悍ましい事実に頭痛がする。
眩暈を押さえるために手を額に当てるおれの思考は、しかし幾らか冷静だった。深く溜息を吐いて己を落ち着ける。
確かに、おれは怪異の真相の一端に触れられる人間だ。当然ながら完全に怪異の存在が秘匿されてた世界で生きている一般人よりは、所謂アンダーグラウンドの情報にも精通しているといって良いだろう。だとして、それは日宮が軽々に自分の|趣味《・・》とやらを告げる理由にはならない。
何か理由があるのか。首を横に振って、おれはごく自然な文脈を装って探りを入れることにした。
「それをおれに話して良いのか?」
「はは、そのくらい|イカれてる《・・・・・》ことは承知の上でのご依頼でしょう?」
「イカれてる自覚はあるわけだ」
「言われ慣れてますから。怪異からも散々怯えられてるんです、自覚しないって方が無理ってもんですよ」
怪異にまで恐れられているのか――余計に嫌な情報が増えただけだ。
今おれが対峙しているのは本当に人間なのか。機関の連中が聞けば卒倒するような話だ。そういうことを平然と口にしながら、目の前の男はへらへらと軽薄に笑う。まるで明日の天気の話題に連なる世間話をするようによく回る口が吐き出す言葉の異様さに、口の中に未だ残っていた肉を噛み砕く気さえ失せる。
何が狙いなのかが分からない。見遣る双眸は今は弧を描く瞼に隠れているが、ひとたび開けばおれの価値観を余計に混乱させるのは目に見えた。
目が合いそうになって咄嗟に逸らす。並べられた肉料理に視線を落とすのも憚られ、手持無沙汰になったおれは、空になった付け合わせのサラダの皿を|凝《じっ》と見詰めていた。
その耳朶を、こともなげな台詞が揺らす。
「それに、団結と信頼のためには必要不可欠じゃないですか。|手の内《・・・》を知らせるっていうのは」
やはり――そうか。
日宮の目的は途端に明瞭になった。やはりこれは警告だ。日宮・芥多と名乗る存在に触れてしまったからには逃げることは許されないと告げるために、眼前の男は軽薄な声でおれを食事に誘ってみせ、胡散臭い笑顔で悍ましい話をしてみせたのだ。
怪異を前に負けたことのない、怪物じみて倫理観を捨てた、怪異殺しであり人殺し――おれが敵おうはずもない力量を誇示することで従わせようという魂胆だろう。
符に落ちれば得体のしれない恐怖は遠のいた。しかしそれで心に安堵が戻ろうわけもなく、おれは胸裡に満ちる警戒と共に顔を上げた。しかし。
「おれを脅してるのか」
「いや、まさか!」
降伏でもするかのように両手を無防備に上げて首を横に振った眼前の男は、心底困ったように眉尻を下げてみせた。
拍子抜けしたおれの前で、日宮は唇を拭った。ふきんを適当に机上に放り投げて肘をつく。箸を手持無沙汰に転がすさまは実に無害な青年の姿そのものといって良いだろう。
一つ息を吐いてこちらを見る双眸は図星を突かれたにしては穏やかだった。口ぶりも先からの馴れ馴れしさを崩しはしない。
「俺は思うんですよ。この世界には暴力で解決したがる人間が多すぎるってね。お兄さんもそういうところで生きて来たでしょう? 俺なんかに行き当たるわけですから」
今度はこちらが図星を突かれる番だった。
否定は出来ない。この男の情報とて決して褒められない買い方をした。慢性的にどこか退廃したような鬱屈感の漂う世界にあって、おれのような非力でコネクションのない人間が安全な位置まで上り詰めるためには、それなりの|ズル《・・》をしなくてはならなかったからだ。
おれには|警視庁異能捜査官《カミガリ》だの研究者連中だののような能も脳もない。ちょうど眼前の男が浸かっている組織のように倫理観を捨て去ることも出来ず、しかし緩やかな黄昏の気配に身を委ねて腐ることも出来なかった半端者が生きていくためには、結局は日宮の言うような場所に繋がりを置くほかないのだ。
押し黙ったおれにへらりと笑った男の顔には胡散臭さばかりが残る。フォローのために口を開いたとはとても思えなかったが、聞こえの良い台詞だけは上っ面を流れた。
「まあまあ、兎に角! 俺はね、あんまり直接的な方法には訴えたくないんです。怪異なんかは、ほら、言葉が通じないですから別ですけどね。俺には分かりますよ、お兄さんは話の分かる人だって」
「――もしそうでなかったら?」
低く唸るようなおれの問い掛けに、顔を上げた日宮の双眸は、路地を映すが如き薄昏い色で笑った。
「そりゃ、お互い運がなかったってことで」
◆
『■月■日(■)
何の冗談だ? 奴はまるで妻が家にいるように振る舞っているのに』
◆
『■月■日(■)
早く逃げなくては。
男の中には罪悪感が存在しない。
まるで最初から欠
◆
「俺より運が悪い人なんか滅多に見ませんよ」
倒れ伏した男の横にしゃがみ込み、芥多は嘆息した。
ひと気のない路地である。ほんの一瞬であろうと関わりを持った人間を、裏社会の人間が逃がそうはずがない。今まさに高跳びでもしようとしていたのだろう哀れな男が頭から零す血を踏み、芥多は首を横に振る。
――|彼は《・・》怒っていない。
だからこの男にとって不幸だったのは、たまさか芥多が大口の仕事で手が離せないときに依頼を申し込んで来て、あの応接間で会話をしてしまったことだろう。彼が足を運んだのは、巨大な組織にとってはたかが一つの拠点、されど一つの拠点だったのだ。
彼が縁を結んだのは芥多だけではなかった。それに気付いていたか否かは知らないが、少なくとも既に手遅れだったのだ。
逃げ出さなければ良いように使われるだけで済んだだろう。政府や大企業の身の振り方に食い込むとまではいかぬまでも、男がそれなりに便利な地位に就いていたことは確かだ。確かにこのまま観念していれば幾らか無茶な要求をされたであろうし、神経を擦り減らすような案件を持ち込まれはしたろう。
だが命までは取られなかった。
彼らは役に立つ人間を殺しはしない。その地位も命も金も威信も、あらゆるものを搾り取って自らの養分へと変えるが、裏を返せばそれらが尽きぬうちは決して死なせぬように立ち回る。
まして悪いことに、彼が足を踏み入れたとき、尋問と報復は佳境に差し掛かっていた。|あれ《・・》を見て無事に家に帰れたことが彼の悪運強さの象徴であり、利用価値の証明であり――。
同時に運の尽きでもあったというわけだ。
不憫がるようなそぶりで舌を回す芥多の声は、動物の気配さえしない路地にうそ寒く響いた。いやに明るい同情の声音が黒くぬらつく虚空に呑み込まれて消える。
「お陰で今回はスムーズに事が運びそうですけどね。最初に言ったのになぁ。忘れて喧嘩売る相手を間違えちゃって、お兄さんもつくづく運のない人で――」
応答がない。
一撃の許に頭を割られた男の骸は、芥多の前でぴくりとも動かなかった。見開かれた虚ろな双眸に光は宿らない。常であればこうも上手く死に至らしめることは叶わず、幾らか死ぬまでの猶予があるところだが、どうやら中枢にまで損傷が及んだようだ。
当たり所が余程悪かったらしい。それとも大盤振る舞いのつもりで|新作《・・》を使ったのが悪かったか。
まあ――。
とまれ、これで芥多の成すべきことは終わった。我々の拠点を知っておきながら性懲りもなく逃げ出そうとした愚かな男に制裁を――頼まれた仕事は完遂だ。
後はいつものように死体を処理すれば良い。人の骸などという、怪異よりも遥かに脆いものを混ぜて兵器を作るつもりはないから、この男は何の役にも立たずに海の藻屑になるだろう。より強く面白いものを作ることを目的としているのに、要らぬ不純物を混ぜては興が削がれる。
引き摺っていこうとした芥多の目に、ふと男の手から吹き飛んだ手記が映った。後ろから迫る死の気配にさえ気付かぬほど熱心に書いていた代物に興味が湧くのは必然だ。拾い上げたそれの土埃を払い、開いた中身に目を通す。
それで、彼はふと気付いた。
「これ、俺のことか」
望外の拾い物だった。途端に唇に浮かぶのは心底嬉しげな笑みだ。己のことを記されて悲しむ者があろうか。この男は存外に芥多の近くに寄っていたようであるが、それを拒むようなつもりもなかったし、軽く捲った雰囲気からは言及に眉を顰めるような部分は見受けられなかった。
どうせ放っておいても男とに行方不明になるか、身分証と共に闇に葬られるかするものだ。ここは芥多が持っておいても良いだろう――そう判じた彼は、小さな手記を懐にしまい込む。
「もしかして逆に俺が盛大に運使っちゃってるんですか? これ。いやあ、参った。揺り戻しで死ぬかもしれねえな」
動かぬ男の襟首を無造作に掴み、浮かれた足取りが路地に消えた。
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