暴れトラネコ宵騒ぎ

【初対面】
やれ、困った猫だね
酔って転がってるだけなら誰も気にしなかっただろうに。暴れられちゃあ何とかするしかないじゃない
大丈夫だよ。誰とでもそこそこ上手くやるさ
あちこち渡り歩いていろいろ見てきたからね。大概の人間とはなんとかやっていけるよ
酔った猫又も初めてではないよ。あたしだって酔うときがあるもの
ここまで派手に暴れてるのはなかなか見ないがね。悪酔いするタイプってやつかい
あたしゃ腕っぷしはあんまりなんだよ。身体も小さいから酔っ払いにぶつかられたら飛んで行ってしまう
ちょいと遊んでやるくらいならできるんだけどねえ
あら、神薙のオーナーさんじゃないか
腕っぷしに自信はあるかい。あたしはねえ、ないよ
鬼火で遊んでやるくらいはできるけれど。あちらさんの方が熱そうだ
猫の手が欲しいなら貸すからさ。でもあたしの手を借りるまでもないだろう?
ないよりはあった方がいい? じゃあ、援護射撃程度にやりはしよう
少し落ち着いたら酔っ払いに話でも聞いてみようか
やあお前さん、そんなに酔いたいことがあったのかい。今日に限ってどうしたの
嫌なことでも良いことでも聞いたげるからさ。お酒じゃなくてお冷でね
マタタビのやりすぎにだってなにか切欠があるだろう。話してるうちに酔いも醒めるだろうさ
彼女と喧嘩した? あー、うん。若いねえ
マグロとか、カツオとか食べてさ。お腹いっぱいになったら気持ちも落ち着くよ
それから酔いを醒まして毛繕いして、彼女さんに謝りに行けばいい
言いたいことがあればなんだって聞いたげるさ。だから暴れるのはやめて対話にしよう
でないとおじさん命が九つじゃあ足りなくなってしまうからね
●
商店街に鳴り響く轟音を受けて、ガード下に吊るされた提灯が揺れる。夕暮れ時の朱色の陽光に、提灯の染める紫の光が踊って、石畳を妖しく彩る。複数の時代を入り混じらせたような奇妙な建築物が並ぶ、ここ√妖怪百鬼夜行は今日も大騒ぎである。
通りを遮るような騒がしい人だかりを見つけて、宮部・ゆら(十六夜あの月に届け・h00006)も早速そちらを覗きに向かう。集まった人の間に潜り込むように前に出て、同じような野次馬の一人に声をかけた。
「ねえ、みんな何を見てるの?」
答えの代わりに、集まった野次馬一同が一斉に声を上げる。悲鳴よりは歓声が多い、そんなどよめきの行先を追うと、一同の頭上を吹き飛ばされた屋台がひとつ、放物線を描いて通過していった。
『何って、そりゃおまえ』
『喧嘩よ、喧嘩』
野次馬の中でも屈強な者達がそう言って笑う。続けて聞こえてきたのは、足元からの落ち着いた声音。
「まあ、実際は喧嘩とは少し違うようだがね」
「ふうん?」
そうなの? とそちらに眼を向ければ、黒い毛並みの猫又がのんびりとした様子で騒ぎの方を眺めている。人だかりの先頭まで行って、猫又――月見亭・大吾(芒に月・h00912)の後ろまで来ると、ようやくゆらにも何が起こっているのか見ることができた。商店街の一角を半壊させながら寝そべっているのは、見上げるほどの大きさをした巨大なトラネコだった。駄々をこねるような仕草はかわいく見えなくもないが、その体躯はさすがにカワイイの範疇を超えている。
酔っているのか、「ヒック」と猫又が喉を鳴らした、その次の瞬間。口から真っ赤な炎が噴き出した。
『おお、火ぃ吹いたぞ!!』
『負けんなよそっちのニーチャン!』
火炎放射器さながら、大層な勢いで射出される炎に対し、相対するのは一人の人間。
「――|玄武《クロ》」
神薙・ウツロ(護法異聞・h01438)の使う四霊のひとつ、水を司るそれが結界を展開し、炎の進行を半球状に切り取り、阻む。
「皆応援してくれてありがとー、いやぁ私の人気も中々のものだね」
『いや、別にそこまでは……』『言ってないよなぁ』
この辺では一応馴染みの顔らしい。結界の中で気取ったポーズを決めたところだが、続けて降ってきた巨大猫パンチが結界を軋ませて、さすがにウツロも一瞬真顔に戻る。どう攻略するかと青いサングラスの奥で思考を巡らせていると、身軽な様子で跳ねてきた兎の獣人が傍らに着地した。
「ねえねえおじさん、手伝おうか?」
「んー? 余裕だからゆらちゃんは後ろで応援してて――」
『んにゃああああああああああ』
しゅごっ、みたいな音を立てて、再度炎の嵐が結界を激しく炙っていく。
「やっぱ手伝ってもらおっかな!」
「おっけー、まかせて!」
元気よく応えたゆらは、クナイを手に軽やかに跳躍、炎を吐き出して口から煙を挙げているトラネコの前に踊り出た。
「ね、遊びたいならあたしと遊ぼ!」
ぐるぐると、不機嫌そうに巨大トラネコの喉が鳴る。どうやら『遊び』には乗ってくれるものらしい。
「一旦引き付けてくれる? ちょっと手荒な方も試してみるから」
「はーい!」
ほら、こっちだよ! 長い耳を誘うように振って、ゆらがステップを踏む。ふわふわと跳ねるその様に、巨大トラネコは素早く手を出し、捕まえようとするが、彼女はその寸前で素早く退く。前脚が商店街の床を叩いて、肉球の形に陥没させる。爪を出すのを忘れていた、という様子で前足を舐めるトラネコに対して、反対側からウツロが仕掛けた。
結界を圧縮、拳にだけ纏わせる形で叩きつける、霊的な効力をも伴う打撃。実体であろうが霊体であろうが構わない、敵の種類を問わぬ一撃だったが、その手に返ってきたのはふさふさの毛並みとやわらかい腹肉の感触ばかり。
『う゛にゃ……』
不愉快そうな声と、こちらを向く金の瞳を前にして、ウツロは咄嗟に玄武を顕現させて盾にした。唸る炎と狩猟者の爪、巨大トラネコの猛攻を、二人は持ち前の素早さと結界術で捌いていく。片方が狙われている間はもう片方が自由に動ける、というわけで効果的な攻撃を探るようにしながら。
「これならどう?」
今度はゆらが仕掛ける番、ということでトラネコの額にクナイを投げつける。宙返りを打って離れた彼女は、かみさまの力をそこに纏わせて。
「あっ、ちょっと待っ」
「どっか~~~~ん!!!」
夕暮れの空を裂く『霹靂』、天からの雷はアーケードの屋根を貫いて、クナイを直撃、勢い余って周囲に電撃を撒き散らす。
あっ、とゆらが気付いた時にはもう遅い、広範囲に広がる電撃は光の速さで周囲の味方も巻き込んで――痺れさせる前に、ウツロの展開した青龍がそれを防いでいた。
「ご、ごめんなさい~っ!」
「平気平気、でも次気を付けて~」
ちょっとした連係ミスではあるが、これくらいは大したことではないとウツロが笑って返す。内心かなり冷や冷やしたし、「あっっっっぶな!!!」くらいの言葉が漏れた一瞬ではあるが、無傷で済んだのだから問題はあるまい。
しかし味方を巻き込むほどの一撃であれば、敵に対する効果の程は――。
「えっ、全然効いてないの?」
雷の直撃を受けたはずのトラネコは、ちょっと毛先と髭が焦げていたものの、「電気マッサージで調子が良くなった」くらいの顔をしている。まだまだ暴れる力を残しているであろうそれに対して、二人は再度身構えた。
「こうなったら見せちゃう? とっておきのやつ――」
「まあまあ、その辺にしといてやんなさい」
そんな二人の間に進み出たのは、黒い猫又だった。
●
闘いの合間にすっと入ってきた猫又、今回の相手に比べると、遥かに小柄な大吾の姿を二人が見下ろす。
「もういいの? 私の活躍シーンはここからなんだけど?」
「十分やったろう、神薙のオーナーさん。それとお嬢ちゃんもご苦労様」
のんびりと、労いの言葉を口にする。先程までの激しい応酬からすると温度差がすごい。きょとんとした顔で、ゆらが首を傾げた。
「おじさん、猫さんとは知り合いなの?」
「ん? ここ二人は初対面だっけ?」
うっかりしてたなぁ、と頭を掻いたウツロは、二人を順に紹介する。
「知ってるなら一緒に遊んでくれてもよかったのに」
「悪いねえ、あたしゃ腕っぷしの方はあんまりなんだよ」
ゆらの言葉に、愉快気に笑って大吾が応じる。身体も小さいから酔っ払いにぶつかられたら飛んで行ってしまうよ、冗談めかしてそう言うと、金の瞳をトラネコへと向けた。
「それじゃ、あの暴れん坊の顔の辺りまで連れて行ってもらえるかい?」
「え、近づいたら危ないって言ってなかった?」
「もうここまで小さくなったら、あたしの声も聞こえるだろうさ」
大吾の言に、ウツロとゆらは改めてトラネコの様子を見る。そういえば、さっきから比較的静かにしているようだが。
「小さく……?」
「ああ、ほんとださっきより縮んでるかも!」
騒動の最初の頃に比べてアーケードの天井が遠い。大暴れしたことで力が抜けたのだろうか。
「大の大人が、日も沈まぬ内からここまで酔っぱらってるんだ。きっとそれなりのワケがあるんだろうよ」
というわけで三人は、警戒しながらもトラネコに前へと歩み寄る。ゆらに抱えられる形で近付いた大吾は、トラネコから香る|香気《マタタビ臭》に顔をしかめた。
「やれ、困った猫だね。酔って転がってるだけなら誰も気にしなかっただろうに」
悪酔いするタイプなのかね。溜息交じりに呟くと、大吾は小首を傾げてみせる。
「やあお前さん、そんなに酔いたいことがあったのかい。聞かせておくれよ」
『う……うぅ……』
うわーん、と声を上げて、巨大なトラネコは涙を零して泣き始めた。
『彼女が……彼女が出ていっちゃったんだよぉ~~~~』
「あぁー……」
なるほどそういうやつ~、みたいな口を挟もうとしたウツロが、大吾に視線で止められる。どう考えてもよくある話だが、本人にとっては大事件だろう。
嫌なことでも良いことでも、今は聞いてやろうじゃないかと彼は頷く。
「あー、うん。若いねえ」
無難な相槌を打って、大吾は続きを促していく。
美しく白い毛並みの彼女に一目惚れした馴れ初めから、振り向いてもらえるまでの努力の日々、そして付き合ってからの幸せな時間……それが一体、どこで躓いてしまったのか。ぐすぐすと鼻を啜りながら、思い出話を吐き出すほどに、トラネコはどんどん縮んでいく。
この間まではいつも通りだったのに。誕生日には特製の鰹節だってプレゼントしたのに。きっと、他に男が出来たんだ。
「そう……トラネコのおじちゃんもつらかったんだね……」
『うぅ……おじちゃんはやめてな。まだそんな歳じゃないから』
「え、うん、おにいさん……?」
「何だろ、このくだり既視感あるかも」
というかこのトラネコ、意外と元気なのでは? そんな疑いを持つ二人を他所に、大吾はうんうんと頷いてやる。
「そうかいそうかい、鰹節を。やっぱり彼女の好物だったんだろう?」
『いや、元カノが料理上手だったから、お前もこれを使ってみてほしいって……』
「それはおじちゃんが悪くない?」
『おじちゃんは……やめてな……?』
直球の一言は思ったより刺さったらしい。トラネコは随分しょんぼりしたのか、その身体は一層小さくなった。
『やっぱり……ダメだった……?』
「いやぁ……お前さんが悪かったかもなぁ、それは……」
気が付けば、トラネコの体躯は大吾と変わらないところまで小さくなっている。
「まぁ、とにかく悪いところはわかったんだ、酔いを醒まして毛繕いして、彼女さんに謝りに行けばいい」
『はい……』
何はともあれ話は落ち着いた。野次馬もそろそろ帰り始めており、もう大丈夫だと判断しても差し支えないだろう。
「あんな立派な身体に化けて、火を吹くような力もあるんだ。彼女さんに謝るくらいわけないだろうよ」
『ん? うん、それが……』
トラネコの彼は、猫又ではあるけれど、そんな能力は持っていない、と言い出した。
●
「ははぁん、それでこれが、朽縄横丁で買ったって言う――」
先程の猫又から事情を聞いて、彼がやったというマタタビの、残りのひとかけらを摘まみ上げる。ウツロはまじまじとそれを見てみるが、一見しただけでは普通のマタタビと区別がつかない。
「ねえねえ、朽縄横丁ってなに?」
「お嬢ちゃんがうろついちゃダメなところさ」
見た目は普通だが、彼の話が本当なら、齧っただけで深い酩酊と共に先程のような力が宿る……ということになる。
「一応、あたしには近付けないでくれるかい?」
「えー、なんで?」
「でっかくなって、ワンチャン火だって吹けるのに?」
「それを遠慮したいんだけどねぇ」
えぇー、面白そうなのに。そんな軽口を交わしたところで、ウツロはそれをハンカチに包む。
「ま、ひとつ調べてみよっか」
うちのシマでこんなものが出回っていたら危ないからねぇ、と呟いて。
「ねぇねぇ、おなかすかない?」
「ちゃちゃに戻ったらあたしもごはんにしようか」
「おじさんは?」
「はいはい、そんな目で見なくても御馳走したげるから」
三人は、いつものたまり場へと出向いていった。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴 成功