Old Maid
夕暮れ時の街角に、子供達の熱い声がこだまする。駄菓子の並んだ店内ではなく、カプセルトイのガチャガチャやアイスのボックス、ラムネ瓶の並んだ店先に、彼等は囲みを作っていた。
『やっちゃえよかっちゃん!』
『ババァに負けるなー!』
囲みの中心には、地面に置かれた絵札の数々。どうやらメンコを使った戦いが繰り広げられているようだ。
「誰だい、今ババァっつったの。せめてばーちゃんって言いな!」
言い返しているのはこの店の主、破場・美禰子(駄菓子屋BAR店主・h00437)である。軒先まで出向いた彼女は、現在この囲みの中心に居た。
彼女の向かいに立った少年が、手元の絵札をぎゅっと握る。願いと、そして勝利への思いを込めるような仕草の後に、満を持して、それを地面に叩き付ける。パンッ、という胸のすくような音と、その結果を見届けて、美禰子もまた絵札を一枚手に取った。
……要するに、少年の対戦相手は彼女である。
眼鏡の奥の鋭い瞳で絵札の並んだフィールドをひと撫で、細い指で自分のメンコを摘まむと、スナップを利かせてそれを振るった。
『ああっ、やられた!?』『おとなのくせに、本気かよ……』
周囲の子供達の間に、悲観的な嘆きの声が上がる。お話やテレビアニメとは違う、非情な現実を突きつけられた彼等は恨めしそうに見てくるが、そんな視線も何のその。美禰子は特に気にした様子もなく、引っくり返した札を手に取った。
「おやおや、負けても文句なしって約束だよ? ありゃ嘘だったのかい?」
遊びには付き合うけれど、もちろんやるからには本気である。大人げないがそういうところがうけているのか、彼女への挑戦者は不思議と絶えない。これもまた、この駄菓子屋兼居酒屋、『B BA』のいつもの光景ではあった。
「ま、10年早かったねぇ」
『うぅ……!』
敗北を喫した少年は、悔しそうに口元を引き結んでいる。どうやら相当自信があったらしい。
「悔しかったらまたおいで。それか、助っ人を連れてくるんだね」
眼鏡を押し上げながらそう言ってやると、少年は口元に力を入れたまま踵を返した。
『おぼえてろよー』『つぎは負けないからな!』
それに続く、取り巻いていた子供達が代わりに捨て台詞を残していく。
「はいはい、次来る時は菓子の一つくらいは買っていきなよ」
軽口で返しながらそれを見送って、美禰子は取った札を大事にしまった。これが元々誰のものかは、もちろん全部わかっている。折を見て返してやるか、次の勝負に賭けるかは彼等次第といったところか。
――いやぁ、子供達は元気なものだね、と溜息を吐いて、カウンターの奥の定位置に腰を下ろす。そしてその傍ら、カウンターの隅っこにちょこんと座る猫、タマの頭を撫でた。
ようやく静かになったか、とばかりに猫が大きく欠伸をひとつ。駄菓子を買いに来た子供達も一段落して、傾いた日は街の地平に沈んでいった。
駄菓子屋兼居酒屋、駄菓子屋Barの後半部分は、こうして日の落ちた頃に店を開く。暖かな光を灯す照明の下、やってくるのは駄菓子をつまみに一杯やりたいという大人達。昼間とは打って変わった客層ではあるが、これはこれで、憩いの場であることに変わりはなかった。
『ママ、いつもの』
「いつもの、じゃないよ。自分で買ってきな」
店の前の自動販売機を指差して、すげなくそう言い放つ。
Barと銘打ってはいるけれど、この店では料理も出ないし酒は|自動販売機で買う《セルフサービス》というシステムでやっている。
『なんだよー、常連なんだから優しくしてくれてもさぁ』
「飽きもせずこんなところに通ってんじゃないよ。もうちょっといい店選べるだろあんたは」
イカのフライとチーズのあられ。辛辣なセリフを吐きつつも、その男性のいつも選ぶ駄菓子をセットで手に取り、カウンターに並べてやる。大体この時間に訪れるのは、仕事帰りのサラリーマンや、似たような店を営む近所の商売仲間だ。
『聞いてよ美禰子さん。今日もまた上司がねぇ……』
「はぁ、またあいつかい。あんたの話はそればっかりだねぇ」
で、今度は何だって? 愚痴を言いたい者、黙って酒を飲みたい者、それぞれの距離感を心得た美禰子は、適度にその相手をしてやる。相槌を打ちながら、飴玉をコロコロ転がす。酔っ払いのたわ言にも、それなりに耳を貸すのがこの店の流儀だ。
いつものように、そうして酔客たちの相手をしていると、夜も更け始めた頃に、ふと入り口の暖簾が揺れた。
『あの、すいません。破場さんいらっしゃいますか』
顔を出したのは、ひょろりと背の高い男性。
「何だい、酒だったらそこの自販機で――」
そんな風にいつもの台詞を口にしながら店先へ出る。すると、その男性の隣に、先頃メンコで戦った少年の姿を見つける。
「ははぁ、なるほど? 助っ人を頼めとは言ったけど……そうかい、親を連れてきちゃったかい」
これはちょっと困ったね、と苦笑いを浮かべる。子供の喧嘩に親が出てくるなんてのはよくあることだけど、そうなれば子供相手の勝負ではなく、大人同士の話し合い、苦情対応になってしまう。こういうことが増えたのも、時代の移り変わりかね。そんな風に溜息を吐くと。
『ばーちゃん、そうじゃなくて……』
「んん?」
少年が首を横に振る。どうも口下手なのかうまく言えない彼に代わって、隣の男性が助け舟を出した。
『違うんです。俺はこいつの叔父でして』
「……はぁ、それで?」
そこに何か違いがあるのか。まあ確かにこの子の親としては少し若すぎるようにも見えるが、それで用事が変わるとも思えない。
『覚えてらっしゃいますか……?』
何を言っているのか。疑問に思いつつも、斜め下からじっくりと目を細めてその男を眺める。すると、その気まずそうにしている男性の顔、その面影が、記憶の片隅に引っ掛かった。
「……あぁ、あの時の生意気な小僧」
『その説はお世話になりました……』
時の流れとは恐ろしいもの。かつては走ってこの駄菓子屋に通っていた少年が、今では見上げるほどの背丈になっている。かつての客の成長に、美禰子の頬も自然と緩む。
「立派になったもんじゃない。それで、大学生さんが何の用だい?」
『いえ、その……』
おずおずと彼が取り出したのは、札束……いや、紙幣ではなく、古いメンコの束だった。
『こいつの取られたメンコを賭けて、勝負をですね……』
ぷは、と思わず吹き出してしまう。何だい、成長したなと思っていたのに。
「いいよいいよ、リベンジマッチといこうじゃないかい!」
ひとしきり愉快気に笑って、勝負を受ける。店先の照明をいくらか増やして、揺れるその灯の下に札が並べられる。
いつの間にやら、居酒屋の酔客たちも彼女の周囲を囲んでいた。
『お、やるのかい美禰子さん』『どっちが勝つかねぇ』
「はいはい、賭博はダメだよ。せめてアタシに見えないところでやっとくれ」
客層を思わせぬ大盛り上がり、昼間とは違う歓声に、カウンターで寝ていた猫が片耳をぴくりと動かした。
時代は巡り、人も変わる。けれど、この場所には変わらぬものもちゃんと残っているようで。
――いい歳して、何やってんだかねえ。
そんな調子で伸びを打って、猫はカウンターから店の奥へと歩いていった。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴 成功