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光芒

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 生まれた娘を見て、女は悲鳴を上げた。
 未熟な兎の耳と僅かに生える毛髪は忌々しいほどに黒く、しかし開いた双眸には鮮烈な空に似た碧が灯り、産声を上げた赤子がリアディオ家の血を引くことを告げている。病室を苛立たしく訪れた男は、自らの妻が生んだ己の血を引かぬ娘を見るなり、やはり悪魔の子だと叫んだ。
 不貞の末に生まれたリリアーニャ・リアディオ(深淵の爪先・h00102)の世界は、以来地下深くに鎖された。
 母は悪魔が憑いていたのだという。だからリリアーニャが生まれたのだという。誰も彼女に教えてくれはしなかったが、食事を運んで来る使用人たちの蔑むような眸と、地下室の扉に時折出来る隙間から息を殺して世界を見れば、そのくらいは知ることが出来た。
 リアディオ家はイギリスに居を構える名家である。地位ある家の娘が夫ならぬ男と契りを結び、まして子を宿すことなど到底受け入れられない。体裁と威信と矜持を守るため、リアディオに連なる全ての人間は、リリアーニャが生まれる前から母に悪魔が憑いたのだと言い聞かせていたらしい。
 そのうちに、母になる女は己でもそう思い込むようになってしまったようだ。
 色欲の悪魔は不貞の果てに生まれた娘を産み落とせば消えていくだろうと言われていたせいかは分からないが、彼女がリリアーニャの許を訪れることはなかった。
 しかし――。
 昏く鎖された地下室の扉から僅かに漏れる明かりと、申し訳程度に運ばれる食事で時間を知るのみだった娘には、ただ茫漠とした認識があるだけだった。己は悪魔の子で、要らぬ子で、誰からも目をかけられるような存在ではない。植え付けられた自己否定を正しく認知するだけの自我さえ与えられなかった彼女の双眸に光が焼き付いたのは、まったき偶然ゆえだった。
 重い扉を自らの力で開けられるようになった頃、リリアーニャの足は鎖で戒められるようになった。リアディオの血を証明する青空のような双眸が万一にも人目に触れぬよう、顔も知らぬ親族によって指示されたらしいそれは、泥のような眠りに就いている間に彼女の自由を奪った。
 それから、前にもまして使用人たちは不用心になった。どうせ扉を開けて自由になることは出来ないと踏んだのだろう。鍵をかけ忘れることは勿論、隙間から光が漏れることも多くなっていた。
 その日もリリアーニャは唯一の明かりを手繰った。慎重に息を殺して扉に顔を近づける。鮮明になっていく視界に映る景色はいつも同じだったが、聞こえて来る噂話や歩き回る人々の顔ぶれはそのときによって違う。それだけが、日がな一日昏い部屋で座り込んでいるだけの彼女の慰みだった。
 だが。
 その日は違った。慌ただしく動き回る使用人たちの横に、見たことのない服装をした男女が映ったのだ。
 斯様な場所に屋敷の主に連なる者たちが訪れることは滅多になかった。平時であっても何もない地下室が広がっているだけなのだ。殊に今は、娘を惑わした色欲の悪魔によって産まれた忌み子がいる。だから、リリアーニャが彼女たちのことを知っていようはずはなかったのだ。
 のちに実母と、彼女の夫にあたる人だと知る二人は、いたく幸せそうに笑みを交わしていた。忌み嫌う黒兎の紺碧の双眸などまるでなかったかのように通り過ぎる茶色の髪が陽に透けている。
 瞬きすらも忘れて光景に見入るリリアーニャの眼前で、ふいに彼らが振り返る。呼ぶような声に応じた少女の声音が、彼らの後方から駆け寄って来るのが見えた。
 女によく似た茶色の髪。背格好はリリアーニャに似ているが、幾らか年上になろうか。
 その唇を彩る屈託のない喜色と、澄んだ青空に太陽が煌めくのに似た光を宿した双眸で、現れた娘はおかあさま――と言った。
 リリアーニャの胸裡に感情の奔流が溢れた。
 羨ましい。
 羨ましい羨ましい羨ましい。
 己の境遇を真の意味で理解した。目の前にある光景の美しさに灯る温もりに心を焼かれ、しかし隙間には指一本さえ通りはしない。決して己の手が届かぬ光を前に、黒兎は呼吸も忘れて重い扉に爪を立てた。
 ――ああなりたい。
 リリアーニャは光の名を知らない。心に満ちるどす黒い思いの名を知らない。無意識のうちに爪を立てる激情の名を知らない。初めて溢れ出した自我の奔流に動けなくなる彼女を知らず、名も知らぬ光芒の全てを手にした娘はこちらを見ることもなく過ぎ去っていこうとしている。
 呼び止めることは叶わなかった。幸福な家族の姿がほんの僅かの隙間から消えていけば、いつもの静かな景色だけがリリアーニャの双眸を染めた。
 それでも、彼女の脳裡には繰り返し先の光景が映し出されていた。
 あの光が欲しい。誰かに名を呼ばれて駆けていきたい。念じているうちに、彼女の意識は陽に照らされた廊下に立っていた。冷たい足枷の感覚は遠く、目の前ではリリアーニャの名を呼ぶ誰かが笑っている。
 腕を広げた|空想《そのひと》は、声も顔もめちゃくちゃに黒く塗りたくられている。彼女には分からなかった。自分を愛してくれる|誰か《・・》には、想像さえも及ばなかったのだ。
 それでも良かった。迷いなく駆け出して、彼女はその腕に抱き留められて――。
 気付けば冷たい床に倒れ伏していた。差し込んでいたはずの光は知らぬ間に遮られている。ひどい倦怠感を訴える体を起こし見た扉は固く閉じ、リリアーニャと陽だまりを強く断絶させていた。
 光芒は鎖された。宵闇の兎の心に、歪んだ執着を残して。
🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​ 成功

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