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みかんネード(未完成)も一緒に付け加え

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 2月14日、バレンタイン――吐く息も白くなる寒空の下、身を縮こまらせ小走りで歩く男。
「さっむ~……」
 日宮・芥多は、今日も相変わらず不運だった。
 朝から黒猫の群れが眼前を横切り、直後に鳩のフンが落下し、危うく避けた先には野良猫。幸い踏まずに済んだが驚かせたせいで逆上させてしまい、謝ったところで聞いてくれるはずもなくバリバリ爪で引っかかれた。すりすりと両手を揉むのは、寒さだけでなく爪痕が痛むせいだ。
 けれども――これも相変わらずだが――足取りは軽い。それは、芥多がどんな不幸にもめげない性分というだけではない。目指す先に理由があった。

 ペンキで塗りたくったのか、それとも高級な白材をふんだんに使っているのか(芥多は細かいことは知らない。そういうことを気にするタイプでもないのだ)真っ白な木造建築を、謎めかした蔦が生い茂る。
 あちこちに大きな窓がありながら、まるで曇りガラスのように中は見通せない。ごく僅かな忘却作用によるゆるやかな無関心がなければ、お化け屋敷とか呪われた家とか、オカルティックな噂が立ってもおかしくはないだろう。幸い、今のところは店の雰囲気が損なわれることもなく、知る人ぞ知る場所として親しまれている程度だ。
 そして存外それも、当たらずとも遠からじといったところ。扉には『大鍋堂』の文字――そう、ここは魔女の店なのだ。

 もっとも、肝心の魔女は外している。代わりに店を預かるのは一人の少年。
「ふう。準備はこんなところでいいかな」
 上から下まで真っ白な少年――茶治・レモンは、ブーケのような包装を施したホワイトチョコを前に、満足げに頷いた。
 これは彼が今日という日のために用意した、大事なバレンタインプレゼントだ。中身もレモングミ、アーモンド、キャラメルなど多種多様。一つずつ食べても飽きないように工夫を凝らしてある。
 といっても、この店に小洒落た調理器具などない。なので、レンタルキッチンを借りて四苦八苦しながらも仕上げ、冷凍したものを持ち込んで包装を終えた形だ。あとはこれを、お世話になっている人たちに配るだけ。
「それじゃこれは冷蔵庫に入れておいて、っと」
 レモンじゃ包装済みのホワイトチョコを冷蔵庫にしまいこみ、次はどうしようかと帽子のつばに手をやった。

 ちょうど、その時である。
「お疲れ様です、魔女代行くん!!」
 バァン! と勢いよく扉が開かれ、うんざりしそうなほど気安い声が店に響いた。レモンは驚き目を丸くしながらも、少し呆れたようなため息を漏らして、ぱたぱたと玄関口へ。
「いらっしゃいませ……あっ君、ドアは静かに開けるようにとあれほど……」
 言いかけた言葉は、呆気に取られたように途切れた。玄関口に現れた芥多は、なぜかさっき描写された時よりボロボロになっていたのである。おまけにガタガタ震えていた。
「クソさささ寒いのでだだだ暖を取らせてくくください」
 試験当日の朝にかけたアラームかな? というぐらいガタガタとバイブレーションしていた。
「えっ、寒そう! どうしたんです、死に際ですか!?」
 でも多分、このぐらいじゃ死なないんだろうな。レモンは頭の片隅でそう思った。

 幸い、この店は空調もばっちりだ。それも魔法である。
「あ、あったまるぅ~……」
 芥多は毛布にくるまり、長ソファに座って憩っていた。
「はい、ご希望のお茶ですよ」
 レモンはお盆に載せて持ってきた、ほかほかと湯気を立てるお茶を差し出した。
「いやぁいつもすみませんねぇ魔女代行くん。ところで俺、さっき「マカダミアホワイトスノーチョコレートドリンクをください」って頼みませんでしたっけ?」
「それにしても一体どうしてあんなボロボロになってたんです?」
 レモンは完全になかったことにして、質問をぶつけた。芥多の軽薄なノリに真正面から付き合っても空回りするだけだと、骨身に沁みているのである。
「実はここに来る途中、運悪く急ぎの仕事が入ってしまいましてね」
 芥多もあまり気にせず、ずずず……と茶を啜りながら答えた。
「かじかむ手で完璧にこなしてきましたけど、まあその途中で色々ありまして」
「なるほど、大体いつものことなんですね」
 すっかり平気な顔をしている(といっても、これもいつものことだ)芥多の様子に、レモンはいたたまれなくなって毛布を渡したことを少し悔やんだ。
「まあ、こんな日でもちゃんと仕事をしているのは立派です。偉いですよ」

「でしょう!」
 芥多は即答した。
「俺は偉い! その通り! 本当に立派ですし、もっと称えられるべき!
 魔女代行くんのおっしゃる通り、もう今年一年働くてもいいぐらい偉い!」
「そこまで言ってないですし、そもそも自分で言います??」
「そりゃ言いますよ。だって事実なんですからねぇ!」
 芥多はまったく奇を衒わず、一切臆さず、心の底から真剣に言い切った。おもむろに立ち上がり、|土曜の夜《サタデーナイト》の如く人差し指を天高く突き上げて。天上天下唯我独尊と唱えたお釈迦様も、これを見たら「そういう意味ではない」と諭すだろう。そのぐらい、自信満々だった。
「じゃあ聞きますけど、それって国に確定申告出せる仕事なんですよね?」
「…………」
 芥多は軽薄な笑みを浮かべたまま、固まった。
 レモンは無表情のまま、小首を傾げた。

 やや沈黙が流れた。

「……ん~? それはつまり、どういう?」
「どうも何も、そのままの意味ですよ?」
 レモンはぱちぱちと目を瞬かせた。
「確定申告が出せる、つまり税金がかかっていて、かつ記録に残しても問題のない……」
「うん、なるほど!」
 芥多は元気よく遮り、腕組みして考えた。
「まあ、そうですね……そういう考え方も世の中にはありますね」
「税金がかからない仕事って基本的にないと思いますよ?」
「ええ、ですからつまり……まぁ~……はい!」
 一点の曇りすらないほどに清々しい、満面の笑顔。
 街頭インタビューをしたら、100人が100人「こいつは嘘をついている」と即答するぐらいの、なんなら選挙ポスターにしてもいいぐらいの晴れやかな笑顔だった。多分見てくれのよさとはきはきした街頭演説でそれなりの票を集めるだろう。自信満々に堂々としてると、人は案外騙されるものである。
「……な、なんて清々しい、真っ赤な嘘……!!」
 残念ながらレモンは騙せなかった。なぜなら、いつものことだから。

 というわけで、日常茶飯事である以上、窘めたり諭したところで無意味であることも理解しているレモンは、嘆息して頭を振った。
「もういいです。ツッコみません。聞かなかったことにしておきます」
「えぇ? そこはもっと俺のことを褒めて伸ばしてくださいよぉ。俺は褒められて伸びるタイプなんですよ」
 芥多はふてぶてしかった。

 それからしばらく、芥多はぼけっと窓の外の景色を眺め、差し込む日差しに暖まりながら怠惰を貪っていた。
 レモンもいちいち咎めたりはしない。もともとこの店に来る客は千差万別で、単に暇を持て余した物好きも少なくないのだ。
 つまり常連の芥多は、レモンにとって日常として溶け込むレベルで馴染んでいた。その間に雑多な掃除やちょっとした模様替えなど、レモンはテキパキ働く。なにせ今日はバレンタイン、他に客人がいつ来るかわからないし、既に招待状を受けていたりもする。野暮用を早めに済ませて、ゆったりと時間を楽しもうというわけだ。
「……飽きましたねぇ」
 が、この男は一回り下の勤勉な少年の働きぶりなどどこ吹く風で、スマホなぞいじり始めた。レモンは少し甘やかしすぎではないだろうか――と考えるのは、芥多という人間を知らなさすぎると言わざるを得ない。前述の通り、まともな説教は無駄なのである。
「む?」
 バキバキの画面を親指でスワイプしていた芥多は、あるショート動画に目をつけた。しばし目を眇めてそれを眺めると、ちょうど床の掃除をして戻ってきたレモンを一瞥する。
「魔女代行くん。板チョコってありますか?」
「はい? 板チョコ……?」
 レモンは無表情のまま首を傾げ、頷いた。贈答用のチョコはすでに用意してあるとはいえ、バレンタイン当日に肝心のチョコがないというのも変な話だ。しかし変というと、いきなり板チョコの在庫を聞いてきたことのほうがよほど気になった。
「じゃあ、卵は?」
「卵も?」
「あと生クリームと砂糖、紅茶の茶葉、片栗粉に……じゃない、薄力粉とココア、5寸型……」
「ちょ、ちょっと待ってください」
 レモンは矢継ぎ早の言葉に思考が追いつかなくなり、両手をわたわたさせながら遮った。

「一体急になんなんです? 聞く限り、何か美味しいものを作ろうとしてませんか?」
 湧いた疑問は二つ。何を作ろうというのか――そして、この男にそんなものが(少なくともスイーツであることは材料から感じられる)が作れるのか、である。どちらかというと後者の方が比重が高い。
 今日はバレンタインである。気分屋で後先を考えず、軽薄で適当でその場のノリが服を着て歩いている上に倫理観もあまり存在しない――レモンはこのあたりで思考を打ち切った。終わりが見えない――芥多が、菓子作りに乗り出そうとしている。それはわかる。わかるが、そもそも絶望的に料理に向いていないのだ。
 何って? 性根が。

 スイーツは化学である。
 適切な分量、適切な手順、適切な工程を適切に踏めば相応のものが出来上がる。
 逆に言えば、どこかをおろそかにすればどこかが躓く。
 一流のパティシエのような超一級の品を素人が作るのは難しいかもしれないが、それなりのものを作るのは素人でも簡単だ。
 だがそれなりのものの手前には、バカデカい、そしてクッソ深い穴が広がっている。
 スイーツに「ちょっとよくないもの」は存在しない……失敗した場合待っているのは、それなりにヤバいものかクソヤバいものかのどちらかだ……!
(「あ、でもそもそも言われたもの、殆どなかった」)
 レモンは心のなかでぽんと掌を叩いた。世界の平和は守られたのである。なお、ここまで現実では1秒にも満たなかった。

 そんな少年の懊悩(?)は露知らず(ついでに言うと知ってても完全に素知らぬ顔で流していたであろう)、芥多はスマホの画面を少年に見せた。
「これですこれ」
 リピート再生されているのは、よくある手際よく編集されたタイプの調理動画だ。レモンが小さな身体を伸ばして顔を近づけると、画面の中では包丁がまな板を叩くたびにチョコが割れ、生クリームが出来上がり、卵が割れ……あっという間に、ミルクティークリームを乗せたガトーショコラが出来上がった。
「へぇ、美味しそうな――」
 言いかけて、レモンは芥多を見た。
「いや、スマホばきばきじゃないですか! まだ買い替えてなかったんですか?」
「そこに触れます!? 動画の話しません!?」
 珍しく芥多がツッコミを入れた。

 が、スマホの画面のバキバキぶりたるや、レモンが驚くのも無理はなかった。
 なんかもう包丁を入れるまでもなく、ガトーショコラが裁断されているぐらいの割れっぷりだ。ショート動画が自動で切り替わり、絵画の高速ドローイング動画が流れ始めると、繊細で精密な絵画が割れ目のせいで台無しになっているぐらいだった。多分位置を目元に調整して自撮りすると、石の世界でウン千年ぶりに再生した現代人みたくなれるかもしれない。
「これ、最新型ですよ? 買い換えたばっかりです」
「でも画面……」
「ご安心ください」
 芥多はフッときざったらしく笑った。
「バキバキなのは画面ではなく、高耐久セラミック保護フィルムのほうです!」
「結局割れてるのは事実なんじゃないですか!?」
 保護フィルムがなかったら本体が砕けていそうである。
「……でもスマホが無事なだけよかったというべきなんでしょうか……?」
 レモンは悩んだ。彼は真面目な少年なので、物事をできるだけよく取ろうと心がけていた。特に芥多に対しては、少しぐらいいいところを褒めていかないと社会復帰に繋がらないし、あと冷静に見るとマイナスポイントが多すぎて色々よくない考えがよぎるので、減点方式でなく加点方式で見ないと耐えられないという事情もあった。マニア向けのC級映画か何かかな?
「使いづらそうですし、直したほうがいいですよ」
「魔女代行くんが言うならやぶさかではないですね。俺は偉いし立派なので、他人の意見にはちゃんと耳を傾けるんですよ」
「それはいいことですね。もう少し真っ当な労働に励んだらもっといいと思います」
「俺は偉くて立派な大人なので、採り入れるべき意見とそうでない意見をきちんと分けることが出来るんですよ」
 無敵だった。

「……って、それはもう過ぎたことだからいいとしましょう」
「何も過ぎてないですよ?」
「いいですから……それより材料です、材料」
 芥多はスワイプでガトーショコラの調理画面に戻し、コメント欄を開いた。ハッシュタグが設定されていて、タップすると自作した動画やポストがいくつも表示される。それなりにバズっているようだ。
「せっかくなのでこれを再現して遊んでみようってわけです。どうです?」
「美味しそうですし、面白いですね!」
「でしょう。それで材料……」
「あ、板チョコしかないです」
「うーん板チョコしかないんですか。それはなかなか……」
 芥多はレモンの顔を二度見した。
「えっ? 板チョコしかない?? おかしくないですか???」
「最近は卵も高いですし、ちょうど切らしちゃってるんですよ。あっ君は食べ物の相場とか、気にしてないでしょうし肌で感じるほど触れてもいないでしょうからわからないと思いますけど」
「なんか今日の魔女代行くん、普段より三割増しくらいで俺のこと刺しに来てません??」
 物価高には√能力者さえも形無しだった。
「というか、そんな高級なお菓子作りの材料、|大鍋堂《うち》にあるわけないですよ。買い揃えた分も、僕の贈答用のチョコに使っちゃいましたし」
「むう……」
 芥多は唸った。こういうところが、この男の適当でちゃらんぽらんした性分を表している。

 ともあれ、思い立った暇つぶしとはいえ、一度腰を浮かせたならそう簡単には諦めたくないものだ。
 芥多は妙に意固地というか、軽薄で飄々としているくせに、一度こだわるとなかなか我を張る側面もあった。
 なにより、レモンにボロクソ言われて呆れられたままでは落ち着かない。プライドという概念はこの男の頭の中から消え去って久しいが、そこはそれ、他愛もないやりとりだからこそ気になるものはある。
「……あ!」
「どうしました?」
 芥多はにやりと笑い、新たにスワイプした動画を見せた。まな板を上から映した動画の中では、いくつものみかんが塩もみされた上で輪切りになり、グラニュー糖をまぶして瓶詰めに……といった風に、スピーディに調理されていく。
「これ。みかんネードというらしいですよ。美味しそうじゃないですか?」
「代わりのアイディアってことですか。うーん……」
 レモンは記憶を探った。みかんはちょうど、冬のお供に買い込んだものがまだいくつか残っていたはずだ。幸い、グラニュー糖も、調理用のレモン果汁も十分残っている。
「多分あると思います。みかんネード、美味しそうですね!」
「でしょう? レモネードのみかんバージョン、気になるじゃないですか」
 芥多は動画検索から「みかんネード」と再び検索し、別のレシピをいくつか見比べる。中でも皮を剥いたうえで輪切りにし、蜂蜜に漬け込むものが気に入った(蜂蜜の分、前述のものより甘さが強いと考えたのである)。
「美味しいの作ってくれるんですか!?」
「ええ。材料だけ提供してくれたら、動画もびっくりのスピーディな手さばきを見せて差し上げますよ」
 芥多は自慢げに言い、廊下を横切ってキッチンに足を踏み入れようとした。

 が、その途端、レモンの義手が服の裾を掴んでぐいっと引き戻した。
「ぐえっ!?」
 芥多は呻き、よろめいた。
「何するんです!? 実は蜂蜜だけないとかそういうのは……」
「手洗い」
「え?」
「手洗いしてください」
 レモンは断固たる態度で言った。
「いや、お店に上がるときに消毒……」
「それはそれです。調理場に入る前には手洗いなんて、常識ですよ!」
 12歳に説教される23歳。しかも一般常識。芥多は仕方なく、キッチンとは別の手洗い場に向かって消毒した。
「魔女代行くんはしっかりものですねぇ。俺も鼻が高いですよ」
「鼻、高くする要素ありました……?」
 レモンはちょっと芥多が心配になった。

 そして改めて調理場に立った二人。
「それにしても、わざわざ見に来るなんてどういう風の吹き回しです?」
 芥多は手際よくみかんの皮を剥きながら言った。
「だって、あっ君の調理シーンなんて珍しいじゃないですか」
 レモンは少しウキウキしているような調子で答えた。
「あとほら、見張ってないと他の材料をつまみ食いされたら困りますし」
「嫌ですねぇ。俺がそんな卑しい真似をするわけないじゃないですか」
「それと手元が狂って怪我したりしないかが不安なんですよね。今も僕の方見て、手元見てないじゃないですか」
「見る必要がないんですよ。これでも俺は手先が器用なんですよ?」
 豪語するだけはあり、みかんを剥くスピードも、輪切りにしていくテンポもよい。輪切りも果肉を押し潰したりせず、一定の幅を均一に保っていた。
「うーん、確かに思ったよりずっと器用で驚きました。すごいです!」
 レモンは素直に認め、ぱちぱちと小さく拍手した。
「褒めても何も出ませんよ? まあ事実ですけどね。それに褒めすぎると逆に言葉が軽くなりますから、何事も褒めればいいというわけではないですからね」
「ちょっと人生訓みたいな語り方してますけど、さっき「俺は褒めて伸ばすタイプだ」ってあっ君が……」
「さて、じゃあこの砂糖とかを混ぜた蜂蜜の中に漬け込んでいきますよ!」
 一番器用なのは、都合の悪いことだけを聞き流す耳ではなかろうか。

 ともあれ、言ってしまえばたかがレモネード(のみかん版)。
 無論包丁を使うので誰にでも出来るとまでは言えないが、レモネードスタンドといえばアメリカでは子どもの小遣い稼ぎとして定番の行事だ。
 手先が器用でそれなりに慣れている芥多の手にかかれば、文字通り「あっ」という間に工程のほとんどが終わってしまった。
「どうです? これが俺の腕前ですよ」
「ちょっと見直しました。あっ君っていろんな美味しいものを知ってるし、得意なこともあるんですね」
「そりゃあもう、頻繁に臓器摘出してますんでね!」
「最後の台詞は聞かなかったことにしておきますね」
 レモンも聞き流すプロセスは慣れたものである。
「ところで、これで出来上がりなんです? もう飲めちゃうんですか?」
「待ってください。最後にもう一つ工程が……」
 芥多はスタンドに立てかけたスマホを人差し指でスワイプした。
「なになに……この漬け込んだものを一晩冷蔵庫で寝かせて、あとはお湯とかで割れば……」
「あ、やっぱり寝かせないとダメなんですね」
 芥多はスマホをスタンドから取り上げた。そして、スパーン!
「ってなんでスマホ床に叩きつけたんです!?」
「いや今日飲めないならレシピ最序盤に書いとけや!!!」
 渾身のツッコミである。だが、果肉を使ったジュースなど、スムージーでもない限りそんなものではなかろうか! とレモンは思ったが、言わないでおいた。
「そんなことしてるからスマホ割れちゃうんですよ!?」
「だからこれは耐久フィルムですって」
 芥多は叩きつけたスマホを拾い上げ、布巾で拭きながら笑った。
「……割れ目、増えてません?」
「え゛」
 レモンの指摘通りだった。明らかに保護フィルムとは別の層がばっきりと行っていた。

「……やれやれ、仕方ないですね。明日飲みに来るとしましょう」
「流した……!?」
「みかんの蜂蜜漬けとしても食べれるそうですけど、俺の分をちゃんと残しておいてくださいね」
「しかも僕がそれなりに食べて飲んじゃうことまで懸念している……!?」
 もはや自分のことを棚に上げすぎて、棚が自重で倒れそうな勢いである。

 レモンは何度目かわからないため息をつき、気を取り直した。
「まあ、あっ君が作ってくれたものですし……ちゃんとあっ君の分は残しておきますよ」
「さすがは魔女代行くんです」
 にこりと笑い、芥多は一歩身を引いた。レモンはきょとんとして首を傾げた。
「さ、それじゃあどうぞ」
「……えっと、何がです?」
「スマホが割れてしまって傷心の俺を慰めるために、魔女代行くんが何かしてあげたいと願っていると、俺は感じ取ったんですよ」
 芥多は前髪を指でかき分け、にこりと微笑んだ。悔しいことに、顔はいい。憎たらしいと表現すべきかもしれない。
「というわけですから、さあどうぞ」
「…………はぁ」
 つまり、何か作れと催促されているのである。なお、指摘したところで、これは催促に入らないとこの男は平然と答えるだろう。そしておそらく腹の底からそれを信じているのだ。自己催眠かな?
「本当に、あっ君はしょうがないですね」
 などと言いつつ、望み通りに行動してしまうあたり、レモンにも甘やかしすぎの疑いがあった。

 レモンは冷蔵庫を開け、牛乳パックと板チョコ、さらに紅茶のティーバッグ(紅茶あるじゃないですか、と喚く芥多に呆れる一幕があった)を取り出し、ケトルで湯を沸かす。その間に板チョコを包丁で刻んでいくのだ。
「何が出来るんです?」
 と、後ろで板チョコの欠片をつまみ食いしながら、芥多が言った。
「……」
「え? どうしました? 急に俺の顔をまじまじと見て」
「……いえ、なんでもないです」
 レモンは頭を振り、調理に戻る。ケトルで沸かした湯は別の容器に入れ、ティーバッグを蒸らす。さらに刻んだチョコを溶かすと、それを牛乳と混ぜ合わせていった。

 ややあって出来上がったのは、温かなホットチョコミルクティーだ。
「はい、どうぞ」
 レモンはティーカップに注いだ、湯気の立つチョコミルクティーを差し出した。
「今日はこれで我慢してくださいね。寒いから、これなら嬉しいでしょう?」
「ええ、そりゃあもう」
 芥多は慇懃かつ大げさに一礼すると、仰々しくティーカップを受け取った。
 そして、ふう、ふうと軽く息で冷まし、一口――優しく、甘く、微かにほろ苦い味わいが口の中に広がり、たっぷりと沸かした茶湯の温かみが全身にじんわりを広がると、ほう、と心地よさげに吐息を漏らした。
「うん、美味しいです。俺が寒さに弱いのを知って、ちゃんと温まるものを出してくれるなんて、さすがは魔女代行くんですね」
「こういう時だけは調子が……いえ、割といつもそうでしたね」
 レモンは無表情で言い、自らもティーカップにチョコミルクティーを注ぐと、芥多よりも念入りに冷ましたうえで一口啜った。
「ふう……」
 空調が効いた店内とはいえ、水場に立てば身体も冷えるものだ。なにより、多少なりとも手間暇をかけて淹れた茶の味は、たとえティーバッグだろうとひとしお。

 そして結局のところ、調子こきで適当で飄々とした芥多と過ごす時間は、レモンにとってある種の非日常めいた日常であり――一言で言えば、それ自体が温かく、心地よい一時だった。
「ここで立ちながらというのもなんですし、向こうでゆっくり楽しみましょうか」
「そうですねぇ。せっかくのバレインタインですから、ね」
 芥多は茶目っ気を籠めて言い、二人は揃って長ソファへと戻った。
 まだ暖かくなりきらない冬の日、偶然生まれた二人きりの時間は、賑やかながらも穏やかで、楽しい時間だった。
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