鈴音
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√ウォーゾーンは、厳しい世界だ。
友人を失い、希望を失った兵士は、今も世界の現実を、まっすぐに見つめている。
クラウス・イーザリー(希望を忘れた兵士・h05015)の心を現すには、十分だろうか。静かな湖の水底を思わせる、青の瞳、艶やかな黒髪は、後ろ手で括られ、中背の肩辺りまで伸びている。対照的に肌は白く 暗色の服装はそれらを強く印象付ける。
戦火から少し離れた、とある機械都市、天蓋大聖堂に覆われた小さな部屋。物が極端に少ないのは、部屋の主が、此処に長く留まらないからだろう。
クラウスは、身体を一挙動で起こし、目を覚ます。時刻を確認し、各種デジタルデバイスの時計を合わせる。
端末で特に重要な連絡事項に目を通す。運び屋の巡回、機械技師からの定期メンテナンスの知らせ、効率良く其れ等に目を通すと、脳が酸素を求め、自然と小さな欠伸が出る。そんな時、機械扉から呼び出し音が響いた。最低限の足音で、扉の前に歩み寄る。
「いらっしゃ……」
機械扉が動作する前、意図的に飛ばされた殺気に、足音を消して、ドアの側面に張り付き、姿勢を低くする。
ホルスターに差した拳銃に手を掛け、来訪者の出方を伺う。
「クー」
シルエットが両手を広げて飛びかかって来るのに合わせて、拳銃から手を引き、踏み込み、懐に入る。
「ラー」
幼さの残る顔立ち、曲線の目立つシルエットに、夕陽色の短い髪、女性だ。
(いや、待て!)
その姿には見覚えが有る。しかもそれは定期的にやってくる、友人の筈だ。
「ウー」
おまけに、ちゃんと耳を澄ませば聞き覚えの有る声音だ。内心焦りながら、頭中でベッドまでの距離を測り、迎撃方法を変更する。細い片腕を、なるべく痛まないように掴む。
「スー……」
片足を軸に身体を回し、力配分に出来る限り気を配り、背負う様に、ベッドへと。
「君?」
投げ飛ばした。顔以外の全身を黒く覆った、薄手の防塵サイバネティックス・スーツ。その上から、白を基調とした袖無しジャケットとショートパンツの軽装。何より、丸い金眼が、きょとんとクラウスを見上げていた。
「クラウス君、気付いたらベッドに投げ飛ばされてるんだけど、今、何が起きたの?」
「……ベルさん、怪我も痛みも無い様で良かったです。何度も言っていますが、遊びで殺気を飛ばすのは止めて下さい」
冷や汗がクラウスの頬を伝う。元気そうにベッドから上体を起こす友人の姿を見て、滅多に感情を乗せない、形の良い唇に、安堵の笑みが漏れる。
「んー、どうしよっかな?」
「お願いだよ」
ベルは声を上げて快活に笑う。
とある事件の後、クラウスの味方を自称して、元々住んでいた世界から此方に軸足を移した彼女は、世界情勢と簡単な手解きを受けただけで、思いの外、上手くやっている。
「だって、これやるとさ、クラウス君の色々な表情が見れるんだもん、美味しいんだ」
「俺は食べ物じゃないよ」
「イケメンの王子様は女性にとって、何歳になっても食べ物なんだよ。知らなかった?」
クラウスは片手で目を覆った。聞き分けのない少女の親というのは、こう言う心境なのだろうか。
「……ね、本当に困ってる?」
軽く上半身を屈ませ、鼻が触れ合いそうな程に、顔を近づけて、金目が上目遣いに、青い水底の様な双眸を覗き込む。
「うん、困ってる。止めて欲しい」
努めて、真剣な表情を作り、真摯に対応する。口調は、ベル本人から、敬語は要らないし、呼び捨てで良いと言われているのだが、来訪時は大抵がこの調子で、思わず、警護に戻ってしまう。
「はーい」
小声で何か別の不満らしきものを呟きながらも、ベルは素直な返事を返し、すっと身を引いた。
「そうそう。クラウス君さ、今日、何か予定ある? ちょっと付き合って欲しいんだー!」
「そうだな」
巡回している大規模な運び屋、キャラバンの来訪が有る。武器防具、電子機器、食料品、少し珍しい食べ物、簡単な芸や舞踊、心得がある者達によって、幾つかの娯楽が披露される。クラウス自身も多少なり、見て回る予定にしていた。
「買物なら、俺も付き合えるよ」
「流石、察しが良いね。ありがとー! 準備が出来たら声かけてねー。外で待ってるから!」
「分かったよ」
とは言っても、軽く装備を整えて、残っている朝の準備を終わらせる位だ。行動力の高さに戸惑いつつも、彼女の快活さには、正直救われている。懐かしい、友人の影を見る。
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キャラバンの来訪に、機械都市は珍しく浮き足立っている。籠もりがちな住民が、今日ばかりは暗い日々と現実を忘れて、笑顔を見せる。市場の人間は仕入れに精を出し、軍事に携わる人間は、銃器弾薬、ウォーゾーンの価格と質に目を光らせる。
「だからか」
「うん、こっちメインで動くから、お金も漸く余裕出来てきたし、そろそろウォーゾーン欲しいなーって。食事だけは、味気無いし、量も足りないよね、此処」
「言ってくれれば、助けるよ?」
「クラウス君のそう言う所、好きだよ」
ウォーゾーンは、荒事の依頼ばかりだが、仕事には事欠かない。元々、訓練を受けて経験も有るベルにとっては、安全なクライアントを伝えるだsけで、稼ぎのタネには十分だった様だ。
大型のトレーラーのハンガーにぶら下がっている、数機のウォーゾーンに、荒事の専門家達が群がり、配られたスペック表を真剣に眺め、良く通る声で喋る商人の売り文句が、広場に響く。ベルもスペック表に目を通す。良くクラウスに向ける笑顔では無く、金眼が怜悧に数字を見つめ、口元が固定され、動かない。
「これにしようと思うんだけど、クラウス君はどう思う?」
砲撃特化型の中距離戦仕様。型式は風火ノ弐。
重量の有る兵器を多数積載出来る代わりに、足回りが鈍重な為、カバー方法で搭乗者の性格が出る。当然ながら、重装甲による防御力の高さも売りで、この辺りでは、人気で良く見る型式だ。
「ただ、パーツ不良が多かった筈。買うなら、機体の点検と修復も視野に入れた方が良い。それ以外に難があるとすれば、値段と弾薬代、か」
コクピットの完成度も高い。生き延びる事を第一に考えている、彼女らしい選択だ。
そうこうしている内に試乗の列が出来ていく。
「人気、だね?」
「人気の型式だから、風火。今日は諦める?」
ベルは暫く、頭を抱えて悩む。
「クラウス君、もし良い技術屋さん知ってたら、今度、紹介してくれないかなぁ?」
ベルは悩んだ末、涙を浮かべながら、掌を合わせてクラウスに哀願した。
「分かった」
「ありがと! クラウス君大好き!」
言うなり、思い切り抱きついて、思い切り抱き締める。そのまま本人の同意を得ずに、腕を組む。クラウスは戸惑いながらも、上機嫌なベルの笑顔を見て、好きにさせた。
楽しく騒がしい。だが。
「深く考えなくて良いよ。クラウス君がクラウス君で有る限り、ベルお姉さんはクラウス君の味方だから、ね? 大好きなのは本当」
「ごめん、俺はそう言うの分からないから、でも」
「うん、何となく気付いてた。良いんだよ。ありがとう」
ベルはそう言って、何時も通り快活に笑う。結局日が暮れるまで、クラウスは付き合わされた。そう言えば、彼女は青春に憧れていると言っていた。こう言う時間は、学生時代に経験が無い。楽しいと、思う。
ふと、唇が緩む。それを見て、ベルは心臓が跳ねて、思わず目を背けた。
青春を忘れた二人の日常は、奇妙に絡んで、紡がれていく。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴 成功