淑女の拳は悪魔の鉄拳?
「|格闘者《エアガイツ》のミサキさんに稽古をつけてほしいんです。接近戦に対応できるようになりたいので!」
「……はい?」
シンシア・ウォーカーが√汎神解剖機関にある天王寺ミサキの拠点に訪ねてきて開口一番そう申し出たのはまだ鶏も泣き出さない早朝も早朝のことだった。牛乳の配達や新聞すらまだ届いていないような時間帯に押しかけてきたシンシアに、ミサキは眠い眼をこすりつつまだぼんやりとした頭で対応するも、頭上には?が浮かびっぱなしだ。
「あ、これ、この前√EDENに行った時に買った新作のマカロン。修行で疲れたらお茶といっしょに食べましょ」
「いや、なんというか……いきなりどうしたのさ? そもそもレイピアとか杖術とかは使えたよね? たしか。なんで拳?」
可愛いラッピングのマカロンを押し付けられながら問う。彼女はわりとやりたい! と思ったら後先考えず動くタイプであり、深い理由など無いのかもしれないがもうミサキが修行をつける方向で完全に話が進んでいる。嫌ではない……どころか親交のある彼女に修行をつけるのはやぶさかではないが、まだ全然話が読めない。
「そうそう、魔術師とは言え近接戦闘もやれなきゃだめだなーって思ってレイピアとかは使えるようになったの。昔サイレントモスっていう魔術師がメッタメタに相性の悪いモンスター相手に危ない目にあって。で、その流れで素手での戦いもやれるようになっときたいなって思ったのよ。とっさのことで杖とか、レイピアがつかえないパターンも考えられるじゃない?」
「あーまあ、わからんでもない理由だけど……」
曇りないスカイブルーの瞳でまっすぐ見据えられる。とりあえずやる気は伝わったので自分の分かる範囲であれば格闘技の基本を教えてあげよう、とミサキは思った。
「痛いのは大丈夫なので! 本気でお願いします!」
「え、いきなり実戦前提?」
早々にファイティングポーズを取る淑女。やる気があるというかありすぎて溢れているのは結構だが、とりあえずここでトレーニングを始めるわけにはいかないので広い場所に移動しよう、とミサキはシンシアに伝えるのであった。
——それから。
「じゃあまず、シンシアって格闘ってさ。どんなものだと思う?」
「そうねぇ……やっぱりパンチとかキックとか……自分の肉体一つでなんでもできるってのは利点よね」
「なるほどなぁ……格闘技に結構、ロマンと幻想を持ってるタイプだね、シンシアは」
今度はシンシアが頭上に?を浮かべる番だった。ミサキはそう言うと近くに落ちていた適当な木の棒をシンシアに投げ渡し、レイピアの基本的な構えをしてみて。と促す。当然、シンシアは真意はわからないまま片手剣のきれいな構えをしてみせた。
「隙がないな~。けっこー本気で今、剣を持ったシンシアとどう戦うかを考えてみたんだけど割と難しいね」
「それはどうも。でもこれがどう格闘技に関わってくるの?」
「格闘技はシンシアが考えるほど強くないし、肉体ってのは自由に動かないものなんだ。『剣道三倍段』って格言がある通り、基本的に武器を持つってすごく強いんだよ。武器の切っ先の動きって人間の何倍も早くなるし殺傷力も高い。それに人間ベースの格闘技では骨格や体の構造から違う相手に通用しない場合もある。例えば……サイレントモス?だっけ。蛾だよね。蛾に関節技かけろって言われてもちょっと困るのはわかるでしょ?」
「あー……まぁ、それはたしかに……」
モンスターの中にはそもそも関節のなさそうなやつとかもいる。シンシアはミサキの言に唇に手を当て困ったような仕草をした。
「格闘技っていうのはある意味では『便利で最強』じゃなく『最後の武器』だってことをまずわかってほしい。シンシアの言うような武器の使えないようなとっさの状況に使うもの……と、結構厳しいことを最初に言ったけど、なんだかんだ身軽だし、武器が持ち込めない場所や閉所、不意の接近戦では大きな力になると思う!」
「わかったわ! ミサキセンセイ!」
ミサキはまず、シンシアの持っている先入観のようなものを取り除いた。基本的に人間の培ってきた『武術』、その中で実戦ベースで使われてきたのは剣術、槍術、弓術などであり徒手空拳で戦う軍隊などは存在しない。しかし、たとえば九州地方のタイ捨流剣術のように武器を用いる技術体系の中にも組み打ちや投げ、蹴り、関節技までをカバーするものは少なからず存在するし、現代の軍人や警察官がそうした技術を習うのかと言うと、犯人を無傷で制圧するためなどの理由以外にミサキが述べた通りのものが含まれるのだ。
「で、どういう技を教えてくれるの?」
「そうだな~……オレ的にはぶん殴って解決……みたいなのも好きだけど『グラップル』——掴んで投げるみたいなのがシンシアには合ってるんじゃないかな。『合気道』とかさ」
「アイキドー……ねぇ」
「じゃあまず、体験してみようか。オレの手を握ってみて?」
ミサキはそういうと、握手をするように手を差し出す。シンシアは特段、警戒もせずその手を握ったのだが。
「あいたたたた!!!???? ちょっ、まっ、ストップ、すとっ……あだだだだ」
その瞬間、手首の骨が軋むような激痛が走り、あまりの痛さにシンシアは立っていられなくなった。そして必死のストップの声にミサキはにかっとわらって手を離す。余談ではあるが、合気道の達人として有名な塩田剛三がロバート・ケネディ来日時、そのボディガードと手合わせを行ったエピソードがある。小柄な塩田があまりにも簡単に門弟を投げる様を怪しんだケネディが申し出たものだが、塩田はこのボディガードを手を握るだけで立てなくしたし、その映像自体も残っている。ミサキはその塩田と同じ『技』を使ったのだ。
「これが合気道。女性の護身術とか……呼吸法やら合気っていう概念でなんかインチキみたいなイメージを持ってる人もいるけど、じつは合理的で理論的な格闘技なんだ。たとえばテコの原理とか、体の動きで相手のバランスを崩す。そういうことを徹底しているんだよ」
「いっつー……でもいきなりはなんかアレじゃない?????? 訴訟ものよ????」
「痛いのは大丈夫なので! って言ってたじゃん! とりあえずこんな感じで組み技と当て身——打撃のことね。それをおしえるよ。あとは咄嗟に出せるようになるまで日々の反復練習。こればっかりはどうしようもないからね」
「はーい」
こうして、ミサキは心構えと、実戦でも有効であろう掴み技、打撃技をシンシアに叩き込む。淑女もレイピアや杖を扱っていたことから基本的な身の動きはできているため、飲み込みがかなり早いのは幸いだった。そしてお昼も過ぎた頃。
「……よし、じゃあ教えた通りに。まずは正確さを重視してゆっくりでもいいから……うわっ!!!」
「一本! ってこれはジュードーだっけ?」
びたーん、と地面に投げ倒されるミサキ。シンシアはじつはこっち方面でも結構やっていけるんじゃないのか……? などと青空を見ながらそう思うのであった。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴 成功