朝焼けの瑠璃
●前触れ 骨董品店『八薙』にて
「いやぁお客さん、それに目ぇつけはるの敵わんわぁ」
西なまりの感嘆に私は振り返った。そこに立つのは瞳を糸のように引き絞り柔和に笑む店主だ。
「持ち主は双子の姫さんの片割れや」
私が手にした瑠璃から茜に映る杯の謂れを男は嬉しそうに語りだす。
「よぉ入れ替わっとったんやて。それでな、間違ごおて嫁入り」
落ちぶれる筈だった姉は勝者の王妃に、富を貪る筈だった妹は追放され死んだ。
「夫とちごて、国滅ぼした男からもろたもんを最期まで持ってんの、女は恐いわ」
私は口端を持ちあげると一言。
「言い値で買おう」
「ええのん? こんな胡散臭い店でそんなんいわはって」
「金の臭いがわかると言われ機嫌が良い。ガッカリするようなシケた値付けはするなよ」
歯を見せ笑う。
私は金貸しとして数多の修羅場を渡った。だから怒りより笑みが人を追い込むと知っている。
「さよか」
だがどうだ、店主は柳に風と受け流したではないか!
「お客さんがお値段をつけなはれ」
「足元をみおる」
将棋盤をひっくり返された。安く言えば節穴認めることになる。
「商売やし」
店主は瑠璃杯を丁寧に磨き始める。するとますます朝焼けめいた輝きを増すのだ。
「これでどうだ」
学の無い若者が1年でやっと稼げる額の小切手を切り渡すも、その目は終ぞ開かずに「おおきに」とあっさり流された。
すっかり彼が気に入った私だ。今日は珠のように愛しい末の娘を連れてきた。
「ああ、このお嬢さんがあの」
既に出自から思いの丈まで知っている店主は、下卑た詮索はせずに会釈につなげる。
「春、挨拶を」
「いつも父の暇つぶしにお付き合いいただきありがとうございます。|金川・春《かねかわ・はる》です」
白いセーラー服の娘は齢15、|彼女《・・》と同じ年で瓜二つになってきた。
「あの瑠璃杯は此処で買ったのだ。さぁ今日も欲しいものがあれば言いなさい」
春は返事をせずに店先にしゃがむ。
この年頃の娘の心は難しい。出戻った長女は妻に任せきりにできたが、春の母は出産で死んでいる。春の母は若く美しい遊女であった。
「難儀なものよ。一度だけ欲に負けてあの子の母を買ってしまったからな」
――私と血がつながっていないのならば、あの娘を伴侶とできるのに。
嗚呼、もう身体も大人だ、男を知っても悪くはない――。
剥き出しの欲に対し、店主は嫌悪も迎合もしない、ただいつものように柳と流すだけ。
「おや、電話や」
引っ込んだ店主はすぐ私を手招いた。大方莫迦息子か娘だろう。うんざりと受話器を取る。
●同日、店主側の視点
骨董品店の店主、|八薙・ヴァシュヴァーリ・イムレ・貴充《やなぎ・Vasvari・Imre・たかみつ》(情報屋・h03099)は興味をそそられている。
花も恥じらう年頃の娘が、祖父ほどに老いた父より劣情を向けられる日々。そこにどのような感情の綾を抱くのか、と。
白磁の肌に作り物めいた目鼻をのせた娘は、貴充を振り返りもせずに呟く。
「朝焼け空だとはしゃいでくれた杯だけど、割ってしまったわ。ごめんなさい」
これほどに悪いと欠片も思わぬ謝罪があるだろうか?
「いいえ~。|買った《こうた》人のもんやさかい、気にせんといて」
意趣返しのようにわざと情感豊かに応じた。だが娘は意に介さず、立ち上がり暮れ始めた空に向け両手を掲げる
「私には、月も星も太陽もないの」
素っ気なく嘯いた娘との再会は、割とすぐに訪れた――電話で怒鳴る金貸し老人『金川・空太郎』がナイフに刺された犯人扱いという形で。
●不本意探偵巻き込まれる
正確に言うと、|九環・ヴァシュヴァーリ・ウルリク・脩充《くわ・Vasvari・Ulrik・もろのぶ》(放浪探偵・h04187)の弟貴充と金川春の再会は、刺される前の空太郎に招待されて発生したものだ。
熱海。温泉地にご立派な新築別荘をしつらえた空太郎に「大事な話がある」と呼ばれ、貴充は来てしまったわけだ。
(「なんで来るねん、お陰で後に引けんようになってもうたやん……」)
折角地方に姿をくらまして落ち着いていたのにと兄は恨めしげ。
脩充は帝都にて、一部界隈では知る人ぞ知るの傑出の人。
何しろインビジブルより聞きたくもない『真実』が吹き込まれる、持ち物に触れれば怨み辛みの負の感情と共にやはり『真実』が見える。
裏で相応の金をもらい|協力者《・・・》として不自由ない生活をできてはいたが、まぁこれが精神を削ること削ること。
帝都は人も多けりゃ事件も多い。インビジブルもわらわらいる。疲れ果てた脩充は、全てを放り出して熱海にて隠遁生活に入ることに決めた。
(「せやのに……高々1週間でこれってどういうことやねん」)
今、脩充の目の前では、金川の娘息子より、喧々諤々と罵られる自分と同じ顔した男がいる。
「なんでや!! 僕は、空太郎さんに呼ばれて来ただけや?! 着いた時には刺されとったやん!」
「あたくしたち家族が殺したと仰るんですの?!」
眉を吊り上げたら白粉が剥がれる厚化粧は長女の|夏月《なつき》(34)
「名誉毀損だッ! 弁護士先生に訴えてもらうぞ」
神経質そうに眼鏡を押し上げるのは長男の|冬太《とうた》(38)
「商売人なんざみんな卑しいもんさ。お前が殺したんだろ?」
スーツを着崩し煙草臭い|不良青年《モボ》は次男の|秋星《しゅうせい》(23)
「冬太様、犯人扱いはお互い様よ。秋星様のそれは思い込みよね。そもそもお父様はお金を貸し付ける商売人だわ」
さっきから会話がループしている所に、場を変容させたのは幼い囀りだ。
「けれど夏月様の意見には賛成できるわ。八薙さん、あなたが到着してすぐにお父様の死体は発見されました。けれど、殺して何食わぬ顔で玄関からいらした可能性はあるでしょう?」
高々15歳のこの娘を前にして脩充は心で口笛を吹く。
(「探偵役の前で、ものの1分で『自分だけは容疑者ちゃう』って空気にしたわ」)
ただ春は知らない。
(「鍵の掛かった密室での殺人? そんなん関係ないわ」)
脩充が物品の声を聞くサイコメトリーにて真実を曝け出す逸脱者であることを。
●尋問の必要もない
「助かりますよ、先生がいるなら犯人は骨董品屋と証明できますね!」
いやぁ、良かったとビール腹を叩く弁護士は過去に協力してやった奴だ。だが二度はない、脩充の地雷を踏みしめたから。
「お眼鏡に叶う犯人がでてくるかはわからんで。ほならギャンギャン言うてるあいつらは頼むわ」
脩充は調書部屋へ一番の容疑者である貴充を連れこんだ。
「やってへん」
「そんなん聞かんでもわかるわ」
開口一番の弟にそう返せばほぼ同じ顔がにんまり。
(「殺すんなら、だぁれにも殺人と気づかれずに始末しとる」)
そう口にせずとも兄は速攻で悟ってくれたのだ、嬉しい。
「視たらわかるやろ? はよ犯人当ててーや」
「いっつも視えるのがいやや言うてるやろ」
「……ごめん」
萎れる弟にため息をつく。
「謝らんでええわ。最終的には俺が視て解決は確かやから。ただ、納得させる道筋はつけなアカン。なぁ、貴充、知っとること話してくれや。そもそも爺とはどういう知合いなん?」
兄の問いかけに貴充は嘘偽りなく自分の知ることを教える。
「なんやことあるごとに『お前みたいなすごいんが息子やったらなぁ』言われたわ。せやけど子供らみたら金川のじーさまの気持ちもわかるわ」
冬太は事業失敗、夏月は浮気で慰謝料請求されて離縁された、秋星は賭け事狂い――全員が莫大な借金を背負っていて、父の金頼りだ。
「せやからって、遺言状に“指定の骨董品は全て八薙貴充に無償で渡すこと”なんて書くなや! ええ迷惑や!」
「とはいえ、来たっちゅうことは珍しい骨董品に欲目かいたんやろ」
「悪いか」
唇を尖らせる弟に苦笑し脩充は指を組む。
「娘息子はどいつが殺してもおかしないな。動機の指摘は簡単そうや。それで? 春は兄姉を様付け呼びやし妾の子か?」
「まぁそんなもんや」
遊郭云々の話をしたら、ははぁと兄は顎を撫でる。
「貴充を春ちゃんの入り婿にしてーって話かいな。そらあいつらの恨み買うなぁ」
一番あり得るストーリーに結論づける兄へ、弟はタチ悪く唇を歪める。
「いやいや、エロ爺の意中の女があの娘やで」
ほぉんと兄の片目が開いたのに、骨董屋店主は如何に金川老が春に……否、春の母に執着していたかを語る。
「ハルって、母親の遊郭での名乗りやて。1回だけでも身体を|買っ《こう》たさかい、父親の可能性があるて歯がみしてたわ」
「……さよか。なんや、もう犯人はわかったようなもんやなぁ」
脩充は鬱屈をため息に固めて吐き出した。
触れれば見える人の業は、吸血鬼の胸に幾重にも折り重なっている。類型の事件は腐る程に視せられて飽きるぐらいだ。
15の娘に70越えの老人が襲いかかったとしたら? いや、もしかしたらもう何度もそういう関係を強いられている可能性すらある。
「未成年は罪が軽ぅなるし、気に病むなや」
一方の弟も同じ結論に達したのだろう。人の命を奪う裏の顔を有しているからか誠にドライなものである。ただ兄が、自分の嫌疑を解く為に尽力してくれていることに心が満たされる。
●密室はみていた
空太郎の私室が現場だ。内側のドアノブにはベッタリと血がついており、被害者はドアに額をぶつけるように倒れていた。既に回収済。
「胸にナイフが刺さってたわ」
ドアには鍵が掛かっている。合い鍵なしでただひとつの鍵は机の引きだしの中にあった。
「なんや、こんな現場で貴充を犯人て無理筋もええとこや」
「……それがこの田舎町、警察もぜーんぶ金川のイヌやって。黒いもんもこの家が白ってゆうたら白になるって」
そんな理不尽な罪を被されたなら、それこそ|最後の手段《一家皆殺し》にて片を付けるしかなかった。
「命拾いしたわ」
それが弟自身の命ではないことをうっすらと察しつつも兄は触れない。かわりにドアノブに手を触れる。
「――……お前の無念はどこや? 晴らしたるで、まずは語ってみいよ」
幾度となくドアノブを握り開閉したのは空太郎だ。その持ち主へ脩充は取引を持ちかける。
ごくりと喉を鳴らす弟は、兄の双眸がカッと見開かれるのに吃驚し、釣られて同じ顔になる。
「……さよか。それがあんたのオーダーか」
脩充は血の手形が残るドアを見据えると瞼をおろす。腹が決まった時の表情を見て取り、貴充はとんと肩を叩く。
「犯人わかったんやろ? みんな集めたらええか」
「……せやな、お願いするわ」
●探偵さてと手を打って
大広間に集った容疑者達へ、脩充は貴充すら意外であった『真相』を口にした。
「今回の空太郎さんは『自殺』です」
西の訛りの丁寧語はやはり弟と似る。口々に文句を囀る3人の子供らを掌を前にして制したのは貴充だ。
「まぁ聞きぃよ」
内心の動揺は殺し貴充は場のアドバンテージを把握しピシャリ。黙らせた所で兄へとつないだ。
「現場は密室。鍵は机の中に入ってた」
以降、理路整然と自殺までの流れを説明する。この場の誰もがつけいる隙のない解答編に、大人子供の3人はガクリと肩を落とす。
「パパ、誰も信じられないって言ってたよね……」
「あたしの婚家はお父様の親友だった……あたくしなんてことを」
「……イチからやり直そう。父の貸金業にはまだ客がいる、兄弟で継いで勤めようじゃあないか」
口々に反省の弁を伸べるよう誘導したのは、貴充の相槌と問いかけだ。
「以上が僕の見立てや。遺書がないのんは突発的やったからちゃうかな」
「……いや、気持ちはそっちに向いとったんやろ。僕をいきなり呼んだんもそれやと思うで」
したり顔で締めくくる貴充。それを合図に3兄弟はますます涙に濡れる。
よい頃合いで貴充が骨董品の権利を放棄すると告げて、吸血鬼の双子は金川の別荘を辞した。
●蛇足か未来か
しばし歩いた所で、鈴が転がった。
「莫迦莫迦しい茶番だったわ」
否、少女の声だ。
黒一色のワンピースに男物の上着を肩掛けにした春が、瑠璃の杯を手に双子の前に立ちふさがる。
「……ねぇ、本当にわからなかったの?」
糾弾めいた問いかけに、脩充は肩を竦めると後は弟に任せたと言わんばかりに春の脇を過ぎていく。
「なぁ、春ちゃん」
任された貴充は割れたと嘘をつかれた瑠璃の杯を見つめ続ける。
「――月も星も太陽もない、ただの|春《・》にされたから、おとんを刺したんか?」
夏|月《・》
秋|星《・》
冬|太《・》
「ふっふっふっ」
朝焼けの瑠璃に頬ずりし、少女は空へと掲げあげる。
「父、|空《・》太郎には、月と星と太陽がある。けれど私は春なだけ。所詮私は遊女の娘だから」
パッと、諦めるように瑠璃杯から指が剥がれる。貴充は音もなく手を伸ばし割れぬようにと受け止めた。それを睥睨する春の瞳には非道く温度がない。
「もういらないわ。返品します、お金は返さなくていいわ」
黒いスカートの裾がくるりと翻る。お供と上着の袖も羽根のように閃いた。その上着からは、金貸しの老人が吹かした煙草の臭いがする。
「なぁ、春ちゃん。なんでおとんは密室にしたんやと思う?」
最初は、金川老のゲスな欲望がとうとう爆発して、15の娘の純血を奪おうとしたのだと予想した。それ程に遊女ハルへの執着は並々ならぬものではあった。
(「|違った《ちごた》なぁ」)
脩充がドアノブを通じて得た金川老のオーダーは|自殺として処理して欲しい《・・・・・・・・・・・・》だ。
兄より共有された言葉を聞いて、貴充は彼の父性愛がおぞましき欲望に打ち勝ったのだと知った。
最愛の娘に刺されても悲鳴もあげず、ドアに鍵をかけて密室にした。春の罪を隠蔽する、ただそれだけの為に。
「……ッ」
引き攣り足を止めた背中へ、貴充はこつんと瑠璃の杯をおしつける。
「なぁ、確かに月も星も太陽もなかったかもしれんよ。つけたなかったんは、あの人、夢を見とったからや」
愛した母と同じ名前――その夢は、決して赤子に背負わせてはならないものではあったのだ。
「せやけど、時間は心を変えるんや――この瑠璃な、綺麗な朝焼けやん」
“朝焼け空をあなたに贈る”
脩充が元の持ち主が老人だと指定して辿ったならば、こんな台詞がでてきたに違いない。
「……お父様」
ギュッと瑠璃の杯を抱く娘はそう囁いて堪えきれずに泣きだした――。
「ああそうそう。おとんやけどな、生きとるで」
病院の名を嘯けば、涙に濡れた瞳がぱちりと吃驚で固まる。
「|自分《・・》で刺したから浅かったんやろなぁ、僕の応急処置で命拾いや」
殺す技を知るならば、生かす手当もお手の物。
父が死んだと早とちりして弁護士を呼ぶ辺り、3人の兄姉は金にしか興味がないのだ。
「お礼にまた買いにこい言うといて」
骨董品店主はひらりと手を振って、影から全て視ていた兄の元へ歩を進めるのである。
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