描かれた理想は本物成り得るか
●
人の足音がそこかしこでする街中に、似つかわしくないものが出現した。それを認識出来る人間は多くなく、大多数の人間が不自然なそれに目もくれずに通り過ぎていく。無作為に選ばれた人間だけが、その場所を認知することが出来た。
それは、祠だった。
かといって、何かしら祀られている訳ではない。お供えものの食べ物もなければ祠を綺麗にするための水も近くにない。蝋燭の火が揺れているということもなく、本当に何も存在しなかった。ただひとつ、一枚のスケッチブックの切れ端を除いては。その紙には何も描かれていない。人が近付いてようやく、紙はじわりと人物を映し出すのだ。
目の前にいる、人物を。
そんな噂が立って暫くして不審死が相次いだ。なぜ死んだのか、誰かに殺されたのか、全くわからない。そもそも、死亡を確認された人物の大半は今も生きているという。
では、これは一体何なのだろう?
常人には不可能な何かが起こりつつあることだけは、ひしひしと肌に感じられた。
●
「ドッペルゲンガーって知ってる?」
今日の天気で隅っこが濡れた新品のスケッチブックをめくった天泣・吟(鈴が鳴る・h05242)がまだ新しい色鉛筆を手に取って絵を描いていく。お世辞にも上手とは言えないが、それが人の顔――特に、星詠み本人の顔だというのは配色でなんとなく伝わった。紙を一枚ぺりぺりと剥がして集まった貴方達へと見せる。
「どうにも、それが現れて、しかも成り代わっちゃってるみたいなんだ」
話によれば、各地で妙な場所が出現しているらしい。そこには彼が見せたようなスケッチブックの切れ端が置いてあり、最初に見た本人の顔がひとりでに浮かび上がるそうだ。
顔を取られた、という事だろう。
「みんなにはまず被害に遭いそうなヒトを見つけて、身代わりになってほしい」
まだ幼い見た目の星詠みは少し言いにくそうに沈黙を挟んだ。
「言葉通り……死んでほしいんだよね」
両手で似顔絵を描いた紙を持つと、ちょうどふたつに分かれるように切れ目を入れ、静かに裂いていく。完全に分たれると、絵は真っ二つになっていた。ぴょんと立っていた犬の耳が、合わせて伏せられる。
「紙に描かれたヒト……ニセモノがね、ホンモノを殺して回ってる。でも、ニセモノを殺すと、オリジナルの魂に紐づいているから一緒に死んじゃうんだ」
つまるところ、今跋扈している死んだはずの生きている人は、顔を奪い本人に成り代わった何者かで、その何者かが本人を殺して回っているらしい。運よく偽物を退治出来たとしても、偽物が死んだ時点で本人も同じ死因で死んでしまう。一般人にはどう足掻いても詰みというわけだ。
しかし、√能力者ならば勝ち目がある。
「君たちは死んでも死なない。このドッペルゲンガーを生み出している人物が異変に気付いてパニックになれば姿を見せると思う」
本件はどうにもシデレウスカードが絡んでいる。シデレウス化した所有者はオリジナルのデータ、すなわち人物が描かれたスケッチブックを所持しており、それがある限り何度でも描かれた人物を複製することが出来るそうだ。
便利すぎる機能だが、複製にはブランクが必要であり、一斉に襲い掛かられる心配はない。一人一体、己自身を戦って勝てばカードの所有者は無防備に晒されるだろう。所有者の戦闘力は皆無に等しいことは分かっている。後はそのブランクの期間が終わる前にスケッチブックを破棄させれば終了だ。
名を、アリエスミューズ・シデレウス。いたって普通の人間で、不幸にもドロッサス・タウラスの被害に遭ったと考えられる。どのような処罰を与えるかは√能力者次第だろう。
「この件を裏で操ってる人物がいて、みんなにはそれの排除も頼みたい」
誰が出てくるかは分からないが、ドロッサス・タウラス関連の怪人が裏にいる。自らの作戦が失敗したとなれば表舞台に引き摺りだせる見込みは高い。
「不確定な事が多いし、長期戦になるけど……どうか、お願い」
最後に、小さな星詠みは貴方達へと頭を下げた。
マスターより

お久し振りの方はお久し振りです。初めましての方は初めまして。
この度シナリオを執筆する驟雨(シュウウ)と申します。
特殊ルールを設けたシナリオとなります。下記をしっかりとご確認ください。
申し訳ないのですが、今回は先着6名+余裕があればくらいの採用予定です。
全ての章で導入を追加予定です。導入追加後からカウントします。
●第一章『試練の祠「誇りを示せ」』
祠に吸い込まれていく一般人をなんとか説得・制圧して思い止まらせましょう。
ここでは√能力は不使用でも構いません。意気込みなんか書くといいことがあるかもしれません。
●第二章『シデレウスカードの所有者を追え』
あなた達の前に直接……かは分かりませんが、シデレウス「アリエスミューズ」が現れあなた達の複製を仕向けてきます。
簡単に言えば己との戦闘となります。皆様の選択した√能力が生死を分ける戦いとなりますので、慎重にご検討ください。
この戦闘は純粋にダイスバトルで行います。裁定に関しては特殊ルールをご参照ください。この結果をもとにリプレイを作成します。
ちなみに死にますが死にません。ちゃんと時間をかけてどこかに復活して戻ってこれます。
参加者全ての複製が死んだ時点でどんな形であれ制圧完了という扱いとなります。
●特殊ルール
第一章で提出した√能力を第二章で敵の能力として使用します。√能力が指定されていない場合は第二章をトレースします。
お互い持ち点(HP)を5点とし、√能力者先行で√能力を用い1d100で成功判定を行います。
クリティカルで2点、成功で1点、失敗で0点の減少処理を行い、敵のターンに移ります。処理は同様です。
回避に相応しい技能をお持ちの場合、またはプレイング次第で回避判定を行います。初期値SPD/2+相応しい技能値です。
技能やプレイングの有用性はMSが審議しますが、基本的にはプレイヤー有利の判定をしますのでご安心ください。全力でゴネてください。敵は回避しません。
●第三章『巨像将軍ハンニバル』
全ての元凶です。ぶっ飛ばしてください。
以上、ややこしいルールがありますが、お目に留まりましたらどうぞよろしくお願いいたします。
49
第1章 冒険 『試練の祠「誇りを示せ」』

POW
祠に名乗り上げる!
SPD
祠の前で技を披露する!
WIZ
祠の前で新技を編み出す!
√マスクド・ヒーロー 普通7 🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵
●
さて、この大勢が暮らす都市部でどうやって探せばいいか。
頭を悩ませる課題ではあるが、存外簡単に区別はつく。人の流れを確認していれば、不意に立ち止まる人間がぽつりぽつりと存在するのだ。彼等は皆往々にして不思議そうな、怪訝そうな顔をしている。
不審物にすぐに飛びつく人間はいないだろう。選ばれてしまった彼等もまた、すぐに祠に手は伸ばさない。しかし、どうにもそこから離れてはいけないような強迫観念に襲われて立ち去ることは出来なくなっている。
怪人の干渉を遮ることが出来るのは√能力者だけだ。現実の世界へと送り戻す手段はなんだっていい。同じ様に魅了してみても、暴力で物を言わせても、言葉を尽くして理解を望んでも構わない。結果として命を失うよりも大事になることはないのだから。
この現象は都心部に集中している。大方、アリエスミューズ・シデレウスの行動範囲がこのあたりなのだろう。各々の手段で見つけ出し、自らを生贄に差し出してほしい。
この先にどんな苦痛が待っていようと、君たちは確かに誰かの命を救えるのだから。

歩く人の背を追って来ました。
少なくとも、他人を止めることは厭いませんので。
祠とは、神様のお家。ご先祖さまを祀る領域ですが!お参りにきた顔じゃございませんねぃ。どうしてこちらに来たんでしょ。
こちらは己を写す場所ですよ。
写し身に会いたいのですか。
すべての現象は心に依って起こると説かれます。
写し身は、外に現れたそっくりさんではない。
内にある執着、恐れを象ったもの。
こちらの祠、いらっしゃるのは神様でございません。
入ったら自分の影と一緒に踊る羽目になります。
自分を襲ってくるのは、他者ではなく、自分自身に対しての執着と評価。どちらかの命が尽きるまで、自分を見つめる覚悟がおありか。
ダメだったら力業しま~す!
●寄せる漣
多くの人が歩いている。どこへ向かうかは分からないが、早足で通り過ぎていく人もいれば、ゆったりとした歩行で道を横断していく人もいる。道の脇に避難して携帯電話を弄っている人もいれば、急に、不自然に立ち止まる人もいる。
ある男の歩きは普通だったが、その後の行動が直前のものに繋がらなかった。顔が横を向き訝し気な表情をする。前方へと足を運んでいたにも関わらず、人の波を遮って真横へと恐る恐る足を踏み出す。
多くを見ていた野分・時雨(初嵐・h00536)の目にも彼は容易く留まった。同じ様に迷惑な顔をされながら人の波を掻き分けて、シデレウスの誘いに捕まった人へと手を伸ばす。少し高いところにある肩を掴むと、彼は驚いて短い悲鳴を上げたのち、時雨の顔を見てなんだか拍子抜けな溜息を吐いた。
彼は何を期待していたのか。それはさておき、彼に触れた瞬間時雨は違和感に気付いていた。あれだけの喧騒に包まれていた街が今、とても静かになっている。どこかの神域にでも迷い込んだのであれば良かったのだが、今回迷い込んだのは魔の領域、怪人の領域だ。
ふと視線を滑らせれば祠が目に入る。本当に簡素なもので、単純に見た目的にも物語的にもそれっぽいから祠を選んだのかと疑ってしまうほどだ。
「祠とは、神様のお家。ご先祖さまを祀る領域ですが!」
「ひい」
「お参りにきた顔じゃございませんねぃ。どうしてこちらに来たんでしょ」
時雨が下からじろじろと男の顔を見ていれば、彼は時雨の勢いに後退った。なんだろうこいつとデカデカと顔に書いている。だが、じっくりと時間をかけて言葉をかみ砕いていくと、その顔は徐々に困惑へと変わっていった。
「どうして……ですかね?」
「あちゃー」
今日の選択が将来的に死に繋がるなど、誰が想像できただろう。
「こちらは己を写す場所ですよ。写し身に会いたいのですか」
「あ、もしかして、今噂の……」
じゃああれがと男は祠の方を見る。好奇心が顔を出したのか一歩前に出ようとするが、その道の先を時雨がひょいと塞いで男の進路の邪魔に入った。
あらゆる全ての現象は、心に依って起こると説かれている。写し身は外に現れただけの無害なそっくりさんでは決してない。内に秘めた執着や恐れを象ったもの。
少し顔を伏せれば時雨のおもてに影が落ちる。男の側からでは表情がよく見えない。
「こちらの祠、いらっしゃるのは神様ではございません」
覗き込もうとした男の手首を掴み強めに握る。男はまた悲鳴を上げた。
「入ったら自分の影と一緒に踊る羽目になります」
「は、はなし……」
「執着と評価を象ったモノ。どちらかの命尽きるまで、自分を見つめる覚悟がおあ――おや」
おどろおどろしい口調で話して手を離せば、言葉が終わる前に男は一目散に逆方向へと走り出していった。
「うまくいくもんですねぃ」
そんな背を眺め振り返る。祠の前に立てば、じわりと己が浮かび上がった。
果たして、どちらの命が先に尽きるのか。見下ろす時雨の口の端が釣り上がった。
🔵🔵🔵 大成功

◎
ドッペルゲンガー…割とよく聞く
都市伝説の一種みたいなもんっすよねぇ
ほぅほぅそんなのが現れるなんて
この√さんも変わってるぅ
今日もガランちゃんは人助け、
お仕事頑張るとしましょうか
一般の方々に此れ以上の
被害を増やさないように〜
君子危うきに近寄らせず、
祠ってヤツが怪しいんでしょうかね?
見えない筈のモノが見えちゃってそうなひと〜
好奇心旺盛そうなひと〜?
やぁやぁコンニチハ
選ばれてしまった奇特な御方…!
好奇心はネコをも殺すと御存じで?
どれほど気になる非日常も
貴方が日常に無事帰れないと無意味っすからネ
脅しの言葉で足りなそうならば〜
軽く気絶でもさせて
安全な所に運んでおきましょうか
●猫には小判
バタバタとのぼり旗が煩く鳴っている。今日は少し風が強いようで、道往く人々も時たま通っていく強風に目を細めていた。
「ドッペルゲンガー……割とよく聞く都市伝説の一種みたいなもんっすよねぇ」
ガードレールに腰掛けたガラティン・ブルーセ(贖罪の・h06708)は道往く人を眺めながら近くのコンビニで買ったパック飲料を口にした。今日のガランちゃんは人助けデイだ。どうにも結構な人数被害が出ているようで、とうとう星詠みにも引っ掛かったというところだろう。一般の方々の被害をこれ以上増やさないように、シデレウスの罠に引っ掛かった人がいないかを注意深く見守る。
人々の流れは思っている以上に分かりやすい。その一部となった時にはあまり実感は沸かないかもしれないが、俯瞰して見るとかなりしっかりした人の流れというものが出来ている。ゆえに、それに逆らう人が出ればすぐにでも目に付くのだ。
それにしても、この√も随分と変わっている。怪人の力の幅は広く、日曜朝九時にでもやっていそうなどう見ても怪人のような見た目の敵もいれば、こうして一般人が怪人の罠にはまって昇華し、ねちっこい作戦で戦いを仕掛けてくることもある。今回はその上、祠などという都心部に似つかわしくないものまで出てくる始末だ。
「さ~て、お仕事頑張るとしましょうか」
ぴょんと軽快に跳んだガラティンは人の流れに沿いつつ視線を巡らせる。見えない筈のモノが見えちゃっていそうな人。あるいは、好奇心旺盛な人。後者で言えば子供なんかも当てはまる。
「ビンゴ!」
学ランに身を包んだ少年が急に人の群れから飛び出した。ガラティンも負けじと抜け出し、少年の前へと躍り出る。
「やぁやぁコンニチハ。選ばれてしまった奇特な御方……!」
「うわ! お前誰だよ」
少し大袈裟に身振り手振りをするが、あまり少年には響いていないようだ。ちらちらと先ほどからガラティンの背後にある祠を気にして、横をすり抜けようとしている。あえて手を大きく開いて妨害しているとイライラしたようで舌打ちが聞こえた。
「好奇心はネコをも殺すと御存じで?」
「……だからなんだよ」
「どれほど気になる非日常も、貴方が日常に無事帰れないと無意味っすからネ」
言葉尻を強めて言うと、流石に少年はしり込みしたようだった。きっとガラティンを睨みつけるが、子猫が威嚇してるのにも似ていた。しばらく睨めっこが続くが、引きそうにない。
「う~ん、なんでそこまでこだわるかなあ」
「……だって、嘘つきだって」
「ええ?」
いま世間で起こっている噂はそこまで範囲は広くない。ドッペルゲンガーなんてありきたりな有名どころが現れたと言っても、信じてもらえずに馬鹿にされることもあったのだろう。しばらく考えてみたガラティンはぽんと手のひらを叩く。
「んじゃガランちゃんがやってみっからさ。結果報告待っててよ。そんなら危なくないしょ?」
「……」
唇を尖らせたまま思案顔で固まった少年は、しぶしぶそれで納得したようだった。
祠の前にガラティンが立てばじわりとインクが滲んで似顔絵が浮かぶ。知ってはいたが、噂はちゃんと本物らしい。
🔵🔵🔵 大成功

◎
「どこおんのかねぇ…。」
て事で、強欲さん。よろしくね。
強欲な魔手の、欲するモノを手元に引き寄せる能力をレーダー代わりにして祠に吸い込まれそうな人を探してみる。
強欲が反応する方に行けば不自然な感じの人を見つけれる、はず。
上手いこと見つけられたら、怠惰と暴食で精神汚染。
強制的に腹が減ってやる気が出ねー状態になってもらって動きを止める事にしよう。
その隙に祠へれっつらごーって事で。
「それにしてもオレのニセモノか。え、めっちゃ面白そうじゃん。」
自分自身との殺り合いなんて滅多になさそうだしねぇ。
楽しみー。
●猫の魂十を超え
「どこおんのかねぇ……」
ほてほてと街中を歩く黒猫は、時たまある光景かもしれない。野良猫かなーと声をかけたり、撫でようとしゃがんでみたり。しかし、七々手・七々口(堕落魔猫と七本の魔手・h00560)は正真正銘猫ではあるものの、漂わせる雰囲気が明らかにただの猫ではない。そのおかげか、七々口の足を止めるものは特にいなかった。
距離にして大体50M程か。たったそれだけの道のりを歩いた後、七々口はうんと頷く。猫の目線で探し物をするには人間の足の森は深すぎる。この問題を解決するための手段があるのだから使わない手はない。七々口の思惑を察してか、すーっと強欲の魔手が人混みの上へと昇って行った。
強欲の魔手は七本の魔手のうちの一体だ。様々な権能を持つ手はそれなりに便利で役に立つ。強欲の権能には欲したものを手元に引き寄せる力があった。今回欲するものはといえば、祠、もっと言えばその祠に吸い込まれて行きそうな人である。魔手の能力を応用すれば、引き寄せる対象が何処にいるか探し出すレーダーの役割にも出来た。
まるで子供が持つ風船のように七々口の真上を浮かぶ強欲の魔手ではあったが、そこから暫く進んだところで手の挙動が変化した。気付いた七々口は顔をあげ、魔手の示す方向へと足を向ける。人の流れをすり抜けるのは得意分野だ。踏まれる尻尾もないし。
「おー、あれが例の祠? なんかヘンだねぇ」
魔手がくるくると回る下には鞄の紐を両手でしっかりと握って祠の方を見る女性がいた。今日はどこかに出掛ける予定だったのか、そこそこ高いヒールを履いてオシャレな洋服に身を包み、ばっちり化粧も施している。そんなウキウキのお出かけ日和にこんな怪人の罠に引っ掛かるとはついていない。
歩き出した女性に追いつくまでに、強欲とバトンタッチする形で怠惰と暴食の手を向かわせる。この二つが揃えばやることと言えば一つだ。精神汚染である。
「あ……」
「お先ー」
鞄紐を握っていた手は速やかにお腹へと移動し強制的に訪れた空腹感で立ち止まる。本人はよく状況を理解していないようではあるが、今回は別に諭す必要もない。さっさと例の祠に接触して写し取って貰えればそれで終了だ。
するりと七々口が女性の脇をすり抜ける。ちょっとした階段を上ると、背の高い祠が目の前にあった。
「それにしてもオレのニセモノか。え、めっちゃ面白そうじゃん」
一度姿勢を低くして態勢を整え、ぴょんと軽くジャンプした。祠の上に着地すると、目の前に白紙のスケッチブックの切れ端が置いてある。前足を縁に置いて身を乗り出せば、少し迷った筆の跡が、途中から吹っ切れたような全身を描く。そこには七々口と、ご丁寧にも魔手の姿まで映された。
これから訪れるのは自分自身との殺り合いだ。そんな経験は滅多にないだろう。
「楽しみー」
立つ尻尾はもうないが、代わりにゆらゆらと体を揺らしてニセモノの襲来を心待ちにしていた。そう遠くない未来、瓜二つの黒猫が訪れるのだろう。
🔵🔵🔵 大成功

私はかわいい星詠みさんと「不確定な事態」が大好きなんです。この依頼…やらないわけには、いかない、ですよねえ…
DEX
【彼方の呼び声】を使用し、<恐怖を与える>で追い払う
「一般人をこの怪異に近寄らせない」ことが目的なら、これが一番、簡単でしょう。穏便とは、いえないかも、しれませんが…スマートより迅速、です
ドッペルゲンガーさん…今の、視てましたか?どうぞ真似してみてください。私、宝物から聞こえる声に向き合ってばかりで『自分』に向き合うことがなかったので…すこし、楽しみ、なんです。私の姿形と聴かせた音を真似するだけではないですよね…私の狂気、どこまで写しとれますか?全て、だと…もっと楽しみですね…
●遠望の瞳
語りながら動く耳を思い出していた。星詠みの少年の口から出た言葉は、殆ど聞く事のない言葉だ。まさか、死んでくださいだなんて言われるとは。話を聞けば聞くほど、星越・イサ(狂者の確信・h06387)の興味は高まっていった。星詠みの語る物語に登場する敵はおおよそ予測がつくものが多く、どんな相手をするのかもはっきり分かっていることもままあるが、今回の相手は自分自身。どう動くか、自分ではない自分の挙動が全く同じなのか違うのか、不確定な要素が織り込まれているのはなんとも面白いことだ。
「この依頼……やらないわけには、いかない、ですよねえ……」
にんまりと唇が孤を描いてしまうのは仕方ないというもの。イサの高鳴る気持ちは現場に近付くにつれ膨らんでいった。
さて、人の混みあう街で件の祠を見つけるというのはなかなか重労働と言えるだろう。祠を認識できる人間は多くなく、√能力者であろうと見つける事は難しい。ゆえに、シデレウスの罠にかかった一般人を見つけ出して祠の在り処を判明させ、その一般人にとって代わろうというのだ。
方法は、実に簡単だ。見つけ出したらしい人間を見つけたらそこで用済みである。
「あら……丁度いいところに……」
急に立ち止まった男は、人にぶつかることも厭わず一心不乱とも言える様子で真横に折れた。ビルとビルの間に入ろうとしたところまで見守って、イサは静かに目を細める。
「ああ、うるさい」
そこには、何の音もなかった。それでもイサがぽつりと言葉を零した途端、男は狼狽えた様子を見せ、短い悲鳴と共に踵を返す。彼を訝し気に見遣る一般人たちはそのうちに人混みに流れ、何もなかったかのような街に後戻りした。
観察とは、対象を見る事である。
「どうです……? 今の、視てましたか?」
立ち止まったまま視線をずらすと祠の様子がよく見える。俯瞰視点から見下ろす祠は随分と簡素だ。カメラの画面で拡大するように祠へと注視すると、歪な影がスケッチブックの切れ端に写し取られていく。シデレウスカードが生み出した特異な力は多少イレギュラーがあっても接触したという事実さえあれば成し遂げられるのかもしれない。
深淵を覗くとき、深淵もまた。
「どうぞ、真似してみてください。私……すこし、楽しみ、なんです」
耳を澄ませる相手はいつも宝物から聞こえる声だった。自分自身と向き合う事を忘れ、ただひたすらそれと向き合っていた。このような形で自分自身と向き合える機会があるなんて思いもしなかったのだ。
姿形、聴かせた音。あの白紙の切れ端に増えた影は一体どこまで写しとれたのだろうか。遥か彼方にいる相手を、観察というツールを通して写し取り、描く。
「私の狂気、どこまで写しとれますか……?」
胸に秘めるは期待のみ。いつか、影が私を殺しに来ることを願って。
🔵🔵🔵 大成功

◎
偽物を殺すと本物も死ぬとは末恐ろしい話。
正義感は特別強くはないですが、一般の方々が殺されるのを助けないのも寝覚めが悪くなりそうで。
……私の複製体がどう戦うのか、興味がないといえば嘘になります。
あそこの人……ちょ、ちょっと待ってそこのあなた!
一般人に【言いくるめ】で説得を試みます。
冷静に考えてみてください、こんなところにある祠めちゃくちゃ怪しいでしょう!珍奇なものを見て気になってしまう気持ちそれ自体はわかるけれども、ほら……最近物騒な話も多いでしょう?好奇心はナントカをも殺すって言いますし。こういうのはスルーが一番いいんですって!ね?
……どうしても止まらなければ無理やり引っ張ってでも止める!
●いつかどこかで
偽物を殺すと本物も死ぬ。本物が死んでも偽物は死なない。こんな理不尽な話があるだろうか。
世も末だ。真実を殺すのが嘘と言われれば、まあ確かにと思わなくもないのだが、それを生命で行われてしまうとちょっと……というラインである。こんな末恐ろしい話があっていいのだろうか。
シンシア・ウォーカー(放浪淑女・h01919)は街をぶらつきながら、件の祠に呼び寄せられている人を探している。特段正義感が強いというわけでは無いのだが、一般人が続々と殺されているのを助ける術を持っているのに助けないというのも目覚めが悪い。しかも、一般人同士で助けられることはなく、√能力者だけが助けられるというのだからタチが悪い。夜に柔らかな布団の上で目を瞑ってみても、その一晩に被害が増えていたらと思うとなんだか質のいい睡眠はとれそうになかった。聞いてしまったのだから、手を貸したい。
「……私の複製体、かあ」
星詠みが言うには結構精巧な複製体らしい。ちゃんと本人の能力も反映され、もう一人能力者が増えたと言っても過言ではないと言っていた。そんな複製体がどう戦うのか、シンシアは少し興味がある。無関心とは言えない、心のざわめきを感じている。
色々と考え事をしながら自分の複製体のシミュレートをしていると視界の端でふと流れを止めた人間が見えた。歩みを止めないままでもシンシアはそちらへと視線を向け、足を止めた彼女が例の件に関わる人なのかを見極める。じわじわと距離を詰めていれば、女性はふっと人の波から外れていった。
「あ……ちょ、ちょっと待ってそこのあなた!」
一人逸れた女性を追ってシンシアも飛び出していくと、彼女は不思議そうな顔をした。
「あなたも……見えているんですか?」
「は、はい。あの、冷静に考えてみてください。こんなところにある祠めちゃくちゃ怪しいでしょう!」
シンシアが力説していると、ちらちらと祠へと視線を向けつつも話は聞いてくれているらしい。
「なんだか、すごく気になってしまって」
「ええ、ええ、その気持ち自体はわかります。でも、ほら……最近物騒な話も多いでしょう?」
「そういえば、変な噂がありましたね」
「そうです! 好奇心はナントカをも殺すって言いますし」
ばーっとまくしたてるシンシアの話が響いているのか定かではないが、彼女は困ったような顔をして祠とシンシアを見比べた。
「こういうのはスルーが一番いいんですって! ね?」
「でも気になって……」
「も~!」
最終手段は物理である。ぐいぐいと彼女の腕を掴んで引っ張れば、思ってるより抵抗はなく移動してくれる。もう少し遠く、もう少し離れて、とシンシアが云々唸っていると、ある距離が離れたあたりで女性ははっと顔をあげた。
「会議に遅刻する!」
「え?」
振り払って走り出していった女性を、シンシアは茫然と眺めていた。祠の方を見やれば何もない。
「……」
一歩前に出る。祠が出てくる。一歩後ろに下がる。祠が消える。
どうやらここが境界線のようだった。そこから出た女性は怪人の影響から逃れて帰る事が出来たのだろう。
「……。一件落着ですね!」
とりあえず、そういうことにした。
祠のもとへと辿り着くと、スケッチブックの切れ端が置いてある。じんわりとシンシアの顔が浮かび上がって、ページごと消滅した。もう少し経てば、どこかで自分自身の偽物が生まれているのだと思うと、なんだかそわそわしてしまう。
🔵🔵🔴 成功

◎
連携可
僕に、何が出来るか……でも、何か出来ることが、ありそう、だから。
その、そこの人……待ってください。……えっと。
上手く言葉に出来ない。祠に手を伸ばすのを、どうやって止めよう?
……ぼ、僕、物語を考えていて。少し、時間をいただけますか?
|_ἐλπίς《エルピス》を発動しながら、語ります。
剣や魔法、多種多様な種族が存在し、様々な魔法使い達もいること、それと、この世界の主人公を。
主人公は、出来損ないとして周りから虐げられるけれど、仲間に恵まれ、最後は英雄として語られるようになる物語。
すみません、勢いのあまり話し過ぎて……
……僕には、死の恐怖とかは無い。だから、役に立てるはず。
●希望の輝
「僕に、何が出来るか……」
目の前を通り過ぎていく人々を眺めながら、水藍・徨(夢現の境界・h01327)は依頼の内容を反芻していた。星詠みの言葉は強烈に残り、ある人は首を横に振り、ある人はその場から立ち去った。いくら死なない体だと知っていたとして、死への恐怖がなくなるかといえばそうでもない。
しかし、徨はそんな感情とは無縁だった。だからこそ、何か出来ることがあるかもしれないと足を運んだのだ。
留まっているばかりでは見つからない。指先でフードを深く被り直した徨は人の波の中に紛れて進む。そうして幾許か歩いていると、ずっと壁に向かって立ちすくんだまま携帯と壁を交互に見ている人が視界に入った。明らかに異常である。そういう人でなければ。
懸念は現実へと変わる。明らかに何もないような壁へと向かって足を踏み出したのだから。
「その、そこの人……待ってください」
具体的な名前を呼べない状況では誰に声をかけているかもわからない。そうこうしている間にも壁へと歩みだした青年は見えない隙間へと入って行こうとしている。彼へと近付けば、あるラインを越えた時点で急にぽっかりと壁に穴が開いた。彼が見ていた世界がようやく見えるようになる。
うまく言葉に出来ない。祠に触れてしまえば、次にテレビのニュースで名前をあげられるのは彼の名前になるだろう。呼べない彼の名をそこで知るのはあまりにも惨い。どうやって止めようか。手に抱えた自由帳を強く抱きしめ、口を開く。
瞬間、そこには草原が広がっていた。
「え、わ、何……!?」
青年は驚きの声をあげ思わず周囲を見渡した。そこで徨の存在に気付き、瞬きをする。
「えっと……」
「……えっと」
ほぼ同時に同じ言葉を発して少し気まずい沈黙が流れた。意を決して先に口を開いたのは徨だ。
「……ぼ、僕、物語を考えていて。少し、時間をいただけますか?」
彼の足を止めない事には被害を未然に防げない。多少強引ではあったが、先んじて地形を変化させることで意識をこちらに引き込んだ。青年は困惑した様子こそ見せたものの、実際に目の前に広がっている草原を見れば頷く他ない。
徨は多くの話をした。剣や魔法、多種多様な種族が存在し、様々な魔法使い達もいること。それと、物語には欠かせない存在である主人公のこと。主人公は出来損ないとして周りから虐げられると語った時の青年の顔ときたら、夢中になって絵本をせがむ子供と同じ表情をしていた。英雄譚はいつだって誰かの心を虜にしてやまない。すっかり祠の事なんて忘れて物語の先を促していた。
「すみません、勢いのあまり話し過ぎて……」
「いやいや、面白かったよ! 書籍は出さないのかい? 楽しみにしてるからね」
うんうんと玄人面で頷いた青年は活気よく手を振ってその場を後にした。元々何かを見つけて足を止めたことすら気にしていないようだ。そもそも、あの祠すらの物語の一部としてカウントされ、消え去ったものだと認識したのかもしれない。
「……僕には、死の恐怖とかは無い。だから、役に立てるはず」
未だ足を止めたままの徨は顔をあげ、壁の向こう側に鎮座する祠を見る。その先に待つ死を手に入れるため、一歩足を踏み出した。
🔵🔵🔵 大成功
第2章 冒険 『シデレウスカードの所有者を追え』

POW
戦いを挑み、シデレウス化した人物を無力化させる
SPD
他の民間人が事件に巻き込まれないよう立ち回る
WIZ
シデレウス化した人物の説得を試みる
√マスクド・ヒーロー 普通7 🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵
●
それは何気なく日々を消費していた中で突然起きた。
ほんの少し路地に入った道の上。人目のつかない住宅街の行き止まり。誰も来ないビルの屋上。
どこを戦場と選ぶかはあなた次第だが、それはあなたが一人である時間にふっと現れる。同じ顔をした人間が同時空に存在する事は本来あってはならないのだから当然だ。完全には証拠を消しきれておらず噂として流れているが、殺人などという派手な事態を目撃されないように時と場所を選んでいるらしい。
あなたの前に、あなたがいた。
それはあなたの癖をそのままトレースして、同じ足運びをして、あなたの顔で笑ったのだ。あなたに成り変わるために。
これを殺す事があなたの責務である。
これを殺す事であなたも死ぬ事になる。
それでも、シデレウス化した人物の思い通りにさせてはならないのだ。自身のドッペルゲンガーを滅ぼすことは、しいては彼の力を削ぎ落とす事に繋がるのだから。

◎
目の前には同じ刀を握った俺の姿
見覚えのある構え
刑事の父に憧れて武術をやりたいと頼み習わせて貰った剣道の基本だ
剣道の経験があったから経験の少ない俺でも実戦に立つことが出来た
…でも教本通りの太刀筋は実戦経験の少なさの証
嫌になる
こんなに未熟なんだって突き付けられているみたいでさ
こんな単純な太刀筋は幾らでも見切って受け流せる
こんなんじゃ、いつまで経っても理想には至れない
早く父さんのような理想の刑事にならなきゃいけないのに
立ち止まっていられないのに
…だったら、足りない経験や実力は
努力と捨て身の覚悟で補ってしまえばいい
読みやすい太刀筋だろうが関係ない
炎を滾らせたこの剣が届けばそれでいいんだ
ボロ死描写歓迎
●志の証明
人の来ない場所を調べていて、偶然それが近くにあるのを見つけた。まるで見付けられるのを待ち受けているかのように感じられ、史記守・陽(夜を明かせライジング サン・h04400)は一人静かな道場で待っていた。既に人が訪れなくなって久しい道場は久方振りの来客を細い日向で出迎える。きらきらと細かい埃が舞っていた。
かつてはこの場所にも自分と似たような子供がいたのだろう。武術に憧れ、必死に汗水垂らして竹刀を振った日々。こうして道場を見ていると、色々と過るものがある。
ふと、日差しを遮る影が出た。
「……来ましたね」
壁に預けていた体を戻し、陽は背筋を伸ばす。目の前には同じ刀を握った自分の姿があった。それは陽を見るや刀を構える。何度も何度も見た、刑事の父に憧れて習わせて貰った剣道の基本だ。
溜息が出る。
刑事となった今、剣道の経験があったからこそ実地経験の少ない自分でも実戦に立つことが許された。しかし、戦いの知識がある事と、実際に動ける事は天と地の差だ。教本通りにしか振るえない太刀筋は簡単に見破られる。型に嵌った太刀筋は未熟の証だ。
それが、今目の前にいる。未熟者の自分がいる。
「始めましょうか」
抜刀。引き抜いた刀身は日の光を受けて艶やかに灯る。相手が構えるのを待つ必要はない。此処は剣道の大会でもお行儀の良い親善試合でもないのだから。実戦ではいつ誰が何処から襲い掛かってくるか分からない。自分のタイミングなんて待っている暇などないのだ。その呼吸を整わせるまでに敵は喉に喰らい付いてくる。
道場の床を蹴った。身体を半分捻り刀身を自身の体で隠す。相手からは太刀筋が見えないようにし間合いを詰め斬り上げた。手応えは軽い。自分と同じ顔をした偽物は後ろに下がりダメージを軽減する事を選んだようだ。しかし下がり過ぎず、反撃の時を虎視眈々と狙っている。右足に重心が乗ったのを見計らって陽の胴へと向けて刀が振るわれた。
こんなんじゃ、いつまで経っても理想には至れない。追いたい背中が何時までも背中であってはいけないのだ。進み、並び、追い越していかなくてはならない。
一瞬の躊躇いが判断を鈍らせるが、深手になる前に引いた勢いそのまま柄尻を刃にぶつけて弾き返した。相手の驚いた顔がますます焦燥感を煽る。そうだ、自分はこの手の癖業が未だ染み付いていない。
弾いた反動で体の芯がブレるが刀身が右斜めに振れるのを確認し、振り下ろす動作に移行する。大した勢いは付けられないが四肢を狙えば切り落とせる程度には問題ないだろう。刀を握り直している偽物には回避の術もない。暁の灯る刀身は綺麗に腕を落とした。
「っ……!」
あまりにも軽い感触。本来人間であれば肉や骨を断つ抵抗感がある筈だが、素振りでもしたのかと思うほどに軽かった。勢いを殺しきれず態勢を崩した処を狙わない理由はない。自分が敵だったらそうする。
そして、その通りに日光を反射させた刀が真上から振り下ろされた。偽物の目的が殺害だというのを知っていたからこそ、まだ分かりやすいと言えただろうか。だからと言って対処出来るかはまた別の話だ。
今は、それで構わない。
背中が一瞬熱くなり、感覚は失われた。いずれ来る代償には目もくれず、陽はそのまま体を捻って背中越しに相手を見る。軸足に体重をかけ、刀を握る手を強めた。このまま遠心力を乗せて胴を断てれば儲けものだ。陽の意図に気付いた偽物が防御の構えを取るが無理な態勢なせいで刀が弾かれ飛んでいく。
戦場では、武器を手放した者から死んでいく。夜明けの刀がまるでスローのように飛んでいくのを陽は視界の端に納めながら、一瞬手放した片手で柄を押し込み無理やり起動を逆転させる。風の抵抗が煩わしい。
だが、そろそろ六十秒だ。
夜明けが訪れた。黄金の焔が刀身を覆い周囲を際限なく照らす。
「この掌が理想に届くまで、」
細い首に刃先が振れる。
「――立ち止まらないって、決めたんだ!」
手応えは相変わらずなかった。それが生物の形をしていて、ちゃんと生物と同等の判定があれば、首を獲られて死なないものはないだろう。太刀筋が荒い陽の刀は確かに首を横断し、自分と同じ顔が刀と同じ方向にズレた。振り切った後の力の抜き方はもう先ほど経験したから理解している。よろけた男の間合いを詰めながら、再度切り返して今度は心臓を狙った。
振り切ったと同時、弾かれた刀が道場の床に突き刺さる。本来ならば静寂が訪れる所で、ごぽりと水音が鳴った。
刀は届いた。それだけで十分だ。陽は口の端から逆流してきた血を溢れさせ頽れた偽物を見下ろす。血も出ないそれが死んだかどうか、判定することは出来ないが、自分の死はすなわち偽物の死である。背中の傷が遅れて酷い熱と痛みを齎すが、そちらに意識はいかなかった。ただ立っているだけなのに鋭い痛みが左腕に走る。衣服はそのままなのに内側から血が滲み、左腕がずり落ちていく。地面にぶつかって切断面から血を撒き散らした。
「……ああ、そうか」
最初に落とした左腕。手のしびれは刀を弾いた時のだろうか。背の痛みですっかり鈍っていたが胸元にも血がにじんでいる。順番に再現される痛みの末を、陽は知っている。
死なないと知っていても、死の恐怖を拭いきる事は難しいだろう。浅い呼吸を三つ。ぐるりと視界が反転した。首が落ちたと気付けたのは、膝から落ちた首なしの人間を逆さまに見たからだ。
――ああ、落ちた瞬間ぐらいは生きているのか。
そんなことを考えていれば、ぷつんと意識が切れた。
🔵🔵🔵 大成功

◎
ほんの少し路地に入った道の先、
わぁガランちゃんにそっくり可愛い御顔に
背負う棺桶の得物は分かりやす〜い
…が然し私は饕餮憑きのため
匣庭の牡山羊、旅立たん…と
羊角に虎の爪牙の武装も増やして
手には煌剣、先輩方の力も借りまくり
勝てば良いのでしょう?
先ずは小手調べと行きましょか
棺桶で殴り付けての硬さの確認
マネキンみたいに動かないとかツマラナ〜イ
読みやすい足払いは避け
捕縛鎖は厄介そうなので剣を絡めて向こうにポイー
後で引き寄せ回収すれば無問題〜
棺桶を盾にもして凌ぎつつ
主に虎の爪牙で急所狙っていきましょう
粘って殴って楽しい、ころしあい
…はぁ
頑張って生き残っても
共倒れなのは少々頂けないですが
まぁお仕事なので〜
●共喰い
一本通りから外れた所。ほんの少し路地に入った道の先。ガラティンはあえてこの道を選んだ。隣の方からは賑やかな声が聞こえてくるが、明かりすらもない月だけが頼りになるこの道に人通りはない。それもそうだ、横の道を選べば街灯に照らされて安全な道が広がっているのだから選ぶまでもない。
だからこそ、都合がいい。
スキップでもしてしまいそうなほどに軽い足取りの先、路地を幾許か進んだ所でふっと黒い影が現れた。最初は砂粒程に小さい黒い点は徐々にその形を明らかにし膨らんでいく。月明かりの下で蠢いた黒いインクの様な塊は、やがて鮮やかな色彩と共に人間の形を作った。
歩みは止めない。それが鏡写しのように同じ姿を作るまで眺めつつ、距離を縮めていく。ある程度人の形を保てる頃には、向こうも歩みを始めていた。
そうして、出会う。
「わぁ、ガランちゃんにそっくりの可愛いお顔」
「ワぁ、本当ダ。ガランちゃンが二人いる」
流石にこれには驚いた。最初の声はガサガサとした雑音で聞けたものではなかったが、声を出しているうちに完璧にトレースされていく。成程、確かにこれであれば入れ替わったと気付くには時間がかかるだろう。行方不明にもなっていない人間をわざわざ探す人なんて存在しないのだから、その間にも本物はどこかで死に、風化し、変死体として人生を終えていても気付かない。
ここ数日噂になっている事件の絡繰りを身をもって体験したところで、ウンウンと頷いていたガラティンは両腕をぐっと前へ伸ばした。やる事は決まっている。目の前の"ガランちゃん"をぶっ飛ばせばそれで一旦お仕事終了だ。
「「匣庭の牡山羊、旅立たん……と」」
声がダブった。ほぼ同時に体に変質が起こる。頭に鈍痛が走った。いつものことなので目の前の自分の変化をガラティンは眺めている。どうやら変化の仕方も、その流れも、何もかも同じのようだ。最初に角が生えぐるりと回る。頭蓋から直接生えて頭皮を破り現れるのは硬質な羊の角だ。伸びきる前までにも変化は別のところにも起こる。骨が膨らみ皮膚を破り、その皮膚もまた破れた事で構成を組み替えて縞模様が刻まれた異質なものへと変化していく。唇の端が引き攣るような感覚と、圧迫された歯が直接神経に訴える痛み。人間ベースに付加されていく動物の特徴はちぐはぐで、変化には多少の違和感が伴った。
最後には、半分人間、半分獣の姿がそこにはあった。虎の爪牙が主な武器だが、折角借りたのだから使わないのは勿体ないとばかりに煌剣を手に取る。攻撃手段は多い方がいい。生き残る手段はたくさんある方がいい。全ては勝つために必要な事なのだから。
互いに変化を終えた瞬間、駆け出していた。偽物よりも一瞬早く支度を済ませたガラティンが真っ先に飛び出して先制を決める。繋がれた鎖を振り回すように重たい棺で変化を終えたばかりの牡山羊をぶん殴る。自身を中心に半円を描いた棺桶は風を切る音を響かせて偽物の胴体へと打ち付けられた。
勢いが殺される。何か金属でも殴った時のような鈍い音が鐘のように路地裏に響き渡った。偽物は吹き飛ばされるでもなく、ただそこに棒立ちしている。直前に棺桶で殴られたとは思えないほどの体幹だ。敵は虎の爪が生えそろった手で棺桶を掴み、お返しとばかりに投げつける。自らの獲物が今度は凶器へと変じた。顔面すれすれでこれを避ける。
ずっと肉弾戦が繰り広げられた。瞬時の判断能力で攻撃を繰り出し、回避し、反撃に移る。一度でもその判断を間違えば酷い怪我を負う事は明白だ。互いの棺桶は重く、その重量をぶつけられれば見た目に損傷がなくとも内部に振動が響く。頭を殴られれば一溜まりもない。目の前が真っ暗になってゲームオーバーだ。かといって他の武器は無害かといえば、そうでもない。
ガラティンの虎の爪が偽物の腹を浅く抉る。鋭い爪はそれだけでも十分な加害性を持つが、生物ではない偽物は腹からよく分からない液体を撒き散らしながら自らの棺桶でガラティンの足を狙った。移動力を削ぐ為の攻撃はそれだけで分かりやすい。低めを薙ぐ棺桶を跳んで交わし、足場にして偽物の背後に回る。相当ダメージを与えている筈だが、偽物に止まる気配はない。人体で言う急所を積極的に狙っているが、どうにも心臓を掠めただけでは終わりを迎えられないらしい。出血多量で死亡、なんていう未来は存在しないようだ。
ならば、全て壊すしかない。
「……はぁ」
ひとつひとつの動きはまさしくガラティンそのものだ。しかし、どうにも納得いかない。こんなに楽しいころしあいの癖に、偽物の動きは一瞬ばかり遅い気がする。ガラティンがこうすると判断し終えた頃に、ようやく次の一手を決めているような。偽物は所詮偽物でしかないのだろうか。ガラティンが受けた傷は全てが浅く、皮膚の正面を傷付けて血のにおいを漂わせるぐらいのものだ。対して、偽物はあちこちに酷いダメージを負っていて、立っているのもやっとである。
「終わりにしましょうね」
鎖を封じるのに使った剣が、偽物を挟んで向こう側に落ちている。偽物が振り被った棺桶を一瞥し、重心を落として棺桶同士をぶつけ合わせて相殺した。重たい衝撃が腕に伝わってくるが問題ない。片手を離し、偽物の頭に手をかざした。
「これだけ頑張っても共倒れなのは少々頂けないですが、楽しかったですよ」
虎の牙でつり上がった唇を一層吊り上がらせ、ガラティンが笑む。鎖の引き摺る音がした。饕餮と混ざり合った時に得た、もうひとつの力。引き寄せる能力があれば、例え今手に持っていない物でも自身の方向へ動かす事が出来た。
要は使い方次第なのだ。力を持て余し振り回されている偽物には、到底辿り着けない境地とも言えた。既に戦場から離脱したものと思わせた剣すらも、こうして使い道がある。
偽物が音に気付き回避行動を行った時にはもう遅かった。剣先が頭部を貫き、止まらず、脳漿をぶちまけガラティンの許まで帰還する。黒いインクのようなものを刀身に纏いながら突き抜けた剣が勢いそのまま通り過ぎていく前に虎の手で器用に柄を握った。
「これにて終幕、お疲れさまでした~」
流石の偽物もその場に崩れ落ちていく。原型を留める事が出来ず、後には墨をぶちまけたような跡だけが残った。
そうして、気付く。ぼたぼたと腹から臓器が零れ落ちていく。べちゃりと墨の中でピンク色の贓物が跳ねた所で、酷い痛みがガラティンの全身を襲った。まるで呪いだ。偽物に与えたダメージがそのまま体に返ってくるとは聞いていたが、命尽きた瞬間だとは。棺桶を受けた際の鈍い痛み。虎の爪牙で切り裂いた腕や腹、背中の痛み。早送りのように怒涛に訪れる激痛は意識を拡散し、ガラティンは思わずその場に膝を付いた。
声を出すことも叶わない。簡単だ。下顎から上が、最期に妙な力によって後方へとぶちまけられたのだから。話す器官を失い、体が重力に従って傾き地面へと叩き付けられる。
それは明確な死だった。
「――っ、はあ~! 死ぬところでした!」
死、だったのだ。饕餮によって蘇生されるまでは。ぶち撒かれた贓物が吸い込まれていく訳でも、失った血が戻る訳でもない、√能力によって齎される強制的な生命力がガラティンを死の淵から巻き戻した。何でもないように立ち上がり、地面を見る。
「わ……グロ……」
すっかりいつもの調子に戻ったガラティンだったが、汚れた服まで巻き戻る訳ではない。これをどうしようかなあと、一人路地裏で佇むのであった。
🔵🔵🔵 大成功

◎
素敵な笑顔に、可愛い尻尾。
ぼくですね!殺します。
説教したこと自分に返ってくるのヤダ~!
これ以上喋んないで~。
ぼくがうるさいの知ってるから!
首。次点で両脚から狙います。
移動は早業。どうせあちらも激痛耐性があるでしょうから遠慮はいりません。
卒塔婆も曲刀も、絹索も。
救いの標たる仏具は一切不要。
写し身と言えども、粗悪品に生かしておく価値は無いので!主人を守れず、仕事を全うできなかった道具が。
求めた自罰を受けて満足か。
忠義を全うしたつもりか。
傷つくおまえが許せない。
それでも、殺されるようなおまえが。
いちばん、羨ましい。だから、目を。
目。姿を写す目が。
目。目がいらない
目、顔を潰します
あー。あーあ。
もう。
●楽園へご招待
いつしか姥捨て山の異名を持った、日が入らぬ故に迷いやすく似たような種ばかりで印にもならない山林が傍にあった。都心部からは多少離れてしまうが、既にうつしは出来ている。彼が達成すべき事は自らの魂の根源を探し出して根絶し、その正体に成り代わる事だ。この世界を飛び越えてまで追ってくる事は不可能だろうが、この世界の中であれば何処までも追いかけてくる。
かつては供養の為の祠すらも建てられていたが、とうに人の記憶から消え、ヒーローの目にも留まらぬ場所に時雨は来ていた。異様なほどに静かな森は、生命の息吹を感じない。これから起こるであろう戦いを予期してか、はたまた既に生きるための糧が枯れ捨てられた場なのか、訪れたばかりの者には推測しようもなかった。しかし、これは好都合だ。
「さてさて、どんなぼくが出るのやら」
その外見をトレースして、中身すらも違和感なく過ごしていると聞いている。身内ですら騙される精度のドッペルゲンガー生成術は、やはりシデレウスカードの効果だろうか。一体どのようにしてあの一瞬で本人の情報を全て抜き取り完成体を作っているのか、甚だ疑問である。こういった一般人の考えの及ばない事件は大体この世界では怪人の仕業だ。そこに種も仕掛けも存在しない。ただ、そうなると言ったらそうなるのだ。
サクサクと木の葉を踏み、草木を分けて山林を進む。水の音に呼ばれて足を運べば、細い川まで辿り着いた。前後の音を聞き分けて、奥の方へと更に進む。水の跳ねる音は小さな滝がそこに在る事を教えてくれた。
「おや」
滝の周辺はため池の様に広がっており視界に不自由がなくなる。彼もまた足音を聞いていたのか、来訪者である時雨を認めると向き直った。
そこにいたのは、時雨だった。同じ様な見目をして、同じ色の目で男を見る。鏡写しの世界とはまた違った、全く同じ姿のぼく。
「素敵な笑顔に、可愛い尻尾。ぼくですね!」
「へえ、ぼくがもう一人なんて面白いですね」
「うーん、殺します」
慎重さというものが備わっていたならもう少し時間がかかっただろう。しかし、彼に躊躇いはない。駆け出した足は牛の力強い蹄に代わり、皮膚と肉を突き破って蜘蛛の足が背中に生える。ぱしゃんと水飛沫が跳ねた頃にはもうそこに時雨の姿はない。音を置き去りにして猛スピードで距離を詰めた時雨は迷いなく彼の喉を狙った。
対して、コピーも似たような感じだ。野牛の角に、蜘蛛の脚。全てを曝け出した牛鬼は真っ先に狙われた首を庇うようにして腕を翳し、力のかかる方向を見極めて受け流した。槍のような刺突ではなく薙ぐ蹴りだったからこそ出来た芸当だ。同時に身体を傾けて威力を相殺するが、完全にノーダメージとはいかない。ビリビリと痺れる腕を軽く振って、時雨を見据えた。
「流石ぼく。最初に狙う所は分かりましたか?」
「きみの攻撃は読みやすいですねえ」
「わ、全く同じ声になってて怖い。そこも同じなの?」
「ぼくはきみだから当然です」
ノイズ混じりだった言葉が徐々に流暢に変化していく。内部的な部分も本人の近くなるよう設計されているらしい。こうやって戦いの最中にべらべらと口が回るのも、まあ、同じだ。大変不服だが。
「きみ、何処へ向かって生きているのです」
「げ」
彼が取り出したのは絹索だ。見た目だけでなく持ち物までパクるとは聞いていない。それも説法でもしながら振り回すつもりだろうか。畜生相手に救いの標たる仏具は一切不要と拳を握った時雨は大変嫌そうな顔をした。彼が時雨に救いを齎してくれるかと言えば、肩を竦め首を横に振れる。生かしておく価値はない。主人を守れず、仕事を全うできなかった道具に救いなど与えてはならない。
全く、嫌がらせをするのは得意らしい。
「自らの手を見つめ、塗れているものを見つめなさい」
「あーあーあー、これ以上喋んないで~」
「そうやっていつまで背を向けるつもりで」
「ぼくがうるさい!」
真っ先に狙いを付けた首は対処されやすいようだ。それならば、機動力を削ぐ為の両脚から。その影が自らの魂から生まれているとするならば、多少痛みつけた程度ではけろりとしているに違いない。様々な耐性が今は恨めしいが、同時に、理解しているからこそ割り切れる部分も存在する。遠慮はいらない。粗悪品はぶっ壊してしまえばいい。
雨音にも似た流れ続けて水を跳ねさせる滝の轟音が互いの足音を掻き消した。全ては一挙手一投足の動きを視界に捉え、即座に処理し、対応するのみとなる。睨み合っていたのもつかの間、今度は彼が飛び出した。いくら言葉巧みな説教が主な攻撃手段だったとして、棒立ちで読むほど甘くはない。同じ様に生やした蜘蛛の脚が鋭い刃となって時雨の心臓を狙った。
避けるのはほんの数ミリでいい。勢いに置いていかれた和服の裾が鋭い爪で切り裂かれるが、体が無事であれば問題ない。すれすれを通っていく蜘蛛の脚の一本を鷲掴み、にこりと笑みを浮かべた。
「貰っていきますねえ」
この痛みを、知っている。まさか自分が同じ様な事をする日が来ようとは。繊維を無理やり引き裂く時、耐えられる以上の力が加えられると悲鳴を上げる。千切った蜘蛛の脚の根本は、普段の食事で何気なく齧りついた鶏肉の、幾重にも重なった小さな円の断面と殆ど似通っていた。勿論神経も通っているし血も通っている。断面から零れ落ちる赤い雫は透明な水を簡単に汚して流れていった。
「痛いんですよ、これ!」
「勿論知っていますとも」
掴んだ戦利品を簡単に投げ捨て、時雨は再び体の欠けた牛鬼を狙う。互いに近い距離で戦う事を選択していた。足首までを水に浸けながら、二本の足と、六本の脚と、二本の手で殴り合う。ふつうの人体よりも多い脚は、そのまま手数の多さに繋がった。時雨が拳を振り上げれば、彼はその脚で拳を防ぐ。それだけではなく、残る三本の脚がそれぞれの方向から串刺しにしようと勢いを付けて降り注ぐが、時雨とて同じ戦法を取ることがあるのだから対処に易い。一瞬で脚の軌道を概算し致命傷だけは必ず避ける。ここからはもうバトルセンスの問題だ。生命の直感が生死を分ける。
頬を掠め、腕を抉り、足の甲を脚が貫く。あぐりと開いた口で喉を狙い、心臓を狙って角を振る。あらゆる手段を使ってでも潰すべき相手がそこにいた。互いの血が飛び、時に交じり、透明な水を穢して流れてゆく。もはや獣同士の嬲り合いだった。痛みに耐性があるということは、ある程度の無茶が許容されるという事だ。しかし、痛みというのはただ無慈悲に体を痛みつけるためのものではなく、死を遠ざけるための信号でもある。その信号が鈍い場合、どれだけ傷付いても、どれだけ血を流しても、戦場に立ち続けられてしまうという事態である。
「求めた自罰を受けて満足か」
「は、」
口から血反吐を吐き出しながら、彼はわらった。傾く体を支える蜘蛛の脚はとうに六文銭の代わりに川に投げ捨てられ消費した。背中に残るさまざまな長さの根本部分がもがくように蠢いている。ひっくり返って戻れなくなった草鞋虫とよく似ていた。人ひとり分の体重を不揃いな蜘蛛が支えることなど出来ず、背中から川に叩き付けられる。
振るった拳を解かないまま、時雨はその姿を見下ろしていた。
――彼はいま、何と言った?
水面から顔を出した彼の目がぎょろりと時雨を見る。そのガラスのような作り物の瞳の中に自分がいる。
一瞬止まった隙を彼が見逃すはずもなく、大きな破裂音を立てて水を弾き時雨へと急接近した。怪力任せに振るわれた拳が頬を殴り、時雨の体はややに浮く。足元が濡れていた所為か思ったよりは吹っ飛ばなかった。地面に叩き付けられて空気が肺から押し出され、地面を細かくバウンドして減速する。失った蜘蛛の脚を動かそうとしてバランスを崩し、思考がフリーズした事を理解した。彼の言葉は頭を混濁させてくる。
「は、はは、あは!」
興奮で目を見開いたまま、彼は高らかに笑い足を動かす。満身創痍でいてなお彼は死の予感に満足そうに笑っていた。
「……あー」
時雨はそれを視界に入れる。その中に映る、憐れな姿を視界に入れる。瞬間、弾かれたように彼に飛びついていた。もはや文脈のない言葉を吐き出すだけになった彼へと馬乗りになり、顔の表面に爪を立てる。柔らかな皮膚を抉り、その下に隠れる眼球を抉り、原型など留めない。手にまとわりつく白い塊も気にせず、ごろりとした金色の瞳を手中に収めるとゆっくりと力をかけて握り潰した。取り出した時点で大した役目も果たさないその二つの球体は、もはや跡形もない。
「あはは」
狂った笑い声が楽しそうな音を秘めていた。
もうすっかり動かなくなった人形の上で、時雨はなおも皮膚を削る。もうそれが動かない死体となった事は体中に無作為に走る痛みで理解出来ていたが、それでも手は止まらなかった。死んだ偽物と同じ手順で痛みが返る。脚を捥いだなら幻肢痛が。腹を殴り飛ばしたなら臓器の圧迫による吐き気が。見えない手が時雨の体を蝕んで、いよいよ口から血を吐き出した。
この胸に渦巻く感情は一体何なのだろう。
いや、理解はしているのだ。地獄の鍋で煮詰めたような、特別どろりとした濁った感情。
顔の皮膚が爛れ、片目が落ち、潰れ、そうしてもう片方の瞳が明かりを失う頃、死の淵で最後に残るという聴覚がもう死んだはずの満足気な声を聞いた。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵 大成功

◎
「来たか」
よー、オレ。御機嫌いかが?
ぶっ壊しても良さそうな廃墟で敵を待ち受ける
オレの攻撃はちと規模がデカいの多いしねぇ。ここなら好きにやれるだろ?ニセモノのオレ
て事で、死ね
怠惰の√能力で敵の行動速度を3分の1にして、敵の√能力が発動される前に魔槌で殴り殺す
|オレ《敵》を調子付かせたら面倒だし、速攻でケリをつける事にしようか
逃げられない様に動きの鈍った敵を魔手達で抑え込むのも忘れずに
殺し切れずに攻撃が来たら、より敵に密着
オレ狙いの範囲攻撃に敵も巻き込まれる様にしてやるかのう
…防御?回避?んな事する前に、1発でも多く殴ります。オレが死ぬ前に敵を殺せば勝ちだしねー
「にゃはは、楽しくなって来たねぇ」
●九分の一
世界に訪れてから数日。いい場所を探すには十分な時間があった七々口はもう随分人の気配がない廃墟群に訪れていた。どうやら都市開発か何かでこの一帯を買い取ったはいいものの、怪人被害がどうとかで結局住人が全て移住しただけの家屋の群れが残ったらしい。まあ、そんな事情はどうでも良いのだが。今はここが戦場として相応しいという事実さえあれば丁度良い。
ひょいひょいと石壁を登り細い道を歩いていく。戦場にするにしても、見晴らしが良い場所がいいだろうか。七々口の攻撃は基本的に規模がデカい。魔手が七つも大暴れすれば戦場を更地にするのも簡単だ。しかし、それを街中でぶん回すわけにはいかない。七々口一匹分ならまだしも、相手も同じ自分だとすれば大暴れするのが二倍もある。敵を倒すどころの騒ぎではない。
まだ丈夫そうな雨樋を渡り、窓の突起に足をかけ、ベランダの手すりに登り細い橋の上で飛び上がる。人のいない家屋はすぐにでも脆くなるが、まだこの家の屋根は大丈夫そうだ。前足の毛並みを整えて、ぐうと伸びをした。
顔をあげる。尻尾の代わりに体が揺れた。
「来たか」
周囲を回遊してた魔手が掌を向け挨拶をするように傾いた。
「よー、オレ。ご機嫌いかが?」
「まあまアかナ」
ぐるぐると喉をの鳴らした偽物はひとつ猫の鳴き声をあげると七々口を見た。
「そっちはどう?」
今度は滑らかな声が出る。
「オレ? まあまあかなー」
特に驚くこともなく、七々口は視線を上げた。偽物の後ろにも魔手が七つ控えている。自らの体や声だけでなく、その性質すらも完全にコピーできるらしい。やはり、シデレウスカードが巻き起こす事件は厄介だ。一般には絶対に起こり得ない事件を起こすことの出来るその力を長く放置することは出来ない。被害は想像を絶するだろう。
同じ屋根の上で黒猫が二匹。傍から見れば平和なワンシーンかもしれないが、今日ここに来た目的は互いに一つだけだ。
「ここなら好きにやれるだろ? ニセモノのオレ」
「確かにー。でも、ニセモノはオレじゃなくなる」
喉を逸らせた猫が言う。その背後には七つの魔手が綺麗に並んで能力の発動を待っていた。
敵のしようとしている√能力がなんなのか、分からない七々口ではない。これだけ整えられた舞台だ。派手にぶちかましても誰かに咎められる事もないだろう。敵の√能力の発動までが今回の戦いの制限時間になる。それまでに殴り殺せば勝ちだ。
「んじゃ、死ね」
怠惰の魔手が力を纏う。あらゆるものを対象とし、任意に選択して強制的な怠惰に陥らせる力はノータイムで発動した。七々口の目視する範囲に存在するのは自身の姿を真似た黒猫しかいない。あれに効果を及ぼせば全てに怠惰を纏わせる事が可能だ。怠惰の齎す|怠惰《バグ》は例え自身でも抗えない。削った移動力は虚空に消える事はなく、自身の体に還元された。どういう理屈かを考えた事はないが、これも魔手の力の一端なのだろう。
力の発動と共に表出した魔槌を七々口は拾う。攻撃が当たるほどに気力を奪う怠惰の魔槌は相当な重量を持つが、七々口はその重さを感じさせないぐらい簡単に振り上げた。
「我が身を門とし、」
自分の性質は自分が一番分かっている。一度調子づかせたら面倒だ。狙うは速攻。奪った機動力が回復される前に魔手を飛ばし、その動きを封じる事が出来れば御の字だ。
一。色欲の魔手が黒猫を狙う。屋根に叩き付けた手のひらは盛大に塵を巻き上げ視界を曇らせた。その人工の霧を黒猫は指の隙間から抜け駆け出していく。ほとんどの敵が人型を模している事が多い中、自分と瓜二つの猫はその小ささを生かして機敏さをカバーした様だった。
二。逃げ出した先には魔槌が待っている。いつもなら殆ど手にお任せしているが、今日の七々口はちょっとヤる気だ。咥えた魔槌を振りかぶり、小さな的へ向けて振り下ろす。あらゆるものを貫通する槌は家屋を穿ち、瓦礫を破壊し、空中でぐるりと一周回転した。慣性に逆らわずに回った七々口はその手ごたえの違和感にすぐに気付く。黒猫はなんとか逃げ出したものの足を取られて転がっていた。七々口がそれを見つけると、持ち前の怪力で槌を振り回し追撃を狙う。
三。空に月が輝いた。巨大化した何らかの魔手が空に第二の月を作り出している。いや、もう第四か。悠長に数えている暇もなく、七々口は黒猫に向かって再び魔槌を振り下ろした。魔槌の持つ重量と、世界が抱く重力による圧倒的な暴力。
四。粉塵を巻き上げた魔槌は確かに黒猫の脚を奪った。四肢のうちの一つが拉げ、使い物にならなくなっている。それでもなお、爛々と輝いた瞳は生命を失わず、朗々と声高らかに破滅を謳う。
「にゃはは、楽しくなって来たねぇ」
五。加速した。寿命を代償として齎す√能力の力が徐々にその力を増し世界への影響を塗り潰していく。月の降り注ぐフィールドにいる限り、黒猫が授かる恩恵は消えない。あらゆるバフが黒猫にかかりきる前に、飛翔した七々口の魔手が黒猫を地面に押さえつけるように捕らえた。
六。もはや空が輝いている。目も眩む程の光が廃墟群に突き刺さり、離脱することを許さない。そもそも、戦場から離れる事は死を意味する。この先どんな結末を迎えたとしても、七々口の足が外側へ向けられることなどなかった。槌を振るいながらも、タイムリミットを感じた体が勝手に毛を逆立てる。後はもう我慢比べだ。
「道連れにしてやる」
七。魔力の塊が降り注いだ。面白可笑しくにゃあと鳴いた黒猫が自らをも巻き込んで|魔神の滅挙《ハンズ・オブ・ルイン》を発動させた。かつて見たそれよりも連打は遅いが、確かに世界を揺るがし魔神手が地面にいるちっぽけな存在を叩き潰す。見境はあったのか、なかったのか。全ては空に存在する魔神手が決める事である。七々口にも、黒猫にも、決定権はなかった。
約八十秒にも及ぶ地震はどこかの街を騒がせただろう。震源地を特定した人々が見たのは空を覆う妙な輝きの蓋が幾度も幾度も大地に降り注ぐ異様な光景だった。時間が過ぎると輝きを失い、魔手は存在さえも失った。
後には崩壊した廃墟と、解けた少量のインク溜まり。そこに沈む一匹の黒猫……らしき、潰れた黒い肉塊だけが残っていた。
🔵🔴🔴 苦戦

◎
人のいない屋上なら、来ると思いました。
大丈夫、目の前の自分を殺せばいい。怖くない。
|_ἐλπίς《エルピス》を発動
クイックドロウで長剣を描いて創造し、拳銃の|όπλο《オプロ》も作るけど隠し持つ。
希望の世界は僕の理想。
偽物は理想じゃないから、殺さなきゃいけない。僕の理想にあなたはいらないって、不思議と染み付いた言葉が自然と出てくる。
え……僕は、今、なんて?
偽物が言う。人を殺すことに躊躇いがないのは、4人の子供も殺してるからだと。
痛む度に何か思い出しそうで、何も感情がないはずなのに……涙が出る
僕のノートを奪おうとするなら、知らぬ衝動(怒り)に突き動かされながらクイックドロウ。偽物を、撃つ。
●καρδιά
「人のいない屋上なら、来ると思いました」
風が通り抜けていく遥か高み。街中でいっとう空に近いビルの屋上で、徨は縁に腰掛けたまま顔をあげた。傍らに置いた自由帳の表紙を撫で、階段を上ってすぐの所に立っている男を見る。青空の下で見る瓜二つの姿はどこか記憶を擽ったが、それ以上を得る事はない。ただ自分がそこにいるだけだ。
今からこれを排除する。大丈夫、目の前の自分を殺せばいいだけだ。怖くはない。
今からここは変化する。希望に満ちた理想郷。恐怖は存在しない想像の国となる。
「終わらせましょう」
「そうですね。ここは|_ἐλπίς《エルピス》なのだから」
徨の言葉に反応して、偽物もまた声を出す。彼にとって自分こそが本物で、徨こそが偽物だ。理想の世界に不純物は存在しえないように、彼にとっての理想の世界では徨が不純物となる。これは、互いの理想をより強く、より純粋に願えた者が生き残る戦いだ。
立ち上がった徨は自由帳を拾い上げ、両手で抱きしめるようにそれを持つ。長い長い年月の中で作り上げた理想の国。一枚一枚のページに刻まれた絵や文字が今は力になってくれる。
「「希望の世界をここに――」」
ぶわりと風に花の香りが乗っていく。コンクリートの武骨な屋上が互いの足元から同じ色の花が生まれ、咲き誇り、波のように花畑が広がった。自らの作る理想の国がこれほどまでに広く展開されたのは初めてだろう。二人分の理想郷が世界を造り替えていた。
「偽物は理想じゃないから、殺さなきゃいけない」
ふわりと自由帳が浮いた。どこかの世界には浮遊魔法があって、どんなものでも自在に浮かせられる。またある世界には魔導書があって、不思議な現象を引き起こす魔法が記載されている。そんな、現実では有り得ないような、物語上の話でもこの世界では真実となる。パラパラと風でめくれる自由帳はとある章を指示した。
ゆるく握った両の拳を胸の前に揃え、徨は右手を横にスライドさせる。本来ならば何もない空間だが、ここは徨の願う理想郷だ。そこに在ると想像すれば、|_ἐλπίς《エルピス》の持つ設定に含まれるものは簡単に創造される。自由帳の中だけだった世界が徨によって現実世界へと侵蝕し、絵は物質へと変化する。空間があった右手のうろには柄が収まり、両こぶしの間には剣が生まれる。きらきらと眩い光を零し生まれたのは長剣だった。
光差す屋上で長剣が輝いている。光の反射で一瞬目を眩ませながら、左手は自動式拳銃を握っていた。これの出番は今じゃない。同じ理想郷に住む人間ならば、一度見ただけでタネが割れる。この拳銃は必要な時まで隠しておくべきだ。
「僕の理想にあなたはいらない」
ねめつけた先にいる男もまた、同じ様に剣を携えた。花畑の中で互いに剣を構え向かい合う。これが物語だったなら、重要なワンシーンとなるのだろう。同じ顔をした人間が、同じ剣を持ち、この世界にたった一つしかない自分という存在を賭けて命を懸ける。ここで負ける訳にはいかない。
不思議と染み付いた言葉が徨の口から零れ落ち、また、偽物もまた同様の言葉を口にした。これほどまでに精巧なドッペルゲンガーを作れることは脅威でしかない。怪人の手にこの力が生まれている事は世界にとっても不利益だ。この世界を生きる、力を持たない人々のためにも。そして、この世界を生きる、自分達のためにも。この能力はここで殺すべきだ。
静かな時が流れ、互いの間合いを測る時間が過ぎた。一歩を先に踏み出したのは徨だった。横に構えた剣を胴を目掛けて振り払う。例え戦いに慣れていなくとも、この理想の世界では自分が物語の主人公だ。この攻撃は必ず当たる。
必ず当たる、はずだった。
振り抜いた剣は空気を斬り、勢いそのまま徨の軸をブレさせる。自らの|_ἐλπίς《エルピス》においてこのような挙動が起こるのは初めての事だった。一瞬の混乱の隙に偽物が剣を振り下ろす。願えば叶う世界で、徨はこれを避けきれなかった。嫌な予感が背筋を走り、必要以上に大きく後ろに跳んで剣戟を躱す。浅く胸に剣先が掠り、じわりと血が滲みだした。
そこで、理解する。今立っているこの場所は自分の理想郷ではなく、相手の理想郷なのだと。同じ|_ἐλπίς《エルピス》の大地を作り上げているからこそ、その境界線が曖昧になり食い合っている。いつも通り戦っていては食い殺される予感さえあった。
「もっと、つよく……」
ここは僕の理想郷なのだ、と。
偽物はそんな徨の様子を眺めていた。目を眇め、純真な殺意を向ける徨へ微笑みかける。
「流石、四人も子供を殺してるだけあるじゃないか」
「え……?」
偽物の言葉に徨の頭は真っ白になる。理想郷が揺らいで、コンクリートの屋上が薄らと透けて現れた。想像をしなければ、創造されない能力の欠陥。設定は存在しても、それを語る者がいなければ存在していないのと変わらないのだ。徨の|_ἐλπίς《エルピス》が揺らいでいる。
彼の言葉が胸に刺さって反響する。そういえば、僕はさっき、なんと言った?
「僕は……」
「気付いたんだ。人を殺すことに躊躇いもないって」
剣を手にしたまま一歩ずつ近付いてくる偽物に刃を向けなければいけないのに、ズキズキと痛む頭が想像を拒んでいる。うつくしい理想の世界が描かれようとする度に、痛みと共に訪れる見覚えのない光景が混じって創造を混濁させた。
記憶にない世界。記憶にない物語。そこに寄せる感情もない筈なのに、目頭が熱く涙が零れる。これは一体、何から起こる雫なのだろう。
「僕の事も殺すんだ」
もはや空っぽになった掌に偽物が触れた。耳元で聞こえた声にはっと顔をあげた。剣を花畑に突き刺した偽物は、徨の傍に浮かぶ自由帳に手を伸ばす。
分からない事だらけだ。ぐちゃぐちゃになった思考回路はスローモーションで再生される偽物の動作を認識した瞬間、全てを白く塗り潰してたったひとつの警告を出した。
「……れ、に」
「ん?」
「それに、触るな」
言葉に被せて銃声が響いた。
すべてが虚ろになった中で、徨は迷いなく|όπλο《オプロ》へと手を伸ばし引鉄を引いた。想像の中で生まれたものの輪郭が解けたにも関わらず、明確な形を保ったままの拳銃は主の要望に応え銃弾を発射させる。明確な鉄の塊は真っ直ぐに偽物の伸ばされた掌へと向かい肉を穿った。ぼたぼたと赤い血が白い花びらの上へと落ち染めていく。
そこからの記憶は曖昧だった。何発もの銃声と偽物の言葉が耳に響いて反響する。自分を突き動かす衝動が何なのかすらわからないまま、銃口を偽物に向け引鉄を引いた。その頭を、喉を、心臓を、迷いなく狙って生命を刈った。
「 」
偽物の言葉がリフレインする。自分が穿ったと同じ穴が頭を、喉を、心臓を破壊するまで、ずっと。ずっと。ずっと。
🔵🔵🔴 成功

◎
緑豊かなこの公園、好きなんです。市街地からそう遠くないのに、この時間でも凄く静かで。……先客がいるのは初めて。
手袋を投げる、相応の覚悟はおありで?戦いましょう、死ぬまで。
構えはスペイン式、本当に私とそっくり。ではこちらもレイピアを。
真正面からの突き……ソロ冒険者としてなりふり構わず戦ってきた私の複製、最初から魔術で来ないのは想定できました、が!
√能力で移動して、向こうを霊障に突っ込ませたいが間に合うか……!
普段は温厚な顔して、煽られるとすぐ【見切り】されやすい単調な攻撃になりがちな所も。悲しい位"私"ですね!
痛みは耐えればよい話、継戦に支障が出そうな欠損は【インビジブル融合】で補うとします。
●ノブレス・オブリージュ
せせらぎのような音が四方から聞こえてくる。風に揺られて青々とした葉がさざめき、折り重なって涼やかな音を鳴らしていた。整えられた砂利の道は細く長く続いていき、訪れる者の先を導いてくれる。脇に少し逸れるとのびのびと育った草花が足元を擽った。
緑豊かな公園にシンシアは訪れていた。市街地からそう遠くはない場所だが、この時間でも自然の音がたくさん聞こえてくるほどに静かだ。都会の喧騒とは無縁のこの場所はとっておきの秘密スポットでもあった。
「……この場所に先客がいるのは初めて」
シンシアが辿る道よりも数歩先、同じ顔をしたセレスティアルが佇んでいる。ふわりとスカートを膨らませ、振り向いた淑女がカーテシーをした。
「ここなら邪魔は入りませんわ」
静かに裾から手を離した偽物が、その所作に違わぬ優雅な微笑みを見せる。指先を互いに振れ合わせるようにして前で重ね、真っ直ぐにシンシアを見つめた。
数秒、沈黙が降りる。それを破ったのは|彼女《偽物》の方だ。
「拾いなさい」
澄んだ声の宣誓だった。指先で左の手袋を摘まみ、するりと指先まで脱ぐと地面へと放った。軽い手袋は緩やかに弧を描き両者の間に落ちていく。それは、決闘の合図だ。遥か昔、いや、今もその文化は残っているのだろうが、手袋を叩き付けることはすなわち決闘の合図とされた。淑女たるもの、正々堂々と宣言すべきである。彼女はそれに則って勝負を仕掛け、レイピアの柄に手をかけた。
「手袋を投げる、相応の覚悟はおありで?」
今や地面の上に落とされたままの手袋を見遣り、シンシアが顔をあげる。一瞬の隙に回収された手袋が無くなってしまえば、両者の間に遮るものは何もない。掌を上に向けると、消えた手袋がインビジブルによって載せられた。拾った、とみていいだろう。
彼女はまだ構えていないが、シンシアと同じ姿をし、同じ声をし、同じ武器を扱うというのだから、きっと同じスペイン式なのだろう。予想は容易く、シンシアがレイピアに手を添えると、まさしく想像した通りの構えを見せてくれた。呆れるほどに、本当に、そっくりだ。
ならば、続きも想像に易い。ソロとしてなりふり構わず戦ってきた過去はシンシアにひとつのクセを残した。生き残る為の手段は多い方が良い。最初から大技で仕留めるのではなく、仕留められる程に精巧に極められた簡単な動作を選び取る。何が起こっても対処しやすく、その一手で決まればそれでいいだけの技。
シンシアが繰り出すのと同じくして、彼女のレイピアがシンシアの目前まで迫った。真正面からの突き。頭蓋骨で覆われた顔の、いくつかある弱点のうちのひとつである、目玉を正確に狙った突きが彼女のいる場所から伸びやかに放たれた。無駄のない動き反応を遅くさせる。
想定内だ。
「最初から魔術で来ないのは、流石私です、ね!」
初手が分かっていれば対処法も考えられる。あらかじめ目途を付けていたインビジブルへと視線を流し、自分の場所と入れ替える。傍から見れば瞬間移動を果たしたようなものだろう。ついでにトラップ付きだ。視界にノイズがかかったかのように、シンシアが元居た場所には入れ替わったインビジブルによる霊障が生じている。これに触れれば多少なりとも傷はつくはずだ。
案の定、彼女は正面から突っ込んだ。しかし、大した事のないように地面を踏んだ足に力を込めて向きを反転させる。様々な√能力を扱う事が可能なシンシアのコピーだからこそ、状況の理解は早かった。霊障とはいえ、インビジブル。原理は分からないが√能力者であれば制御可能だ。素肌を見せる左手に傷を負いながらも十を数える前に障害を消し去った。弾いた、とも取れるだろう。
移動後の態勢を整える間はほんの数秒にも満たない時間だっただろう。だが、彼女にとってはその少しの時間さえあれば問題ないとも言えた。シンシアの直感が、危険を訴える。だからと言って間に合うかと言えば話は別だ。
彼女は攻撃を宣誓し、手袋を外し、霊障を掻き消した。そうして正面にレイピアを構え、真っ向から突きを繰り出す。今度は確実に仕留めるという強い意志が込められた、心臓を狙った一撃だった。
体を捻る。ソロで大事な事は、死なないことだ。死なないとはつまり、急所を避けるということ。
「っ……!」
心臓を狙ったレイピアの先端は左肩を貫いた。皮膚を抜き、硬い筋肉を容易に千切り、背後まで突き抜ける。衝撃で背後に血が飛び散り、レイピアの先端は赤く染まっていた。
生きている。
それだけでいい。
欠損を補うのは何も肉体を構成する部分だけに限らない。ぶらりと重力に従って下がった左腕の様子を見るに、神経に傷がついたのだろう。バランスが狂うのは些か問題がある。幸い、短時間ならばこれを誤魔化す術がシンシアにはあった。何かが自分の中に入り込んでくる妙な感覚には何度繰り返しても慣れないが、これだけで戦闘復帰も可能なのだから使わない手はない。
「これで終わりですか?」
シンシアが何でもないように笑うと、彼女はまた踏み込みからの突きをする。本物を殺す事に特化した突きは、単調になりがちな自分の性質をより濃く表出させていた。狙い処が分かりやすいにもほどがある。
時折すり抜ける剣戟は互いの肌を傷つけた。その度に血が飛び、痛みが感覚を狂わせる。耐性がついていなければとうに激痛で意識を飛ばしていたかもしれない。金属がぶつかり合う音に交じって、二人分の呼吸の音が荒く聞こえる。同程度の実力同士の削り合いは、いつだって耐久戦になりがちだ。そして、運。
彼女が踏み込む。重心が前足に偏り、刺突の為に右手を引いた。シンシアもまた応えるようにレイピアを構える。彼女のレイピアが閃いた。
「……ごめんあそばせ」
赤い化粧を施した彼女のレイピアは虚空をきった。ざ、ざ、と荒いノイズがかった空気がシンシアのいた場所を濁らせる。何度も打ち合ううちに使う事のなかった√能力をシンシアは発動させたのだ。何よりチャンスを窺っていた。隙の出ない、自分に都合のよく、この戦いの場を過るインビジブルの存在を。
シンシアが現れたのは彼女の真後ろ。両足も確りと地面を踏み、突きの構えは殆ど崩れていない。ふっと息を止め彼女が振り返る前にその心臓へレイピアを突き立てた。
彼女の体が衝撃で逸れる。口から血を吐き出したのが背後からでも飛沫で見えたが、瞬きの後に忽然と消えていた。
「あら……」
致命的な一撃に耐えられなかったのだろう。地面へと視線を下ろせば、彼女がいたであろう場所に黒いインクが散らばっている。描かれた偽物を構成していたそれを眺めた所で、シンシアの体をさらなる激痛が襲った。
戦いは終わった。ならば、その後に待つのは死のみだ。数分にもわたって繰り広げられたレイピアの剣戟をそのまま体に写し込むことになるのだから、拷問にも近い時間である。インビジブル融合で補うにしたって手数が多い。全て自分で成した事なのだから、次にどうなるかも見据えられた。
何の抵抗にもならないが、シンシアは胸に手を添える。心臓が五回鼓動して、小さな穴が胸に空いた。血を溜める器官が鼓動に合わせて穴から血を吹き出す。衣服には全くほつれもないのに、内側から溢れた血が滲みだして赤く染まっていくのが見えた。痛みで気絶出来たなら、良かったのかもしれない。命の灯火が消えていくのを触れた手のひらと溢れ出した血液で確認し、酸素の回らなくなった頭が白んでいくのをぼんやりと感じながら視界がぼやけていくのを眺めていた。
いつの間にか、世界が傾いている。支えるものがない体は、呆気なく地面にぶつかり動かなくなった。
🔵🔵🔴 成功

◎
連携アドリブ可NG事項なし
|彼方の呼び声《これ》は元々、自分が聞こえているものを共有するだけのテレパシー、だったんですよ
有効な攻撃手段になるとわかってからはそういう使い方もするようになりました、けどね
つまり、私達はお互いにマイクとスピーカーを向けあっている状態になるわけです。
どちらかが動いた瞬間何が起こるか、わかりますよね?
ふへへ…そう、確実にハウリングします。
決着は多分すぐつくと思いますけど、どんな結末になるか、わかりませんね?楽しみですね?
私、どちらかが壊れるまでやめませんから!
<狂気耐性><精神抵抗><覚悟>にものを言わせ、ノーガードで【彼方の呼び声】を使用し全力で攻撃します。
●秒速340m
その存在がいると確信できたのは、様々な情報が噛み合った結果だっただろう。例えばそれが今日の天気だとか、今の時間だとか、大して情報にならないような事だったとして、複数絡み合えば一つの確信へと至る事が出来る。星越イサとはそういうものだった。
そして、相手も同体である。あの日一枚のスケッチブックの切れ端を通じて生まれたコピーはまるきり本人と同等の性質を持つことは噂の内容から察せられた。周囲が気付かない程に精巧な本人の模倣体。それがイサが確信したように、確信に至らない理由はなかった。
今、二人は対峙している。目の前にいる訳ではないのに、互いの目の前に同じ体の人間が見えているように感じられる。遥か彼方に存在する自分を認知したまま、イサは楽し気に唇を歪めた。
本来、|彼方の呼び声《コズミック・ディスコード》は自らが聞こえているものを誰かに共有することが出来るテレパシーの一種だ。一般人には到底出来ない技ではあるが、伝達に使えるだけの便利なものというくくりであった。しかし、ものは使いようとはこのことだ。共有できる音の幅を自ら制限するのは愚か者のする事である。様々な事象から導き出された結果は、この能力の有用性を示してくれた。
すなわち、有効な攻撃手段にする事が可能というわけだ。音とは振動である。鼓膜を揺るがし、さまざまな器官が音を成分ごとに判別して信号を出し、それを脳が瞬時に判断して聞こえているという状態を作り出す。だが、聞こえてくる音の種類を聴覚で選別することは不可能だ。一度聞いたものを途中でキャンセルすることは出来ない。イサはこれを共有に置き換えた。耐えがたい音ですらも共有によって送り付ける事ができ、対象に多大な精神的苦痛と負荷を齎した。
「つまり、私達はお互いにマイクとスピーカーを向け合っている状態になるわけです」
頬杖をついたイサは目の前にいない誰かへ向けて語りかける。彼女もいま、同じ様な事を考えているのだろうか。いや、間違いなくそうだ。実体を目の前に表すことなくこうして接続してきたのだから、考える事は同じだろう。直接対象がどうなるのか見れないのは残念だが、座標が合っている以上、観察することは可能である。目が合うはずもないのに、違う世界の同じ座標にいる自分と目が合ったような気がした。
平穏な時間は程なく崩れる。そうなる事を望んでいたのだから当然だ。
「それでは、始めましょうか!」
高らかに宣言したのはイサだった。
彼女の言を借りるとするなら、今二人は互いにスピーカーを向け合っている状態にある。手元にあるマイクに向かってイサが何かしらの音源を入力すると、スピーカーを通じて相手の方へとその音が届けられる。スピーカーは勿論周囲に音を響かせるため、相手の脳にも相手の持つマイクにも音が及ぶわけだ。そうして間接的に相手のマイクに入力された音は相手がイサへと向けたスピーカーを通じてイサのもとへと戻ってくる。スピーカーの挙動は先に挙げた通りだ。その後の挙動は繰り返しとなる。
どちらかが動いた瞬間、何が起こるかは自明だろう。精神的に耐えがたい音がハウリングして幾重にも脳へダメージを与える。それも音は発し続けているのだから、時間が経てば経つほどにコーラスは重なり脳の処理落ちは激しくなる。
「どんな結末になるか、わかりませんね? 楽しみですね?」
音が、届いた。
「私、どちらかが壊れるまでやめませんから!」
いつも耳にしている耐えがたい音が一瞬遅れて二重に届く。ぐるりと世界が反転したような心地がしたが、そもそも耐性がついているのだからまだ耐えられた。過負荷によってショートしかけた脳が危険信号を発するが全て無視する。異様な熱を体に感じるが、それもすぐに失われた。聴覚に全ての感覚がベットされると、鼻から伝う血の感覚も、全神経が焼ききれるような熱も、手足の指先の感覚も、消失していく。
今までにない程のスピード感で展開された戦いの末は、数秒で呆気なく訪れた。いつの間にか出来た血だまりの中に、ぐるりと眼球をひっくり返らせ、互いの体がぐちゃりと落ちる。到底座っていることも立っていることも出来ない体は痙攣し、体中の穴という穴が異常を起こして血と汗を噴き出した。血の気が引くなどという言葉ではもはや表せやしない。どろりと鼻からピンクの液体が零れた。
多分、何か言葉を発したと思う。それがきちんと言語の形を成していたかは判別もつかなかった。口の中に妙な液体が溢れ、それを殆ど反射で飲み込もうと喉が勝手に動き、全ての器官が拒絶して地面に吐いた。色の識別ももはや出来なくなり、地面が空に浮いている。
きっと、作りだされた偽物の方が先に耐えられなくなった。しかし、どちらが先かなんて大した問題ではなかった。
人に尊厳というものがあるのなら、これはその終末と言えた。もはや何が原因で出来たか分からない濁った水たまりの上で人体を模した肉の塊が震えている。誰かがそれを見たのなら、人間だと認めたくないと喚くだろう。
彼女が望んだ結末とは、一体どんな形だったのか。それを知る術は今はない。
🔵🔵🔴 成功
第3章 ボス戦 『巨像将軍ハンニバル』

POW
霧のトラシメヌス
自身を攻撃しようとした対象を、装備する【雷を纏った剣】の射程まで跳躍した後先制攻撃する。その後、自身は【霧】を纏い隠密状態になる(この一連の動作は行動を消費しない)。
自身を攻撃しようとした対象を、装備する【雷を纏った剣】の射程まで跳躍した後先制攻撃する。その後、自身は【霧】を纏い隠密状態になる(この一連の動作は行動を消費しない)。
SPD
エレファントブレイク
【象の鼻と牙】で近接攻撃し、4倍のダメージを与える。ただし命中すると自身の【鼻】が骨折し、2回骨折すると近接攻撃不能。
【象の鼻と牙】で近接攻撃し、4倍のダメージを与える。ただし命中すると自身の【鼻】が骨折し、2回骨折すると近接攻撃不能。
WIZ
バアルの恵
【象の鼻】から【水と雷のブレス】を放ち、命中した敵に微弱ダメージを与える。ただし、命中した敵の耐久力が3割以下の場合、敵は【爆発】して死亡する。
【象の鼻】から【水と雷のブレス】を放ち、命中した敵に微弱ダメージを与える。ただし、命中した敵の耐久力が3割以下の場合、敵は【爆発】して死亡する。
√マスクド・ヒーロー 普通11 🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵
●
アリエスミューズ・シデレウスはいたって普通の人間で、不幸にもドロッサス・タウラスの手によって覚醒させられた。彼はしがない絵描きだったが、ある日不思議なカードを手に入れてしまった。
作り出したドッペルゲンガーたちが消え、彼は酷く焦っていた。一番分かりやすい被害が出た廃墟まで訪れた彼を待っていたのは、ドロッサス・タウラスの計画を推し進める怪人の一人である『巨像将軍ハンニバル』だ。
「計画に支障が出ているそうだな」
「も、申し訳ございません……」
スケッチブックを握り締めた彼を片手でいなし、ハンニバルは向かってくる気配に目を眇める。
「全て挿げ替え街を落とす予定だったが仕方ない。儂が相手するとしよう」
邪魔者には容赦しない。この老将を放置すればまた街に怪人の手が迫ることになる。
もはや戦力にならないアリエスミューズ・シデレウスを今後の為にも何らかの方法で無力化し、巨像将軍ハンニバルを仕留めればあなた達の勝ちだ。

◎
なんなのですかあの偽者、殺意が凄かったのですが!滅茶苦茶痛い目に遭いました……アイアンメイデンってあんな感じなのでしょうか。
アリエスミューズ・シデレウスは、利用されただけの一般人ではあります。カードないしスケッチブックを雑用インビジブルに奪い取って来てもらうことも出来ると思いますが……どうしましょう。
ともかくハンニバル、あなたは許しません。
√能力マニュアルは血で出来ている、ここにある最も殺傷力が高い物体は――このレイピアでしょう!いや別のものでもいい、とにかく手痛い一撃を喰らわせます!
相手の攻撃は……今更これくらい喰らった所で怯むことはないでしょうが、【オーラ防御】でいちおう防ぎます。

◎
……あぁ、僕は死んだ。死ぬってこういう感じなんだ
はは、あの子達もこんな風に死んだのかな?
それとも、痛かっただけだった?
──僕は、生きてしまっている
あぁ……そうだ、先にやらないと
|_μετατροπή《メタトロープ》発動
僕の自由帳はかけがえのないもの。あなたにとってはスケッチブックがそうかもしれません。
でも、人のいのちを奪い、不幸する為に使い続けるなら、捨てるべきです
クイックドロウでハンニバルの象の鼻が石化するようイメージ
石になれば攻撃も出来ないはずです
僕は化け物だから感情がない
化け物だから|想像の創造《ディミウルグ》が出来る
変えてしまえ、また命が尽きたとしても全部!
……僕も、消えたらいいのに

◎
頭いたぁい。疲れた。
煮えくり返る腸もありません。
嘘。低音でじっとりじっくり煮込んでる。
復讐報復倍返し因果応報大好き。
それもこれもあのゾウさんのせい!
泥を打てば面へはねるとご存知か。
雨雲を呼び、ゾウさんとの融合を指示。
のろのろ牛歩になっていただきます。
雷嫌~い。移動は早業で。
絹索をロープワークの要領で手繰り、後ろ脚に結びつけ。
そのまま怪力を持ってして引き倒し狙います。
泥塗れでも似合うお顔だから大丈夫!
ね、汚い顔見せてください。
頭痛いヤダ~。
絵描きさんどうしようね。
捕まえて、あなたの番ですとか恫喝しますか?

◎
連携アドリブ可NG事項なし
ひひ…うひひ…最低で、最高の体験ができました。お二人に感謝しなければいけませんね。皮肉じゃないですよ。私、本当に感謝してるんです。イっちゃってる?それはお互い様です。でも私は人類に味方する狂人ですが、あなた達は人類の敵ですから、友達にはなれないかもしれません。ねえ絵描きさん。あなたは人類の敵になる覚悟があって、それでも為したいことがあるんですか?もしそうなら、その狂気に敬意を払って全力で戦います。違うならすぐに降参して下さい。私、柄にもなく昂ってますから、|彼方の呼び声《コズミック・ディスコード》による<精神攻撃>も非殺傷的制圧では済まないかもしれません。

◎
「猫バーグにゃあなったけど、いやぁ楽しかったねぇ。」
もっかい殺り合いたいのう…冗談よ、冗談。
傲慢の√能力で敵に掛かる重力をめっちゃ増やして動きを鈍らせる。
んでもって、後は動きの鈍った敵にそこらの瓦礫やらなんやらを魔手達の怪力フルパワーで投げつけまくる。近付くと危なそうだしねぇ。
ここら辺はあんだけぶっ壊した後だし、投げるもんにゃあ困らないっしょ。
アリエスミューズ・シデレウスは、オレ的にゃあどうでも良い。
…まあ、流れ弾の瓦礫が彼の方に飛んでくかもねぇ。当てはしないけども。
「くぁ…ねむ。さっさと殺って寝たいなぁ…。」

◎
さてさてニセモノなガランちゃんとの楽しい
ころしあいは終わりましたので〜
後は心置きなく親玉をブッ飛ばしましょうねぇ
巨像だ!名前がハンニバル?
バアルって蝿じゃありませんでしたっけ
別のバアルっすかねぇ
まぁ的が大きいのは殴り易そう〜
象の鼻なり霧なり厄介そうではありますが
小手調べに死霊クンに突撃GO…!
剣での反撃が来るなら分かり易くもあり
殴り棺桶を盾代わりにして受け、
牽制足払いに鎖で捕縛も狙ってみましょう〜
霧で逃げられちゃいましたかねぇ
まぁ無問題〜仲間の方々も大勢いることですし
つーかまーえた、したら棺桶にて
ボッコボコですよお楽しみに〜
煌剣Galatynの斬れ味も
ついでに味わっていきます?
●それぞれの歩み
連絡を受けてシンシアは再び偽物蔓延る街に戻って来ていた。
「はあ……それにしても、なんなのですかあの偽者。殺意が凄かったのですが!」
思わず口から愚痴も漏れる。分かっていた事とはいえ、滅茶苦茶痛かった。今日バックレなかっただけでも褒めてほしい。ふと脳裏を過った|鉄の処女《アイアンメイデン》が微笑みかけてきた気がする。きっとあの蓋が閉じられたら似たような痛みが全身を襲うのだろう。ぶんぶんと頭を振った。今は黒幕を倒す事に集中しなくては。
レイピアを携え廃墟へ向かう。ハンニバルを許すことは出来ない。
「頭いたぁい。疲れた」
既に廃墟に到着してはいるものの、時雨はぐしゃぐしゃと頭を掻き毟る。痛みからの復帰を果たしたとはいえ、名残りが未だに体を蝕んでいた。元を正せば今いる奴が原因らしい。横でおろおろしてる絵描きはひとまず置いておくとして。
「それもこれもあのゾウさんのせい!」
気合入れに両頬を叩き、ぐっと両手を握り締める。復讐報復倍返し因果応報だーい好き! 覗く両瞳はギラギラと太陽にも負けず輝いていて、獲物を確りと視界に収めた。泥を打てば面へとはねる。それを思い知らせてやらないといけない。
続々集まる仲間を後目に、手を目の上へ翳して様子を窺っていたガラティンは瓦礫の上からハンニバルを眺めている。
「思ったより巨像だ! 名前がハンニバル……?」
記憶によればバアルと関係があった筈だが、蠅というより象である。別物だろうかと首をひねった。しかし、象なら象で問題ない。的はデカければデカい程いい。殴りやすくて。
「さーて、小手調べといきますか」
ぴょんと瓦礫から飛び降りたガラティンは棺桶を背負い疾走する。まずは、最初の一手から。
七々口のない尻尾の代わりに魔手がふらふら揺れている。手持無沙汰なのだろう。
「猫バーグにゃあなったけど、いやぁ楽しかったねぇ」
数日前戦った廃墟群が再び戦場になるとは。しみじみとあの日を思い出して感想が口からついて出る。命を懸けた戦いだったが、だからこそ得られるものはあった。もう一度と願ってしまうのも仕方ないのかもしれない。そうない体験だった。
恐らく同業であろう人物が飛び出すのを見て、七々口もかつての戦場跡地を後にして新たな戦場へと向かう。暴れるのに適した場所だというのは身をもって知っていた。どことなく足取りは軽い。
「ひひ……うひひ……」
あの日から、ずっとこんな感じだ。
「最低で、最高の体験が出来ました。お二人には感謝しなければいけませんね。ひひ……」
我慢しようとする素振りもないものだから、口角は吊り上がり、まさしくニヤニヤとしか言いようのない表情でイサは肩を震わせる。これで普通に街中を歩いているのだから、相応に不気味な視線をぶつけられてはいるのだが本人はお構いなしだ。完全に自分の世界である。
辿り着いた先は、あの日いた場所とはやや離れた路地裏だった。手を空中で滑らせると、全く違う世界が見下ろせる。視界には話に聞いていたヴィランが立っていた。
「私、本当に感謝してるんです。でも、私は人類に味方する狂人なので、ここでさようならですね」
にこりと笑ったその顔は、確かに獲物に狙いを定めた獣と同等の目をしていた。
……あぁ、僕は死んだ。死ぬってこういう感じなんだ。
はは、あの子達もこんな風に死んだのかな? それとも、痛かっただけだった?
幾度目かの問いを繰り返して、徨は細く息を吐いた。座ったまま寄りかかった壁は冷たく、そう感じる事こそが徨に生命を訴えかける。確かに命を奪われて、死を経て、また息をしている。
「──僕は、生きてしまっている」
時折痛みを訴える体を僅かに起こし、徨は自分の膝の上に置いた自由帳の表紙を撫でた。
「ああ……そうだ、先にやらないと」
自由帳の中に広がる際限のない世界、|_ἐλπίς《エルピス》。ひとつの世界をも生み出す事が可能な創造者は、静かな場所で呟いた。神の目が世界を見下ろしている。
「僕の|想像《イメージ》を、形に──」
●巨像将軍ハンニバル
粉塵が舞う。勢いをつけて振り下ろされた剣は重く、ハンニバルへ攻撃を仕掛けようとしたガラティンの棺桶を軋ませた。攻勢から一転守りへと転じたガラティンはその重さ故に後方へと数歩分押され、靴が引っ掻いた砂礫が剣の衝撃で空気中に跳ねた。剣の射程に入った瞬間に姿を消したハンニバルの攻撃は予測をしていた為に対策のしようがあったが、それにしたって十分に体にダメージを蓄積させる。
衝撃が地面へと抜け切る頃、棺桶を支えていた力を抜きガラティンは足元を狙う。同時に音色を響かせ飛ばした鎖はハンニバルの四肢を確かに捉えはしたが、一瞬の抵抗感の後に解けていた。
霧だ。
「あーあ、霧で逃げられちゃいましたかねぇ」
「任せろー」
声は下から届いた。ガラティンが視線を下げると、戦場にも関わらず黒猫が通過していく。声を掛けようかと思ったところで、頭上がひどく眩しく輝いた。下を向いていて良かったとさえ感じる。
空には黄金に輝く手が浮いていた。
「それじゃあ便乗しちゃいましょう!」
それを指差すように人差し指を天へ向けた時雨がくるくると指先を回す。水妖が呼べば曇天も生まれ、少しばかり輝きを減衰させた。それも束の間だ。霧と雲の相性が悪い訳もなく、ハンニバルの隠密を暴いた雨雲が融合を果たす。再び天から降り注ぐ傲慢の威光も巨像の姿を捉えた。重力を加えられた巨像は象の両足を地面へとめり込ませ、低い唸り声をあげる。
固定された的ほど狙いやすいものはない。何事かを口にしようとしたハンニバルは、不穏な気配を敏感に感じ取り視線を上げた。降り注ぐ威光を越えて、自身を見る目を捕捉する。他√から降り注ぐイサの視線は対象を捉え、テレパシーの受信先へと設定していた。ハンニバルが違和感を感じたのは表面上の話ではない。直接精神を削りにかかる|彼方の呼び声《コズミック・ディスコード》の無視し難いダメージを自覚したからだ。
「小賢しい真似を……!」
一瞬の隙をシンシアが見逃す筈もない。魔術。祈り。物理。あるいは、今日は怒りもあるのだろうか。力を乗せたレイピアは真っ直ぐにハンニバルの胸部を目掛けて突き出された。刺突に特化したレイピアは加速したシンシアの速度と重さを乗せて動きの鈍るハンニバルの胴体を貫く。上体をズラしたハンニバルの致命傷にはならないと即座に判断するが、それよりも先にレイピアを取る手に違和感があった。素早く手を引くが詰まる感覚。筋肉質な巨像が武器を奪おうとしていると気付くのは易かった。
両手を添えて胴体を蹴る。その間にも振り被った象の鼻がシンシアの胴体を捉えた。くぐもった声は肺から押し出された空気で勝手に漏れる。オーラで軽減したとはいえそう何度も喰らえる攻撃ではないのは体中が訴えていた。吹き飛ばされても手放さなかったレイピアを手に顔をあげれば、象の鼻が膨らんでいる。
「固まれ」
声はどこか遠くから届いた。雷ばかりは速く地面へと放出されたが、本来放たれる筈だった水は地面を一滴濡らしただけに終わった。ハンニバルの胴から生えた鼻が石化している。徨の|想像《イメージ》が世界を越え、生物を創造し直している。体の芯から全て作り変える程の力はないが、細部から順番に創造することは難しくない。生物を|創造《クラフト》するなど、本来であれば禁忌とされるような事が目の前で起こっていた。
「雷嫌~い。これでもう剣だけですか? また跳びますか?」
瓦礫の上を音もなく駆けた時雨がハンニバルの背後に現れる。絹索の端を手にしているが、もう片側はいつの間にかハンニバルの後ろ脚に結びついていた。注意がシンシアに向いている間に済ませたのだ。
「よいしょおー!」
この先に細かい作戦があるのか? ──否、ない。力勝負だ。巨像との純粋な怪力勝負。
「ね、汚い顔見せてください。泥塗れでも似合うお顔だから大丈夫!お願い!」
戦いの最中でもよく回る舌に、ハンニバルはただ舌打ちで返した。巨大な体が簡単に這い蹲る事は滅多にないが、今回は相手が悪かった。イサのテレパシーが思考を邪魔して最適解を導き出すのが一歩遅れる。致命的な時間だった。
巨大化した太陽が、ただ輝き続ける理由などあるだろうか。いくつもある魔手がただ黙って浮いている理由などあるだろうか。
「発射よーし」
七々口の背後に大小さまざまな瓦礫を持った魔手が浮いていた。ある魔手は小さくても尖った瓦礫を選び、ある魔手はひたすら質量のある瓦礫を選んだ。周囲に誰もいなくなるタイミングが来るのをずっと待っていたのだ。放たれた瓦礫は巨像の上体を揺らし、時雨の怪力と逆方向に力をかける。元より前方に生えた象の重さに加え、意図を察した徨が更に密度を上げて石の鼻を創造し直すと重心が変わる。
程なくして、ハンニバルは埃を巻き上げ顔面から地に伏した。その背中に軽々と飛び乗る影が傲慢の輝きによって黒くハッキリと粉塵の幕に映し出される。
「貴様ら……」
「つーかまーえた」
ガラティンだ。煌剣を手にしたガラティンは剣を逆さに持つと、ハンニバルの背に剣先を向ける。
「煌剣Galatynの斬れ味、味わっていきます?」
返事は聞かない。ただ垂直に、巨像の背に全てを断ち切る刃が突き立てられた。鎧が刃を拒むが煌剣の前には無意味だ。
背に傷を負いながらもハンニバルが体を捻り自身の上に乗る無礼者を弾き飛ばす。既に使い物にならない鼻を地面に打ち付けて無理やり起こした巨像が見たのは、胸の前でレイピアを構え、異様に静かに佇むシンシアの姿だった。
「ハンニバル。あなたは、許しません」
周囲がスローになったのかと錯覚するほど、時間の流れの変化を感じた。しかし、実際にはシンシアが加速しただけだ。何よりも殺傷力を秘めた細身の片手剣が、次こそは正確にハンニバルのコアを貫いた。
●虚像は虚像のまま
怪人の在りかたは様々だ。ハンニバルは体を維持するコアを貫かれた後、老人のような仮面だけを残して砂礫に仲間入りを果たした。風が吹けば容易く舞い上がるその屑は、街に災いを齎すことなく淘汰され消えていくのだろう。
さて。
「お仕事完了っすね~」
「くぁ……ねむ。さっさと寝たいなぁ……」
うんと伸びたガラティンと、丁度良い横たわりスポットを見つけた七々口の横では一人の男が震えていた。
少し時間は遡る。
「ねえ絵描きさん。あなたは人類の敵になる覚悟があって、それでも為したいことがあるんですか?」
「ひっ……声が聞こえる……!」
「もしそうなら、その狂気に敬意を払って全力で戦います。違うのならすぐに降参してください。私、柄にもなく昂ってますから、」
「す、すみません! すみません!」
役目を終えたとばかりにハンニバルを放置したイサはアリエスミューズ・シデレウスとなった男に声をかけていた。あまりの勢いで謝罪を口にする男を数秒眺めた後、彼はこちら側の人間ではないのかと気にする事を辞めた。七々口の瓦礫射撃をなんとかやり過ごした男は最初から意気消沈した様子だったが、ハンニバルが消えた事を確認するとますます力が抜けたようだった。
一人でいる男を見つけた時雨はずんずんと早足で近付き顔を覗き込む。妙にニコニコしているように見える時雨に男は心霊写真でも見たかのような顔をした。
「絵描きさん、どうしようね」
もうすっかり興味を失ったガラティンと七々口の横で、時折頭痛のせいか渋い顔をする時雨と困ったように眉を下げたシンシアが向き合っている。この場にはいないが、同じ座標からイサと徨も様子を見守っていたが、イサもどちらかといえば興味を失った側に片足を突っ込んでいた。
「あなたの番ですとか恫喝しますか?」
「スケッチブックを雑用インビジブルに奪い取って来てもらう事も出来ると思いますが……」
こんな相談を真横でされたらたまったものではない。
震える男の前でカタカタと小さな石礫が揺れ、一点の凝縮されていく。石で出来た小鳥が男を見上げた。
「……僕の自由帳はかけがえのないもの。あなたにとってはスケッチブックがそうかもしれません」
小鳥が流暢な声を出す。いや、実際は小鳥よりも少し上から聞こえてくるが、それを判断するだけの能力が男にはなかった。喋る石の小鳥を見てから男は目を伏せる。
「でも、人のいのちを奪い、不幸にするために使い続けるなら、捨てるべきです」
「……それは」
絵描きをやめろ、というのと等しい宣言だった。目を合わせた時雨とシンシアは男の決断を静かに……いや、小声でひそひそ会話はしていたが、待つ。
「……そう、ですね。これは……もう、人殺しの道具になってしまった……」
抱えていたスケッチブックを男は顔の前へと持ってくる。別れを惜しむ男の目からは、悲しみとも苦しみともとれる涙が落ちた。勢いよく下げられた頭と共に、スケッチブックが虚空に差し出される。時雨に肘で突かれたシンシアが左右に一度首を振ってから得心し、雑用インビジブルに回収させた。
「終わったかー?」
「ガランちゃんもうくたくたっす~。早く帰りましょ~」
これどうすればという戸惑いを見せるシンシアを置いて七々口が体を起こし大きな欠伸をひとつ零す。目をしょぼしょぼさせたまま、来た道を戻っていった。スッキリした様子のガラティンも後に続いた。
誰もいなくなった廃墟を見下ろす一人の視線があった。視界から外れた石の小鳥は世界の恩恵を受けられずにぼろぼろと崩れる。その最期を眺め、徨は誰にも聞こえない所で独り言ちた。
そうして、誰もいなくなる。街を覆う脅威が消え去った今、街で蠢いていた偽物たちは力を失い形を保てずに溶けた。街はまたしばらく俄かに騒ぎになるだろう。一斉に偽物が消えた街は少し寂しく、忙しなく、それでも明日を迎える為に進んでいく。彼等が真に本物だったなら、こうして暴かれる日は来なかっただろう。その時点でもう、偽物は本物にはなれやしないのだと証明されていた。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵 大成功