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Regret

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 幼い頃の記憶を呼び戻せば、真ん中にはいつもこのボールがあった。
 公園やグラウンドの土、競技場の芝生、それらの上を転がるサッカーボールを、親友達と一緒になって追いかけ回す。最初は遊びの一つでしかなかったそれに、のめり込むのにそう時間はかからなかった。
 勝つために、というよりももっと上手くなるために、毎日毎日暗くなるまで練習して、それが少しも苦にならない。勉強は正直苦手だったけれど、サッカーの本であれば率先して読めた。迷うこともなく、ごく自然に、全ての時間をサッカーに注ぎ込んでいく。プロのユースチームから声がかかった時は本当にうれしくて、俺は一生この競技に携わっていくのだと、本気で思っていた。

 転機となったのは、あの日。高校に進んで、最初の冬だった。
 バレンタインデーにチョコを貰った俺は、浮かれたまま帰りの地下鉄に乗った。
「水瀬先輩、お返しは何がいいですか?」
「ちょっと、やめてよコーくん」
 わざと敬語を使ってそう聞くと、彼女は照れくさそうにはにかんで笑った。ひとつ年上の彼女のことは、小学校に入る前から知っている。そうは言ってもこの歳になると、昔のように「ソラちゃん」なんて呼べないわけで。
「そうねえ、なにを手作りしてもらおうかな」
「手作りなのは確定なんだ?」
 冗談めかした言葉にこちらも笑って応じる。優しくて芯が強くて明るい……そんな彼女のことがずっと好きで、だからこの日の俺は、浮足立った内心を表に出さないように必死だったのだと思う。それでも嬉しいのは隠しようがなくて、いつも以上に軽口が回る。
 そうして夢中になっている内に……ふと気付いた。この車両に居た乗客は、さっきの駅でみんな降りてしまったらしい。二人きりだ、と意識する前にもうひとつ、窓の外の暗がりに気が付いた。地下鉄とはいえ、窓の外に何も見えないなんてことはありえない。トンネルの壁が、そこに据え付けられた電灯が、見えてなければおかしいのだ。
「どうしたの?」
「いや……」
 言葉に詰まる。ただの勘違いかもしれない。それに彼女を不安がらせるようなことは言いたくなくて、思考を巡らせるが、かろうじて浮かんだ言葉はこの程度だった。
「次って、何駅だっけ?」
「……え?」
 扉の上、電光掲示板に妙な文字列が流れているのを見つけてしまう。冷たい金属の匂い、車内のちらつく電灯、知っているはずのそれらでさえ、薄気味悪く思えてくる。隣の車両に移れば他にも誰か居るはずだと、そう思いながらも、席を立つ気にはなれなかった。
 彼女もまた言葉を失い、僅かの間沈黙が続く。暗闇の中でも線路だけは確かに存在しているようで、車輪がそれを蹴る音と、車体の揺れだけが一定間隔で感じられる。
 もしかしたらこれは夢なんじゃないか、そんな風に思い始めた頃、無機質なアナウンスが響く。停車駅の名前を言ったはずだが、耳をそばだてていたにも関わらず、それはうまく聞き取れなかった。
 ゆっくりと速度を落とした列車は、やがて闇の中に停車した。
「ここ、どこなの……?」
 駅の影すら見えないそこで、扉がいつものように自動で開く。外に見えるのはどこまでも続く闇、けれど存在しない駅のホームに、見覚えのある女性が立っていた。
「……母さん?」
 思わずそう呟く。そこにはいたのは、幼いころに別れたきりの母の姿。
 ――女優だった母。覚えているのはテレビの中で輝く姿ばかりで、俺の記憶の中ではいつも遠い人だった。男勝りで仕事一筋、二人で過ごした思い出はほとんどない。今の今まで存在自体忘れていた……はずなのだが、それは目を逸らしていただけだったのか。
 暗闇の中に立った母が、こちらに向けて手を伸ばす。
『煌星』
 幼稚園に通っていた頃、珍しく母が迎えに来た日のことを思い出した。手を伸ばして、駆け寄ったあの日のことを。
「ダメ!!」
 後ろから強く手を引かれて我に返る。振り向けば、彼女が両手で俺の右手を掴んでいた。そこでようやく、自分が立ち上がっていたことに気が付く。
 扉の外、暗闇の中に居た母――少なくとも母の姿をしたそれは、底の無い闇を思わせる瞳でこちらを一瞥すると、踵を返した。
「待っ――」
 どうするつもりだったのかは覚えていない。ただ追いかけようとしたところ、もう一度右手を引かれて。
 ゆっくりと扉が閉まり、電車が動き始めた。

 そこからどうなったのかはよく覚えていない。気が付けば地下鉄は俺達の住む街に到着していた。見慣れた駅の灯、停車駅の名前が書かれた看板を呆然と眺めながら、電車を降りる。改札を出て、家に着くまで、彼女は一言も喋らなかった。
「あのさ、昨日のことなんだけど」
 翌日、謝ろうと声をかけたが、彼女はこちらを見ることすらしなかった。足早に歩き去るその様子から、こちらの声が聞こえていることはわかる。避けられているのだと、自覚するのにさして時間はかからなかった。
 なぜ、と問うたところで、口を利いてくれない以上その理由はわからない。楽しみにしていた3月14日も、何も起きないまま過ぎていった。
 やるせない思いを抱えたまま、足元のボールを蹴りつける。加減を間違えた、と思った頃にはボールは飛んでいくことなく、その場で爆ぜ飛んでいた。
「……」
 深く溜息を吐く。地下鉄で奇妙な体験をしたあの日から、この身体には異常な力が宿っていた。
 チームメイトでもある親友達の驚き、そして蒼褪めた顔を思い出す。トレーニングによる積み重ねとは明らかに隔絶した膂力、こんなものは反則でしかないだろう。そして何よりも、力を見せた翌日――親友達はいつも通り、笑顔で声をかけてきた。
 その時点では安堵したものの、先日のことを『忘れている』、そう気付いた時に初めて、もう同じ場所には立てないのだと悟った。
 あれから、何もかもが変わってしまった。人生を捧げてきたものを手放して、知っている顔を避けて、会わないようにしてきた。何もなくなった自分を呪ったし、全部壊してしまいたいと願ったことも一度や二度ではない。けれど、壊したところで何かが戻るわけではないのだと、気付いたから。
 息苦しいマスクで顔を隠して、夜の街へ。道なき道を走り抜け、障害物を乗り越え、駆ける。
 運命だろうがなんだろうが、今の自分を受け入れるしかない。とりあえずはそう決めた。そして、この力が、誰かの役に立つのなら。
 『ヒーロー』なんて柄ではない。納得のいかない想いはくすぶっているけれど、それでも。
 階段の手摺を蹴って、身体を引き上げ、駆け抜けたビルの屋上から身体を宙に躍らせる。羽を伸ばすように両手を広げ、束の間の自由を味わいながら、眩いネオンの広告を背にして跳んだ。

 いつか、許されるなら。
 彼女にあの日のお礼がしたい。そうしたら、きっと言えるだろう。

 ――あなたが好きでした。
🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​ 成功

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