安らぎは春告鳥の羽の色

お疲れの中恐縮ですが、今回はマスターさんに少しでも気分転換になればと思い、癒しのリクエストノベルをお願いさせていただきました。
不動院・覚悟が、とある平和な町で数日間の休暇をもらい、自然の中で静かに過ごす様子を描いていただければ嬉しいです。
小鳥のさえずりや風の音、焚き火で湯を沸かしてお茶を飲む…そんな戦場とは無縁の穏やかなひとときの中で、町の人とのささやかな触れ合いや、心を癒す場面を通じて、彼が「何もない時間」に少しずつ救われていく——そんな流れをイメージしています。
戦いや重圧から少しだけ離れた、優しい世界の中で、読んでくださるマスターさん自身にも心安らぐ情景を一緒に感じていただけたらという願いを込めております。
なお、覚悟とご縁のある「シオリさん」や「ジェッロちゃん」など、マスターさんが登場させたいと感じられたキャラクターがいれば、ぜひ自由にゲスト出演させていただいて構いません。
ご無理のない範囲で、お好きなタイミングで受け取っていただけたら幸いです。
●さらさら
川のせせらぎの音。
木々のさざめきはくすくすと楽しげに談笑する少女のように軽やかで秘めやか。抜けていく風の悪戯と気紛れさをあたたかく見守っているのだろう。
チチチ、と小鳥の囀りが聞こえた。彼らは自由に歌う。何を歌うのだろうか、何を歌いたいのだろうか。その声色はボーイソプラノのような聴き心地のよさで、譜面のない音楽はどこまでも自由だった。
この世にはあらゆる「√」が重なり合って存在し、同じ地球であっても、√ごとに異なる事情を抱える。森の慎ましやかな吟遊詩人たちの歌に耳を傾けていた不動院・覚悟は√ウォーゾーンの出身。彼の故郷の√では、なかなかここまで豊かで平和な緑は見られない。
大きく深呼吸する。ここが√ウォーゾーンなら砂埃や火薬の臭いがして、ひりひりと肌を焦がすような戦いの気配が胸を満たしたことだろう。覚悟はそれが好きでも嫌いでもないが……この「戦争」とは無縁そうな豊かな自然の空気は、とても息がしやすかった。
戦場から戦場へ、√すら股にかけ、渡り歩いてきた覚悟。彼は√ドラゴンファンタジーの森に来ていた。休暇をもらったのだ。
平和なところで心穏やかに過ごす休養、というのを、覚悟はうまく思い描けないのだが、「それなら自然の中で休むのはどう?」とこの場所を提案された。キャンプの穴場スポットらしい。数ヶ月前にダンジョンが現れ、踏破されてから、人があまり寄らないのだとか。けれど、凶悪なモンスターなどは狩られきっていて、安全は保証されている。
あとはダンジョンによって乱された生態系が戻るのを待つばかりだという。覚悟はダンジョンに入ったこともある。ダンジョンは周辺の動植物を巻き込み、モンスターに変えてしまう。訳もわからず異形に変えられて、人を襲うことになった者も存在する。√能力者はモンスターに変貌することがないが、それでも、天上界の遺産がもたらすダンジョンには呪いなどもあり、それに苦しめられる存在がいるのも知っていた。
ここでは、ダンジョンさえなくしてしまえば、こうして平和が戻る。生態系が乱されたと言っていたが、そこらで歌っている小鳥は一種類ではないように思う。鳴き声だけで厳密な判別はつかないが、二、三種類はいるだろう。
自然に生きる者たちは逞しい。森を歩くと、リスがちろちろと出てきて、木の実を拾っていた。がさ、と茂みからの物音に振り向くと、うさぎがひょこ、と佇んでいたりする。大型の動物はいないようだが、生態系は順調に戻っているのだろう。
川を覗けば、魚が泳いでいた。獲って食べてもいいと言われているが、それはもう少し後でいいだろう。
川の頭上には澄み切った青空。そのクリアな青色は目の醒めるような鮮やかさで、眺めながら覚悟は瞬きをする。
平和で穏やかな時間の過ごし方がわからなくて、戸惑いが多かったが、様々な人から助言をもらった。だから、少しだけだけれど、以前より自然に寛げている気がする。
小鳥や木々の演奏はあるけれど、邪魔にならない。むしろその音楽があるから、心を穏やかにしていられる。√ウォーゾーンではできない経験だ。
川の見える場所で、木の根に腰を下ろす。落ち葉をさら、と退けると、ダンゴムシがいた。潰してしまわないように、少しだけ移動する。
虫がいるのも、自然の豊かさを示す指標の一つだと聞いたことがある。ダンジョンが現れたり、ドラゴンの伝承があるからか、ここは他の√より自然が豊かなように思えた。
戦場にいると、聞こえてくる音は銃撃や剣戟など、物々しいものばかりである。覚悟は「守るために戦う」という信念を胸に生きている。けれど、誰かを救いたい、助けたいと思って駆けつける先は、どうしたって悲鳴や怒号に溢れたものとなっている。その声を救いたくて手を伸ばすのだ。それでも……人の痛ましい姿を進んで見たいわけではない。
そんな覚悟にとって、自然が織り成す弾奏は心地よいものだった。とても優しく、鼓膜を撫でていく。森の声は子守唄のようだ。もう亡い人ではあるけれど、母はこんな声色だったかもしれない……なんて。
「あら……ふふふ」
ぱしゃり。シャッター音がして、覚悟は目を開ける。いつの間にか瞑想をしていたらしい。
……いつの間にか、小動物が覚悟の周りをこれでもかと埋め尽くしていた。リスやうさぎくらいがいてせいぜいだろうと思っていたが、狐もいる。小鳥もいて、おそらくこれはコガラだろう。
草を食べたり、寝転んだり。肩に登ったり、頭に乗ったりと、思い思いに過ごす森の生き物たち。そういえば、瞑想をするとたまにこんなことになることがあった。
「ずいぶん動物に好かれるのね。羨ましいわ」
「シオリさん」
そんな覚悟と動物を写真に撮ったのは、見覚えのある少女だった。シオリというとある任務で戦ったことのある元暗殺者の少女だ。今は足を洗って、一般人として生活しているらしい。
生まれは√EDENと聞いていたが、と覚悟が考えていると、「アルバイトよ」とシオリは言った。
ここは一度ダンジョンが現れて大幅に生態系が乱れた。自然回復はしていくだろうが、その回復の過程で問題が起こっていないか、再びダンジョンが現れたりしないか、という調査をしているらしい。
自然を観察したレポートをまとめたり、写真を提出したり、という簡単な仕事なので、駆け出しの冒険者がやることもある仕事なのだとか。短期間のアルバイトなので、シオリは資金繰りのため、受けたらしい。
√能力者であれば、急にダンジョンが現れても報告できるだろう、と快諾されたとか。
「あなたは? 休養?」
「はい。数日、休暇をもらいました」
「自然の中で過ごすのはいいわよね」
うんうん、と頷くシオリ。それから、未だ動物に囲まれる覚悟を見て、くすりと笑う。
「それにしても、ずいぶん集まったわね。徳が高いのかしら」
確かに徳は高そうだし、と一人納得するシオリ。覚悟は何故こんなに動物が集まるのかわからない。
「もう春だし、あたたかいから動物も出てくる頃ではあるのだけれど。アナグマとかもいるらしいわね」
「ふむ。大型の動物はいるんですか?」
「クマがいたらしいけど、ダンジョンに取り込まれたみたいね。モンスターになったから討伐はされたようだけど、森のボスがいなくなったから、荒れるかもしれないって話があったと聞いているわ」
和やかな雰囲気の動物たちにも「縄張り争い」というものがある。人間のような複雑さはないが、トップが崩れたときの次を決める争いは人間のそれと引けを取らないくらい激しいという。
他の大型生物もダンジョンでモンスター化したらしく、幸か不幸か、この森では争いもなく、穏やかな時間が過ぎているらしい。
「そろそろ一般にも開放するって話も出ているみたい。キャンプに季節は関係ないけれど、なんとなく夏のイメージがあるものね」
夏というか快晴の空の下のイメージかしら、と首を傾げるシオリ。覚悟は気になって聞いてみた。
「シオリさんは、キャンプってしたことあるんですか? お話を聞いていると、大勢でという感じがしますが」
「うーん、私自身はないかも。でも、今度、あの子たちと一緒にできたらなって思ってる」
あの子たち。シオリの暗殺者仲間だった少女たちだ。ドラゴンプロトコルゆえ、ドラゴンストーカーに追われている。シオリは人間だが、彼女らを守るため、共に手を取り合って生きている。資金繰りも、彼女らとの逃避行のためだろう。
「思い出は、生きていればたくさん作れるわ。一人で楽しむのもいいし、人と過ごすのもいいと思う。……あなたは、一人で過ごす方が好き?」
ふと放たれたシオリの疑問に、覚悟は少し考える。
「いえ、人と過ごすことも好きですよ」
一人でいることは多いが、それは人と関わることが苦手だからじゃない。戦場での連携を嫌々でやることはないし、人と協力することで、一人でやるよりも大きな成果を得られることを、覚悟は知っている。そうして得られる達成感の一つ一つを得難いものだと噛みしめる日々だ。
人と一緒に行動することは学びも多い。人はその人ごとの信念や経験に基づくやり方を持っている。それに触れられるのは、その人を知る意味でも、自分の学びという意味でも、大切なことだ。人と人との関わりがあって、繋がりがあって、思いがけないところで生きたそれが、命や生活を繋いでいくことを尊いと思う。
だから覚悟は、戦い以外にも、人と人を繋ぐための活動をしていた。誰かを守ったり、救ったりするのも、「繋がって」いてほしいからだ。
いつかどこかの、誰のためとも知れなくとも。
「それなら、今度は誰かとお休みを過ごすのもいいかもね。キャンプに限らず、何をしたいか話し合えば、自分では思いつかないような答えが出ることもあるし」
「そうですね」
「逆に、こんなに動物に寄られることは、一人じゃないとないかも」
言われて、覚悟は周りを見回す。相変わらず、動物たちが鎮座していた。頭のコガラはぱたぱたとどこかへ行ったようだが、リスは覚悟の傍らでかりかりと木の実をかじっている。
うさぎはぴょこぴょこ大きい木の根を駆け回り始め、狐はするん、と木に登っていく。覚悟のそばからは離れ始めたけれど、つかず離れずの距離を保っていた。
それを見ていたシオリが、何か思いついたように手を合わせる。
「この後の具体的な予定はある? もしよければ、連れていきたいところがあるのだけど」
「日が暮れる前に火を起こすくらいなので、大丈夫ですが、どちらまで?」
「それは行ってみてのお楽しみ。すぐ着くわ」
シオリに案内されて、緩やかに上りとなっている川辺を歩いていく。言っていた通り、すぐに着いた。
その一角だけ、桜が咲いていた。この辺りは他にも桜があるが、山桜が多く、開花時期は普通の桜より遅いのだとか。故に、花見としての見頃は四月の末からとなっている。この一角の桜は「知る人ぞ知る」穴場中の穴場らしい。
「綺麗ですね」
「ふふ。ここを管理している人も、ダンジョンの影響でなくならなくてよかったって言ってた。山桜が森を染めるのもいいけど、こんな感じで慎ましやかなのも桜らしいわよね」
なんだかシオリが小声なのが気になったが、覚悟は頷く。西洋ファンタジーな雰囲気の濃い√だが、日本らしい空間が存在することに、安堵に似た感情を覚える。覚悟もシオリも、√は違えど日本人ということなのだろう。
さら、と爽やかな風が抜けると、それを喜ぶように鳥が歌い出した。ホーホケキョ、というこの声は春を告げる象徴。
「ウグイス、いるんですね」
覚悟は目を見開いた。シオリが頷く。
「なかなか鳴き声聞けないから、試しにあなたを連れてきたの。春ね」
「ええ」
ウグイスの姿は見えないけれど、声は確かにして。それは長閑で穏やかな日々を象徴していた。
夜。シオリがレポートなどの資料を取り終え、帰るのを見送ってから、覚悟は火を起こした。焚き火が夜の静寂の中でぱちぱちと音を立てる。夜には夜の音があり、昼とはまた違った風合いで、安心をもたらす。
風に乗って、デデーポッポーと風変わりな鳥の声。これは山鳩というのだったか。頬を撫でるくらいの風はひんやりと心地よい。
何もない一日。自然の中で瞑想することはたまにあったが、こうして時間を気にすることなく、自然の声に耳を傾けたのは初めてだった。
覚悟は、いつも必死だった。生きるか死ぬかという戦いを繰り返しているのだ。心休まる暇がないのは、無理もないことだった。助けを求める声はどこでも聞こえて、争いは√ウォーゾーンに限らず、どこにでもある。だから戦い続ける。
そうして、自分の信念の下に生きることに日々を費やすのは、誇りでもある。そのために、張り詰めていたものが、休息の中でほどけていくのがわかった。
結びすぎて解けなくなった縄を切るのではなく、結び目を読み解いて、解していくような、優しく、穏やかな癒し。
祝福というほど派手ではない森の伴奏の中、覚悟は確かな安らぎに身を任せることができていた。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴 成功