触れる唇の行方
●二人の距離
「どうせ、“バレンタイン”なんて、お互いバカほど縁がねぇンだしよぉ!!」
ホールのチョコレートケーキをちょっとおしゃれな洋菓子屋で買った、六宮・フェリクスは、街中の甘い雰囲気を突っ切って、ジェイ・スオウの部屋のドアを勢いよく開け、叫ぶように言葉にする。
ちなみに、ケーキはホールであり、しかも8号と普通にでかい。
まあ、ノープランで買ったかと言えば……そうとも言い切れないのだが。
「……ん。天使サマ?」
フェリクスの突然の来訪には慣れているジェイは、軽くドアの方を見ると騒がしく揺れるフェリクスの金糸の髪を視界に入れる。
明らかに高級なバレンタインコフレの、薔薇模様のホワイトチョコをしなやかな指で口元に運びながら。
「……それ、どうしたんだ?」
バレンタイン感満載の色合いでありながらも宝石箱のように詰められ、繊細な色合いで美しく並べられたチョコたち。
フェリクスとしては、ジェイが誰からそんな素敵なバレンタインチョコをもらったのかが非常に気になる……自分もチョコケーキを用意はしていても、正直、甘くて美味しくて“食べ応えがある”という基準でのホールチョコケーキだ。
「食べル?」
「たべる!!!!!!」
迷いなく勢いよく、若干食い気味にジェイの問いに答えたフェリクスは、ジェイの傍らに座ると、紫水晶の瞳の奥を見つめてジェイに聞く。
「そのチョコレート、どーした? 誰かにもらったのか?」
奇麗に並ぶチョコのどれをフェリクスに食べさせようか迷っているジェイに、フェリクスは聞かずにはいられない。
2月14日のバレンタイン。
今日その日に、ジェイがバレンタインチョコを持っている……フェリクスからすれば緊急事態である。
何を置いても確認しなければならない、“重要事項”なのだ!
「チョコレート? 今日ってバレンタインダヨ、天使サマ?」
「ああ、それは分かってる」
不思議そうに問い返すジェイだが、フェリクスとしても答えを聞かないと落ち着かない。
「バレンタインってチョコを食べるお祭りデショ? だから、オレ、デパ地下を巡って一番キラキラしていたのを、買ってきたんだヨ。これ、抹茶の生チョコなんだけどキラキラ光って翡翠みたい。それにこれ、“ルビーチョコ”って言うらしいんだケド、深紅なんダ。まるで、天使サマの瞳みたいで、凄く……キレイ」
ルビーチョコを指先で摘まむとジェイは、フェリクスの左目に並べるように翳す。
「やっぱり、奇麗な色。オレが好きな色……ダ」
自然に零れたジェイの言葉に、フェリクスは顔が急に熱くなったような気がして、ジェイの持つルビーチョコを勢いのまま口にする。
勢いがつき過ぎて、ジェイの人差し指に唇が触れてしまったけれど。
「天使サマ、お腹すいてたノ? そんなにチョコが好きなら、オレが食べさせてアゲル」
指にフェリクスの唇が触れても、当たり前のことのように軽く微笑みジェイが言う。
その無防備なジェイのリアクションに、フェリクスの胸の方が高鳴ってしまう。
(「なんで気にしないの? オレちゃんが気にし過ぎなの!? 唇触れて気にしないとかある?」)
「天使サマ、ケーキ買ってきたんだヨネ? ソ。じゃあ、半分こスル? お茶入れ直すネ? 一緒に食べヨ」
大好きなフェリクスが、ケーキと共に自分の所に来てくれたのが嬉しくて、キッチンに向かったジェイは、お気に入りの茶葉で入れた暖かなお茶を、ペアの茶器と共に運ぶ。
「んじゃ、ジェイのチョコはまた後でってことにして、オレが持ってきたチョコケーキ、食べるかな♡」
ジェイにペースを乱されっぱなしなフェリクスは、やや大げさに言ってチョコケーキを4等分にして、一つずつ自分とジェイの皿に乗せる……8号ケーキの4分の1は、まあでかいのだが。
ジェイはフェリクスが自分に取り分けてくれたチョコケーキを大事そうに味わい、それでも食べるスピードは落ちなくて、ケーキはどんどん小さくなる。
「天使サマ、口にクリーム付いてるヨ」
そんな時、フェリクスの頬にチョコケーキのクリームが口元に残っていることにジェイが気付く。
「マジ? ま、あとで拭けばいーや」
気にする様子もなく、さらにフェリクスはフォークに刺したチョコケーキを口に運ぶ。
その時、ジェイの顔が突然フェリクスの間近まで近づくと、軽く目をつぶったジェイがフェリクスの口元のクリームをぺろっと舐め取った。
「勿体ないカラ……タベチャッタ。」
他意なく、照れもなく……ジェイは、大好きな甘いものが、大好きなフェリクスの口元にあったから、それなら自分が食べちゃおうと、舌を伸ばしたのだが、フェリクスとしては若干生きた心地がしない……凄くドキドキしているので間違いなく生きてはいるのだが。
「それ、恋人にやる距離感だからな……」
片手で頭を抱えフェリクスは言うが、ジェイは不思議そうな顔のまま……。
「天使サマは、イイノカ?」
「……オレちゃんはいいけど……な」
(「鈍すぎるンだよぉ〜!! オレちゃんがどう思うとか思わないわけぇ~!?」
「ソウナンダ。なら、次からも天使サマにダケ、するネ」
素直に言うジェイなのだが、フェリクスにとってその素直さこそが危うく思えてしまう。
「本当~に! オレだけな! オレ以外には、絶対にすんなよ!……うん。いいよな、ジェイ♡」
「分かっタ。大丈夫ダヨ、天使サマにしかしないヨ。けど、天使サマにはこれからもしていいんだヨネ?」
「いい! むしろ歓迎だ! その代わり、ホントオレだけな! オレならいくらしてもいいから♡」
(「やってることが天然すぎだろ。まあ、そこもカワイイんだけどさ。心配になるじゃん、オレちゃん? だってよ、こんな簡単に信じて、他の誰かにまでやっちゃったら、オレそいつぶん殴って、再起不能になる未来しかないんだけど。けど、それやったらジェイの管理不行き届きとかにならね? それで、監視官変わったら、オレちゃん何するか分かんねえし……」)
ジェイと一緒にいるためなら正義の味方を全力で頑張るが、ジェイと引き離されるのであれば、それは別問題……。
(「けど、この距離ってさ。……あわよくば、ここで告白ワンチャンいけねぇか……!?」)
そんな願望と妄想の狭間で葛藤しながら無心にチョコケーキを食べるフェリクスを、ジェイは横目で見やりながら、フェリクスが自分に言ったことを一生懸命整理していた。
(「さっきのは、付き合ってる距離感なんだヨネ? それで、付き合ってる距離感……は、天使サマはオッケー? ……ン??」)
恋人の距離感が自分と天使サマがOKなのであれば、それは付き合っている距離感が、自分とフェリクスならOKということ。
だけど、付き合うってことなら、自分と天使サマ……フェリクスは付き合ってるの?
そんな疑問が、ジェイの中で生まれる。
(「付き合うって好き同士が、コクハクして恋人になるんだヨネ? 俺も天使サマも“告白”してないから、付き合ってないよね。……天使サマ、告白……してくれないカナ? 俺は、恋人がいいのに……ナ」)
そんなふうに思っても自分からは告白できず、ジェイは隣にいるだけで幸せだから、それでいいかと、チョコケーキのおかわりをする。
来年のバレンタインには、二人の距離がさらに近づいていれば……フェリクスもジェイも、お互いに言わぬまま心の中で思うのだった。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴 成功