シナリオ

猫吸いと貰い火

#√妖怪百鬼夜行 #ノベル

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 大きな体に生まれたから、周りに優しくするのは当然だった。
 それが本能と個人の性質のどちらに因るものだったのか、誰に判断出来るものでもない。気になるものがあっても近付くのを最後まで我慢するのは、図体が周囲の邪魔をしてしまわないように。四肢を縮こまらせて座る癖がついたのは、身体なりに大きく鋭い爪と牙が、じゃれつく間に相手を傷付けてしまわないように。
 我慢とは思わなかった。見返りは十分以上にあったからだ。求めてすらいない報酬を与えられるのだから、過ぎた幸運だと感じるほどに。
 ――大人しくて、良い子だねえ。大事に育てて貰ったんだねえ。
 皺くちゃの掌が頬を撫でる。たまに髭を掠めて行くのがなんともむず痒くて擽ったい。ぼくも、と、老婆の背に隠れていた子どもが勇気を出して近付いて来る。掌いっぱいに触るのはまだ怖いのか、背筋に線を描くようにした指先がすぐに離れてしまうから、しばらく悩んだあと、眠たいだけの振りでその場に座った。ほら、今ならだいじょうぶ。くすくす笑いに背中を押されて、今度こそ軽い足音が近づいて来る。
 あれは初めの飼い主一家の客人だった。もう、随分と、遠い記憶だった。



 座敷の縁側から見通す庭先に、濡れる新緑が清冽なほど輝いている。留守番の共にと自宅から持ち込んだ書籍のたぐいを繰っていた早乙女・伽羅(元警察官の画廊店主・h00414)の指も、梢の間隙を通り抜け、たっぷりと涼気を吸った心地いい風が吹き付けるたびに何度となく止まっていた。昼日中の陽射しを弾いて眩いほどの緑を眺め愛おしむためが理由のひとつ、揶揄うように不意に強さを増した風が文庫本の一冊ぐらいは攫ってしまいそうになって、注意を払う必要があるのがもうひとつ。
 もう諦めてしまおうか、けれどせめてキリの良いところまで、と諦め悪くエッセイ本の小口を指で撫でていると遠く物音がした。迷いなくこちらに近付いて来る足音はこの屋敷を知る者でしかありえないし、何より伽羅の耳はその歩き方の癖を知っている。やがて座敷へと姿を現した目・魄(❄️・h00181)は外行きの羽織を脱ぎながら、縁側に寛ぐ伽羅へとゆるい微笑みを浮かべた。
「ただいま。まさか子守も忘れて没頭しているわけではないよね」
「俺が君との約束を違えると思われているなら心外だな。時間も知れなくなるような傑作長編は家に置いて来たに決まっているだろう」
「ふふ、冗談だよ。ありがとう。見ていてくれて助かった」
 魄が仕事で家を空ける間の面倒を頼まれていた養い子はしばらく前に寝入ってしまった。おじさんが来た、と朝から嬉しそうに遊び回った結果、昼食を食べたあとにすっかり疲れて眠くなった――と、なんとも健康的な顛末だ。魄があくまで小声なのもそれを察しているからだろう。
 襖ひとつ開ければ昼寝用の籐枕と上掛けで健やかに眠る子どもの姿を確認出来るだろうに、魄はそれをしなかった。おや、と思う伽羅の横に腰を落ち着けた魄は短く嘆息する。
「今夜も出ることになるかもしれない」
「決まり切っていないのかい」
「ご依頼主の意向と言うやつを待つ運びになってね。しっかりお代に色は付けて貰うつもりだけれど」
 語る目つきは茫洋と倦んで、庭先の木々を眺める先にも焦点が合っていない。そうか、と軽く受け止める伽羅も、わざわざ仕事の内容に踏み込みはしない。万物を扱うからこそ、この店は八百万の名を冠している。
「疲れているな」
「うん。今日の仕事は、面倒だった」
「無理をするな――と、外野から無責任に言い立てるわけにはいかぬか。留守居ぐらいなら幾らでも預かるから言ってくれ。此方は優雅な自営業だ」
「助かるよ。とは言え、伽羅の画廊が開くのを心待ちにしている者も多いだろうし、俺が一人占めも出来ないな。どう転ぶにせよ、明日には片を付けて戻って来たいところだけれど」
 力無く笑った声もすぐに途絶えた。伽羅の持ち込んだ書籍を捲りながら小声で贔屓の作家の話を持ち出したが、それもいずれ潰えてしばしの無言が落ちる。居心地の悪さと言うやつはついぞ感じない。梢の擦れ合う音が絶えず場を満たすこの静かな景色のなか、時までも微睡むようだ。
「なあ、伽羅。猫を吸いたい」
「ん?」
 沈黙を破り、唐突に魄が言い出したときには、流石に伽羅もなんて? となったが。
「前に教えてくれただろう。猫吸いと言うやつをしたいんだ。あなたさえ良ければなんだけど」
 添えて言い募る魄の目は虚ろで、これは相当疲れている、と悟るにも余りある。彼の猫好きは知ってのことだし、毛並の素晴らしさを褒め称えながら文字通り猫可愛がりを受けるのは慣れたやり取りだが――疲れ果てた時の癒しに選ぶものとして妥当なのかと言うと、我が事ながら伽羅には判断が付かない。
「……草が起きる前に満足してくれよ」
 伽羅が悩む時間はそう長くなかった。今更、許す許さないの話ではない。魄が体を休めるにあたって最もよい選択なのかどうか、夜までの短い時間だとしても布団を敷いて寝た方がよいのでは、とか、気が進まなくとも飲み物でも口にして気を解いた方がよいのでは、とか。考えた末、疲弊しきった様子の魄に他事をさせる方が酷かと結論付けたわけだ。
 了承が貰えたならば、魄の動きは速かった。倒れるように伽羅の腹に顔を埋もれさせ、胸いっぱいに息を吸い込む。腰回りに巻き付いた両腕は所かまわずにふわふわの毛並を撫で回し、白皙の美貌がうっとりと悦に浸る。この図、誰にも見せられぬな。呆れるような伽羅の声が落ちて来るが最早ほとんど意識の外だ。
「少しは落ち着いたかい?」
「もう立てないかもしれない」
「勘弁してくれ。俺を店に返さなくてはと殊勝なことを言っていたのは魄の方だろう」
「その時の俺は少し良い子に見られようとし過ぎていたみたいだね」
 されるがままだった伽羅の掌が魄の旋毛をぐいと押す。抗議の意図なのだろうけれど、向こうから押し付けられる肉球の柔らかさは魄にとってご褒美でしかない。仰向けに伽羅の膝へ頭を預け直して腕を上げると、猫又はほとんど身に沁みついたかのような動きで少し俯き、その頭を魄の掌へと擦りつけた。耳を潰してしまわないように頭全体を撫で回す。とろんと蕩けた目つきも、ゴロゴロと鳴る喉も、もっととねだって魄の方へ寄せられる尻尾も、伽羅本人に自覚があるのやら。ヒトに近しい身形を得るまで生きたなら年嵩らしい振る舞いをせねばと、日々殊勝なのはどちらなのだか。
 ぞう、と唸るような声を立てて、一際強い風が梢を揺らした。釣られて庭先へ目を向ければ、気温が上がり始めた折からぽつぽつと花開き出していた躑躅の深い緑の葉が、陽射しを互いに反射し合って眩しいほどだ。目の奥を刺すような光に視線を逃すと、同じように目元を擦る伽羅の姿が、明かりに応じた分だけ色濃い影にうす暗く沈んでいた。
「……煙草、吸っても構わぬかね?」
「草のいないところであれば、構わないよ。全面喫煙可だ」
 眠気覚ましのつもりだろうか。伽羅の瞼が不可抗力的に落ちそうになるのは、猫の目にとってこの景色があまりに眩し過ぎるからだろうし――本当に眠たいと言うのであれば、一寝入りぐらいして行ってくれたところで|魄《家主》としてはまったく問題ないのだけれど。控えめに伽羅が言い出したならば、魄に灰を落としてしまうかとやきもきさせるのも悪いだろう。身を起こして懐を探るのは、傍で一服を楽しめる程度には落ち着いたと、伽羅に示すためでもある。
 ライターで紙煙草の先に火を入れる。見つめる魄の藍玉の眸のうちに、一点の赤い焔が灯る。肺腑の奥までゆっくりと巡らせた煙を吸い込む作業は、仕事の匂いに上書いて、いつもの顔を取り戻すための儀式だ。暴力的なまでに清らかな新緑の涼やかさにほんの僅か感じた、たとえば神域の荘厳さに息を憚るような苦しさから、煙混じりの呼吸が守ってくれる。
 舌先の甘い苦みにすっかり平生を取り戻した魄の隣で、一方の伽羅はと言えばカチカチと年代物のライターの引鉄を鳴らしては徐々に弱った顔になっていく。どうやらガス欠だ。何度かの挑戦のうち、幾度かは爆ぜるような火が光った分粘る気持ちがあったようだが、あんなにご機嫌だった尻尾がへたって行くあたり、そろそろ諦めを付けようとしているらしいことは見て取れた。
「火、貸そうか」
「助かる」
 懐に戻したライターを取り出そうかと魄が動くより、伽羅がその鼻先をずいと近付けてくる方が早かった。二本の煙草の先が擦れ合う。魄の咥えた火の先が伽羅の呼吸と共にチリチリと滲み、やがてふたつに分かたれる。
 有体に言えば虚を突かれた。火が確かに燃え移るまでの数秒間、折り目正しく礼を言った伽羅が元の姿勢を取り戻して細く煙の筋を吐く間のしばらくも、まじまじと見つめてしまうのは仕方がない。
「伽羅の距離感も、大概だと思うけどね」
「何か言ったかい?」
「お互い様だねって。いつか、伽羅が膝のうえに乗ってくれる日を楽しみにしている」
 魄が笑うと、俺は友人を潰してしまいたくはないよ、と伽羅が呆れた顔をした。



 歓楽街の夜を男が歩いてゆく。年若い見目だが物慣れない様子はない。客引きの女たちをすげなくあやして、大衆のなかに紛れてゆく。瞬きのあとにはその背中は立ち消え、誰の記憶にも残らない。
 周囲からは猥雑な喧騒が止まない。夜闇の安寧を決して此処に立ち入らせまいと空騒ぎに笑う声は、焦りや恐怖を隠し立てしようとするかのようでもあった。色眼鏡を通してさえ煩いほどの、色彩の洪水。路地の暗がりにでも居着いて気を抜きたかったけれど、この辺りを飲み歩いている相手と接触して今夜中にも|仕事《・・》を果たせと言うのが依頼なのだから無理な話だ。万物を扱うからこその|八百万《何でも屋》。現状に不満はないけれど、やり口と納期に無茶を言って来る客の相手だけは困りものだった。
 通りに人が溜まっている。趣味の悪い囃し立てをしながら、熱狂して拳を振り上げる群衆。人垣の最後尾に何事だと訊けば、派手な喧嘩で盛り上がっているのだと、あっちだって碌に見えていないだろうに得意気に語られた。
 堪らずに息を吐きながら、通りに面した店の軒先に身を寄せる。喧嘩の物見遊山に混ざるか混ざらないか、周囲から見れば曖昧な距離。ここで待たせて貰うことにしよう。これだけ盛り上がっているなら相手が此処に来る可能性だって高いだろうと、半ば投げやりな気持ちですらあった。
 疲労で軋む頭を宥めるため、煙草の一本に火を点す。瞼を落としてゆっくりと息を巡らせる。昼の景色を思い出す。|こちら側《夜道》の方が余程馴染んだ世界のはずなのに、今日に限って、惹かれるのは鮮烈な緑の薫るあの庭先ばかりだ。
 ――春が来て、草木が一斉に動き出したら壮観だろうねぇ。花の時期もよいが、俺はその次にやってくる新緑の頃がとても好きだ。
 巡る季節を愛おしんで笑っていた、あなたの望みに適ったろうか。
🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​ 成功

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