|春告《まほう》の白
羽二重の頬を滑る白はすぐに溶けてきえた。
花弁が肌を撫でたのかもしれない。歩む先ではこんなにも淡い薄紅が舞い遊んでいるから。
色んな世界に、踏み出してみたかった。幼子の姿を得てからというもの。
雪白の少女。ミューリアルカ・クプルーシュ(雪白の楔・h05809)は、未だ見ぬ世界の景色に期待を膨らませ歩いていた。
「……?」
この世界の桜は、春は。こんなにも温かいのだろうか。
はらはらと舞う薄紅が、蒼穹を宿すミューリアルカの眸に映り込む。
共に。ふわふわと舞う、白が。確かに視界に映って。
「……雪?」
この世界は冬だった? 違う、だってこんなにも甘やかな花が、踊るように降り注いでいる。手を伸ばしていた。触れれば温かく、雪白の少女が僅かに首を傾げれば。蒼穹の片隅にひとりの少年を捕らえて。
「――こんにちは」
一歩二歩。彼との距離を縮めていた。何かを探しているような様子に見えて。声を掛けていた。どうしてか興味が湧いてしまったから。
「ん? 嗚呼、こんにちは」
「どうしたのかしら? 何か、困りごと?」
「困っていた――わけではないんだ」
心配をかけてしまったと思ったらしい。褐色肌に真白の髪を跳ねさせた少年は、微かに眉を下げて答える。
「友人と借り物競争をしていてな」
「まぁ、かりもの、きょうそう?」
それってなぁに?
ぱちぱちと瞬く双眸。まだ自分は遊びの種類に疎いのだと。今度はミューリアルカが申し訳なさそうに告げる。教えてくれると嬉しいわ。そんな少女の言葉に、少年はゆるゆると首を振り、穏やかに微笑んで見せる。
「いや、おれの説明が足りなかったんだ。みんなで籤を引いて――これだな」
「それで、きょうそう……競争するの?」
少年は丁寧に畳んでいた紙を懐から取り出し差し出す。ミューリアルカはいいのかしら、と受け取りながらも紙を広げて。
「これに書いてあるものを持っていくのね?」
視線が合うと、少年は頷いた。手にしていた紙に書かれた文字は。
「――お花の種」
「そう、種なんだ。桜は咲いているが、種は落ちていない……」
「ふふ、奇遇ね」
「……?」
わたし、お花の種、持ってるのよ。
見上ぐ少年の眸が煌けば、少女の夜空にも星が流れた。
「ちょっとした魔法の種だけれど、これでもいいのかしら?」
それは少女の――竜の加護を纏う、強くうつくしい花が育つ魔法の種。
勿論問題ないと少年は頷いた。普通の花でなく、魔法の花。
指定以上のすごいもの、と認識した少年は、少女が手のひらに乗せた種を興味深そうに見つめている。その様子に、少女は微睡んだ。
「わたしはミューリアルカ・クプルーシュ。長かったら、ミューリとか、アルカでもいいわ」
「ミューリアルカ。きれいな響きで、好きだ」
視線を種から星空へ。
「おれは|雪仄《ゆきほのか》」
「雪仄というのね。素敵なお名前だわ。そういえば」
さっきの雪は、あなたが降らせていたの? 問えば雪仄が頷く。幼い少年は、その力の使い方について、未だ理解が及んでいないようだった。
「不思議ね。春の陽だまりみたいに温かくて」
大好きな春。けれどこんなにも温かい雪を、ミューリアルカは知らなかった。
春の陽だまりみたいに温かくて、わたし、とっても好きなのよ。
言葉にしながら、身体を廻って、胸のあたりを柔く握られるような感覚。
苦しくはない、だからなのか、目の奥で留まる。溢れたのは笑顔。
少年は何故だろうと零した。言うつもりなどなかった言葉みたいに、口にしてから少し驚いたように目を開いた。嬉しかったからなのか、笑っていて欲しかったからなのか、自分でも分かっていないようだった。
「それなら。ミューリアルカの世界がずっと温かければいいのにな」
ふわふわと雪が降る。その言葉が嬉しいと、少女は花咲んだ。
この|場所《せかい》の春は、あなたのおかげで温かいのね。
「もっと話していたいが――あの池の近くが集合場所なんだ」
ミューリアルカと話すのは楽しい。雪仄は名残惜し気に息を吐く。
「雪仄が楽しいなら、わたしも嬉しいわ」
「ミューリアルカは優しいな」
「もちろん、わたしも楽しいの。ふふっ」
少女の言葉の優しさを素直に受け取れば、自分も楽しいと言葉にしてくれる。
その傍らは居心地が良くて、もっともっとと思ってしまうけれど。
集合場所には、もう友人たちの姿があった。
丘の向こうの日も、周囲を赤く染め始めている。
おせーよ、と笑う子。おかえりと手を振る子。
雪仄が少女を彼らのもとまで連れていけば、今日の。
知らなかった楽しい遊びを教えてくれたこと、素敵な出会いのお礼に。
そう種を子供たちへと手渡していく。種は土に埋めれば、好きな色の花が咲く。それは普通の花よりもずっと長持ちして、長く楽しめると微笑む。
ありがとうと、いくつもの声が響いた。
春の魔法はこれからまた、この地に芽吹いて幸せを運ぶ。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴 成功