シナリオ

仔犬の未来の救いかた

#√汎神解剖機関 #ノベル

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 かつこつと、靴音が鳴る。無機質な研究所において、どこの通路も薄暗いのは変わらない。黄菅・晃は研究員から手渡されたファイルに入った資料に目を通す。
 被験体ナンバー三九三二、狡噛。そう名付けられた青年の、添付された写真の表情はひどく乏しい。
 あの子か、と女はかつて一度見かけたことのある被験者と記憶を照らし合わせる。全部諦めているのか、それとも自我が未発達なのか。
「どっちにしろ骨が折れるわねー」
 カウンセラー兼医師として働く彼女の主な診察対象は、機関組織で数多く収容されている人間災厄達。人ならざる怪奇との交流は慣れたもので、それは晃自身が取り替え子なるいきものだからかもしれない。
 ちらと研究員へと視線を投げて、女は口を開く。
「ねぇ、あの首輪の絞首機能ってやつ? 絶対アンタ達の遊びで作動させてるわよね? あの子、ちゃんと言うこと聞いてるでしょー?」
 やる意味ある? そう続けようとも、研究員達が答えをかえすことはない。問うたとはいえ、晃も承知の上ではあったけれど。
「ま、私はきちんと仕事するけどねー」
 そうして、女はちいさな個室へと入っていく。

 音がする。妙におおきく聞こえるそれが、自分の呼吸音なのだと青年は思った。
 人工呼吸器型のそれは、さまざまな薬物と新物質が混ざったものを吸引するための道具。今日も相変わらず、吸引が終わるのを待っていた。
 研究室の外からは、名前も知らない白衣の群れの声。
「心拍数は安定して――」
「どこまで凶暴化するかは未知数だが――」
 ぐるる、と唇から唸り声がこぼれる。薬物を体内に取り込んでいる時は、意識もなにもかもがぼんやりとして、頭が回らない。
 だからこそ、青年は気持ちが楽だった。意味のわからぬ言葉の羅列に気づいて、狂うこともないのだから。なにかを考える必要もなくて、ただ目を閉じているだけでよかった。
 普段はよく聴こえてしまう耳も、研究室の向こう側までしか音を拾うことがない。うるさくない、あいつらも近づいてこない。
 肉体の回復力を調査するテストで切り刻まれ、火傷を負わされた全身の損傷はすぐに癒える。けれど傷は残ったままで、薬よりも、あいつらの笑い声よりも、これが嫌だった。
 ぐるる、ぐるる。喉を鳴らせば、それが気に食わなかったのだろう。白衣のひとりがスイッチを押して、ぐっと青年の首を絞める。
「ッ!!」
 裂傷と火傷の痛み、さらにぐっと狭まる気道の息苦しさ。それらすべてが同時に襲って、ぼんやりしている頭のなかがさらにまっしろになっていく。
 嫌だった、こんなことはやめてほしかった。けれど青年はこのために創られたのだから、大人しくしていることしか知らなかった。

 次に目覚めた彼の視界、見慣れぬ女が座っている。寝ぼけたような意識をすこしずつ引き戻していくように、女がひらひらと手を振った。
「おはよ、狡噛くん。はじめましてだね」
 四肢を拘束された状態で、誰だ、と無表情のままで疑問をぶつける青年に、女は挨拶をする。
「私は黄菅 晃、よろしくー。アンタの専属医兼カウンセラーになったから、まぁ気が向いたらいろいろ教えて?」
「医者……?」
 なおも怪訝そうにつぶやく青年に、まぁそうなるよね、なんて晃は一人で納得している。
「そ、お医者さん。カウンセリングってわかる? アンタが話したいことを聞いてあげるのが私の仕事」
「……要らない。……話すこともない」
 傷ならその場で治ってしまうし、なにを話せばいいのかもわからない。正直な返事を告げれば、晃はぐるりとちいさな部屋の壁や天井を見渡した。
「いつ見ても、ここの研究者ってヤバいことしまくりよねー」
 今だって、無数にある監視カメラ越しにこちらの状況を都度監視している。貴重な医師を被験体に殺害されるわけにはいかない、そんな欠片ほどの倫理観と人件費に対するコスト削減を考えているらしい。
 だからということでもないけれど、女は仕事をする。いつも通り、患者に寄り添うための仕事を。
「……ところで、アンタはあいつらのために作られたワケだけど、反抗してもいいのよー?」
 その瞬間、ぱっと青年が目を見開くのを見逃さない。
「力は当然アンタのほうが上だし、第一アンタからすれば、こんなの不本意でしょー?」
「不本意……?」
 はじめて聞いた言葉の意味を、青年が咀嚼している。
「納得がいかないってこと。自分のなかで、こんなの嫌だって思うこと」
 難しい意味を噛み砕かせたのち、女は手元にあったボタンを押す。すれば、厳重に閉じられていた扉が開き、屈強な警備員達が青年を連れて行く。
「今日はこれでおしまい。また気が向いたら来なー?」
 じゃあね、と手を振る女に見送られ、青年は生まれてはじめて困ったような気持ちになった。
 あの医者は、他の奴らとはなんだか違う感じがしたから。

 初回のカウンセリングを終え、女は個室を出る。反抗してもいいのだと告げた時の、一瞬驚いた表情を思いだす。
「案外、表情は豊かなのか」
 専属医は要らないと言っていた割に、こちらの話はちゃんと聞く。聞いたことには素直に答える。
「……従順すぎ……」
 すこしばかり研究員を脅して、外を歩かせるくらいは許されるだろう。手元の資料にすらすらと走り書きをしながら、次のカウンセリングの予定日を確認した。

 数日後、青年の身体に新たな実験が加えられる。言霊を使えるようにさせるための実験は困難を極め、結局術が発動することはなかった。
「――失敗だ」
「なら――」
「ああ」
 珍しく実験が失敗したのだと、青年が理解して数時間後。彼の声帯は強引な手術によって切除されていた。ろくな麻酔も掛けられず、わざと傷が残るように薬物で弱らせたのち、乱雑に焼き潰されている。
 俺には、声が要らないらしい。かひゅ、と必死に呼吸をしようと藻掻く度に、おそろしいほどの痛みが走る。喉がつまって苦しくて、うまく息ができない。
 けれど青年を助けてくれる存在は何処にも居なくて、ただ、彼は思う。

 どうして、俺なんだろう。こんなに苦しむなら、死にたい。
 もう、どうでもいい。もう、それなら全部……!

『……死ね……!!』

 目の奥がまっかに燃える、声にならない憎悪と殺意が、明確に吠えていた。
 拘束具を尋常ならざる怪力が引きちぎり、覚醒した言霊が喚きたてる。気づけば彼の視界には、赤黒く染まった研究室が在った。
 臓物が弾け飛び、すべての研究員は息絶えている。それまでぼんやりとしていた意識は、今までで一番冴えているような気がした。
 死体だらけのなかでぽつんと立ったまま、このまま殺処分になるかもしれないと思い至る。けれど、それでもいいと思った。
 ――死にたい。そんな気持ちばかりが満ちていたから。
「やっぱり、そうなったのねー」
 この惨状には見合わない、どこかからっとした声が耳に届く。研究室の扉を開けて現れたのは、たった一度だけ話をしたカウンセラーだった。

「まぁ遅かれ早かれ、こうなるとは思ってたけど」
 軽やかな足取りで、晃は臓物の群れを避けながら青年へと近づいてくる。それが煩わしくて、青年はちいさく後ずさる。
「生憎、私は医者なの。生かすのが仕事だから、アンタに拒まれようが恨まれようが生かすわよ?」
「……っ! うる、さい……っ」
 焼けた喉ではうまく話すこともできず、咳き込みながら専属医へと八つ当たりをこぼす。やったことのない我儘は無茶苦茶で、他にどうすればいいかもわからなかった。
「というか、本当に死にたいワケ?」
 女は青年を恐れるそぶりを一切見せない――否、本当に恐れていないのだ。ただ、自分の担当患者へと、語りかける。
「前にも言ったけど、嫌なことは拒んだっていいのよ? 生みの親のために自我捨てたり、死んでやったりする必要なんてないの」
 それはまるで、反抗期を穏やかに受け止める教師のように。当たり前みたいに告げられて、青年は目を丸くする。
「今日はやりすぎかもしれないけど、使えるようになった言霊とやらでかるーく黙らせてやれば、アンタも気持ちが楽になるでしょー?」
 そんなこと、はじめて言われた。死んでやる必要も、受け入れる必要もないだなんて。
「……いいの?」
 焼けた声が、雑味を帯びてしわがれている。幼く、たどたどしく問われたならば、晃は目を細めて頷く。
「生き方がわかんないなら教えたげるから、死ぬのはやるだけやってからでもいいんじゃない?」
 ほら、行こ。こちらへと差し出された手に、青年はおそるおそる触れる。壊してしまわぬように、傷つけてしまわぬように。
 不安そうな青年の手をぐっと掴んで、女はゆるやかに告げる。
「だいじょーぶ。これからアンタは、ちゃんとなんでも自分で選べるようになるんだから」
 その姿が妙に眩しくて、青年はすこしだけ目を瞑った。

 のちにルカと名付けられた青年は、黄菅・晃を専属医として|警視庁異能捜査官《カミガリ》の職に就く。
 いまもまだ未成熟な感情は、すこしずつ、生き方を覚えていく。
🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​ 成功

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