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忘日

#√妖怪百鬼夜行 #ノベル

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 #√妖怪百鬼夜行
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 連日の寒波は山中に白い衣を運び込んだ。普段ならば綺麗に整えられている道もすっかり隠されていたが、神社を訪れる人々が道に迷う事は一切なかった。その日初めて訪れた人も彼等の導きによって迷う事なく辿り着けた。雪道に真っ直ぐ伸びた二匹分の足跡は、大口真神を信仰する人々にとっては慣れ親しんだしるしだ。
「一段と冷えますね」
 神社の入り口を護る狛犬像の雪を払いながら東坊が声をかけると、少し奥まった所に積もった雪山がのそりと動き出す。白く染まった神社の中に寝そべっていれば、彼等の姿は紛れてしまう。真白い毛並みから覗く赤い双眸が東坊を見た。
「|霞彩《かさい》、おはよう」
「ああ、おはよう。君もこんな日に懲りないな」
「日課ですから」
 白い装束を重たそうに引き摺った東坊はにこにこと笑顔を絶やさぬまま霞彩の前で佇んでいる。これといって話を続ける気はない風ではあるが、立ち去る雰囲気は全くない。
 東坊の意図を察した霞彩は大きな口から白い息を吐き出して、薄らと積もった雪を振り払いながら尻尾を振った。大人まるまる一人呑み込んでしまえそうな白狼の尾の重量はすさまじく、雪と共に一匹の狼を弾き飛ばしてしまうぐらいだ。霞彩を壁にして様子を窺っていた子狼は三回転半地面を転がってから、その青い瞳を東坊へと向けて瞬いた。
「|澄清《ちょうせい》もおはようね」
「あ、う、うん。おはよ、東坊……」
 ぺたりと座った耳を見るや否や、東坊は大仰に笑う。その声に驚いた澄清は毛を逆立てるとさっさと霞彩の後ろへと隠れてしまった。霞彩が億劫そうに見せながら頭を擡げると、霞彩の前足と頭の隙間から澄清が恐る恐る頭を出す。
「全く、何時になったら慣れるのやら」
「ほっほ、全くですな」
 親子のようで兄弟のような狼たちに挨拶を済ませると、東坊は律儀に頭を下げて神社を後にした。東坊が来たら日が昇るにつれて参拝者が訪れ始める。時に人間が畏まってお参りを済ませ、時に妖怪が競い合って大暴れし仲裁される。
 ここではいつだって狛犬の付喪神が二匹、大小揃って見守っていた。

 月が満ち、欠けて細い円弧が空に輝いていた。灯篭の少ない神社は星を纏う春の三日月がよく見えた。
「もうすぐか」
 暗がりに浮かぶ赤い双眸が鳥居の向こう側を見る。
「ほんとうに、あるの?」
「ああ」
 不安げに揺れる青い瞳は隣の霞彩と景色を交互に写していた。
 ここ数日、とある噂が立っていた。曰く、|百鬼夜行《デモクラシィ》が行われるのだと。人を脅かす妖怪たち、古妖を封じる彼等の行いは風の噂で聞いていたが、それがやってくるとなると興味も湧く。狛犬達にとっては特に否定するものでもなく、だからといって賛同して神社を飛び出すでもなく、ただ一瞥をくれてやるだけだが。
 霞彩の見つめる先では、|百鬼夜行《デモクラシィ》が始まっているのだろう。縁のない神社は常と変わらず静寂に満ちていて、ほんの少し騒ぎが耳に届く程度だ。
「目が覚めればいつもの朝だ。お眠り、澄清」
「うん、そうする」
 そうして、――朝は来なかった。
 澄清は微睡みの中で体が跳ね上がる感覚がして目を覚ました。いや、自然と目覚めたのではない。強制的に意識が現実へと引っ張り上げられたのだ。まだ理解が追い付いていない頭が浮いていると認識した頃には体は地面に叩き付けられ、肺が圧し潰されて痛みが這う。一体何がと震えながら顔をあげると、いつもの社は真っ赤に染め上げられていた。
 炎だ。
「な、に」
 真っ赤な炎が、全てを燃やしている。パニックに陥った澄清が認識出来たものは、眼前で妖怪達を傷付けぬようにと爪を振るいながらも声を荒げる霞彩の姿と、古妖、殺せ、逃がすな――そんな断片的な単語だけだった。
 彼等は狙われたのだ。妖怪とは善も悪も存在していて、その欲は留まる処を知らない。純粋で無邪気な悪意が神社に住まう狛犬達も古妖だと声高らかに謳い上げれば|百鬼夜行《デモクラシィ》も黙ってはいない。熱意に溺れた集団は特に残酷な事さえも正義の名の許に執行してしまう。
「私らがいつ人を喰ったと云うのだ!」
 霞彩が吠える。あくまでも人と妖怪を傷つけまいとする霞彩の前にいる者達は殆ど無傷だが、一方の霞彩はあれだけ白かった毛並みを血と泥に汚して足掻いていた。事態に違和感を感じた者達が止める声もあったが、多くは唸る炎と戦いの音で届かぬまま掻き消えていった。
 混乱が渦巻いている。澄清の足は震えたままではあったが、ぞわりと悪寒が背をかけて地面を蹴った。先ほどまで身を横たえていた大地を幾本の槍が抉っていく。柄元へと視線を向ければ、下卑た笑顔を隠そうともしない古妖が楽しそうに狩りをしていた。
 場は乱れ、神社は失われていく。戦いが長引く程に、剥き出しの依り代がどうなるかなど想像に易かった。そして、危惧は現実へと変わる。
 物とは思いの外、呆気なく壊れる。どれだけ頑丈に作られていても、年月と悪意がその寿命を削り取っていくのだ。何年、何十年、何百年と存在した狛犬像でさえ、物の理から外れる事は出来なかった。
 いやな、とてもいやなおとがした。
「ちょうせ 」
 声が途絶えた。
「……霞彩?」
 まるで春を迎え消えていく雪のように、霞彩の体は解けて消えた。最期の声すらも、届かぬまま。

 一度目の春が来た。すっかり元の姿にとまではいかないが、木々の代わりに植えられた赤い花が暖かな陽気に釣られて花弁を開いた。神社は壊れた瓦礫を取り除かれて綺麗な姿を保っているが、狛犬像の足元には崩れた体が残されていた。
 あの日、全てが壊れてしまった。
 赤い瞳が消滅すると、場はこれ以上ないほどに盛り上がった。介入してきた古妖との戦いは続いており、澄清だけが一匹取り残されていた。もはや戦意を失った付喪神に向けられる目は多くなく、澄清はただ茫然と失った空白を見ていた。
 名前を呼んだ。何度も呼んだ。一度呼べば、いつだって返事をしてくれた存在はもういない。
 水面下で耐えていた感情がその瞬間に溢れ出した。怒りが体を支配し、子狼の秘されていた力が解放された。口々に何かを叫ぶ生物を青い双眸が捉えた時には、頑丈な牙が獲物の喉元を貫いて絶命させた。妖怪、人、妖怪、妖怪、人、人、人……。全ての動くものが沈黙した頃、白く幼い付喪神は血みどろの狼へと変じていた。
 東坊と彼の知る妖怪達が駆け付けた頃には、全てが壊れてしまっていた。
「  」
 虚空を見つめて名前を呼ぶ狼を、誰が処せると云うのだろう。
「……封じましょう」
 彼等の選んだ結論は、澄清の――青い瞳の狼の記憶を消すことだった。万が一にも思い出す事のないように、そして、望まず誰かを傷付ける事のないように、本体である狛犬像へ還すために全ての感覚も封じた。彼の善行と悪行に準じた罰だった。
 花が揺れて、香りが届いても、何も感じない。世界の色を失くした青い瞳の狼は、ただ深い深い絶望の中に住んでいた。
(此処ではない、何処かに行きたい)
 誰が訪れようとも、もはやこの神社に参拝者を出迎える者はいない。
(早く、消えてしまいたい)
 彼の心を映すように、ここ数日雨が続いていた。長い長い雨だった。
 彼を出迎えたのは、さいわいか、厄災か。望みを叶えてあげるとでもいうように、散った命を惜しんで赤い花で彩られた神社は降り続いた雨による土砂崩れに呑み込まれて消えた。
 これは、いつかの物語。
🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​ 成功

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