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外来種たちの会遇

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 生まれがどこかを知らぬ魚ばかりが住まう川であった。
 密かな外来種の不法投棄が相次ぎ、同じだけ密漁が行われていながらにして、行政さえも目に留めぬ一角である。既に本来の生態系は壊滅して久しく、ひしめき合うのは存在すべきでない鮮やかな色合いの魚と、彼らによる環境変化を逞しく躱し、僅かに生き残った在来種のみである。
 色鮮やかな観賞魚から今や特定外来生物に指定された魚まで、環境に適応した多種多様なものが現れては消えていく。幸か不幸か極めて安定した気候の地を流域としているだけあって、そも日本の気温変化に全くついていけぬ種を除けば、幼魚のうちから長らくこの川を住処としているものまであった。
 その川底を這うように暮らす一匹のブラックバスがあった。
 臆病というべきか慎重というべきか、とかく彼女は生存に長けた。体長三十センチにも満たぬ外来種は、同じ外来種の中でも殊に屈強なものたちが跋扈する川においては圧倒的な弱者の括りだ。同種の中でも小柄な身は幸いにして隠れ場に困らず、同族たちがガーの口やら人間の釣り糸やらに消えていくさまを横目に、比較的長く生き残っていたのである。
 といっても、生活に彩があったわけではない。気を抜けば簡単に淘汰される環境だ。なにしろ跋扈しているのは並の魚ではない。上昇すればアリゲーターガーをはじめとした獰猛な肉食魚の視界に入るし、さりとて川底で気を抜けば巨大なナマズに一呑みされる。巧妙に隠された釣り糸や網に掛からぬようにもせねばならない。
 そういう生活の中で、彼女の楽しみといえば、餌を探して息を殺す合間に見上げる川面越しの空と魚の腹ばかりだ。恐ろしい捕食者たちも、到底近付けぬ巨大な魚たちも、見上げる分には美しい景色の一部である。
 殊に彼女が好いていたのは、時折横切る金色の鱗だった。差し込む日差しに|煌々《きらきら》と輝いて、まるで川の中にもう一つ太陽が出来たように揺らめく。その巨大な体が悠々と闊歩するさまに憧れの思いが込み上げぬはずもない。少なくとも彼女がここに来たときからそこにいるらしい、名も知らぬ魚を見上げる日々は、変化の兆しを宿すこともなく過ぎていた。
 ――最初に起きたことを、魚たちが認識することは難しかったろう。
 以前から時折茂っていたホテイアオイが、その年も青々と繁殖していた。どこからともなく漂って来たそれは人間の目を以てしても単なる水草の一種にしか映らない。見逃された予兆はすぐに過ぎ去り、次いで不可逆の変化が現れる。
 水面に近しくあった魚たちが死んで浮かぶようになった。日に日に数を増すその体を取り込むように勢いを増したホテイアオイの群が川辺を覆い尽くさんとしたとき、静かなる虐殺を生き残った魚たちは陸に出るすべを得た。
 怪人細胞『ブルーテロル』――半ば無法地帯と化した川の生態系に目を付けた秘密結社プラグマによって仕組まれた、|魚を怪人化させる《・・・・・・・・》計画は、ここに達成された。
 川底に住まったブラックバスもまた、その影響を如実に受けた。気付けば陸に投げ出されていたのである。
 妙に重い体を持ち上げる。明確な自我を得た高性能の目には、銀の髪と浅黒い肌が映った。
「あたし――どうしたんだっけ?」
 呟けど経緯を思い出せるわけでもない。眩む頭に無意識に当てた、本来なら存在しなかった器官――腕の違和感を認識するより先に、彼女は朧げな記憶を辿り始めた。
 数日前から体に変調をきたしていたのは事実だ。|体調が悪い《・・・・・》というにも漠然とした違和感は、今は胸部に咲いた蒼花の刻印が彼女を蝕んでいた証拠である。しかし真実を知る由もない、嘗てブラックバスだった浅黒い肌の女は、思い出せぬ過去から現在に目を遣ることにする。
 何か強い焦燥感が胸中に灯っている。無視するには大きすぎるそれは、彼女がずっと抱き続け、しかし解決するすべを持たぬまま心の底に秘め続けて来たものだった。
 そうだ。
 ――人間を滅ぼさなくちゃ、あたしたちが滅ぼされちゃう。
 増えては減る同族たちだけではない。巨大な天敵は全て人間の手によって齎される脅威だ。そのうえ身勝手にも、奴らは自らの手で放った外来種を駆除しようと虐殺を働きさえする。
 今の彼女には人間たちの所業がよく理解出来た。宿った細胞によって煽られた危機感は人間への燃えるような敵愾心に変わり、胸郭に強く渦巻く。滅ぼされる前に滅ぼさなくてはならない。駆除される前に駆除しなくてはならない。殊に魚のうちから生存のために怯え続けていた彼女にとって、使命感にも似た焦燥感が齎すものは絶大だった。
 人間を駆除する――己が斯様な体を得た理由は、それを成し遂げるためであるに違いない。両の足で立つことが出来る。水がなくても呼吸が出来る。人間と対等に戦うことも、ともすれば下すことさえ容易かもしれない。
 ブラックバスだった黒ギャルの心は、怪人としての希望に燃え立っていた。そうとなれば立ち止まってはいられない。
 善は急げともいう。しかし急がば回れという言葉も同時に存在する。たった一匹で地球上に跋扈する人間という種を何とかするのは厳しいだろう。まずは志を同じくする仲間を探すことが先決だと判じて、彼女は周囲を見渡した。
 まず目に入ったのは、目を惹く金色の鱗だった。
 嘗て川底から見上げ、見惚れていたそれによく似ている。鮮やかな青と金色の、太陽の光を反射して輝く一匹の大きな魚は、陸上から川面を眺めるようにして立ち止まって――足はないが――いた。
 憧れの存在を彷彿とさせる存在が、自身と同じく怪人化したことを確信して、ブラックバスの足は意気揚々と進む。感情を映さぬ魚の眸が自分を見上げるのを嬉しげに見返して、彼女は魚時代の警戒心はどこへやら、溌溂とした笑顔を浮かべた。
「こんちは! あの、あなたもこの川にいましたよね? 一緒に人間駆除しませんか?」

 ◆

 アロワナは困惑していた。
 彼女は川の古株である。幼魚のうちにこの川に放流という名の不法投棄を受けて以来、他の巨大な魚たちの餌になることもなく、鮮やかな青と美しい金の発色も見事な藍底過背金龍へとすくすく成長した。
 大らかでゆったりとした気性でありながら非常に目立つ外見を人間に狙われずに済んだのは、ひとえに他の魚が彼女を凌ぐ大物ばかりだったからであろう。裏を返せば五十センチにも届く美しい観賞用のアロワナですら埋もれるような惨憺たる生態系が構築されていたということにもなるのだが。
 この頃はホテイアオイのような水草が繁殖していた。同族の死骸はよく見掛けるようになったが、水と空気を遮断する水草の大繁殖によって窒息死する魚は少なくない。この二十年近く、そうした植物が増えすぎていると感じた頃には気付けば魚の密度が減っている――というのは、幾度か経験して来た。
 しかし此度のそれは日頃のものとは違ったらしい。体調に何とはない変化を覚えていたのは彼女もまた同様だが、とまれ食事を欠くほどのことではなかったし、鰭が動かしにくいといった類のものでもなかったから、人間であれば首を傾げるような状況もさして気にしていなかった。
 そうかと思えばよく分からぬうちに陸に放り出され、死ぬこともなくこうして今まで生きて来た川を眺めていられるようになっていた。身に不可逆的な変化が起きていることは漠然とながらも理解していたが、それがどういう機序で齎されたどんな変化なのかは、理解するには情報が少なすぎる。
 ふいに黒ギャルが不意に話し掛けて来たのはそういうときである。
 確かに気付けば空を飛んでいるし、人間たちが喋っていたような言葉をどこかから発する機能も手に入れている。目を輝かせてぐいぐい寄って来る銀髪の黒ギャル――元は直感的にブラックバスだと分かる――の言っていることも聞き取れていて、理解することも出来た。
 しかし名もなき藍底過背金龍は別に人間を滅ぼしたくはなかった。
 そもそも彼女は見ての通り怪人化に失敗している。煽られるべき危機感を欠落していたアロワナは、幸か不幸か適合した怪人細胞によって命を落とすことこそなかったものの、人間への敵愾心を増幅されなかったし、人の体にもならなかった。
 ゼロに何を掛けてもゼロにしかならぬことは自明である。いかに怪人細胞といえども、ないものを新たに産み出すことは出来なかったのだ。
 結果的に生まれたのは、明確な自我を持ち、人語を解し喋り、陸上と空中を泳ぐ、人類に対しては特別どうのこうのと思っていない一般アロワナである。
 なんなら彼女自身は珍妙な現状にもあまり危機感は抱いていなかった。従って元のように戻らなくてはならないというような使命感も大きくはない。慣れた川辺を半ば追い出されるような形で陸生になってしまった身の、あまりに急激な変化に些か途方には暮れていたものの、元より穏やかでのんびりとした気性も相まって、それはそれなりに受け入れつつあるといったところである。
 兎も角、それなりにやっていくためにも移動を始めようかと思っていた折であった。どこに行けばいいのかは分からないが、周囲を見渡しても自分と同じような状況に陥っている魚型の影は見えない。何やら妙に人間型になった魚が多い中、自分だけがこんなことになっていることを奇妙に思わぬでもなかったが、そこはそれだ。同族のよしみとでもいうべきか、直感的に相手の元種族が分かることについても気にしてはいない。
 そんな中で唐突に目の前に現れ、人間を駆除しようなどと思想強めで物騒な勧誘をノリノリで仕掛けて来る初対面の黒ギャル型ブラックバスは、彼女にしてみれば紛うことなき不審人物であった。強引な新興宗教の勧誘レベルで信用ならぬそれに内心後ずさりしながら、アロワナは穏当な断り文句を探す。
 下手に刺激してはならない。魚の身ながら人間並みの知能と自我を得た彼女には、こういう相手を無理矢理に振り切るのは危険だ――という予備知識が備わっていた。
「えーと、私よりもっとやる気のあるかたを誘った方がよろしいかと。私はほら、ただの一般通過アロワナですので……」
「ええ!? 人間、滅ぼしたくなってないんですか!?」
「ならないですね……」
 普通はならない。
 それもこれも彼女の左腹に咲いたものと同じ青い花の模様――の形を取った寄生細胞――が悪いのだが、その点を説明してくれる者はなかった。
 右も左も分からぬアロワナは、とまれ目の前で茫然と言葉を失う相手を極めて怪しいブラックバスであると判じた。危機感はあらずともドン引きの感情は存在するがゆえ、あまり長時間会話することが得策だとも思わない。何やらいたくショックを受けている様子の黒ギャルが固まっているのを幸いに、大きな鰭を翻して颯爽と陸上を逃げていくことにする。
「それでは私はこれで……失礼します」
「そ、そんなあ――あ、待ってください! せめて連絡先だけでも!」
 青と金の鱗は振り返らなかったが、まずもって魚から陸に上がったばかりの二人にはそんなものはなかった。陸に適応して間もないとは思えぬ早さで去っていく魚類の背中を、ブラックバスだった女は中途半端に上げた手を下ろすことも叶わずに、ただ見送るほかになかった。
 かくて陸上生活初めての窮地を脱したアロワナは、一戸・藍(外来種・h00772)と名を得たのちにも、人間駆除を持ちかける正体不明の黒ギャルのめげない勧誘に当惑し続けることになるのである。
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