夕暮れエスケープ
「はー、遊園地楽しかったすね!」
あとはお土産でも買って帰ろうか、なんて。
楽しい夢のような時間を過ごしていた霓裳・エイル(夢騙アイロニー・h02410)は胸いっぱいの溜息をひとつ、それから満面の笑みで翊・千羽(コントレイル・h00734)を振り返る。
遊園地のお土産といえばやはりぬいぐるみやストラップだろうか、日持ちするお菓子あたりも定番かもしれない。足取りはいまだ軽く、仲良く並んで土産屋を目指そうとした――けれど、そうはならなかった。
その不和に最初に気が付いたのは、エイルだ。スピーカーから流れていた遊園地らしい軽快な音楽の中、次第に混ざりはじめた雑音に足を止める。「……あれ、」音がたわんで歪むような、沈むような違和感は強まる一方だ。エイルの様子に気が付いた千羽もまた、足を止めて発信源であるスピーカーに目を向ける。
その頃には、不快な音楽は鳴り止んでいた。
代わりに調子の外れたチャイム音が鳴り、やがて無機質な声が流れる。アナウンスだ。
「ハッピーフラワーパークよりお知らせです」
ぎぎぎ、ががが。油を差し忘れた機械染みた雑音混じりのそれは一音ごとに様々なひとの声を継ぎ接ぎしたかのような奇怪な音へと変わり、そうして――「もう間もなく、ドリームナイトパレードがスタートします」ぶつん、と。大きな音を立ててアナウンスは途切れてしまった。
「……え、何?」
ぽかん、とした様子のエイルが周囲を見回した。その束の間。
「――え、何で赤い赤い怖っ!!」
次にエイルが目を瞬いた時には、周囲の景色が一変していた。
遊園地を華やかに飾り付けていた花々は枯れ落ち、濁った水溜まりに落ちた看板が鈍い音を立てて軋んでいる。真新しかったはずの遊具までもいつの間にか錆びて朽ちている有様で、異常なほど赤く染まった空に漂う鉄錆の匂いが酷く鼻についた。
「真っ赤だ、不思議」
空を見上げた千羽は僅かに眉を潜めて、それから手元のパンフレットを開く。
ドリームナイトパレード。本来であれば光と音が織り成す豪勢なパレードだったはずだが、どうやらそんな可愛らしいものではなさそうだ。しん、とした園内に気が付けば自分たち以外の人気もない。
間もなく遠くから聞こえてきた不協和音に視線を向ければ、錆び付いたゴンドラフロート車がメインストリートに沿って動きはじめていた。先頭に乗っているのはピンク色のうさぎ、この遊園地のマスコットであるハピラビちゃんだ。
「……なるほど、逃げたほうが良さそうだな」
その手に掲げられた血濡れの斧を見れば、一目瞭然か。
千羽はメインストリートへ続く道がパレード用の鉄柵で封鎖されていることを確認した後に、要は脱出ゲームのようなものかと納得した様子でエイルを振り返る。
「脱出ゲーム、はじめて。エイルはしたことある?」
「ななな無いっすよ! あれ、まずいんじゃないっすか!?」
ゆっくり、けれど確かに近付いてきているハピラビちゃんもよく見れば一部赤く染まっているものだから、エイルは声を潜めながらも千羽を急かすように服を引っ張る。「こわい?」「こわ……くないけど!」それでも、このまま此処いたら危ないことだけは分かるので。
「うん。大体分かった。きっと何とかなるなる」
「それ絶対フラグじゃん! ハピラビ君……可愛いマスコットだと信じてたのにー!」
まずは見つからないように出口に向かおうと、千羽は半泣きのエイルの肩を宥めるように優しく叩いて、メインストリートから離れるべく横道に足を向ける。
メインストリートの近くは危険だ。ハピラビちゃんもそうだが、注意深く周囲を見渡してうろついているマスコットたち――森のお友達たちも、まず味方ではない。
「エイル、あっちは危険だ。こっちから行こう」
迂回しようと指差した真剣なその表情に必死に頷いたところで、エイルは気付く。真剣そうに見えて、この表情は絶対に楽しんでいるに違いない。
「いや千羽君楽しんでるなこれ? なんで?」
「楽しい。エイルと一緒だから」
なんすかそれ、と思わず笑った拍子に肩の力も抜けたのが幸いか。
パレードの不協和音を背に、ふたりは身を隠すように息を潜めて駆け出した。
◇
メインストリートを迂回しながらハピラビちゃんたちの目を掻い潜るには、アトラクションを利用するのが良いだろう。そう判断した千羽たちがまず足を踏み入れたのは、ミラーハウスだ。
「よ、夜のミラーハウス雰囲気満点過ぎない?」
はじめて入るのか不思議そうに辺りを観察している千羽とは裏腹に、腰が引けた様子のエイルは嫌な予感がして仕方なかった。「わー無理迷う迷う千羽君……じゃない、鏡だ!」とさっそく鏡の反射に惑わされながらも、不安を誤魔化すように深呼吸する。絶対にはぐれてはならない。プリズムのように瞬いた瞳からはそんな決意が見て取れた。
「エイルがいっぱい、オレもいっぱい」
「ねえ本当に大丈夫っすか? ここ抜けられる?」
「うーん。あれ、あれ。どっちが正解……?」
首を捻る千羽が、ふと足を止める。
「――エイル、今あっちの鏡に誰かいなかった?」
「いやー! なんでそんなこと言うんすか!!」
特徴的なピンク色が視界の隅を掠めたような、気がして。
絹を裂くような悲鳴をあげたエイルが縋りつけば、裾を握った手が震えていることに気が付いた千羽が自然な動作でその手を拾って繋ぐ。そのまま先導するように鏡の合間を再び歩く千羽といえば「離れ離れになったら困るもんな」と繋いだ手をぷらぷらと揺らして、どこか嬉しげな様子だ。
「そ、そうっすよ。千羽君、迷子マスターだからねっ」
絶対に離れないで。絶対に。そばに居て。
ぷるぷると震えた声が小さくも、鏡の合間に反響していた。
そうして、しばらく。
行き止まりに何度かてこずりながらミラーハウスを無事に抜けたふたりは、どちらともなく息を吐いた。
「何とか抜けられた。えっと、出口は――」
地図を取り出した千羽は、位置を確認するように手元で回転させて首を傾げる。
間を置いて、何も言わず首を傾げた方向に地図も傾けて、もう一度。くるくる。くるり。何度か地図を回して見るその様子に、エイルは肩を落すしかない。
「千羽君千羽君、それ迷う人がやるテンプレ」
「……エイル、地図はもはや役に立たない」
地図からようやく視線を上げた千羽が真面目な顔でそう言うと、もはや無用の長物と化してしまった地図を折り畳んでしまい込むものだから。エイルは心の中で静かに祈る。どうか無事に脱出できますように。
そんな切実な祈りがフラグだったのか、呼び水となったのか。「多分、あっち。いや、こっちかも」なんて指先を迷わせながら千羽が周囲に視線を走らせた、そのとき。
「――あ、」
目が、あった。
視線の先で、ハピラビちゃんが笑っている。
「エイル」
じり、と僅かに後退した千羽が囁いて、エイルもまた無言で視線を合わせる。
「逃げよう」
「……はい逃げるっす全速力で!!」
もはやアトラクションを介する余裕もない。ただひたすらに駆け抜けて、ときには看板を障害物として倒して走って逃げる。
そんなふたりを嘲笑うように、背後から追いかけてくるハピラビちゃんは思うよりも素早く俊敏だ。このままでは追いつかれる可能性が高いことが容易に察せられた。
「わ、わ。ハピラビちゃん、はやい、はや……、本当にはやいな」
「いやー! なんで着ぐるみ装備であんな俊敏なんすか!」
「ふふ、ははっ」
「笑いごとじゃないっすよ!」
「いや、なんか可笑しくて」
森の動物たちがハピラビちゃんに位置を知らせているのか、どれほど走ってもハピラビちゃんはふたりを見失うことなく追いかけてくる。
そうしてずっと近くなった音にもう駄目だとエイルが思ったとき、隣を走っていたはずの千羽が足を止めた。
慌てて振り返ったエイルに、真面目な表情をした千羽が堂々と告げる。
「――エイル、オレに良い作戦があります」
そう言って懐から取り出したのは、オレンジ色の根に緑色の葉を生やしたぬいぐるみ。人参だ。
「……作戦? え、人参だ。ぬいぐるみ?」
そっと地面にぬいぐるみを置いた千羽が、こんな時のために買っておいて良かったと得意げな顔をするものだから「………ふふっ、なんか一周回って私も笑えて来た」とエイルも思わず笑みを零す。けれど。
距離を詰めてくるハピラビちゃんの速さは変わらず、視線はふたりに固定されている。これは、間違いなく。
「あ、やっぱダメかも」
――全然効いていない!
どうやらハピラビちゃんにとっての人参はぬいぐるみではなく、千羽とエイラたちであったらしい。顔を見合わせたふたりは人参おとり作戦の失敗を確信すると共に、再び全速力で走り出す。
「エイル、逃げよう」
「あっはは! 逃げよ逃げよ!」
追われているけれど、狙われているけれど。
ようやく見えてきた入退場ゲートに向かって駆け出した頃、エイルは不思議と自分の中で恐怖心が消えていることに気付いた。
ぐんぐんと速度を上げていく間もぎゅっと握られた手のひらに、今更ながらサラッと手を繋いでいたことを実感したエイラは何とも言えぬ表情で千羽を横目に見る。「もーこの人たらしは」なんて口を突いて出た文句も、今は自分が独り占めしている事実に言葉は続かない。
「エイラと逃げるの、やっぱり楽しいな」
「……千羽君、無事脱出できたら美味しいもの食べましょ」
それは小さな約束だ。
けれど小指を絡めて約束する間はなく、後方から投げられた斧を紙一重で避けたエイラは悲鳴を上げる。
「あしまったフラグかなぁこれ! いやー!」
悲鳴を上げながらもなんとか鉄柵を乗り越えて、ゴールであるゲートに滑り込んで。
そして最後までふたりは手を繋いだまま、迫るハピラビちゃんの魔の手から逃げ出すのだった。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴 成功