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季節外れのクリスマス・リサイタル

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 初夏を感じた。いつものお店での注文、マスター自慢のブレンドをアイスでお願いした後で、今日は暑いと意識した。それで、うっかり見過ごしかけた風薫る季節を味わいたくて、テラスの席に出たくなる。本当は来週から使う予定だったらしいその席をマスターは快く用意してくれた。
 少し先の通り、満開の花も吹雪もまるで前世のことみたいな顔をして、かすかに青い空をちりばめた葉桜が路肩で風を受けている。その下で人々の足取りはどこか緩やかだ。子連れの家族が目立つから、今が世間の連休の途中だったと僕は思い出す。午後は美術館に行こうと思っていたけれど、混むだろうか。そんなことを考えながら、冷たい汗をかき始めた銅製のマグを手にした途端、酷く上機嫌なメゾソプラノが耳を打つ。
「こんにちは、美貌のお兄さん♡お兄さんと喫茶店、なんだか一枚の絵画みたいで素敵だわ〜〜!!すっごく見惚れちゃった!おひとり? 相席良いかしら? あっ、もう勝手に座っちゃったけど!」
 挨拶に僕が答える隙もくれずに、ここまで一息。これはアリアだ。独唱だ。僕の脳内では何故だか勝手にモーツァルトのオペラのズボン役が朗々歌い上げるご機嫌なイタリア歌曲が再生された。何故だろうね。
「あら、店構えもお洒落だけれど店員さんも渋くて素敵!やっぱりそうよね、こう言うお店って総合点で勝負だものね。あ、お飲み物は彼と同じものをお願い出来るかしら? こんなに暑いと冷たい物が恋しくなるわよね!」
 来客と見て注文を受けに来たマスターも僕と同じく完全に圧倒されている。もっとも、彼の場合は無口がデフォルトだから通常稼働と言っても……あ、僕を見た。困った顔してる。とりあえず頷いておく。解るよ。
「うーん、イケメンを見ながら美味しいコーヒーを飲む……最高の贅沢ね!!」
「光栄だね、レディ。ところで——」
「まぁ、レディだなんてお上手ね!そんなに若く見えるかしら? 最近お化粧水のブレンドをちょっと変えてみたのだけれど早速効果が出てるのかしら? でもお兄さんも綺麗なお肌よね。何をお使い? デパコス? ドクターズコスメ? それともメディカルコスメだったり、もしかして最近流行りの美容医療が美しさの秘訣だったり?」
「あぁ、一応は市販品の……?」
「まぁ、そうよね!きっと元から美しいのね、そんな雰囲気出てるもの!お兄さんは、どこの貴族の方? 王族の血とか引いてなぁい? だってほら!後光がしてる!!」
「生家は確かに名のある家で」
「そうよね、やっぱり最低でも貴族よね。だってこれだけの存在感があって、一般人は無理があるでしょ? それで、爵位は? 伯爵? 侯爵? それともまさか公爵だったり?」
「ええっとね——」
「お姉さんにこっそり教えて。大丈夫、内緒にするわ!魔女界隈で、ちょっと噂の的になるだけよだってはほら、仕方ないの!魔女は美しいものが好きだから〜〜!!」
 何だろう。世の中のシャイな人たちはもしかして、いつもこんな気分で居たりするのかな。全く寡黙な方でもない僕がそんな気持ちになる程度には、この彼女はノンストップで、ずっと彼女のターンと言う感じ。どうしてそんなに息が続くのか、やっぱりオペラの舞台の歌姫を見ている時に似た感動を僕は覚える。彼女がようやくひと息ついたのは彼女の分のアイスコーヒーが運ばれてきて、ガムシロップとミルクを溶かして混ぜる時。僕もようやくこの彼女のことをまじまじ見つめる時間が持てた。
 さっき自分でお姉さんだなんて言ったけれども、一見した年の頃は二十前半。ただし、それはあくまで見た目の年齢だとも思う。艶やかな黒髪の間に覗く尖った耳は彼女がエルフであることを物語っているから、もしかすると本当に僕より『お姉さん』かもしれない。立っていた時のある種の迫力、座っていても視線の高さが僕と変わらないこの感じからするとかなりの長身なのだろう。一層にその印象を強める丈高の黒い魔女帽子。けれども威圧的に感じないのは、クリスマスのオーナメントを思わせる愛らしい帽子の飾りとか、彼女自身の友好的で懐っこい雰囲気の資するところも大きいのかもしれないね。そうして何を差し置いても、鮮やかな鬱金色の瞳が印象深くて——
「なぁに、そんなに見つめられると流石にちょっと恥ずかしいかも。私の顔に何かついてる? 待って、わかるわ、違うわね? きっと見惚れていたのよね!」
「うん。つい不躾に見つめてしまって申し訳ない」
「やだ、そんなに素直に認める人ってなかなかいないわ。照れてしまうわ?」
 いや、瞳の色以上に、やっぱり何を差し置いても本人のキャラがなかなかに鮮烈だ。
「寛容な言葉をありがとう。ところで、僕はマスティマ・トランクィロ。君のお名前を伺っても?」
「あっ、そうそう。言ってなかったかしら? 私はクリスマスの魔女、その名も聖夜・前々夜よ!どうぞ愛情込めて、『せーたん♡』『いぶたん♡』って呼んでちょうだい」
「前々夜だね。どうぞ宜しく」
「すごくナチュラルに受け流すのが上手いのね、そう言うのも社交界仕込みのスマートな処世って感じで素敵だけれど!」
「ええと、別にそんな意図はないのだけれども」
 少しだけ困惑した僕に、前々夜は突きつける様に人差し指を立てて見せた。
「それじゃマスティマちゃん、代わりに訊きたいことがあるんだけど」
「うん、何なりと」
「何なりと? 言ったわね? 何でも? 良いのね? それじゃあ身長は? 性別は? 出身は? よく行く場所は? 好きな食べ物は? 寝る時のポーズは? 好きな動物は? 愛着しているものは?」
「えーっと、ごめん、聴き洩らしたかも。もう一度リピートお願いしても良い? こんなに根ほり葉ほりとは正直思ってなくて」
 性別を訊かれた時点で正直それより後が頭に入って来なかったことは言い添えたいような気がする。
「えっ……根ほり葉ほりなんて、そんな……!♡♡♡ これでも抑えてる方なのよ?」
 前言撤回。言ったところで聴いてくれる気も、そも、喋らせてくれる気もしないかも。
「これで……?」
「本当なら監禁して、三日三晩アンケートしたい所なの!マスティマちゃんは、私の善性と愛情深さに感謝してね」
 アイスコーヒーに浮かべた氷をストローで回しつつ、前々夜は実に魅惑的なウィンクひとつ。美とは、人の心を溶かすものだ。それゆえ究極の交渉力だ。だから、それを受けた僕はただ素直に頷いていた。
「ありがとう。確かに僕が不用心で不用意だった。もしも君が悪意のある人だったら、この時点で厄介な因縁をつけられていたとしても文句は言えないね」
「ふ〜〜〜ん……」
 うん。どうして彼女は何だか不満げな様子なんだろうね。
「いえ?別に?何でもないですけど??? ……あなたって本当に、人が良いのね」
「そう? 確かによく言われるけど」
「言われるでしょうね!それはそうよ!だってこんな不審な人物から、逃げたり避けたりしないもの。でもね、次からは不審な人物を見かけたら即!逃げなきゃダメよ!エレベーターで二人っきりになるだなんて論外だわ」
「エレベーターですら? ちなみにそう言う君はどう?」
「え、私? 私は不審人物じゃなくなったから、セーフに決まってるじゃな〜〜い!♡♡♡私とマスティマちゃんは、もうお友達♡そうでしょ!?」
「うん、そうだね」
 どうして彼女は益々何だかもの言いたげな様子なんだろうね。
 でも、それも刹那だ。
「良いわ。それよりもマスティマちゃんの顔を見ながら、楽しくお喋りできるこのひととき……待って贅沢すぎないかしら? どうしましょう、お金でも出しましょうか?」
 いけない。例のノンストップの予感。
「マスティマちゃんが外見だけじゃなくて、中身も美しくて安心したわ!まぁ勿論、私には劣るでしょうけども!これなら私の、可愛いレモンパイが惹かれちゃうのも納得だわ〜〜あの子もほら、美しいものが好きだから」
「レモンパイ?」
「これからも、うちのレモンパイをよろしくね♡あっ、ここで私と会ったことは、内緒にしておく方が良いと思うわ〜!ほら、私からの好感度が上がるから!」
「失礼、念のためだけどレモンパイって?」
「あら〜ご存知なぁい?じゃあ教えな〜い!」
 飲み物の代金を机の上に置いてから、長い黒髪と、裾と袖とを翻し、クリスマスの魔女は軽やかに踵を返して背を向けた。
「私のことで、1日頭いっぱいにして過ごしてちょうだいね♡」
 少し歩いてその後ろ姿が消えたのは、どう言う魔法なのだろう。靴の踵を三回鳴らす、そんな素敵な御伽噺の魔法も彼女なら使えそうだとも思う。鮮烈な彼女とその自己愛を、僕は心地よく反芻をする。
🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​ 成功

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