|終《つい》のスミカ
●再誕から365日後
『スミカ! 援護を頼む!』
暗視ゴーグルに備えられた通信機から聞こえてきたのは、量産型WZ『ウォズ』を駆る戦友の声。
スミカ・スカーフは試作型フレックスウォールの陰から|突撃銃《アサルトライフル》を連射した。もちろん、重装甲WZ『ナズグル』相手に7.62×51mm弾をばら撒くような無駄な真似はしない。狙いは、ナズグルの制御下にある黒いドローン群だ。
ウォズがスミカにタイミングを合わせて、六連ミサイルランチャーを発射した。
対地攻撃用装備を使う間もなく掃射されていくドローン群の下で、ナズグルが六発のミサイルを続けざまに食らって吹き飛んだ。最後っ屁とばかりに胸部のプリズムランチャーを起動させながら。
胸部から放たれた光線は幾本にも分岐し、そのうちの一本が紙でも破るように易々と試作型フレックスウォールを貫いて、スミカの脇をすり抜けていった。あと何メートルか横にいたら、死んでいただろう。
スミカは何事もなかったかのように突撃銃の弾倉を交換した。危機一髪の命拾いにも感慨は湧かない。ことあるごとに自爆してバックアップ素体に記憶を転送する|少女人形《レプリノイド》にとって、死は日常の一片に過ぎなかった。
●再誕から99日前
「こいつぁ、ひでえな。男か女かも判りゃしねえ。いや、人間かどうかも判りゃしねえや」
「大袈裟だな。もっと酷い有様の死骸をいくつも見てきたじゃないか」
「だけども、そういうのは戦闘で出来た死体だろう? このオロクさんはなんというか……実験だの研究だのに使われた挙げ句、焼却処分されたように見えるぜ」
「焼却しきれてないけどな。生焼けもいいところだ」
戦場の|ゴミ漁り《スカベンジャー》(当人たちは『リサイクラー』と称しているが)である二人の男が見下ろしている死体は確かに無惨なものだった。大部分が焼けて炭化しているだけではない。肋骨が浮き出るほど痩せ細り、四肢は切断され、体のそこかしこからケーブルプラグのようなものが突き出て、額には金属製のタグが雑に埋め込まれている。
タグに刻まれたIDは『E_HM_0042』。
「とりあえず、冥福ってやつを祈ってやるか」
「化けて出てこられたら、敵わないもんな」
二人の男は『E_HM_0042』の無惨な死体に手を合わせたが――
「うひゃあーっ!?」
――次の瞬間、一人が悲鳴をあげた。
「なに騒いでんだよ?」
「こ、こいつ、まだ生きてるぞ!」
「まさか……」
「いや、本当だって! ほら、目が動いた! こっちを見てる!」
そう、『E_HM_0042』はたった一つの目で男たちを見上げていた。
目に続いて、口も動いた。熱で癒着していた上下の唇が離れ、焦げた皮が剥がれる。聞こえてきたのはパリパリというその不快な音だけ。言葉どころか、呻き声すらなかった。
●再誕から3日後
リハビリルームはダンススタジオに似ていた。壁の一面に鏡が貼られ、その前に手摺りが設けられている。
スミカは手摺りを頼りにして立ち、鏡の中の自分を見つめていた。
「新しい身体には慣れたかな?」
スミカの背後にいる博士が鏡の奥から尋ねた。
「……」
スミカはなにも答えなかった。新しい身体に違和感はない。それ以前に『新しい』という認識が持てない。古い身体のことはよく覚えていないのだ。古い名前も覚えていない。
『E_HM_0042』というIDだけは忘れることができなかったが……。
●再誕から262日前
その者の精神は半ば壊れていた。
『半ば』で留まっているのは奇跡と言えよう。√ウォーゾーンに迷い込み、戦闘機械群(どの|派閥《レリギオス》に属しているのかは判らない)に拉致され、ラボに監禁され、三個月以上にも渡って実験用のモルモットとして扱われてきたのだから。
両の手足を切断された。
右の眼球を抉り抜かれた。
いくつかの臓器を摘出された。
声帯も切除されたので、言葉を発することもできなくなった。
しかし、与えられたものもある。
『E_HM_0042』というIDだ。
●再誕から72日後
「少女人形は、戦闘兵器を具現化した人造人間だ。君を少女人形として新生させるにあたっては、ごく一般的な突撃銃を具現元にした。誰もが知っている有名かつ堅実な兵器のほうがイレギュラー発生のリスクが減じると踏んだからだ」
博士の解説を背中で聞きながら、スミカは射撃訓練に勤しんでいた。その手にある突撃銃は、彼女の具現元をベースとしたもの。√マスクド・ヒーローのガンライフルのような仕様に改造されており、実弾と光線の両方を撃つことができる。
「技術的なことはよく判りませんが――」
一定の間隔で実弾をセミオート射撃。
銃口から飛び出した弾丸と同じ数だけの標的に穴が穿たれた。
「――命を救っていただいたことには感謝しています。いえ、『命を与えていただいた』と言うべきでしょうか?」
「感謝どころか、憎んでもいいんだよ。私がやったことは、戦闘機械群が君に施した人体実験と本質的には同じだ。どちらも倫理から逸脱している」
博士の声音に謝罪や懺悔の念は含まれていない。かといって、フィクションでおなじみのマッドサイエンティストよろしく自分の所業を誇っているわけでもない。淡々と事実を告げているだけ。
スミカは狂気を感じた。博士個人の狂気ではなく、この荒みきった世界に蔓延する狂気を。
命の使いどころが判ったような気がした。
(この狂気が世界を覆い尽くしてしまう前に奴らを……そう、戦闘機械群を……消し去ります)
誓いの言葉を心中で唱えつつ、突撃銃のアタッチメントを手早く換装した。実弾用から光線用に。
(消し去ります)
繰り返しながら、トリガーを引いた。
光線が標的を射抜いた。
●再誕から100日前
師団本部から撤退の指示を受け、戦闘機械群はラボを速やかに解体した。
本部に持ち帰る物品とここで廃棄する物品の選別がおこなわれ、後者と見做された『E_HM_0042』は焼却ポッドに放り込まれた。
焼却ポッドは調子が悪かったらしい。げっぷに似た音を発し、生焼けの『E_HM_0042』を吐き出した。
●再誕の日
かつて『E_HM_0042』だった者は目を開けた。
カチリという音がして、白い天井が見えた。とても鮮明な映像だ。そう、それは映像だった。眼球型のセンサーの捉えた光景が脳内に映し出されているのだ。
「視界は良好?」
誰かが顔を覗き込んできた。それが『博士』と呼ばれる人物であることを知るのは後の話。
「今日から君の名は『スミカ』だ」
と、博士は告げた。
●再誕から365日前
○○は靴を履き終えた。
玄関の扉を開ければ、そこには単調極まりない日常が待っている。大学での退屈な授業。刺激も生産性もないアルバイト。
それが判っているにもかかわらず、○○の気分はなぜか少しばかり高揚していた。なにか良いことが起こるような予感があった。
「いってきまーす」
台所で朝食の後片付けをしている母に声をかける。
返事はない。代わりに聞こえてきたのは、母がつけっぱなしにしているテレビの音声。
『今日は残りの人生の最初の一日!』
生命保険のCMのナレーションだ。
不吉な暗示めいた文句だが、○○はなにも気にしなかった。まだ『E_HM_0042』というモルモットにも『スミカ』という少女人形にもなっていない○○にとって、死は縁遠いものだった。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴 成功