琥珀の薫りは僅か甘苦く
春の暖かな風は薄紅色の便りをも運んでくる。
それはツンと尖って僅かに濡れた鼻の先にフワッと降りたって――……。
「ふえッくしょいッッ!!」
頑丈な筈の警察署を揺らす勢いのクシャミを喚び込み、彼の――早乙女・伽羅(元警察官の画廊店主・h00414)の来訪を皆に告げるモノとなる。
「あ、早乙女さんお疲れ様です」
「やぁ。今日も素敵な毛並みだね」
「ネコ先生、お茶淹れますね」
八曲署・捜査三課。様々な所轄の問題児が集められた警視庁の掃き溜めとも噂されるこの部署だが、その実体は多くの|異能捜査官《カミガリ》がひとところに集められた屈指の精鋭集団。その面子は√の垣根を越えて様々な種族が集い、多くの協力者も√汎神解剖期間の拠点として出入りしている程だ。
伽羅もまた。かつて警察組織に身を置いた者として、そして『個人の目的』の為に三課に顔を出す。
「やぁ。今日も皆変わりないようだ」
最近壁をぶち破って拡張したばかりの広い事務室に所狭しと並ぶデスク。そこに見える面々は十代から三十代と人間としてもまだまだ血気盛んな若者ばかり。百年の時を生きる猫又にはその命の輝き溢れる彼らが眩しく愛おしく思える。
「あ、ネコ先生。良い所に」
そう彼の来訪に声を上げたのは花畔・アケミ(越境特殊捜査室支部長・h00447)。この曲者揃いの集う捜査三課の|課長《ボス》であり、所属する人間の中では最年長にあたる女性は丁度立ち上がり何処かに向かおうとしていたようで。
「ボス、どうしました血相を変えて」
「いや、下で"いつもの"が始まったらしくてね。手伝ってやくれないかしら」
「嗚呼、またですか」
伽羅はネコの顔で器用に眉間を寄せて苦笑いを浮かべ肩を竦めた。そう、血気盛んな若者が多いと言う事は時として勢い余って暴走する事も多々有るものだ。それを正す事も年長者の役目だと、共に警察学校の教官を務めた経験のある二人だからこそ充分解っていた。
地下にある射撃訓練場に行けば、やれいつもの二人が互いの信条を賭けた争いを続けている。伽羅もアケミも、それぞれが何故そこまで拘りを見せるのか到底理解は出来ぬものの。譲れぬ思いの為に時として喧嘩に発展すると言う点については理解出来る。自分達も若い時は少なからずそうであったのだから。
「こら、やめなさいっ」
音も立てずに近寄り、片方が同僚に向けかけた銃の先を大きな肉球の手で素早く掴み、銃口を上に向け。がら空きになった胴体に気持ち強めに胸を突けば一瞬息が出来なくなった相手は動きを止める。
その動きは被疑者制圧の際の動きとしては正しく手本となるものであった。
「ほら、お前さんも得物から手をお離し?」
アケミもまたもう一人が握りしめた鈍器の柄を掴んで抑え、もう片方の腕を軽く捻ればあっさりと無力化する。
そんな二人の手際の良い鎮圧手腕に、遠巻きに見ているしか無かった者達は思わず息を呑むのであった。
(お説教タイム)(暫くお待ち下さい)
「やれやれ。顔を出しに来たらこの調子とは」
絞り上げた問題児二人を釈放し、伽羅はアケミと共に事務室に戻るとすっかり冷めたお茶を口に含む。彼にとっては適度に温い方が舌には優しく有り難い。
「仕方無いさ。アタシから見ると、皆揃って悪ガキで子どもみたいなモンだしね」
「そう言うボスは俺から見れば赤子みたいなモノですけどな」
肩を竦めて自分のデスクに座ったアケミに伽羅が悪戯じみた言葉をかければ、女は違いないとクスクス笑う。
「アタシもまだまだ成長の余地はあるって事かしらね?」
「生涯学びを得ようとする姿勢は大事かとは」
「そうだね……今も試行錯誤の連続さ」
何せ管理職として大勢を纏めるなんて数年前までは思って無かった。そう語るアケミもまた、新米みたいなものなのだと。
「だから、ネコ先生の存在はとても有り難いんだよ。経験者が側にいてくれるのは助かる」
「そうは言っても、俺は何もしてませんがね?」
「いいんだ。いざって時に相談出来る……そんな人がいるって事が精神的に重要なんだよ」
故に……アケミが伽羅に任命したのは『相談役』の肩書き。その|猫生《ニャンせい》に置ける豊富な経験や知見は、間違い無く新米管理職や若き刑事達を時に励まし、時に叱咤し、導く手助けとなるだろうから。
「買い被り過ぎですよ」
「少なくとも|八曲署《ウチ》の署長より貫禄あると思うがね?」
……決して毛量的な問題ではなく。
「そしてアタシ個人としても」
机に頬杖つき、アケミは伽羅を見つめて目を細めた。
「年上で気兼ねなく話が出来る相手が欲しくてね。家に帰った所で……寂しいからさ」
この人間の女性は数年前に伴侶を失ったと聞いていた。連れ合いを亡くしたばかりの何とも言い得ぬ寂しさは、伽羅も良く知っているから。
「アケミさんの気が紛れるならいくらでも話し相手になりますよ」
「ふふ、ネコ先生の奥方に嫉妬されやしないかね?」
「なに、そんな器の小さい|女《ひと》が俺の奥さんになった訳が無い」
自慢の妻ですから、と言えば。うちの旦那もさ、と返される。アケミが三課の中で組織の長としてではなく、一人の女として気を許し言葉交わせるのは伽羅くらいのものだろう。
「何というか……落ち着くんだよ、ネコ先生と話してると。長い|猫生《ニャンせい》に裏付けされた包容力と言うか?」
「まぁ毛並みには自信はありますからな」
「今度吸わせておくれ」
そんな話をしている所に、伽羅の足元にてスリスリと何かの気配。見下ろすと時々三課に姿を見せる雉トラ猫の姿。
「|にゃーん!《おじぃ!》」
「|るるる、うにゃ?《薙か、どうかしたかい?》」
「|ふにゃん!《自慢しに来たの!》」
ネイティヴなネコ語による会話。そしてポシェットから野良猫が取り出し、自慢すべく見せたモノにアケミその他の甲高い悲鳴が室内に大きく響いた。
「……うむ。君は……俺より狩りが上手かも知れないね。次は人間のいない時に見せるんだよ」
「にゃーん」
狩猟成果たるイニシャルGをソッとティッシュで包んで隠しながら、伽羅はこれまた|猫生《ニャンせい》の大先輩と慕ってくれる子猫の頭をそっと撫でたのだった。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴 成功