朔月の|ひと《・・》遊び
●朔月の爆弾魔の帰路
新幹線の直接体内に響く振動に身を預け、雨夜・氷月(壊月・h00493)は新聞を開く。
“朔月の爆弾魔、七回目の犯罪! 今度は地方都市が毒牙に! 鈴蘭公会堂……”
“怪我人多数出るも、死者はなし”
“傍若無人なる犯罪は誰にも止められないのか?!”
各|新聞の一面《オールドメディア》にはセンセーショナルな見出しが躍る。刷りの荒いカラー写真は、三階部分の壁が弾けて内部を剥き出しの図を晒す。
注意喚起をお題目に恐怖を植えつけ手に取らせようという腹は各社同じ、代わり映えなし。
「ふう」
事件を憂う素振りで眉間をもみしだく。この手触りは東京駅で降りたら顔を変えるのでおさらばだ。
移動はもっぱら新幹線。乗客名簿がないので面倒事がひとつ減る。
スマートフォンのロックを外す。飛び込んでくるネットニュースはもっと過激に煽りかかってくる。
精密な爆発の瞬間動画の乱舞、これまた似たり寄ったりだ。違うのは、そこに一般人のコメントが連なるぐらい。
・くそー外した、次は薔薇の花パークだと思ったのに!
・考察浅すぎにわか乙w建物しか狙わねえしww
・朔月の爆弾魔は人殺しをしません、そんなことも知らないの?
・たまたま死ななかっただけ、犯罪者を美化するのって知性が低い証拠
そんな反応も最初は面白かった。しかし|ひと《・・》どもが現わす反応もいい加減テンプレート化してきた、要するに飽きた。
彼らは突如の爆発で死ぬかもしれない恐怖に震撼し、次の標的を考察する。
(「無秩序でノーヒントはフェアじゃあない。“わからない”は己の愚かさを突き付けられるようで不快を招く。だから理解の糸口は散らしてはあるけれど、ね」)
――爆発は決まって|朔月《新月》/人が寄り合う場所/三階以上の場所/花の名のつく建物。
もうひとつ選ぶ隠し基準があるが、甚く情緒的なのは認める――。
ほんの数時間前に『鈴蘭公会堂』を|欠けさせてきた《・・・・・・・》。
築80年を誇る建物、脆い木造の壁を弾けさせた。破れを突破口に屋根瓦が次々と流れ落ちていく。その様は穏やかな小川に丸太めいた濁流が溢れる、宛ら矛盾の美だ。
爆発の起動は煌石、故に真犯人は露呈しない。
嘘には真実を一匙混ぜる。染みた真実は疑心塗れの己を恥じ入らせ判断を狂わせる――その点「疑心暗鬼・凶暴化・虚言癖・正直病」をその場その場で付与する氷月の煌石はお誂え向けだ。
ひとは誰もが承認欲求を有する。そしてこの煌石も|まるでひとのように《・・・・・・・・・》承認を求める。
“私を見て、私を聴いて、私を感じて”……承認を与えれば某かが返される、そんな浅ましい期待に誰もが抗えない。
到着まであと1時間かとため息があふれた。
(「思うよりずっと飽きてるなぁ。けど潮時とピリオドを打って、その先に何があるのやら」)
眠気に似た退屈の儘に回想に身を投げる。
「ひとは肉体が欠けると死ぬらしい」と知ったのは、育ての親が消えたのがきっかけだ。
人間の男女に育てられた氷月は、なんの疑いもなく己も人間と信じていた。
しかし人は肉体が欠けると死ぬと知り、夥しい違和感に襲われる。
月は満ちかけしても死なない、|朔月《新月》は月という天体の消失とは違う。ただ目に映らなくなるだけだ。
可笑しな話だ。
人は目に見えないものを尊ぶ。
育ての親からは「相手にも心がある、嫌がることをしてはならない」など形なきものを尊ぶよう躾けられた。特に「倫理観」なんて視認できない最たるものだ。
ならば肉体が欠けたところで大した問題ではなかろうに、ひとはあっけなく死んでしまうのだ――。
新聞を鞄に押し込んだ所で上野到着のアナウンス。氷月は何気なく目を向けた通路を進む女に息を呑んだ。
20代前半、菫色のスーツに品良くひっつめた黒髪、切れ長の眦にはスーツと同じ色の特徴的な化粧が入る。手荷物はブランド品のボストンバックがひとつ。
この女を見かけたのは4回目だ。過去3回は爆破現場を後日訪れた時に見かけた。帰り道では逢うのは初めてだ。
●カルト教団『秘石の会』
氷月は早速顔を変え上着も脱いで女をつける。彼女は老舗喫茶店のドアを押した。
――ご予約の|久坂《くさか》様ですね。
――|瑪瑙《めのう》様、あの……。
店員と別の女の声が被る。フルネームがわかりこれ幸いと氷月は踵を返す。
久坂瑪瑙の数奇な人生はあっさりとネットでたどることができた。
>久坂・瑪瑙
父はカルト教団『秘石の会』の教祖、母は信者のひとり。
外界と隔絶された村、通称サンクチュアリ内部で生まれ10歳まで育つ。
資産家の祖父母が弁護士を雇い、母と強制的に教団より連れ戻される。
しかし両親と折り合い悪くカルトに傾倒した母は絶望し、戻って僅か3日で自殺した。
残された瑪瑙は学校に編入するも、世間より隔絶された異質さ故に苛烈な虐めにあう。祖父母とも折り合い悪く、15歳で自ら教団に舞い戻った。
以後20歳になる現在まで、教祖の血を継ぐ幹部として傍に置かれる。
「成程、信仰宗教の教祖様の娘で懐刀か」
教祖の名は高見|尊石《そんせき》。老齢に差し掛かるも独特のオーラを放つ男で、文化人としてTVでも見かける。
実体は20年以上も若い女信者を囲い片っ端から孕ませサンクチュアリに囲う色欲まみれの下衆だ。
(「俗世からの解脱を謳いながら、ご本人は欲塗れでTV出演に忙しい。金も到るところから吸いあげているらしいしねぇ」)
『救済秘石の会』は古参のカルト教団である。
数年に一度、弁護士が『カルト信者を家族の元に取り戻す』動きが起こる。TVドキュメンタリーで放映されたのも一度や二度ではない。
(「教団からの救出はパフォーマンス。久坂瑪瑙の母もそうだろうね」)
同じ女に2人目を産ませていない辺り、経産婦はハーレムから追い出すタチなのだろう。
――。
氷月は背中合わせの席につきコーヒーを注文した。
DV被害者へ、瑪瑙は公的支援窓口への不信感を巧みに植えつけている。
『安心して。私達『秘石の会』はあなたの味方。その石は本当に選ばれし人にしか授けないの。お父様の意志を正しく受け取り『|石の名を持つ私《瑪瑙》』があなたを選んだわ』
ガラス玉をもったいつけて渡し甘い欺瞞で絡め取る。瑪瑙という女、型にはめカルトに落とすのにどこまでも慣れている。
かさりと紙の音が空気を揺らす。
『1ヶ月近く先だけど『パークシティ・ダリア』で、ご多忙な|お父様《教祖様》がお話にいらっしゃるの。すぐの出家が恐いならここでお父様の人となりに触れるといいわ。それであなたが決めればいいのよ、私達は決して強制なんてしない』
焦燥感に突き動かされた女が瑪瑙に縋り付く。
『こんな先までなんて待てない、アタシを今すぐ助けて!』
――堕ちたか。
氷月にとってはどうでもいい。それより瑪瑙だ。
(「俺の次の標的を当てるか。爆破跡を三度見て隠し条件に気づいたな?」)
隠し条件は「修復不能、だが外枠は残り即席の麗しき廃墟としての姿を晒す建物」だ。建造物は欠けてなお存在だけは出来る。人の営みの痕跡を内包し、だが顧みてもらえぬ無残さを今の氷月は愛している。
瑪瑙は、次の朔月に爆破ターゲット内で『カルト教団のお話会』をすると言う。
(「さてさて、何を企んでいるのやら」)
のってやるのは吝かではない、良い退屈凌ぎにはなりそうだ。
●『真実のあなたとの邂逅』当日
最近よく聞く話だ。地方都市のショッピングセンターがテナント不足に陥り苦肉の策でスペースを外部に貸し出す。
ずらり並んだパイプ椅子には中年女性が多い。教祖の尊石はTV露出も多いのでそれ目当てなのだろう。
さて、
カルト宗教臭を消し講演会面した『パークシティ・ダリア』の3階催事スペースは、現在パニックの坩堝であった。
『……ッ』
胸を刺された教祖様が事切れた。ホワイトボードには歪な血の手形が、足掻くように何枚も擦られている。
甘ったるい全面肯定で弱者を金づるに堕としていた教祖様は、たった今ご臨終あそばしました。
司会進行で傍らにいた瑪瑙は血染めのナイフを捨てる。
『騒がないで! これが何かわかるでしょ?』
代わりに時計に物々しいコードや缶をつけた物体を掲げた。
会場の空気が引き絞られてそこかしこからヒッと悲鳴があがる。
『私は『朔月の爆弾魔』です』
――後戻り出来ぬ道にうわずる声は、初めての殺人への高揚と後悔。だから続きが紡げない。
瑪瑙はそれ程の大根役者だが、爆弾を偽物と疑える者は残念ながら1人も居ない。
『しっ、死んでたまるかッ』
その叫びが皮切りとなる。屈強な男信者と幾人かが最奥のドアに駆け寄りノブを掴む。
ドカーンッ!
妙に作り物めいた控えめな爆発音と共に、男信者の手首がスッパリと斬れて飛んだ。飛び散る血液と手首を失い崩れる男、会場は止めどない悲鳴に満ちた。
――爆発音は外部に気取られぬよう控えめ、それどころかドアには傷もついていない。千切れた腕の切断面は|鋭利な鋼糸で斬られたように《・・・・・・・・・・・・・》フラットだ。
『黙って! いーい? 私はこの部屋の到る所に爆弾を仕掛けたわ! 起動は私の機嫌次第よ』
そう言い放ちながらも、女は何かを待つように虚空に視線を彷徨わせている。
(「潮時、だね」)
最前列に控えていた男性信者……氷月が、机に幾つかの煌石を滑らせた。
綺羅を放つ其れは、瑪瑙がばらまくガラス玉とは一線を科する蠱惑を喚起する。あとは意味を被せてやればよい。
「触れれば救われると、慧眼素晴らしき皆様ならばわかるでしょう」
氷月の声に煽られて、我先に煌石を手にせんと押し合いへし合い。
指を触れた人の手元で爆発音が響き、床が剥がれ机が吹き飛ばされる。そんな『本物の爆発』が最前列のそこかしこで起きている!
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切り取り線
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ホワイトボードと瑪瑙、観客席の間に亀裂が生じる。当然、後者が重たいので千切られた箱が傾くようにして墜ちていく。
2階だから怪我人が出るぐらいで済む筈だ。あとアングラ掲示板に情報を流し、目立ちたい有志がクッションを持ち込んで待ち控えてもいるし。
「人は欠けると容易く死んでしまうからねぇ――」
氷月は、餞別と言わんばかりに人の数だけの煌石を観客席にばらまいた。
先ほど爆発したのを含めて籠めてあるのは「虚言癖」だ。まともな証言なんて誰ひとり出来やしない。事件の隠蔽はこれにて完了。
「あ……あーぁ??」
瑪瑙は心慌意乱の極みでぽかんと口を開き棒立ちするしかない。
「あっは! ダメだよ、これは俺の舞台なんだから」
氷月は墜ちていく箱側の床を蹴飛ばして、軽やかな跳躍にて大根役者の隣に降り立つ。
「待ちに待った本物の爆発は、どう?」
容はいつものように変えてある。だが、揶揄たっぷりでクククと喉を鳴らす所作は、氷月特有のもの。
ザラザラとしたコンクリートの砕ける音。吹き付ける風が氷月の髪を攫い、化けた容も併せて崩す。
『……ヒッ! いやぁあ』
突風でホワイトボードに押しつけられた女は、殺した父の手形に怯える被害者仕草。
「主役のつもりで踊り出て実際は全くのノープラン。それで? アドリブも効かず本当の主役に頼る気満々とはね」
氷月は瑪瑙色した煌石をつまみ試すように見せつける。
ごくり、と瑪瑙の喉が上下した。
『私は、人生を破壊した父と秘石の会を、この世からなくしてやりたくて……』
ぎゅうと目を閉じて輝きを避けようとするが無駄だ。震える指は既に煌石に伸びている。
「けれど自分は欠けたくなかったんだね」
氷月が言い放つ刹那、煌石はクリスマスのクラッカーめいた明るい音で弾け、殺人犯の右肩に半月欠落を穿つ。
「もう少し楽しませてくれると期待したんだけどね、三文芝居にもほどがあるよ」
『だって非道いのよ! 学校のみんなは翡翠が髪を切らないのが汚いとかばい菌だとかカルトがうつるから机をくっつけるなって……わあぁあ!!』
正直病を患った女が数奇な人生を回顧し嘆く。
「今の方が真に迫っていてよっぽど見応えがあるよ」
けれどもう幕だ。
残った片手で顔を覆い墜ちていく女と、それを抱きしめるようくっつく|教祖《父》の死体。
階下より響く憎悪と呪いの籠もった悲鳴をエンドロールに、氷月もまたこの場から姿を消すのである。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴 成功