あおぞらのとなり
きょうのそらも、すてきだなぁって、ぼくはおもった。
ふかふかのしろいくもが、ふわふわのまっしろなぼくとおそろいみたいに、てのひらのうえでとけていく。
……ほんとは、てのひらには、なにものってないけれど。
ぼくのからだはもう、だれのゆびさきにもふれられない、まぼろしだから。
でもね。
ラムネにはちゃんと、みえてるんだ。
ぼくがここにいるってしっててくれて、ことばをくれる。
「ソータ、散歩いくか?」
ぱちぱちとまつげをふるわせて、そういったラムネは、きょうもさわやかにわらってた。
ひるまのひかりをいっぱいにうけて、すこしだけつかれてるくせに、にっこりと。
ラムネのわらうかおは、いつも、そらににてる。
やさしくて、おだやかで……ちょっぴり、さびしそう。
――ぼく、しってるんだよ。
ラムネは、しせつのためにがっこうをやめて、いくつもしごとをかけもちして。
おとなたちに「おねがい、たのむよ」って、つかいっぱしりみたいにされて。
それでも「だいじょうぶ、だいじょうぶ」って、ほんとうのこころをかくして――むりして、わらって。
「つかれた」とか「やだ」とか。いったこと、いちどもない。
けど、ぼくはしってるんだ。
うつむいたときの、うなじのほそいかげとか。
あったかいのみものをのむときの、ふうってひといきとか。
だれもいないばしょにすわって、ふたりでいっしょにとおくをみてたときの、あのかぜのにおいとか。
みんな、まぶしいたいようのうしろにも、かげができることをしらないんだ。
かげをふまれても、たぶんラムネは「きづかないふり」をする。
……でも、ぼくがきづいてるから、だいじょうぶ。
しせつのこたちに「おにいちゃーん」ってだきつかれると、ラムネはちょっとはにかんで。
ひょいってかるがるみんなをもちあげて、「また、おおきくなった?」とか、くすくすわらいながら、あそんであげてる。
そのときのこえが、やわらかくて……ほんとうにうれしそうで、ぼくもいっしょに、わらったんだ。
「――ソータ。一緒に来るか?」
ぼくがえがおでしっぽをふると、ラムネはいつもほほえんでくれる。
そらにひかる、しぶきのようなあおいきらめきが、ラムネのひとみに、しゅわしゅわはじける。
ソーダみたいな、かがやき。
ぼくね。いっしょうけんめい、まもってるからね。
きみのとなりで。
たとえなにもできなくたって、そばにいるだけで、ラムネがすこしでもほっとしてくれるなら。
おまつりで、おだんごややきそばをたべたひも。
こうえんで、ふたりでたいやきをわけたひも。
めぐるきせつにうまれる、きみとのじかんは、ぜんぶぜんぶ、ぼくのおたから。
にたものどうしの、きみとぼく。
……ねえ、ラムネ。
きみが、だれにもいえないことをむねにしまって、ひとりであしをとめたときは、ぼくがそばで、しずかによりそうからね。
ラムネが、がんばってること。
ラムネが、だれかのために なにもかもささげようとしてること。
ラムネが、ほんとうは、たくさんないて、さけんで、がまんしてること。
みんなみんな、ぼくがしってるよ。
だから――ラムネも、しんじていて。
ぼくは、さいごのひまで、きみのとなりにいるよ。
きみがゆく、そのあしあとにそっとよりそって。いちばんちかくで、いっしょにあるいていくよ。
しゅわしゅわと、そらのいろに、ぼくのしろいけはいが、にじむ。
『……ラムネ、だいすきだよ』
ぼくをみつけてくれた、きみへ。
こえにはならなくても、このむねいっぱいにあふれるこころを、いつだってつたえたい。
これまでも、このさきも――この、いちばんの、とくとうせきから。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴 成功