八曲署の事務アルバイト
どれだけ天気が明るい日でも、どこか陰鬱な空気の流れ続ける√汎神解剖機関。警視庁に勤める捜査官達は、今日も有象無象の事件に追われて息をつく暇もない。
人々の平和を守るため、とある事件の詳細を確認するために年若い新人刑事がタブレット端末を見つめる。
「ええと、八曲署の捜査三課に資料があるんですね」
それを聞いたベテラン刑事が、ちいさくため息をついた。
「あぁ、やっぱりな……」
どこか面倒そうにそう呟く先輩へと、新人は不思議そうに首をかしげる。
「センパイ、どうしたんですか?」
「いや……お前も俺と同じ部署ってことは、どうせ後々知ることになるしな。行くぞ、運転中の眠気覚ましとして聞いてろ」
そうして車へと乗り込んだ新人が聞かされたのは、八曲署の捜査三課が問題児の掃き溜め――という噂が流れていること。同時に彼らは、自分もまだ多くは知らされていない超常現象関連特別対策室に所属する刑事達であるということだった。
「此処が、八曲署……」
緊張の面持ちで喉をごくりと鳴らした新人よりも先に、ベテラン刑事がずんずんと署内へ入っていく。受付でなにかしらの書類仕事をしていた青年へと、警察手帳を見せて話しかけた。
「警視庁櫻木署の末田だ、現在起きている連続強盗事件の関連資料の閲覧希望と、三課に捜査協力を求める。それと、花畔さんは居るか?」
ふっとベテランへと視線をあげた青年は、ずり落ちそうなおおきな黒縁眼鏡を元に戻して、にへらと笑みをかえす。
「こんにちは~櫻木署の末田さんっすね。連絡は貰ってます、ちょっと待ってくださいね~」
随分気の抜けた返事に、新人は怪訝そうな表情を見せる。それはベテランも同じだったようだが、この仕事に携わるものはなにかと一癖あると知っていた。
「この紙に名前の記入をお願いします、そのあとご案内しますね~。あ、ボスは今来客中っす、結構時間かかりそうなんで、資料の閲覧を先にしましょーか」
なんだ、この空気は。首をひねる新人を引っ張って、ベテランはヨシマサ・リヴィングストンと書かれたIDカードを首に下げた青年の後を追う。
「皆さん、お客さんっすよ。櫻木署の末田さんと、川越さんです」
捜査三課へと案内されれば、そこは随分と広い。おそらくは八曲署自体が越境特殊捜査室のカモフラージュなのだろう。
様々な外見の人々がこちらへと視線を向け、気楽な挨拶や簡単な会釈を済ませてくるのを、末田は静かに片手で応じる。どうしたって同じ刑事とは思えないような見慣れぬ姿の者も居て、さすがに新人の川越は緊張で縮こまっていた。
「お茶淹れますね、それともコーヒーにします?」
「いや、コーヒーはいい。前に来た時クソまずかったろ、どうせあれからメーカー変えてねえだろ」
「え~そんなことないっすよ、ボクはけっこー飲めましたもん」
つまり、コーヒーメーカーは変わっていない。ティーパックにお湯をとぽとぽ注いで、ヨシマサは鼻歌まじりに湯飲みを差し出す。
「本当はもうちょっといいお茶を用意したかったんですけど、さっきちょうど切らしちゃって。茶柱立てるの上手いんですけどね、ボク」
今頃ボスとやりあってるお客さんの腹のなかなんじゃないかなぁ。へにゃりと笑ってそう告げる彼に対して、川越はずっと内心疑問を浮かべていた。
――こいつ、本当に刑事か?
「あの、リヴィングストンさんも警官です、よね」
「違いますよー? 事務のアルバイトっす。こんな警官居ても市民の皆さんが困るじゃないですかー」
ふふ、と笑みをこぼす彼に、ですよね、なんてつられて笑う。そんな新人を小突いたのち、湯飲みの中身を一気にあおった末田が尋ねる。
「ま、花畔さんの時間がかかりそうなら仕方ない。資料室に案内してもらっても構いませんか」
「そうだった! それじゃあ案内を、」
ふいに、捜査官のひとりが此方へと駆けてくる。困った様子でヨシマサの名を呼ぶのに対し、青年は口を開く。
「あれ、また壊れちゃいました? すいません、すぐ戻るのでちょっと待っててもらえます?」
「……ああ」
どうしても急ぐものではないし、待つ時間は変わらない。そう納得して末田が応じれば、ヨシマサは捜査官の元へと向かう。
動かなくなったらしいノートパソコンを前に、軽くキーボードを数回たたく。それから、懐から取り出したタブレット端末をノートパソコンに接続。ちいさなキーボードでタイピングを始めたかと思えば、それは尋常ならざる速度だった。
「え?」
先ほどの口調や動作から信じられないほどの速さと集中力に、川越は目を丸くする。やがて一仕事終えたかと思えば、それじゃあやりましょうか、と捜査官へ声を掛けている。
何をするんだ、一体。と眺めていれば――ごとん。随分と古めかしいラジオカセットが登場した。
「……え?」
スイッチオン。くるくると回るテープ。般若心経めいた謎の音声。そして捜査官と共に踊りはじめるヨシマサ。え、踊ってる? なに?
「結局これが最終的に一番通るんですよねー……あ、動いた」
どうやらノートパソコンは復旧したらしい。けれど最後の奇行が気になって、川越としてはそれどころではない。
「ま、末田さん!? 見ました!?」
「あー……まぁ、俺達の時代はテレビを殴って直したんだ。それと一緒だろ」
「いや絶対おかしいですって!!」
システムエンジニアといったプログラマー業界では、なにかと機械にちいさな祭壇や盛り塩を捧げることが多い。それが実際に機能しているのかはさておき、すくなくともこの√においてはある程度霊的な関りから作動しているということを、新人は知らない。
なんか怖い。うっすらそう思っていた事実がこうして明確に裏打ちされると、心臓のあたりがちいさくきゅっと跳ねた。
「お待たせしました、じゃ、いきましょーか」
ワイシャツにカーディガン姿の、一見すると文学青年といった姿のヨシマサは、やはりスーツ姿の多い署内では不思議に思える。とはいえ、ふわふわとした毛並みの人外や、妙に身長の高すぎる者、はたまたこどもよりもちいさな生き物が通り過ぎるのを見てしまった今、むしろ違和感が完全に消え失せていた。
それもまた怖い。川越は縋るような視線で先輩を見つめるが、すぐに慣れる、というとっくにそうなってしまった状態をさす言葉しか返ってこなかった。
「こっちが資料室です、どうぞ」
綺麗に掃除されているものの、どこか薄暗い雰囲気の資料室には無数の資料が棚にぎゅうぎゅう詰めになっている。
どこから探したものか、と肩をすくめる末田に、ヨシマサは笑みを浮かべる。
「資料はナンバー五四八九二、ですね。今検索かけます」
タブレット端末を操作するゆびさきは、やはり恐ろしいほどの速度。ただの事務バイトな訳がないだろう、と思ったものの、川越にはそれ以上追及する気も起きなかった。
「……あった。ここから右にある五番目の棚の、三段目です」
「助かる」
来客が目当ての資料を確かに手に入れたのを確認し、資料室を出ようとした時のこと。
「……あれ」
がちゃがちゃ、ドアノブを数回まわす。
「開かないですね~」
「え!?」
ふにゃ、と笑うヨシマサを押しのけ、川越はドアノブをまわす。開かない。鍵は掛けていないのに。
「たまにあるんですよ~、いたずら好きらしくって~」
「誰のこと言ってるんですか!?」
はぁ、と末田が頭を抱える。こういうことがままあるから、あまりこの署には出向きたくなかったのだ。
結局、ヨシマサから連絡を受けた捜査官が外側から開けてくれたことで、無事に三人は資料室から解放されることとなる。
「あ、末田さん。ボス、今ならお話できそーですよ」
「わかった、じゃあ川越。ちょっと待ってろ」
「え!?」
このよくわからない青年の元に俺を置いていかないで、という視線は気づいてもらえず、新人は大人しくヨシマサと共に来客用のソファに座る。
「ボクもお昼休憩なんですよ~、川越さんは普段何食べてます?」
「……カツサンドとか、カップ麺、ですかね」
「え、ちゃんと食べないと駄目ですよー。ボクの知り合いにも川越さんより食が細い捜査官の人が居て、ビタミン剤すすめました」
ちゃんと食べるって、量を増やすって意味じゃないんだ。
「ボクは此処に来てから、結構食べるようになったんですよね。美味しいものってなんかうれしくなりますよねー」
そう言いながら封を開けている食べ物からは、妙な匂いがふわりと漂う。
「あの、リヴィングストンさん。それは……?」
「キムチ納豆チキン南蛮弁当です~!」
こわい。来客の隣でそれを食べようとしているこのふわふわとした青年が本当にこわい。
「センパイ……はやくもどってきて……」
半泣きの川越とは真逆に、来客とのお喋りを楽しんでいるらしいヨシマサは、いつも通りふわふわと笑みを浮かべていた。
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