銀の楔とねがいごと
「桜良ちゃん、大丈夫?」
ふと掛かった声に、花篝・桜良(天使嗓音・h01208)は赤い目を瞬いた。不思議そうに首をかしげると、白苺のやわらかそうな髪がふわりと揺れる。
「えー、どうしたの?わたし、調子悪そうに見えたかなあ?」
「見えた見えた。っていうか、いつもよりおねむな感じ?ぼーっとしてるっていうか」
「ふふ、さっきの授業も、ちょっと寝てたでしょ」
授業の合間の休み時間。一人の友人に声を掛けられたのを切っ掛けに、ほかの友人達もわらわらと桜良の周りに輪を作る。彼女は眉を下げ、困ったように笑った。
「えー、バレてたかあ。ちょっと、|いつもの《保健室》行ってこようかなあ」
「行っといで行っといで」
「お大事にね!」
友人たちは優しい。
けれども、だからこそ。余計な心配はかけたくないと、桜良はおとなしく保健室へ歩を進めた。
桜良は感情を素直に表す方だ。それがポジティブなものであればなおさら。
特別性格が明るいのかと問われれば、どうかなあ、と返すだろう。その程度のものだ。彼女は知っているのだ。笑顔は人の心に滑り込む手段の一つ、処世術であるのだと。
「せんせぇ、おじゃましまーす」
「あら、花篝さんこんにちは。ベッド空いているわよ」
保健室の先生ともすっかりそんな応酬をする程度には、桜良は|ここ《保健室》の常連だった。桜良は体調が悪い時、時折保健室に寄ってはひと眠りしていく。
そう、ひと眠りしていけばひとまず収まる程度の体調不良だ。ではあるのだが――それが慢性的なものだからこそ厄介でもあった。
けれど、自ら選んだことだ。
そう考えながら、与えられたベッドにもぐりこむ。消毒薬の清潔な匂いが鼻を擽った。
本来ならば半人半妖であってもおかしくない生まれだが、父の血を濃く受け継いだ桜良は、吸血鬼と言って差し支えなかった。
|かれら《吸血鬼》に銀の弾丸の逸話は有名だろう。父たちの一族にとって銀は禁忌であったらしい。それを『よかった』と今の桜良は想う。
銀のピアス。
桜良の耳をいつも飾るころりと輝く小さなそれは、周囲を、ひいては自らを護る楔だ。
だれかを傷つけたくない。
その行為が、自らをこの生活から遠ざけることを知っていた。
今でこそ|自分たち《吸血鬼》は√EDENの住人として馴染んだものの――長い爪、人より強い膂力。それらがいつ誰かを傷つけてしまうのではと、幼い桜良は恐れていた。
だから。露店のジュエリーショップでその耳飾り、銀のピアスを初めて見た時、桜良は思ったのだ。これは、きっと『おまもり』になる。
引き換えに、いつも桜良が纏うのは怠さと眠気。体調が悪い時にはさらなる苦痛に襲われることもある。
その在り方を優しいと言ってくれた人もいた。甘いと言った人もいた。
けれども、この苦しみを誰かに万が一負わせるぐらいなら、これでいい――これでいいのだ、と桜良は思う。誰かに負わせて平気な顔をして過ごすには、彼女は優しすぎた。
今日は特に苦痛がひどい。
胃をひっくり返すような吐き気、がんがんと鐘を鳴らすような頭痛。痺れるような手足はすっかり冷たくなっている。
我ながらよく眠気程度に見せられたものだと、空しくも小さな自賛をして、桜良は白いシーツを頭まで被った。
眠れるかなあ。眠れたとして、悪い夢を見てしまいそう。
悪夢を遠ざけるように、桜良は大切な姉や、最近増えた友人たち。そこに生まれた楽しい思い出たちを、ひとつひとつ辿り縋るように思い浮かべるのだった。
たとえいつか終わりがくるのだとしても。
わたしは、ここにいるの、と。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴 成功