√泣かない蒼鬼『いつかきっとを願う』
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子供というものは純粋である。
もしも、純粋さが正しさと同義であると考える者がいるのならば、それは愚かしさの証明でもあった。
純粋であるからこそ、知識や倫理といった教育によって体得していくものが備わっていない。であれば、不意に飛び出す言葉が刃となって心を抉ることも、抉られることもまた知らぬのだ。
何が言いたいのか、と言うだろう。
知らぬ、ということは即ち罪である。
この世の中の事柄は全て知らぬ存ぜぬで通せるほど甘くはない。
ここに一人の少年がいる。
名を、櫃石・湖武丸(蒼羅刹・h00229)と言う。
『羅刹鬼』――遥か昔、強く邪悪なる妖怪がいた。
彼が、その末裔である。
しかし、安心して欲しい。『羅刹鬼』とは現代においては、人の刹那の眩さ、美しさに惹かれ彼らは改心を持った善き妖怪と知られ、語られるところである。
こうした事例は√妖怪百鬼夜行においては珍しいことではない。
何故なら、人と交わりし|百鬼夜行《デモクラシィ》。
悪しき性質を持ちながら、善き心に目覚めた羅刹鬼の血筋は絶えることはなかった。
時折、子孫の中から同じ妖力を持ち得る生まれ変わりのような子供が生まれる。
無論、此度の物語の主役であるところの、湖武丸もその一人であった。
彼が母親の胎内に在る時、『羅刹鬼』の力を持っていることが判明した。
だが、呪術によって出生前に分家の胎内に力を盗まれてしまう。
彼は生まれながらにして『羅刹鬼』の力を半分欠落した√能力者として、半端者と呼ばれてしまう。
周囲の大人たちから出た言葉は、どれもが心無いものばかりだった。
祝福とは程遠い言葉を投げかけられて尚、湖武丸は生きるのをやめなかった。
そもそも√能力者として生まれた以上、死からは最も遠い存在となってしまったからだ――。
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どんなに悲しくても死ねない。
何故なのか、と問われた時、兄者たちはこういったのだ。
「それはお前が強いからだ。確かにお前を半端者と嗤う者達は多い。だが、俺達は知っているぞ。『おたけ』よ。お前の心の強さを。それは誰しもに宿るものではないのだ。悲しみにだってお前は負けないという証明なのだ」
ふぅん、と己わかったようなわかっていないような曖昧な返事をしたように思う。
だから、悲しくても大丈夫なのだ。
「……だめ? なんでだ?」
目の前の男児は己を遠ざけるような顔で一歩後ずさった。
「おまえ、櫃石家の半端者の、湖武丸なんだろ。おれから力を盗むつもりなんだろう。だから近づいてきたんだ」
「そ、そんなことしないよ。おれは、誰かから盗むことなんて……」
「おまえに近づくなって言われてるんだ。それに、おまえ、この間からずっとべたべた引っ付いて」
先日、遊んでくれたときのことを思い出す。
あの時は嬉しくて、しかたなくって、目の前の男児と距離を縮めたくて、じゃれつくようにしてしまったのだ。
それが彼の不信を買ったのだと湖武丸は理解した。
「そうやっておれが気が付かないうちに、力を盗む魂胆だったんだろう!」
「……そんな……いや、そうだよな。知らない内に取っちゃうかもしれない」
「ほら見ろ!」
「ごめん、おれはあっちにいくよ」
湖武丸はひどくしょんぼりしてしまった。
やっとできた遊び友達だったというのに、嫌われてしまった。
また一人になってしまった。
けれど、湖武丸は気を取り直して道を歩む。この先にいくと妙な場所にでるのだ。なんとも面白おかしい場所だったので、愉快だったのだ。
それは偶然知ったことだったし、彼に教えてあげようと思っていたのだ。
けれど。
「しかたない。おれには特別な場所がある。みんな知らない、おれだけの秘密の場所があるんだ。だいじょうぶ。おれは一人遊びも上手だからな」
そう言って湖武丸が、いつもよりずっとずんずかと歩んでいくと、風景が切り替わるようにして周囲が変わっていく。
「わ」
湖武丸が見上げると、そこには奇妙な魚めいた存在がいた。
それがインビジブルであるということをまだ彼は知らない。
「ははっ、魚が浮いてる。水の中だけでなく、空にも浮かぶことがあるだな! 面白いや」
纏わりつくように奇妙な魚が湖武丸をぐるりと浮かび、まるでマフラーのようにじゃれつくのだ。
さらに足元から傘のような透明ないくつものひだが揺らめくものがせり出し、彼を乗せてぷかぷかと浮かぶ。
「わっ、このふわふわしたのは、くらげだな? そうだろ、はは、面白い。思った通りふわふわしている!」
まるで彼の心を慰めるように……いや、実際、インビジブルはそんなことを考えてはいないだろう。
ただそこに湖武丸がいた、というだけのことだ。
振鈴の音が聞こえる。
ハッとして周囲を見回すともう夕刻だ。
あっちの空が橙色に染まっている。
「もう帰らなきゃ。兄者達が心配する」
じゃあな、と湖武丸は纏わりつくインビジブルたちから離れるように駆け出し、振り返って手を振る。
約束なんて意味ないだろうけれど、そうしたかったのだ。
帰り道を駆けていると声が聞こえる。
自分と同じ年頃の子供らの声にどきりとして立ち止まる。
すると、彼の横を何か黒だとか赤だとか水色だとかのカバンを背負った子供らが楽しそうに話し、笑いあって歩いているのだ。
「……」
胸が痛むほどの憧憬。けれど、その痛みの意味がわからなかった。
でも、いいな、と思えたのだ。
あんなふうに笑って話せる家族以外の誰かができたら、と。
何度も心挫けそうになったけれど、それでも己は強いのだ。
ならば。
「……帰ろ! 今からけんけんな! バランスを崩さず、あの曲がり角まで! そうしたら!」
いつかきっと、と湖武丸は思う。
なんの保証もない。
できたから一体何だというのだろうか。
大人になれば、そんなこと、と振り返って笑うかも知れない。
けれど、もしかしたら、と思うのだ。
叶うかもしれない。
それは淡い期待以外のなにものでもなかった。
湖武丸が純粋であればあるほどに、それは残酷な現実を突きつけるものであっただろう。
「けーんけん、ぱっ! ほら――」
孤影に響く一人ぼっちの遊び言葉――。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴 成功