√ガーディアン・ブラック『疾風迅雷』
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階級、警視長。
言葉だけ聞けば、キャリア組の成績優秀者。
警察組織の中で見れば、警視総監から連なる三番目の階級である。
謂わば、警察組織の統括、警察職員の監督や事務処理、指導をもって地域の治安維持に貢献するリーダーシップを担う人材である。
これらの事柄から察するに、事件現場に出張ってくることなどは、ない。
しかし、警視庁公安部総務課特殊犯罪対策センター顧問であり、警視長である道明・玻縷霞(黒狗・h01642)の気質というものは、そうした一般的な警視長の定義から逸脱していた。
そもそも、特殊犯罪対策という言葉からして、きな臭さを覚えるものである。
特殊犯罪とはつまり、一体どういうことなのか。
「簡単なことですよ。つまりは身内の錆落としということです」
錆落とし。
「ええ、警察組織を巨大な生物に例えましょう。その巨大な体は時に網目のように例えられるでしょう。天網恢恢疎にして漏らさず、というやつです。悪しきを逃さず捉え、必ずや誅する。ですが、そうした天の網とて使い続ければ、ほつれもするでしょう」
ほつれればどうなるのか。
なるほど。
大きい組織ほど末端には手が届かない。
末端の異常を放置すれば、即ち組織を錆らせる原因ともなる。それは避け得ぬことである。ならば、どうするか。
「そうです。錆を落とす。それが警視庁公安部総務課特殊犯罪対策センター、というわけです。公安委員会を経由して司令がくだされる意味、わかっていただけましたか?」
だが、随分と若く見える。
それに彼の異名とも渾名とも言える『黒狗』の名前は三十年前から警察組織内で実しやかに語られる名であった。
それを指摘すると玻縷霞は曖昧に笑った。
「それは所謂、怪談話みたいなものでしょう。『いい子にしていないとなまはげが来るよ』、という決まり文句と似たようなものです」
そこまで告げて玻縷霞は、吐き出した息を止めるように人差し指を立てた。
何事か、と問いかけることすら禁じるような目だった。
ハンドサイン。
それは玻縷霞が先行する、という意味を持っていた。
まさか、と彼の下についた部隊員は、しかし彼に進言する手立てもなければ、その権利も持ちえていなかった。
階級が違いすぎるというのもある。
それ以上に、そのハンドサインの次の瞬間に玻縷霞は駆け出していた。
彼が飛び出したのは、港湾部に位置する貸倉庫街。
いくつものコンテナが積み上げられ、下手をすれば迷い込みそうなほどの入り組んだコンテナ迷路に成り果てていた。
ここで今日、警察組織内部の特殊犯罪の隠蔽が行われ、また同時に怪異が絡んでいるとの情報を受けて張り込んでいたのだ。
結果的に言えば、その情報は正しかった。
幾人かの人間と恐らく怪異。
この指揮を執っていたのが、警視長である玻縷霞だった。
しかし、こういうときの警視長というのは後方で指揮を取るのが当然だ。無論、そうなるはずだった。
『ベルジアン』――そうコードネームを配された警視長がまさか事件現場そのものに飛び込んでいく光景など、恐らくこれからの警察官人生のおいて二度と見られることのない光景であったことだろう。
それほどまでに、警視長が現場に出張ってくる事自体が異例なのだ。
そうした異例をまるで、そこらの路傍の石を蹴り飛ばすような気軽さでもって、コードネーム『ベルジアン』こと玻縷霞は飛び出していたのだ。
まるで、そのコードネームの由来となったベルジアン・シェパードの性質を現すように落ち着きと大胆さの二面性を備えたように彼は靭やかな動きで貸倉庫街の意図して生み出された監視カメラの空白地帯へと飛び出していた。
「なっ……! 何者……ッ!? ま、まさかお前ッ!」
見知った顔であったのだろう。
玻縷霞が飛び込んできた姿を認め、幾人かの人間の内、一人が明らかに狼狽する。
彼を守るようにシークレットガードめいた屈強な男たちが即座に銃を構えるが、玻縷霞の動きのほうが速かった。
ためらいはなかった。
振るわれる拳の固さを証明するように、鈍い音が屈強な男たちの顎を砕いたことを知らせる。
呻く声すら響かせない打撃……さらに彼の体が折り曲がるようにして屈むと銃の引き金を引くより早く、足が払われ、鍛え上げられていたであろう男の体躯が刈り取られるようにして宙に舞う。
足払い、とわかったのは、遠く離れていたからだ。
ガードの男からすれば、急に視界が直角に傾けられたように見えただろうし、何が起こったのかさえわからぬまま、体勢を崩した空中で玻縷霞が己の頭を掴んだ感触を最後に視界が暗転し、その意識が失われてしまったことを数時間後に理解することだろう。
「は、速い……!」
玻縷霞が引き連れていた部隊の面々とて、いずれもが精強である。
そんな彼らを置いてけぼりにするかのような速さと獰猛さでもって玻縷霞は即座に屈強な男たちを無力化していくのだ。
そんな中、取引相手側は警察内部の内通者であるところの男たちよりも冷静であり、対応は速かった。
玻縷霞が即座に二人無力化した一瞬の隙を狙うように人間の形が崩れ、奇妙な怪物へと変貌した体が彼へと襲いかかる。
「√能力、やはり怪異ですね」
刃のように変形した怪物の腕が走り、玻縷霞の二の腕を切り裂く。
鮮血が舞う。
しかし、その血飛沫が地面に落ちるより早く……それこそ早戻しをしたように玻縷霞の傷口が塞がれる。
次の瞬間。
いや、傷が塞がれる前に玻縷霞の拳は、これまで以上の速度で怪異の顔面らしき部位に叩き込まれていた。
「先に手を出したのは貴方です」
これが|因果応報《マーシレスカウンター》。
彼の拳は得た傷の因果すら早戻しに回復させてしまう。
√能力には√能力を。
玻縷霞の能力は、まさしく因果を手繰る拳だったのだ。
隊員たちは警視長たる玻縷霞のあまりにも迅速な……いや、迅雷の如き電光石火たる手前を見せつけられる形になり、感嘆とも驚嘆とも言えぬ声を上げるしかなかっただろう。
一時はどうなることか、と思われた杞憂すら取り除く玻縷霞。
その様に改めて、部隊員たちは敬礼するのだった――。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴 成功