羅刹鬼の宿世
さぁ、語ろうか。
これは我が一族の過去。
そして、“俺”という存在の物語であり、此の胸に抱く思いの話だ。
昔々、或る処に――と話すのが解り易いだろうか。
兎も角、遥か昔のこと。
羅刹鬼と呼ばれる者がいた。
彼は鬼とされているが、元は人間だったという説がある。悪逆無道に極悪非道、凶猛や暴虐を繰り返した末に鬼に成り果ててしまったとか。
或いは、元は鬼の義賊だったのだが、あまりに義に拘るがゆえに行動が激化してしまって悪人に堕ちただとか。
誰も真の経緯を辿れないほどの昔だ、どれもろくに伝わっていない。
真実が歪んだのかもしれないし噂に尾鰭がついたのかもしれない。本当のことを追い求められないなら、最早その経緯なんてどうでもいい。
大事なのは羅刹鬼のその後だ。
悪行の結果に彼は捕まり、二度と悪事などしないと人々の前で誓った。
そして、その証として大岩に手形を残した。
羅刹鬼は罪を赦され、生かされたことで心を改める。それまで悪を成してきたことを認めた彼は、これからは善人になろうと努めた。
しかし、信用など地の底に落ちている。
それでも羅刹鬼は地道な善行を重ねていった。皆からは蔑まれ、疑われ、ときには石を投げられ罵倒もされた。だが、彼はめげることなく善行を続けた。
苦労はしたが、これもまた定めとして受け入れたのだろう。
やがて、年月を重ねたことで羅刹鬼は人々から信用を得た。同時に定住の地を見つけた彼は自分を慕ってくれる者と出逢い、婚姻を結んだという。
幸福な家庭を得た彼は、自らの子供達に教えを説いた。
――『善き者であれ』
時は流れ、羅刹鬼の子供達は律儀にもその言葉に従った。
彼の子だけではなく、その子供も、そのまた子供も、といった子孫達すべてが。
良く云えば、彼の想いを継ぐ意味で。
悪く語るならば、彼の死後にとある印が現れたからだ。
その印とは、一族の者の中に必ず羅刹鬼と呼ばれた男と同じ妖力や性質を持つ者が生まれるようになったこと。
最初は偶然にも彼の血を色濃く継いだ者がいたというだけの認識だっただろう。
だが、妖力を宿す者が亡くなると必ず次が生まれた。
十数年、或いは百余年。
繰り返し生まれ続ける妖力持ちの者は、一族の間で特別な扱いをされた。名付けるならば『羅刹鬼の映し子』といったところだろう。
或る者は誇らしげに語った。
「まるで|羅刹鬼《彼》が、この子を通して見守っているかのようじゃ」
また或る者は恐れ慄いた。
「いいや、羅刹鬼が一族の子を通して見張っているに違いない!」
どちらにしろ、悪事を行わないか見られている、という意見に相違はなかった。
そのため、一族は或る方針を固める。
俺にとっては忌まわしき仕来りと呼ぶしかない決まりだ。
一族は羅刹鬼としての鬼の血が薄まらないよう、家に迎える者を選定した。
婿や嫁は他の妖怪や人間ではいけない。必ず鬼の血筋や系統を持つ妖を迎え入れることで、羅刹鬼の生まれ変わりが途絶えぬような特別な婚姻を繰り返した。
そうやって櫃石の家は続いてきた。
仕来りで強く縛られたまま、時は更に流れる。
一族が随分と減った時期があった。
本家の者だけではなく分家も同様に。いや、それ以上に。
その頃には分家にとっての仕来りは形骸化していた。本家の者しか羅刹鬼の力を受け継げないというのに、分家の者も婚姻を自由に結べないままだったからだ。
それでも、分家もまた一族であるため遥か昔から続く決まりに従うしかなかった。
やがて、それをよく思わぬ者が出てきた。
わかりやすく語るならば危機感を覚えたのだろう。追い詰められた者が手段を選ばなくなるなんて、どの世界でも時代でもよくあることだ。
当時、その者は妊婦だった。
彼女は悲観し、絶望していた。自分が分家の生まれであるゆえ、どう足掻いても妖力を宿す子を産めないことを。更に遡るならば本当に好いた者とは引き離され、一族に決められた相手と結ばれたことも。
どうせ望まぬ子ならば。
せめて、羅刹鬼の映し子を産んだ母にならねば報われない。
どうにかして自分が救われたい。
彼女はそういったことを女中によく語っていたそうだ。勿論、女中は口止めをされていたので事件が起こる前にそのことが露見することはなかった。
そして、彼女にとっての幸運が巡った。
自身が子を孕んでから暫くして、本家の娘が妊娠したことを知ったのだから。
そして、彼女はどこぞの呪術者を呼んだ。
行われたのは恐ろしき呪術だった。彼女は本家の胎児に宿っていた羅刹鬼の力を、自分の腹にいる子供へ移す術を行使したのだ。
どれほどの代償や呪力が必要だったのかは想像に難くない。
そして、羅刹鬼の妖力は奪われた。
されど分家は真の器に非ずとされたのか、取られたのは半分の力のみ。
後に彼女とその子供は何処かへ姿を眩ました。二人がどうなったのかは、俺には知る由もなかったのだが――この話の本質はそこには無い。
彼女の行いは到底許されるものではなかった。
だが、事件によって本家の者は一族が追い詰められていたことに気付かされる。仕来りは問題視され、これ以上は続けるものではないとされた。
今の仕来りは羅刹鬼本人が望むものではないと判断するに至ったのだろう。
これを機に、櫃石家は仕来りに縛られない生き方ができるようになっていった。
俺の父も母もまるで荷が下りたように穏やかになった。
家族で暮らす日々に仕来りは関係なくなり、兄も姉も自由な恋愛が許された。もし今も仕来りがあったなら、と考えると寒気が走る。
俺が仕来りそのものを忌まわしいとして嫌う理由がこれだ。しかし、これまでの過去があったからこそ今の結果があることも解っている。
俺は羅刹鬼の力を半分しか持っていない。
この欠落があるからこそ、俺は√能力者になったのだろう。
だからこそ感謝している。
家族は幸せそうに暮らしていて、自分も窮屈な田舎から様々な場所や世界へ遊びに行けるようになったからだ。
こうなったのも分家の『悪行』が、結果的に良き流れを生んだゆえ。
それから俺は思うようになった。
悪というものも、完全に悪いものではないのではないかと。
最初に話したことを覚えているか?
これは俺という存在の物語でもあると話した。それには色々と理由があるんだ。
物語と一言でいっても、世の中にはたくさんの話があるだろう。
たとえば悪いやつが現れて、主人公が仲間が結託して倒す話。主人公は多くの出会いを重ねて、友情や恋愛が芽生える。それからなんやかんやで悪いやつを倒してハッピーエンドを迎えるなんてもの。
話によっては、悪が蔓延る前よりも世界が良くなっていたりすることもある。
つまりは必要悪というものもあるんじゃないか。
俺はその悪いやつになりたい。
主人公ではない方がいい。俺が一番好きな物語にも自ら進んで悪になった者が出てくる。その行動のおかげで主人公は幸せな道を歩めるようになったんだ。
悪がなければ好転しないことだってあるのだと識った。
こんな風に考えていることを俺よりも遥かに強い家族に話したら、きっと、いや絶対に殺されるだろうけど。
善きものであれ。一日一善。
櫃石の一族として、継がれてきた思いや教えを忘れてはいない。
それでも。
俺が惹かれて、焦がれて止まないのは正義ではなく――悪なんだ。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴 成功