シナリオ

硝煙とペトリコール

#√汎神解剖機関 #ノベル

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 唇を覆う狐面の合間から燻る火を、降り出した雨が掻き消した。
 斜陽を迎えた快晴は俄かに不穏な黒雲に覆われた。降り出した小雨の中に立ち尽くし、火種を失った煙草を忌々しげに携帯灰皿へ押し込み、夜鷹・芥(stray・h00864)は一度目を伏せた。
 √汎神解剖機関は路地裏に似た薄暗い事件に事欠かない。別所の依頼帰りに付近の事件へ向かうよう指示を受けるのは日常茶飯事だ。此度も急な呼び出しだったせいで予報の確認をする暇もない。お陰で傘一つ持たずにビルの前に立つ羽目になったことには、愚痴の一つも口を衝こうというものだ。
「あー……くそ、此のまま濡れろってか」
 ――連続爆弾魔の模倣犯が出没したと至急の連絡があった。
 切欠となった事件は有名だ。奇妙なことに犯人が丁寧に現場に痕跡を残していったせいである。選定される建築物にも極めて厳格な基準があったから、こうして模倣犯が現れるほどに人々の耳目を惹いたのだ。
 花の名がつく建造物であること。三階以上であること。何らかの形で人々が寄り合う場が設けられていること。新月の日であること――。
 特殊な爆弾によって爆破された建造物は必ず枠組みを残し、半ば芸術性すら感じる即席の廃墟となること。
 既に犯人が逮捕されたかの事件と比べれば、芥の前にある廃墟は美しいとはいえない。見上げて溜息を吐いた彼の視界に、ふと影が過ぎった。
 軽やかな足取りの雨夜・氷月(壊月・h00493)がビルを訪れたのは、定まらぬ好奇心がたまさかそれを指差したからであった。連続爆弾魔と聞けば己の引き起こした事件を連想するのは当然のことだ。些かならぬ親近感も覚えるし、何より面白いことが起こる確信がある。
 奇しくも芥と同様に傘を差さぬまま、濡れ鼠の白銀は滑り込んだ建造物の内部を見渡した。景気よく破壊された窓からは小雨が吹き込み、残る硝煙の香りを奪い去っていくようだ。
「んー、火力……火の元は……っと」
 氷月に余韻に浸るつもりは毛頭ない。首尾よく最も破損の酷い箇所を見付けてしゃがみ込む彼の背に、低く無感動な声が問うた。
「……なァ、アンタ。此処は今立ち入り禁止場所だ。何か、気になるモンでも?」
 ――振り返った先の口許だけを隠した狐面を、氷月は知っている。
 一方的な面識だ。芥の方は白銀の男を知らないだろう。氷月の方とて、いつだったかは当人も覚えていないような気儘な興味が向いた先で、その顔を見た覚えがあるだけだ。敢えて身を晒せば追って来るだろうと判じたのが奏功したとみえる。
「ごきげんよう、アンタは……カミガリさんだね。オツトメご苦労様」
「質問には一発で答えな」
「つれないな」
 何が楽しいか笑顔を崩さぬ、一見して無防備な男の仕草に、芥は目を眇めて応じた。彼は無駄口を叩く性分ではない。顎先で応じるよう促せば、氷月は気分を害した様子もなく軽やかな調子で続ける。
「んっふふ、今日みたいな天気が微妙なときこそ爆発みたいな派手な事件が映える日だから、何かないかなーって散歩してたんだ」
 一般人であれば眉を顰めて然るべき言い回しだった。殊にこの√における爆発事件に巻き込まれた人間は、命は助かれど心身に多大な傷を負う。腹腹時計の精神汚染は時にクヴァリフ器官を以てしても取り除くことが叶わないほどに深い爪痕になり、そも建物一棟を纏めて廃墟に変える威力の爆発が残す体への影響は忘却の技術で元に戻るものではない。
 それをへらへらと笑って口にする。
 察するに眼前の男は――口を衝きそうになった核心を飲み込んだ芥は、代わりに小さく面倒げな溜息を零した。
 品行方正で正義感に満ちたカミガリならば兎も角、彼はそう行儀の良い|性質《たち》ではない。眼前のいかにも訳ありな男に首を突っ込めば、要らぬ仕事も余計なしがらみも増えることは明白だ。
 このまま踵を返したいのはやまやまだが。
「――まァ、見つけちまったからには無視は出来ないか」
 そうまで職務を放棄してはいない。跪いて靴を嘗めるような忠誠心はなくとも、喫緊の連絡を受けてここに立っているからには、与えられた最低限の役割は果たすべきだ。
 構えばかりは自然体の男のまま、芥は未だ無防備に見える氷月の笑みに問う。
「素直に話せば丁寧に証人として対応はするんだが、アンタはどっちだ? 一筋縄じゃいかなそうなオニーサン?」
「素直に話すと言っても、アンタに話せることは何もないんだけどなあ」
「へぇ」
 ――何もないと悪びれもせずに言う。
「本当に?」
 嘗ては身に夥しく血を浴びた。
 拳銃を抜き放つ所作は極めて自然だったろう。物言わぬ銃口は真っ直ぐに氷月を見据えた。指は震えない。芥の眼差しが感情の色を帯びることもない。
 だが。
 いつか撃つべきでなかったはずのものを撃ち抜き錆びついた、|引鉄《ひきがね》にかけた指に力を籠めることが出来ないのもまた、その主だけは理解している。
 その内情を見透かしたわけではあるまい。しかし見得ていようといなかろうと、白銀の男の浮かべるさも面白げな表情が変わることはない。
「ふーん、通行人を脅すんだ?」
 カミガリの癖に。
 言外に嘲るような煽り文句を湛え、氷月は腕を緩く広げた。いつ飛んで来るとも知れぬ鉛玉を前にして悠長な体勢の中で、しかし曇天に薄く落ちる影が足許で騒めくのを、芥は見逃していない。
 狐面の下からさも面倒げな溜息が零れた。
「俺はお行儀が良くないんでな。遣り様は選ばない」
「不良警官にしてもやりすぎだと思うけどなあ」
 氷月の言葉の真意は読めなかった。裏がないとはとても思えぬ振る舞いを前に燻る疑念を収めることも出来ぬまま、促すように無言で軽く動かした銃口にも、白銀の男の沈黙は揺るがなかった。
 一触即発の膠着がどれほど続いたのか知るすべはない。片や引けぬ引鉄に指を掛け、片や敵意なく銃口を見据える――ほんの僅かでも均衡を崩せばすぐにも吹き飛ぶ静寂は、しかしひどく気の抜けるような台詞で易々と打ち破られることになる。
「――あ、そういえば、今思い出したんだけど」
 影の騒めきは止む。氷月の指先は狐面の男が向ける疑義と鉛玉を意にも介さず、小雨の吹き込む割れた窓を指した。ビルに面した路地から繋がる大通りをなぞるように動くそれを一瞥してなお、銃口は外さなかった芥に向けて、さも面白げな笑声が続けた。
「俺、ここに来るまでに火薬の匂いを纏った男とすれ違ったよ」
 悲鳴。
 雨音でも隠し得ぬ爆発音とどちらが先立ったか分からない。蒸して纏わりつく湿気と中途半端に地を濡らす雨は、煙草の火種であればいざ知らず、爆弾の導火線までもを消しはしなかったらしい。
 俄かに騒がしくなった通りを見下ろすように首を軽く伸ばした氷月の視線は、既に芥を捉えてはいなかった。
「……嗚呼、始まっちゃったかな?」
 横目に一瞥をくれる男の笑いを堪え切れぬとばかりの表情に、芥は深々と溜息を吐いて、初めて目を伏せた。
 同時に下ろした拳銃を手早くホルスターにしまう。追ってすぐに入るであろう緊急連絡を予見して、連絡用の端末が懐にあるのを確認した。気怠げな金の双眸は呆れと厭世の色で男を見遣った。
「早く其れを言えよ」
「んっふふ、今思い出したって言ったでしょ」
 疑って悪かった――とは言わない。
 肩を竦める氷月がそれを気にしているとも、言葉を尽くして和解をすべき相手であるとも思えなかった。それに。
「なぁ、テロリストさん」
「ん?」
 予想を口にしたとて激昂も混乱も悲哀も湛えず迂遠な肯定を返す、享楽的な表情ばかりが張り付いた男に、興味が湧いた。
 軽く掌を向けるのは|無罪放免《・・・・》の証左だ。どうにせよ芥が追っているのはこの男ではないし、事件現場に|誤って《・・・》迷い込んだ民間人との出会いを逐一報告書に記すほど几帳面でもない。
 ただ――。
「名前くらいは聞かせてくれよ、今後のために」
 芥の提案を受けて、氷月は今日一番楽しそうな顔をした。
「雨夜・氷月だよ」
 返す声にも衒いはない。偽名だ何だと小細工を弄して立ち回る|性質《たち》ではないし、芥に興味を惹かれているのは彼とて同様だ。互いの出会いに信頼や友愛なぞあったものではないが、結ばれた縁を手繰った先にはきっと|面白い《・・・》ものが待っている。
 破壊には飽いた。されど享楽なくして今を生きる意味もない。鳴り出した連絡用端末を渋々といった調子で取り出す芥は、彼の世界に一瞬の彩りを差す一つとなるだろう。だから。
 笑みを深めた煌めく双眸の取り替え子は、|緩慢《ゆっくり》と手を振りながら今暫しの別れの言葉を告げた。
「次があれば……気が向いたら手伝ってあげる」
 ――あっさりと踵を返し去っていくテロリストの足取りを見送り、芥は鳴り続ける端末に溜息を吐いた。
 三コールはとっくに過ぎている。上司からの叱責の声を予期して耳から端末を離し、男の指が通話ボタンをタップした。
 遠からず訪れる予感と共に想起される|次《・》のことを考えながら。
🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​ 成功

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