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白に焦がるる

#√妖怪百鬼夜行 #ノベル #Ankerのいない夜

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 音のない夜だった。
 古書店の帳を下ろし、仄白い灯りをひとつだけ残した自室でベッドへと潜る。
 遠い街の喧騒も、漸く眠りについたらしい。最近夜でも暑さを感じるようになった部屋の窓からは、微かな風の気配を感じるばかりだ。
 ふと天井を仰げば、あたりを包む静けさに息が詰まる。

 ――このまま、俺の“心臓”には出逢えずに終わるのかな。

 これまでの28年間、数え切れぬほど自分へと問うてきた。
 幾ら考えても仕様のないことだった。納得できるような答えなぞ出てきやしまい。そう痛いほど分かっているのに、捨てられない。捨ててしまったら最後、いよいよ俺は生きている意味がなくなってしまう。かといって、死ぬこともできない。D.E.P.A.S.として生かされているだけの命は、終わらせることさえも意味を持たない。
 そんな生を続けることほど、空虚なものはないだろう。
 躰も心もからっぽの俺を生かし続けているのは、唯々この不良品の躰を憐れんだインビジブルたちの戯れでしかなかった。そんな、いつ冷めるかも分からぬ同情によって辛うじて繋がれた命に、執着なんて持てるはずもない。ほかの人間を羨むことも、“普通”を蔑む人間を憎むことも、それすら持たない自分に苛立つことすら、最近はもうどうでもよくなってきていた。それがどれほどに重く心を占めたとて、俺の“心臓”にはならないのだから。
 “なにか”のために在りたかった。
 それは他人でも、自分自身でもいい。奥底から求めて止まない“なにか”のために、突き動かされるように生きてみたかった。この生命と時間に、意味がほしかった。
 色のない真っ白な人生に彩りをもたらしてくれる、特別な“物語”。そんな夢のような願いだけが、手放せぬまま俺のもとに残っている。

 ――もしかしたら、もう出逢っていたのかな。

 本当はとっくのとうに巡り逢えていたのに、俺が見逃していただけかもしれない。鬱々とした感情が、それを見抜く眼さえも覆ってしまっていたのかもしれない。
 ともすればそれはまだ近くに在って、それこそこの部屋のどこかで、読みかけの古書の山の隙間で、手繰るように集めた装飾品の影で、俺が見つけるのをずっと待っているのかも――。

「……あるわけないよ……」

 そう独り言ちた喉の奥が、熱を帯びる。眼を閉じたらまた泣いてしまいそうで、胸に詰まった感情ごと息を吐き出しながら、意識を逸らすように窓の外へと視線を遣った。
 そこには、眩くも白い月が密やかに咲いていた。
 まるで俺が独りきりなのだと知らしめるかのような、あまりにも無垢で、あまりにも冷たい淡白いひかり。
 あったら良かったのにな――そう思ってしまったことを、すぐに悔いた。
 こんなにも焦がれて探し続けてきたのに、未だ見つけられずにいるのだ。どうせ、このまま一生出逢えぬままだろう。いつからか心の隅で頭を擡げ始めたその思考に気づかぬふりをし続けるのも、もう限界かもしれない。

 けれど。
 それでも。

 たったひとつだけでいい。俺の心に咲く“なにか”があってくれても良かったのに。
 誰かのそれに重ね見たものじゃない。自分だけの、強く愛せる“なにか”。
 手を伸ばすだけで、頬に触れてくれるような、名を呼んでくれるような、「またね」と笑ってくれるような――そんな存在が俺にもあってくれたら。

 ありもしないはずの記憶に、なぜか涙が零れた。思い出すようなものはなにもないのに、名も知らぬままの存在に、心がどうしようもなく軋む。
 こんな夜は、いっそ何も感じず眠れたならいい。けれどそれが無理だと分かっているから、俺はゆっくりと躰を起こした。傍らに置いたままの本を開き、|栞紐《スピン》を避けて頁を繰り始める。
 こんなにも間近に、物語はあるのに。こんなにもたくさん、集めてきたのに。
 ――どうして、俺のもとに来てはくれなかったんだろう。
 止め方を知らぬ嗚咽を漏らしながら、外を見る。
 ぼやけた視界のなかに、月はまだ、白く、遠く、咲いていた。

 ✧   ✧   ✧

 月が咲いていた。
 窓硝子に淡く滲むひかりが薄いヴェールのように優しく包み込むリビングで、俺は両手で持ったマグカップを口許へと近づけ、ひとつ息を吹いた。それだけで、あたたかなミルクからほんのりと甘い蜂蜜の香りがふわりと広がる。
 ついさっき、「熱いから火傷するなよ」と言ってそれを渡してきた幼馴染み――白露は、隣に座って読書を再開し始めていた。俺の好みに合わせて、すこしだけぬるめに温められたホットミルク。素っ気ない態度の裡に染む確かな優しさに、つい頬が緩んでしまう。
 まろやかなひかりの下、ソファの背に凭れながら共有する、いつもの時間。
「……今夜の月は、ちょっと滲んでるね」
 俺がそう呟けば、白露は紙面へと視線を落としたまま、「明日、雨かもな」と返す。ただそれだけのやり取りなのに、そのささやかな会話がなによりもあたたかい。

 ――夜更かしするな。
 ――寝る間際にものを食べるな。
 ――読書の合間に休憩を入れろ。
 ――リビングで寝るな、風邪ひくぞ。

 そんな風にしょっちゅううるさく言われるたびに、俺は唇を尖らせてみせるけれど、本当はそのすべてが嬉しくて愛おしい。
 誰かが俺の時間を気にかけてくれること。俺の健康を気遣ってくれること。
 この命が、誰かのなかで“大切なもの”として息づいていて――俺もまた、なによりも“大切”だと心ふるわせられること。
 そのどれもが、俺にとっては奇跡なんだ。

 白露。白ちゃん。
 俺の想いから生まれた“かみさま”。ほかの誰でもない、“俺”じゃなければ出逢えなかった存在。
 彼は自分のことを不完全だと気に病んでいるけれど、俺にとってはそんなことは些細なことだ。こうして傍にいて、会話をして。ときどき喧嘩をしたりもするけれど、最後には笑い合う。そんな日々を一緒に紡いでくれるのは、白露にしかできないことだ。
「……白ちゃん」
「ん?」
 つい名を呼んでしまったら、綺麗な碧眼が俺を映した。その整った顔立ちに見入ってしまいそうになって、胸を満たしていた想いを咄嗟に言葉にする。
「……ありがとう」
「急にどうした。なにかやましいことでもあるのか?」
「もう! せっかく人が感謝してるのに、なんでそう言うのー!」
 ぽかぽかと柔く白露の肩を叩けば、僅かに眦を下げて苦笑が返った。それだけでもう、十分だろう。

 振り子時計が真夜中を告げた。
 カップを洗い、照明を落とし、俺たちは並んで廊下をゆく。そのほんの数十歩だけの距離はいつも、どこか1日の余韻を惜しむかのように緩やかだ。
「おやすみ、白ちゃん」
「……おやすみ、かや」
 今日を締めくくる、短い会話。たったそれだけが、からっぽの裡を満たしてくれる。
 ドアを開けて自室へと入れば、遠くに咲いていたはずのまあるい月が、窓辺のすぐそばで清かに耀いていた。
 今日も、名を呼んでくれる人がいた。
 今日も、“おやすみ”が交わせた。
 だからもう、大丈夫。微睡む意識のままにそう思いながら、ベッドに身を沈める。瞼が重くなり、すぐさま夢路を歩き出す。
 起きたら、朝一で庭木に水をやろう。午後は白露の写真の整理を手伝って、夕方になったら一緒に食材の買い出しに行こう。

 なんの変哲もない、いつもの日常。
 けれど、なによりも鮮やかな日常。

 ――そうして俺の“心臓”は、また明日も鼓動を刻んでゆく。
🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​🔴​ 成功

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