4
黒い髪の女は嗤う『52Hzのラブレター』
●孤独の鯨は海を唄う。
…
……
メーデー、メーデー、メーデー、
聞こえますか?
…
……
メーデー、メーデー、メーデー、
ワタシは、今、|アナタ《誰か》へ声を届けています、
…
……
メーデー、メーデー、メーデー、
どうか、お願い、ワタシの声を、聞いてください……、
…
それは、波間に漂う泡沫の様な声だった。
やわく、淡く、儚く、ともすればそのまま海に溶けて消えてしまう、そんな声。
声の主は知っていた。これは、この言葉は、自分以外の誰にも聞こえないという事。例え自分と同じ種族であったとしても、それが届いた事等ただの一度も無かったのだ。彼らの声は聞こえているのに、自分の声は決して彼らには届かない。故に同族は言う「あの子は喋れない子なのだ」と。嘲笑うかのようなそれに、違う、違う、違う。首を振った。ワタシは確かに話している。声を上げている。なのにどうして、アナタ達には聞こえないのだ。この胸を劈くような悲痛な叫びも、この|鳴き《泣き》声も、誰一人として気が付かないのだ。
寂しい、寂しい、寂しい。
広大な海の中。暗く冷たい水の底。孤独を埋め合うように寄り添う群れの中、然してワタシは誰とも寄り添えない。いくら寄り添おうと身を寄せても、声を上げても、皆、ワタシを嗤って避けていく。ぐるぐる、ぐるぐる、彼らの声は、言葉は、五線譜のような渦を巻いて互いに奏で合っては登っていくのに。ワタシの之は沈むばかり。藻屑にすらならぬ泡となって消えていくばかり。
寂しい、寂しい、嗚呼、寂しい。此れは、嗚呼、なんという孤独なのだろう。
|鳴き《泣き》ながらがむしゃらに海の底を泳いだ。群れから離れて、たった一人、広大な海を泳ぎに泳いだ。群れの中で感じる孤独よりも、一人でいる孤独の方がずっと楽だったけれども、一度空いた孤独という穴は、心にずっと隙間風を吹かし続けていた。いっそ、身も心も凍り付く程の冷たい風なら良かったのに。その風は悪戯に心を冷やすだけ、時折身を切るような痛みと真綿で首を締めるような息苦しさを与えてくれるだけで、塞がりも広がりもしない。ワタシはそれが嫌で嫌で嫌で仕方なくて。
メーデー、メーデー、メーデー、
ただひたすらに泳ぎ続けて、ただがむしゃらに声を上げ続けた。
この声はワタシの唄だ。この声はワタシの心だ。言葉だ。ワタシ自身だ。
誰かに、どうか、届いて欲しい。誰かに、どうか、受け止めて欲しい。
メーデー、メーデー、メーデー、
聞こえますか?
誰か、どうか、ワタシの……、
「今ここら辺から声がした気がするんだけどな……」
『!!』
「……鯨?今、喋っていたのって、もしかして」
嗚呼、嗚呼、嗚呼、
やっと、やっと、届いたの?
アナタが、ワタシの声を、聴いてくれたの……?
見上げた先、水面の壁の向こう側。一人の人間が笑顔を浮かべていた———。
●案内人:クルス・ホワイトラビット
「唐突だけど、キミ達は人魚姫という童話は知っているかな?
知らない人の方がもう稀だと思うから、詳細は省かせていただくけれども、まあ大まかに言えば人間に恋をした人魚のお話だ。原作では拷問染みた苦痛を味わいながら悲劇的な結末を辿った悲恋の物語としても有名だね。時代の流れや作り手の意向なんかもあるんだろうけれども、昨今のオマージュ作品では、その結末や内容の改変なんかによって悲劇的な要素はほぼ皆無となっているものも多いみたいだね。
まあ、そこに関して何か意見を述べろとか感想が欲しいだなんて思っちゃいないよ。原作にしろオマージュ作品にしろ、何もって『悲劇』とするのかの判断基準は人それぞれさ。物語なんて、結局は読み手がどう思うかが最重要であり全てにもなり得るからね。
……っとまあ、雑談はここまでにして本題を話そう。
今回は珍しく、星からではなく人から、ボクの方に依頼があったのさ」
そう言うと少年は、あなた達に資料を差し出す。
場所は√エデンにある小さな村。漁業と『海底に咲く花』という観光名所によって栄えた場所である。豊富な海産物による海鮮料理が名物で、特に宝石の様な新鮮な魚介類をふんだんに使った特製海鮮丼は絶品。四季の変化の少ない比較的温暖な地域の為、春と夏の2シーズンにかけての海水浴や海底散歩が楽しめる事でも有名らしい。
そんな村の情報もそこそこに資料に目を通していれば、ふと『依頼人』という項目に視線が留まる。どうやら村で漁業を営む親子らしい。
・リュウジ(50)
村で漁業を営む漁師。リュウトの父親。村の漁業組合の長。
口が悪く短気で豪快な印象の男性。船の操縦は村で一番。
・リュウト(23)
父親の漁業を手伝っている村の青年。
爽やかで人当たりの良い印象。時々不思議な事を言う。
・母親
リュウトを出産した際に死亡している。
「……その親子によると、どうやら最近、海で海洋生物が狂暴化するという現象が起こっているらしい。狂暴化自体はこれまでも極稀にあったそうなんだけども、最近の頻度は異常と言っていい程起こっているそうなんだ。気になって少し調べて見たところ、案の定とでも言おうか、怪異の痕跡を発見したのさ。どうやら敵は『海底の花畑』で何かしようとしているみたいなんだけれども、詳しい事は現地に赴かないとわからないかな」
ふっと息を継ぐように呼吸を整えて、少年は言う。
「今回のキミ達の任務は、『海底の花畑』の警護及び怪異の存在を突き止める事。それが危険な存在であるのならば退治もして欲しい。簡単そうに見えるけれども、くれぐれも油断はしないでおくれ。相手によっては最悪、海中での戦闘も視野に入れて行動しなければならないからね、いつもと同じように戦えるとは思わない方がいい。|女王様のクロケッツ《デキレース》でもない限り、絶対なんて存在しないからね」
だからくれぐれも気を付けて。
そう念を押すように告げる少年の顔には、いつもと違う、どこか影のようなものが浮かんでいるようにも見える。貴方達の誰かがそれを指摘するのならば、彼は頬を膨らませ、唇を軽く尖らせつつも、困ったように眉を下げた。
「別に……特別な何かがあるわけじゃないよ。ただ、事件を調べる時に少しだけ、妙な影を見付けてね。それが少々引っ掛かっているだけさ。その影は事件に直接関係ないし、おそらくは出逢う事もない。だから、ボクの|心配《コレ》は単なる考えすぎ。まあ、どんな任務にも危険はあるからね、油断だけはしないで欲しいとは思っているよ。心配なんてただの杞憂に終わるのならそれが一番なのさ」
だからほら、ボクは大丈夫だから早くお行き?
そう言って少年は貴方達の足を急かす。
これ以上の無駄は許さないと言わんばかりのその様子に、しぶしぶかそうでないか、あなた達はそのまま少年から遠ざかっていくだろう。
部屋を出る。あと一歩、その直前に、
「黒い、髪の、女……」
意図的か、はたまたそうでないか。小さな声が聞こえた気がした。
これまでのお話
マスターより

●平素より大変お世話になっております。
はじめましての方ははじめまして。そうでない方は、いつもお世話になっております、|盛見《もるみ》ざわわと申します。
今回は以前から書きたかった海底の花畑の警護及び怪異の調査任務です。
舞台は海辺の村。海底に咲く花を観光名所にして栄えた小さな村です。海水浴場は勿論のこと、海岸沿いに観光客向けの海の家やお土産屋さん、宿泊施設に船着き場なんかもあります。村の人達は非常に穏やかで陽気な方々ばかりです。
【一章】
警護前の準備という形で村の探索をしていただきます。
フラグメントにある行動や、その他やりたい行動がありましたらプレイングください。探索場所は上記にある場所や個人的に調べて場所で構いません。また、村の人をはじめ、案内人に依頼をした依頼主親子にお話を聞いたり一緒に行動したりも出来ます。
【二章以降】
これまでの行動次第で変化する為、今は内緒です。
また、今回のお話はビターなお話(救いようのないお話)では御座いません。私のシナリオをご存じの方でしたら、いつも通りの私のシナリオとなります。
●その他
当方のシナリオについては、アドリブや他者との連携・絡みが必ず発生するとお考え下さい。故に、プレイングの際に【アドリブ・絡み歓迎】等の文言を書く必要は御座いません。その分、思いっきりやりたい事を書いていただければと思います。
ソロで活動したい場合は【ソロ希望】、グループ・ペア・複数名でのご参加の場合は【グループ名】もしくは【同行者名】をご記入ください。(それぞれ【】は必要ありません)
また今回、私の都合で少人数(8人程度)の採用になるかもしれません。
採用に関してはマスターページをご覧ください。尚、決してプレイングの内容で判断は致しません。こんなこと書いて大丈夫かな?等のご心配は要りませんので、プレイングの際はどうぞご自由に描いていただければと思います。
それでは、皆様のプレイング、お待ちしております。
どうぞよろしくお願いいたします。
54
第1章 日常 『海底の花畑』

POW
遊泳している海洋生物やインビジブル達と一緒に全力で遊ぶ。
SPD
海底の花や貝殻等を使ったお土産を作る。
WIZ
ゆっくり散歩をしながら花を観察したり、調べたりする。
√EDEN 普通5 🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴

【深淵】
……波路。懐かしい空気に浸るのは良いが、調査も忘れんなよ?
まあ絵の題材としては映えるだろうな、海底の花畑なんてのは。正直どんな景色だか気になるし
観光客を装って、波路と共に村の探索
『海底に咲く花』が観光名所になってんなら、パンフレットか何かもありそうだよな
村の人に話を聞く波路と並行して、そういう読む資料を確認したい
広報なんかにも『変わった事』とやらは載るんだろうか?
(※水怪達ははしゃぎ過ぎ。海月は光ってるし蛸は斑紋がいつの間に花柄だし)
うるさい視界(説明するなら前述の※の内容)に呆れつつも
現場近くまで来られたら、波路のスケッチを見物
……真剣だな。この分だと綺麗な花畑が描けるんじゃないか?

【深淵】
海底の花かあ……何それとっても綺麗そう!
絵の題材にしたらきっと素敵だろうなあ……
それに海辺の村ってのもなんだか実家を思い出して安心感が……
はっ、も、もちろんちゃんと怪異の調査も忘れてませんよ! ホントっすよ?!(白片さんに向けて慌てて)
とりあえず、白片さんと一緒に観光客として振る舞うよ。
スケッチブック片手に、海の花畑が見れる場所を村の人に聞いて、ココ最近なにか変わった事はないか聞いてみる。
そして現場についたら警護ついでに海の様子をスケッチブックに描いて様子を観察してみよう。なにか情報が得られるかもだし?
ふふ、楽しそう。ぷわちゃん(水怪)たちも描いてあげよっか?(にこにこ)

海の底に咲く花……まるで詩の一節みたいだけど、本当に咲いているのかしら?
ゆっくり見てみたいというのは、最近芸術を少し勉強しているわたしの我儘。
でも、観光は後回し。まずは戦いに備えた下調べと準備が優先ね。
海岸沿いや海水浴場を一通り見て回り、
花の咲く場所に関して地元の漁師さんや観光ガイドさんに最近何か変わったことがなかったかを聞いてみるわ。
地元の人の目は確かだもの。小さな異変でも見逃したくないから。
それと水中戦になる可能性があるなら備えは必須ね。
わたしは泳ぎが得意じゃないし、そのぶん冷静に対処できるような戦術と行動を考えておかないと。
村の宿やお店で浮力補助具や視界確保のためのゴーグルなどを探して使えそうなものがあれば試してみるわ。
時間があれば浅瀬での簡易訓練を皆に呼びかけてみるわ。
装備をつけての移動感覚を確かめたり、動きにくさや反応の遅れが出ないかを確認。
わたし自身本番で足を引っ張るわけにはいかないから、できる準備は全部しておきたい。
万全の備えは、わたしが誰かを守るための第一歩ね。

うーん、風が心地良い……素敵な村ね。
この世界、ずーっと暗い部分しか見ていなかったからなんだか嘘みたい。
少し散歩しながらお花でも見て回りましょうかね。
ちょっとくらい良いかなーって。
アンナ?今回は置いてきたわ。
あの子そもそもまだ脚が本調子じゃないから。
調査だけれどそうね……親子のところには何人か行くでしょうから、私は別のところから行くわ。
花畑周辺をぐるっと見て特段変なところがなければ、漁業組合あたりに聞きに行ってみようかしら。
そこで周囲の人たちの二人の印象とかを聞ければ良いかな。
あと聞いていいのか分からないけれど、お母さんのこととかも気になるわね。
持ち前のコミュ力で何とかなれば良いけれど。

(妙な影、か……)
依頼が予定通り進むとは限らないのはいつものことだけど、クルスが詠んだ星なら尚更気を付けないといけないな
まずは依頼人と接触して状況を聞く
どんな風に凶暴化しているのか、いつから発生しているのか、どこで発生することが多いのか等できるだけの情報を集めたい
『不思議なことを言う』と書かれていたリュウトのことも気になる
√能力の片鱗があるという感じなのかな
話を聞き終えたら海底の花畑のところへ
海岸から観察して怪異の痕跡が無いか探そう
あとは、穏やかな対話で近くのインビジブルから話を聞く
特に人の目が無い夜間に、怪しい現象や見たことがないものの姿を見ていないか聞いてみよう
情報は都度他の能力者と共有

ん?クルスさん今黒い髪の女って言った?気の所為?
まぁそれは置いといて海底の花畑とか見た事ないし絶対綺麗じゃん。海底散歩ってどうやってやるんかな楽しみー…って俺は別に観光に行きたい訳じゃなくてちゃんと調査をしようと思ってる訳で…!
海の近くで海鮮丼ってネタ新鮮だし美味いよな。何が乗ってるんだろう、光りものとか食べたいな。いや、これも調査の一環で…。
お土産も売ってたりするんかな。店の従業員達に何か買って行こう。作れたりもすんの?こういうの結構得意。
クルスさんもいつも留守番でつまんないだろうし何か土産でも。貝と真珠のブローチとかどうだろう。似合いそうじゃない?
依頼主さんに案内頼めるか聞いてみよう。

うー海かぁ…
あたし泳げないってかドカナヅチなんだよね…、あたしね人は陸にいるかお空を目指すのが良いと思うの。
海は人には過酷すぎるというか…。はいがんばります、ううう
海は苦手だけど海岸沿いには憧れがあるんだよね。
波音聴きながらのロマンス!そして絶対外せない海の家!焼きそば!
てことで海の家でお手伝いさせてもらえないかお願いしてみる!ボランティアで呼び込みでも配膳でもなんでもします!
一度やってみたかったんだぁ海の家のおねーさん。お客さん爆釣だよお得だよ!
手伝わせてもらえたら、コミュ力でお店の人やお客さんと喋ったり聞き耳で情報収集。
観光名所のこと詳しく聞きたいな。あたし海のことはさっぱりで。海の中にお花畑があるの?
噂話や言い伝え、怖い話を知ってたり海で何か見た聞こえた違和感があったとかないかな。
あとは…黒い髪の女の人?の話が聴こえてこないかも気を付けよう。ナンパしたーとか1人で佇んでる子がいたーとか
余裕があれば√能力でミニドラゴンちゃんを召喚。指示は「念話」
空から海がどんな感じか見てきてもらうね

(人魚姫……ね。ちょっとだけ、|他鯨事《他人事》に聞こえないかも?僕の場合は恋じゃなくて、友達を求めたんだけど)
(まぁ、孤独も判断基準も|魚《人》それぞれだよね)
筆談用の防水メモ帳を用意して、海辺の様子を見ておきたいな。散歩だし、|僕《鯨》の気分的には帰省の手前みたいなものだけど……人の目でも海の様子を見てみたかったし。そうそう、海の花畑っていうのも気になるからね。様子見しちゃお。
√能力:|友達ごっこ《ハロー・フレンズ》
|インビジブルくん《架空の友人》、元気?最近さ、海の生き物の様子がおかしい時があったみたいだけど、何か見てないかなぁ?

ふんふん、確かに海洋生物の凶暴化は放っておけない問題っすねえ。個人的には「いままでもたまにあった」という部分が引っかかりますので、最近の凶暴化の件と一緒に昔のことを詳しく調べたいっす。村のご長寿の漁師さんならなにかご存じですかね~?
…で、それと並行してボクは一度挑戦したいモノがあったんすよ!それはこの…刺身が山盛り乗った海鮮丼!日本では生食の魚を皆食べてたという話を聞いた時はなんの都市伝説かと思ってたんすけど、他の√ではこんなに出回っているとは…√WZも食糧難でなければ存在続けていたのかもしれません。それでは、頂きます!……あ~、なるほど?柔らかくて悪くな………辛ッ、ワサビを入れすぎました!
●海底の花畑と港町
心地の良い波音が、やんわりと鼓膜を撫でる。
子守歌にも似たそれは、ざざり、ざざり……どこか不規則に、断続的に、決して途切れる事のないそれに混じって聞こえてくるのは、海鳥の鳴き声、船の汽笛、人々の営みの音。
息を吸う。やわらかな潮の香が、透明な水の香が鼻腔いっぱいに広がっていく。
目の前には真っ白な砂浜と、その奥、どこまでも続く青い青い水平線。海岸沿いに佇む村は、自然との調和と景観を大事にしているのか、どこか前時代的で素朴な印象を受けるだろう。それ故なのか、そこを流れる時間の流れはゆったりと。波音に合わせるかのようにまったりと。日々の喧騒を忘れ、日常を非日常へと変える魔法が掛かっているようにも思える。
どんな√よりも多くのインビジブルが生息し、どんな√よりも多くの怪事件が頻発するここ、√エデンに、これほどまで穏やかで、これほどまでに美しい場所が存在していたのかと驚く者もあるのかもしれない。
「うーん、風が心地良い……素敵な村ね」
大きく体を伸ばしながら、カレン・イチノセは目を細める。
そのやわらかな|太陽の色《ブロンドヘアー》を海風に靡かせ、目の前の世界の美しさを全身で享受しているかのように、穏やかな笑みを口元に浮かべる。そのまま、「この世界、ずーっと暗い部分しか見ていなかったからなんだか嘘みたい」と続けた彼女に「そうですね」と、やわらかな同意を示したのは波路・玲央だった。彼もカレン同様、心地良さそうに目を細め、目の前の世界の美しさを全身で享受しているようだ。
「本当に、っんー……綺麗な場所ですね。なんだか少し懐かしいなぁ……」
「ふふふ、そうなんですね。えっと、波路さん、だったかしら。海辺にお住まいだったんですか?」
「ええ、そうなんです。実家がこんな感じで」
「へぇー、そうなんですね。それはきっと素敵な場所なんでしょうね」
いいなぁ。裏も表も無く、純粋な羨望を持ってカレンが言葉を紡ぐ。
どこか照れ臭そうにはにかむ波路の背後で、こほんとひとつ、少々大袈裟な咳払いが聞こえた。
「……波路。懐かしい空気に浸るのは良いが、調査も忘れんなよ?」
「はっ! 白片さん! も、もちろんちゃんと怪異の調査も忘れてませんよ! ホントっすよ?!」
「ふぅん、そうか。ならいいけどな」
片眉だけを僅か動かし、少々訝しげな表情を浮かべながらも、|白片・湊斗《しらかた・かなと》のその目は優しい色で満ちている。どういった関係かは存ぜずとも、二人の仲はきっと良いのだろう。カレンがくすりと小さく肩を揺らせば、その視線の先で白片がふと別の方向を向いた。彼の目線の先にいたのは、なんだか様子のおかしいシアニ・レンツィだ。
「……まあ、あそこまで緊張しろとは言わないけどな」
「確かに……アレは、流石に心配になりますね……」
顔のパーツというパーツをしわしわのくしゃくしゃにして、顔面の筋肉という筋肉に力を込めたかのようにぐっと中心に寄せ、この世の終わりのような酷くやるせない表情で立ち竦むシアニ。いつも元気いっぱい、誰よりも意気揚々とそして一生懸命に依頼と向き合う彼女を知る面々からすると、その様子はかなり異様とも取れるかもしれない。
大丈夫?そんな風にしてシアニの顔を覗き込むのは、リリンドラ・ガルガレルドヴァリスと|伊沙奈・空音《いさな・くおん》。遠巻きに見つめているのは、クラウス・イーザリー、ヨシマサ・リヴィングストン、渡瀬・香月の3人だ。
「らしくないわね。どうしたの?体調でも悪い?」
「う、うーん、ごめんね。体調は全然、元気で平気なんだけど……うー、海かぁ……」
くしゃり。シアニの顔がまた歪む。一体全体何を想像したというのか。海に大きなトラウマでも抱いていそうなその顔、心底嫌だと言わんばかりのそれに同情とも呆れとも呼べる感情を周囲が覚えていれば、
「(海は苦手?)」
そっと、シアニの目の前にメモ帳が差し出された。淡いシーグラスを思わせる美しい表紙のそれは、伊沙奈のものだ。
一応、人工声帯という特殊な声帯を用いての会話は可能なのだが、体への負担があるのかはたまた別の理由か、普段は筆談をメインにコミュニケーションを取っている。無論、人への苦手意識や関りそのものが嫌いというわけではない。むしろそういうものを好み、どちらかと言えば積極的に行う性分ではあるようだが。それならば何故筆談がメインであるのかは、彼の心の奥の奥、最も深い所に尋ねなければ答えは出ないのだろう。ともすれば彼自身の意図、しない何かがそうさせているのかもしれない。
砂浜に細い木の枝で書いたような、丸く、細く、あどけない文字に一瞬、シアニとリリンドラが目を奪われていれば、硝子ペンのような繊細なボールペンが更なる文字をそこに綴る。
「(酷い顔をしているけど大丈夫? 海は嫌い?)」
「う? ううん、嫌いじゃないよ。見てるだけなら大好き。違うの、えっとね、海そのものが怖いんじゃなくって、あたし泳げないってかドカナヅチなんだよね……海は人には過酷過ぎるというか……」
「カナヅチ、ああ、なるほどそういうことね」
「う、うん、そうなの……今回ほら、もしかしたら水中で戦うかもしれないじゃない? だからちょっと不安というか、それなら最初から依頼なんか受けるべきじゃないと思うんだけど。やっぱり困ってる人は放って置けなくってぇ……」
「あなたらしいわね、いいんじゃないの? それに、気持ちはわかるわ。わたしも泳ぎは苦手よ」
「そうなの?」
「ええ。カナヅチとまではいかないけど、如何せん経験不足とでも言うのかしら……そこまで自信は無いの。正直な事を言えば、アナタと同じ、不安よ」
シアニの内情を慮るようにリリンドラが苦笑する。
彼女達ドラゴンプロトコルは、その強靭で頑丈な肉体故に他種族と比べても筋肉量が多く、潜在的に水に浮き辛い体質をしているものが多い。また、|竜《ドラゴン》という種は己の領域や力の起源に纏わる場所を守護する存在としてそこに居座る事も多い為、自分の領域外の場所に多少の苦手意識を抱く事もあるのだ。特にそれが相反する属性の領域や未知のそれであるのならば、猶更その苦手意識は顕著に出現してしまうようで。
未知のものへの恐怖、苦手意識からくる生理的な嫌悪感。それをきっかけに沸き出す様々な不安や心配事が、ミキサーにかけられた果物のようにぐるぐるぐるぐると混ざり込んでは、濃厚に凝縮し、更に自分でもどうしようもない程の負の感情の生み出してしまう事もしばしば。今まさにシアニが陥っている状況はそれで。自分ではどうしようもないこの感情をどうにかしようと奮闘している結果が、このしわしわのやるせない表情なのである。
苦笑を浮かべ合う二人に、伊沙奈がまたメモ帳を差し出す。
「(二人共、海が苦手なのに勇気があるんだね。上手く言えないけど、苦手なものに立ち向かうって凄い事だと思うよ)」
「あはは、ありがとう……苦手な事よりも、困っている人を放っておくのが嫌なだけなんだけどね」
「ええ、それはわたしも同じ。それに苦手を克服出来るいい機会だと思えば、そこまで足は竦まないわ。要は事前準備さえ怠らなければいいのよ。万全の備えは、わたしが誰かを守るための第一歩っ」
「流石リリンドラさん、いいこと言う! うん、そうだね、苦手克服……そう思ったら修行みたいでちょっとやる気が出て来たかも!!」
「(修業云々はよくわからないけど、うん。前向きなのは良い事だと思う)」
「ありがとう! そうだよ、前向きが一番! それにね、海は苦手な事ばかりじゃないのも知ってるんだから!」
「(例えば?)」
「例えば、そうだなー……えっとね、波音聴きながらの恋人たちのやりとり? ほら、私をつかまえてーみたいな、あの甘酸っぱいロマンス! ドキドキする恋物語もそうだし、なによりも絶対外せないのは海の家! 焼きそば! 焼きとうもろこしにかき氷! あたし、情報収集がてら海の家でお手伝いするんだって決めてるんだもんっ!! 海の家のお姉さんとして頑張っちゃうんだから!!」
「ふふふ、シアニらしいわね」
先程までのやるせない表情は何処へやら。
勇ましく胸を張り、頑張るぞー!と拳を天に突き上げるシアニに、周囲の面々が微笑ましそうに肩を揺らす。多少、空元気のような気がしないでもないけれども、それはそれでご愛敬だ。
「……良かった。いつものシアニに戻ったみたいだな」
「だな。正直どうしようかとは思ったけど。もう大丈夫そうだ」
少し離れた場所でどう声を掛けようか様子を伺っていたのだろう。クラウスと渡瀬がほっと胸を撫で下ろす。そのすぐ側では、ヨシマサがによによと口元を緩めていた。
「うんうんっ、いいっすね~海の家。ボクもその辺りとか海のお仕事してる人達からお話聞きたいなって思ってたんすよね~」
「へぇ、じゃあヨシマサも海の家でお手伝いさんすんの?」
「ん~それもアリよりアリかもなんすけど、ボクはどっちかというとお客さんの方っすね」
「お客さん?」
「はい、まあ、その……」
「「?」」
不意に、すっと、ヨシマサが息を吸った。
刹那、彼を取り巻く空気が静かにその色を変えていく。例えるなら、重い重い、夜空のような濃紺。その空気の中、どこか神妙な面持ちで、何か、大切な事を言わんとするかのような強い意志をその目に宿して、ヨシマサは言葉を紡ぐ。
「あーっと……当然の事ではあるんすけど、大事な事なので今一度きちんと言っておきますね」
「「ああ……」」
クラウスと渡瀬が揃って小首を傾げる。そこに浮かぶのは、小さな困惑と動揺だろうか。
ヨシマサの、いや、三人のただならぬ雰囲気を察したのか、残りの面々もなんだなんだと彼らの周りに集まって来る。それぞれがそれぞれの感情のままに疑問を抱きながら、その視線を一身に集めながら、ヨシマサはまた小さく息を吸い、そして、
「前提としてこれは調査っす。調査の一貫である事をきちんと理解して欲しいっす。その上でボクは、どうしてもやりたい事がある……」
「な、なにかしら?」
「それは、」
「それは……?」
「コレっす!!」
直後、ばっと、ヨシマサが勢いよく何かを取り出した。
誘われるがまま、全員がそこに視線を集中させる。
それは、きらきらと輝く金銀財宝———
それは、心奪ってやまない宝石の山———の、ような光を放つ海鮮丼、の、描かれたチラシだ。
「「え?」」
白片と波路が思わず声を重ねる。
他の面々も、目を点にしてそれを、ヨシマサを見る。
ナニソレと言わんばかりの白んだ空気をものともせず、ヨシマサは瞳に一番星を輝かせると、やけに熱の籠った声で、そのまま燃え上がる炎の様な声量で告げる。
「見てくださいこの刺身が山盛り乗った海鮮丼! 日本では生食の魚を皆食べてたという話を聞いた時はなんの都市伝説かと思ってたんすけど、他の√ではこんなに出回っているとは……!!」
「え、えーっと、ヨシマサさん?」
「ボクの住む√WZは皆様もご存じの通り、戦争、戦争、戦争の毎日で、鉛玉は腐る程あっても新鮮な食料なんて皆無! むしろレア中のレア!! 油と工業廃棄物で汚染された海では|インビジブル《食えない魚類》はいても食材なんて生存してないんすよ!! デストピア飯が日常茶飯事の中、新鮮な海鮮料理なんて夢のまた夢!! スシ! テンプラ! ゲイシャ! そして海鮮|丼《ドゥーン》っっ!! ボクの憧れ、本場で食べる新鮮な魚介類という夢がすぐ側にあるんす! それに手を伸ばさないなんて嘘でしょ!!!」
「ヨシマサさん……その、えっとね、ゲイシャは、食べ物じゃないわ……」
然して、声は届かない。どこをどう突っ込めばいいかという困惑もそこそこに、何を言っても無駄だと悟ったのだろうか、カレンが静かで深い溜息と共に肩を落とす。呆れ顔で口元を引き攣らせるクラウス、白片。どう反応すべきかわからず思考を停止する波路、伊沙奈にリリンドラ。希望があるのは素晴らしいと何故か同じように燃え上がり始めたシアニ。そんな彼らの中にあって、唯一冷静、というか、ほぼほぼ平常心でヨシマサと同調したのはこの男だった。
「なるほどなー。確かに、海の近くで海鮮丼ってネタ新鮮だし美味いよな。何が乗ってるんだろう、光りものとかも気になるな」
「香月さんっ! そうっすよね! そうっすよね! 流石っす! わかってくれると思ってましたよ~!!」
「だろう? あ、でもあくまでもこれは調査の一環で。ヨシマサと同じく、俺は別に観光に行きたい訳じゃなくてちゃんと調査をしようと思ってる訳で……!」
「おい待て本当か?」
じとり。クラウスの訝し気な視線に、渡瀬は苦笑を零す。
「まあまあ、怖い顔すんなよ。ほんとほんとっ、2割は冗談としても、残りは本気だよ。
イチ料理人の観点にはなるんだけど、地域で名物とされている食材っていうのは、その場所の特色をよく表しているんだ。ほら、食材には生産地ってもんがあるだろう?かなり簡略的かつ平たく言えば、そこでしか採れない食材は、ともすればその場所の特徴を色濃く表しているモノになるんだ。特に天然物の魚介類は水質や餌となるプランクトンや小魚の関係で群れれの状態や生息域も変化しやすいし、味だったり、身の締まり具合からどんな風に海を泳いでいるか、なんてのも案外わかったりするんだよ。海の中って意外と見ただけじゃわからない部分も多いから、直接現場を調査するのと並行して、別の部分から生態系を調べてみるのも面白いかなーって思ってさ」
「へぇ……そうなのか……なるほど、確かにそれは渡瀬ならではの観点だね。その地を、特に海の中の状況を知るという意味ではかなり有益かもしれない」
目から鱗と言わんばかりにクラウスが頷けば、「だろ?」と何処か得意げに歯を見せて笑う渡瀬の隣で、「そうっすよ!」何故か渡瀬よりも得意そうな顔をしたヨシマサが両手を腰に当てて胸を張る。
「だからこの海鮮丼を喰らうという一見意味のない行為が、実はとんでもなく重要な調査の一環であったりするんす! 申し訳ないっすけど、ボクら、マジの|真剣《マジ》なんで」
「あ、ああ……そう、なの、か?」
いや、お前は渡瀬の言葉に便乗しただけだろ。
そんな言葉を誰かが口から滑らせるよりも早く、ヨシマサはその瞳を輝かせると、次の瞬間、渡瀬の手を取って一目散にチラシの定食屋の方へと駆け出す。
「うお?!! おいヨシマサ! 急に走るな、危ないだろ?!」
「すみませーん香月さんっ! だけどもうボクは止められないっす!! 百聞は一見に如かず、事実は小説より奇なり、食欲万歳焼肉定食! いざや行かん! 絶品海鮮ドゥーン!!!!」
「あーあーもう、こうなりゃ付き合ってやるよ!! うおーーー!!」
「うおーーー!!! 魚だけに。うおーーーっ!!!」
「なんだそりゃ!?」
そんな風にして元気いっぱいに走り去っていくヨシマサと、半ば彼に引きずられるようにして連れ攫われる渡瀬。
眩しい太陽と美しい海辺が揃うと人を解放的な気分にさせるとは言うが、いやはやこれは開放的の度を越している気がしなくもない。突然の暴風雨に襲われた気分だとでも言えばいいのか。残された面々が呆然と二人の背中を見送る中、
「……本当に大丈夫なんだろうか」
クラウスの呟きに、(さあ?)。声なき声を発しながら伊沙奈が静かに小首を傾げた。
———閑話休題
|突然の暴風雨《ヨシマサと渡瀬》が去って。
とりあえずと言わんばかりに残された面々は村の中へと足を踏み入れる。
外から見た印象のままの、昔ながらの港町とでも言えばいいのだろうか。80年代半ばの日本を思わせる風貌をしたそこは、観光客向けの宿泊施設等は比較的新しい建物がぽつりぽつりとその存在を主張しつつも、錆びたトタンや防腐加工のなされた木材を主とした、よく言えば伝統的な、悪く言えば古めかしい港町の古民家のような建物が大半を占めている。自然と共存する為に、敢えて進化を止めているのか、そこに漂うノスタルジーな雰囲気は、訪れる人の心をやわらかく解きほっと安堵させてくれる親しみとあたたかさに満ちていた。
潮の香りが近付く。踏みしめる地面に海岸の砂がわずかに混じる。その心地良さに目を細め、ほっと息を零し、そうして思い思いの感情に身を浸しながら、一同が辿り着いたのは村の観光案内所だった。
観光案内所と言っても、都会的な事務所のような雰囲気はない。
海の家という表現の方が正しいくらいの木造の建物の中には、よくある座敷型の飲食スペースのような場所に受付カウンターが一台設置されているだけだ。
「すみません、村についてお伺いしたい事があるのですが」
カウンターの青年にそう声を掛けて、クラウスはあっと軽く目を見張った。
小麦色の肌にダークグレーの髪、そして海をそのまま閉じ込めたような美しい瞳。見るからに好青年といったその風貌は、間違いない、星詠みの資料で見た依頼人の一人、リュウトだ。
「えっと、間違いでしたらすみません。あなたはリュウトさんですか?」
「え? ええ、はい、そうですが……貴方方は?」
「ああすみません。俺達は貴方達の依頼を引き受けた者です。クラウス・イーザリーと申します」
「そうでしたか、それは大変失礼いたしました! 改めまして、リュウジと申します」
深々と頭を下げた彼に、残りの面々も軽い自己紹介と挨拶を交わす。
そのまま現状と花畑について尋ねれば、リュウトは折り畳み式のパンフレットを全員に手渡し、こう説明してくれた。
・生物の狂暴化について
現在、近海に棲む海洋生物の狂暴化が相次いでいる。
狂暴化する生物について、種類や法則性、共通事項は無し。強いてあげるとすれば、海に住んでいる生物であるという事。現に一度も、陸地に暮らす生物の狂暴化は報告されていない。狂暴化に関してはいずれも花畑周辺で起こっているが、それ自体はこれまでも報告例がある為、全く前例がないわけではなかった。
ただし、頻度としては年に一、二度程度であったものが、月に2・3件という頻度になっている。
・花畑について
自然発光する青く小さいネモフィラに似た花が海中で群生している場所を海底の花畑と呼んでいる。100年以上も昔から存在しており、いつ出来たかは不明。
場所は、船で沖に出て5分ほど進んだ海底。海面にはオレンジ色のブイが目印として浮かんでいる。海底までの深さはおよそ10m。一般的なマンションの3階に相当する深さであり、そこからおよそ25m四平の範囲で広がっているらしい。地上における花畑としての規模を考えると小規模で少し大きな庭の花壇にも近しいのだが、そこはやはり海底の花畑。地上とはまた一味違う魅力が溢れているのだという。
「口で説明するよりも実際に見た方が良くわかるかな」
「(へぇー。ちょっと楽しみかも)」
「そ、そうだね……でも、結構深いところにあるんだ……」
「あはは、海、苦手そうですね。大丈夫ですよ、一応観光名所になっている場所なので、安全に関しては常に万全を期してます。水が澄んでいるおかげで太陽の光も届くし、花畑自体が目印にもなるので、よっぽどのことが無ければ迷子にもなりません。僕も着いてますから」
「そ、そうなんだ……うーん、なら、大丈夫、かな……」
「狂暴化した海洋生物がいたら頑張って欲しい所ではあるんですが、調査なら無理に行く必要は無いとは思いますので、そこはお任せしますよ。もし行きたい方がいたら仰ってください。船の準備は出来ているので、すぐに出せます。皆さんのご都合は如何でしょう?」
んーっと、波路が軽く首を傾ける。
「そうですね……僕は是非現場を見ておきたいので、すぐにでも行きたいんですが、皆さんはどうします?」
「そうね……わたしも是非にとは思うんだけど、いきなり海に行くのはハードルが高いから、ある程度準備を整えたいかしら。先に行って様子を見ていてくれると嬉しいわ」
「私もそうね。誰かが花畑の様子を見てくれるのなら、別の場所で情報を集めたいかも」
「俺もかな。個人的に調べたい事もあるし、無理に団体行動をするよりも、行き先が同じもの同士で協力する感じで行きたい」
「クラウスさんに同意かな。俺は波路に付いていくつもりだから|花畑《現場》の状態確認は任せて欲しい。それについて知りたい事があれば教えてくれ。ああそれと、ヨシマサさんと渡瀬さんだったか。彼らも追々回収しないといけないだろうから、申し訳ないが花畑に行かない人達は様子を見て彼らを拾っておいて欲しい」
「(僕も花畑の方に行くから、それはヨロシク)」
「りょーかーいっ! 泳がないなら任せて! 何かあったら即連絡、即行動で行こうね!」
それじゃあ皆、また後で!!
シアニのそのひと声で、リュウトを含む面々は散り散りに行動を開始した。
●定食屋での出会い
「おじさん、特製海鮮丼・具材全乗せデラックスお味噌汁セットひとつ!」
「あいよー」
「あーじゃ、こっちは本日の刺身盛り合わせと特製海鮮チラシ味噌汁付きで」
「あいよー」
その店独自の略称を威勢よく発しながら、店主と思われる男性が慣れた手つきで魚を捌いていく。鮮度を殺さぬその腕前と包丁捌きに、あれは良い職人だと渡瀬が感心する一方で、炊き立ての白米特有の甘い香りにいい出汁と味噌の調和した汁物の匂いを肺一杯に吸い込んだヨシマサが、これは食欲をそそってそそって仕方ないと言わんばかりに表情を蕩けさせている。
「あ~楽しみっすねぇ~!!」
「だなー。腹に余裕があれば一品料理も追加したいかも」
「大賛成! ボク、シャケ大根とかも気になるんすよね~」
そう言いながら、ヨシマサがメニュー表に視線を落とす。
あれもこれも気になると言いつつ空気にふわふわと花を咲かせる彼に、「全部じゃん」なんて笑みを零しつつ、渡瀬はそっと周囲を見回す。
時刻はまだ昼前だというのに、店はずいぶんと賑わっているらしい。客層の大半は日に焼けた肌と屈強な体付きが特徴な男達だろう。漁や船の話をしている事から、おそらくは漁師やその関係者なのだろう。時折豪快な笑い声をあげながら喉を鳴らしつつ美味そうにビールを飲み干す姿は、見ていて気持ちがいいくらいだ。
自分の店ではあまり見ない客層だななんて感想を抱きつつ、渡瀬が彼らを眺めていれば、ふとそこに、見覚えのある男性の姿を見付けた。
「ヨシマサヨシマサっ」
「なんすか? 追加注文っすか? シャケ大根頭大根か決めかねてるのでちょっと待って、」
「いやいやいや、違うって。なあ、あそこにいる人ってさ……」
「う~ん? ……ああ、確か依頼人の、父親の方、っすね」
「やっぱり? そうだよな」
よく日に焼けた肌、屈強な体付き。白髪交じりの頭に立派なひげを蓄えた男性。
星詠みの資料にあった依頼人の一人、リュウジに間違いはなかった。唯一二人が疑問に思った事と言えば、依頼人がどうして定食屋で酒を飲んでいるのかという事だ。資料によれば、漁業組合の長でもある彼が今、仲間とテーブルを囲み、豪快に酒を飲んでは笑っている。
「なんか、楽しそう、だな……」
「っすね。依頼の事とか忘れてるのかな。むしろ依頼とか嘘みたいな感じなんすけど……」
二人はきょとんと眼を丸め、同時に小首を傾げる。
すると、こちらの視線に気が付いたのか、不意にリュウジがこちらを向いた。彼はうん?と小さく眉を寄せると、仲間に一言二言何かを告げて徐に席を立つ。
「どうしたあんちゃん達、俺に何か用か?」
「ああ、気分を害したのならすみません。いやぁ、用というか、その、俺達、あなたの依頼を引き受けた者なんですが」
「あん? 依頼だぁ?」
「はい。えっと、最近海の生き物が狂暴化しているので、何とかして欲しい、みたいなやつなんですけど」
「うん~?」
少しばかり据わった目が、天井を仰ぎ見る。
そのまま難しい表情を浮かべ腕を組むリュウジに、二人は軽く息を飲んだ。
まさか、本当に依頼をした覚えが何だろうか。もしかしたら依頼自体が嘘で、黒い髪の女が仕組んだ何らかの罠だったのでは。そんな一抹の不安と憶測が頭を過った直後、ぽんっと小気味のいい音がした。同時にリュウジがぱっと表情を明らめる。
「ああ、そうだそうだ! 確かにそんなこと頼んだわ! そうかそうか、思ったよりも早く来てくれたんだな! こりゃすまねぇ! 最近そんぞそこらで物騒な依頼が溢れているそうだからよぉ、こんな辺境の村の依頼なんざ後回しにされるもんだと思い込んでたわ!! 今日は漁も無くて仕事も休みなのもあってなぁ、来ねぇだろうなんてタカぁくくって飲みに来ちまったんだ!!」
いやあ悪いな!なんて、全く悪びれた様子もなくリュウジが豪快な笑い声を上げる。
安心していいのか呆れていいのか。どっちつかずともどちらでもないとも言える表情を浮かべながら、乾いた笑みを零す二人に彼は続けた。
「いやあ悪かったな。あんまりにも見て来るもんで、てっきり喧嘩でも売られてるかと思ったんだがよ、依頼人がこんな昼間から酒飲んでりゃあ確かに気になるわな!!」
「マジその通り過ぎて腹の虫しか鳴らないっす。ねえリュウジさん? 気持ち良~く飲んでる所に申し訳ないんすけど~、良かったら少~しお話とか伺えないっすかね?」
「おういいぜ! 俺にわかる事なら答えてやらァ! なんでも聞いてくれや!!」
またリュウジが豪快な笑い声を上げながら、大ジョッキのビールを注文する。
リュウジの声量も声量だったのだろう。彼と一緒に飲んでいた仲間の方へと視線を向ければ、既に事情を察したかのように彼らは頷き、そのまま親指をぐっと突き立ててくれた。「はあ」なんて、また揃って声を零す二人の前に、どんっ、どんっ、二つのどんぶりとあったかい湯気を立ち昇らせる味噌汁のセットが置かれる。待ってましたと言わんばかりに目を輝かせたのはヨシマサだった。
「ふっふっふーっ、それじゃあお話もそこそこにご飯にしましょ? 腹が減っては何とやらっす!」
「あはは、そうだなー。それじゃあまあ、偶然の出会いに乾杯って事で……あ、俺達は任務中なんでお茶ですけど」
「おう、構わねぇさ! カンパーイ!!」
———
熱々の白米が口の中で蕩ける。
脂ののった刺身の甘さがそれと混ざり合い、醬油の塩気とワサビの辛みをアクセントに、絶妙にして最高の味のハーモニーを奏で出す。魚ごとに違う甘み、旨味、食感が飽きることなく続き、幾度となく口の中を楽しませては、舌を、胃袋を満足させていく。ひと噛みするごとに幸福ホルモンが溢れて止まない。
「やべぇ~……もっと生臭いと思ったのに、これ美味過ぎヤベェ~……あ~、なるほど? これが刺身、海鮮丼! 侮ってたっす。柔らかくてコリコリでプチプチで悪くな………辛ッ、辛ァ!! ワサビ、ワサビが鼻に、うぐぅぅぅぅぅ!」
「あはは! だから控えめにしとけって言ったのに」
うーっと眉間に皺を寄せるヨシマサに、渡瀬とリュウジが揃って肩を揺らす。
「いやあでもマジで美味いなコレ……思ったより魚の種類も多いし、それにこの鮮度、身の締まり具合とかも群を抜いていいやつだよ。味噌汁の出汁なんだろう……めちゃ濃厚で、あ、魚のアラかな……すげ、美味いわ……」
「ははは! 気に入ってくれたなら何よりだ、全ては海の恵みよ。
この辺りの海は海流の影響でいろんな種類の魚が来るからなぁ、年がら年中大漁っつーわけじゃねぇが、それでも新鮮な魚に事欠いたこたぁねぇ。海藻類やプランクトンの種類も多いから、時期によってはもっといろんなもんが食えるぜ」
「へぇ。それはいいですね。いろんな種類の魚が来るなら、料理する側としても飽きないや」
「お、あんちゃん料理人かい? それならもっと食え食え! どれも自慢の魚だからよぉ、存分に味の記憶をしてってくれや!!」
「お? じゃあお言葉に甘えようかな」
歯を見せて笑う渡瀬の横では、お冷を切望するヨシマサの声が上がる。
「そっちのあんちゃんは大丈夫か?」
「う~……辛うまぁ~……大丈夫っすよ~?
あーそだそだ、ボクは料理人さんじゃないんでそういうのは良くわかないっすけど、いろんな魚が来るって事は、もしかして狂暴化する海の生物って別の地域から来たやつーなんてオチはないんすか?」
「うん? まあ中にはそういうのもいるっちゃいるが、網に驚いたとか獲物を取られたと思ったとか、まあそんな感じよ。狂暴化というより嫌なことされて怒ったっつーヤツだな。それもそれで厄介っちゃ厄介だが、あくまで生物の範囲のもん、能力者様に頼るほどでもねぇ事だ。んなのいちいち数えてらんねぇよ。
俺達の言う狂暴化っつーのは、もっとこうなんて言うか、我を忘れて無我夢中、なりふり構わず暴れ回るって方が近いな。中には突然姿形を変えて襲ってくるヤツもあった。ありゃあ生物っつーよりバケモンだ。俺達の手には負えねぇ、俺達からしたら災害にも等しいな。ま、それも年に一度の台風みてぇなもんだったからよ、そんなやたらめったら起こるもんじゃねぇって大事にはしてなかったんだがな」
「なるほど、それがここ最近増えてる、と」
「おうよ」
「狂暴化する原因……が、わかってたらとっくにその対応で依頼してるよな。
えっと、そうだなー、リュウジさん、今まで狂暴化した生物になにか共通点みたいなものってありませんでした? 特徴とか、なんでもいいんですけど、何かわかる事って」
「わかる事ねぇ……つってもなぁ、凶暴化する生物の特徴っつー特徴はねぇ。しいて言えば海に生きているもんだっつーことぐらいだ。こちらも原因究明の為に退治した後で解剖やらなんやらしてるが、それでもこれといった共通点はねぇな」
「そうなんすか。んじゃ、生き物以外でおかしい部分てあります?」
「生き物以外だぁ? ん~……そうだなぁ、俺の気のせいかもしれない程度の変化で言えば、海底の花畑の花か」
「花畑の花?」
「おうよ。ここ一週間の間、妙に咲き誇っててなぁ。ああ、あんたら、海底の花畑はもう見たか?」
「いや、まだですね。そもそも海の中に花畑っていうのも想像し辛いかな」
「そうかい。まあ他に類を見ねぇって言ったらそうだろうからなぁ。それじゃあ簡単に説明させてもらうが、まず、花畑は花畑だ。小さくて青い花がこう寄り集まってばーっと咲いている感じのな。んで、あの花畑の花は、ただ咲いているだけじゃねぇ。なんつーか、花自体が自然に発光してんだ。青い花から蛍みてぇな光をな、こう、ちらちらーっと海底に散らす感じでいつも光ってんだよ」
「へぇー、そうなんですね」
「ああ。だが最近、その光が微妙に強くなっている気がしてなぁ……息子や他の漁業組合の連中にも聞いてみたんだが、よくわからないだの、気のせいじゃないだの言われてよぉ。俺以外の誰もそうだとは思わねぇみたいだったから、俺も気のせいかとは思ってんだが。なんだか妙に引っ掛かるもんを感じてな。未だになんとなーく気になってんだよ」
「ふぅむ、歴戦の戦士やベテラン刑事の勘と同じで、長年海を見ている人の勘なら強ち気のせいじゃないのかもしれないっすね……気にはなりますけど、花の光が強くなるとなんか駄目なんすか?」
「駄目ってこたぁねぇが、そうだな。これも俺の勘というか、なんとなーくそうかもしれねぇっていう不確定な事なんだがよぉ。花が微妙に光った後に、凶暴化する生物が現れてる気がすんだよな。実際にそうだと言えるくらい確かめた訳じゃねぇんだけども、過去に何度か花が光っているところに遭遇したことはあってよぉ。大体それを見た次の日か、少なくとも三日以内に狂暴化した生物が現れてるんだ。組合の連中には周知しちゃいるが、花の光の変化が微妙過ぎるみてぇで、今んとこ俺以外の誰も気付けねぇってのが現状だな」
「はぁーなるほど。それは気になる事ではありますけど、確かに判断が難しいですね……」
「おうよ。主観の問題って言われりゃそれまでだからな。せめて息子が気付いてくれりゃあいいんだがよぉ。最近女が出来たみたいで、少々呆けてやがるからなぁ……」
面白くなさそうに吐き捨てつつも、その顔にはどこか寂しさや嬉しさが滲んでいる。
そういう年頃ってやつだという渡瀬のフォローに相槌を打ちつつ、リュウジはまたジョッキを煽る。
「あの~、話の腰叩き折るんで申し訳ないんすけど~、そもそもあの花畑ってどうやって出来たとか知りません?」
「うん? ああそうだな、実際に作った時の資料があるわけじゃねぇが、花畑に関する伝説みたいなのは残ってるぜ」
「「伝説?」」
「おう。この村の人間ならガキでも知ってる伝説だ」
「伝説、かぁ……良かったら教えて頂けませんか?」
「いいぜ。なんならちと詳しく教えてやるよ」
その前にとリュウジが片手を上げた瞬間に、渡瀬がそれを遮るようにして片手を上げた。
「おかわりですよね。なら一杯ぐらい奢らせてください」
「お? いいのか?」
「はい。ああ、情報提供料として安過ぎるって思うなら、お好きな一品料理も付けますよ。依頼ついでにはなりますけど、俺はこの村の料理にも興味あるんで、そういうのも教えてもらえると有難いかなーって」
「ははっ! 抜け目がねぇなぁ! イイ男になんぜあんちゃん!!」
そうして豪快に肩を揺らしながら、リュウジが上手そうに生ビールを飲み干した。
「さて、それじゃあ燃料も入れた事だしよ、ちと長くなるが聞いてくれや。
なんでも、その伝説によれば花畑とやらが出来た時期っつーのは、今からもう200年以上も前になるらしい———」
●海の声を聴く人
焼けた砂浜を裸足で踏みしめる。
比較的季節の変化が少なく温暖な気候なのもあるのだろうか。まだまだ本格的な夏は程遠い最中にあって、素肌をじりりとあたためるその熱の熱さに驚き、シアニは一瞬、華麗な三角飛びを決める猫のように飛び上がる。大型のビーチパラソルを両手でぎゅっと抱き締めたまま、「ほあぁ……熱いねぇ……」なんて零す彼女の横では、同じくパラソルを抱き締めたまま目を丸めるリリンドラの姿があった。
「驚いた、案外熱いのね……」
「ねー? でも慣れると気持ちがいいかもっ」
「ふふふ、そうね。砂もさらさらしてるし、こうして素足で地面を踏みしめるのは、なんだか懐かしい感じもするわ」
竜であった時の名残かしら?なんて、そんな雑談もそこそこに二人は与えられた作業をこなす。海岸に設置されたパラソルの土台に、大型のビーチパラソルを刺して、固定して、広げて。その下に真っ白なテーブルセットを用意する。そうして次々と形を成していくのは、観光客向けの簡単な休憩スポット。海の家でお馴染みの飲食場所だ。今日は波も風も穏やかな良い日和だ。この下で出来立ての料理なんかを食べられたらさぞかし美味しいだろう。
ふと過った想像をより鮮明にするかのように、鼻腔を擽る香ばしいソースの香り。焼けた野菜の甘い香りとじゅわじゅわと音を立てては手際よく炒められていく麺の音。
「二人とも、それが終わったらお店を手伝って頂戴」
「「はーい!」」
鉄板の向こう側から聞こえた穏やかな声は、海の家の女店主のものだった。
プラスチックのケースに山盛りの焼きそばを詰め込みながら、秘伝のタレに付け込んだイカの様子を見つめている。
「ありがとね。パラソルの準備は大変だから、手伝ってくれて助かったわ」
「いえいえ! こちらこそ、お手伝いさせてくださいってお願いを聞いてくれてありがとうございます!! それにこんな可愛い水着まで貸して貰っちゃって」
元気いっぱいのビタミンカラー。オレンジと黄色と白のボーダーラインが可愛らしいスポーツビキニにショートパンツスタイルに、元気いっぱいな向日葵が飾られた顔よりも大きな麦わら帽子を被っているのがシアニ。
リリンドラは普段のワンピースのような色合いの、少し大人っぽいフリルビキニに薄手のロングパーカー。長い髪はゆったりとした三つ編みに結って前へと流している。頭を飾るハイビスカスは、シアニがお花をお揃いにしたいと選んだものだ。
「いいのいいの、可愛い子には可愛いものを着せたくなるのよ。それにうちは男の子ばっかりだから嬉しいわ。それでうんとお客さんを惹き寄せちゃって頂戴」
「うんっ、任せてっ! 道行くお客さん、根こそぎ爆釣しちゃうんだから!」
「ええ。上手くいけば情報収集も出来るし、一石二鳥よ。頑張ったらダイビング用の装備も貸してくださるって事だったんだもの、気合い入れて手伝わせてもらうわ」
「あらあら頼もしいわね、それじゃあよろしくね」
「「はーい!!」」
直後、顔を見合わせて気合いを入れる二人の口から「いらっしゃいませー!」、砂浜を照る太陽にも負けない、元気いっぱいの声が聞こえて来た。
———
「二人共ご苦労様、そろそろ休憩しましょう」
「「はーいっ」」
からり、と、汗を掻いたグラスの中で氷が解ける。
休憩中という看板の揺れる海の家の中、扇風機の風が心地よい。
二人のおかげで大盛況だと喜ぶ女店主に笑顔を返しながら、二人は喉元を通り抜ける麦茶の清涼感にほっと息を零した。一緒に出された焼きそばを口に運ぶ。美味しい。仕事の後のご飯というのは、どうしてこんなにも美味しく感じるのだろうか。
「ん~~~~~!!! お野菜シャキシャキー! お肉も甘くてやわらかくて最高!!」
「ホント、堪らないわ! 秘伝のソースがいい味出してるわよね。美味しい、いくらでも食べれちゃう!!」
「気に入ってくれたなら良かったわ。食べたかったらソフトクリームもあるからね」
「「はーいっ!」」
やったぁ!と明るい声を零しながらも、二人の表情には少しの影が差している。
「んーでも、お店は順調だけど、肝心の依頼についての情報はさっぱりね」
「そーだねー……結構いろんな人に話を聞いたと思うんだけどなぁ……」
道行く人に尋ねども尋ねども、花畑についても海洋生物の狂暴化についても、リュウトの話していた内容と大差ない。よく花畑を見に行くという人からは、時折、花畑の花の光が強くなっている気がするという話も聞けたが、それ以上の情報は皆無だ。
黒い髪の女についても、『黒い髪の女』というワードだけでは特定が難しく、満足に情報を得る事は出来なかった。
唯一収穫があったとすれば、海に潜る際に『バブルガン』と呼ばれるこの村特有のアイテムがあるという事だろうか。その名前の通り、撃てばシャボン玉のような泡が放たれる。一度それに身を包めば、それが透明な潜水服となって水から身を守ってくれる他、空気を供給してくれるという代物だ。軽くて手軽で安全性も高い為、酸素ボンベなどの従来の重たい装備が担げないお年寄りや子供にでも使用出来るのが一番の利点だ。√能力の様に至る所で漂うインビジブルをエネルギー源にしている為、自然にも優しいのだそうだ。
女店主に尋ねてみたところ、家族が使っているものの予備があるとの事で、快く貸してくれることになった。
「便利なものだし、他の世界にも広がると良いね」
「そうね。ただ、悪用しない人がいないとも限らないから、積極的には広めたくないかしら」
「あー、それもそっか!」
シアニが豪快に焼きそばを啜り、頬一杯に詰め込んだそれを咀嚼し、飲み込む。
「とりあえず、お店がひと段落したらバブルガン? 借りて皆と合流しなきゃね」
「そうね。使い方も聞いておきましょう。ああ、カレンさんの水着も選ばない?」
「あっ、それいいね! 可愛いのいっぱいあったから選んでサプライズしちゃお!」
パレオが優雅で大人っぽい黒ビキニや、彼女の相棒みたいなシンプルな白い水着も似合いそうだ。小物やアクセサリーはどうする?なんて話をしていれば、「楽しそうだね」と、お盆を持った女店主がやって来た。お盆の上には、硝子の器に真っ白な入道雲にも似たソフトクリーム、それにウエハースとスプーンを刺したものが三つ乗っている。
「わぁい! ありがとうございます!!」
「いいえー、こちらこそ本当にありがとう。お礼だと思ってどんどん食べて」
「ふふ、頂くわ。そういえば、息子さんがいらっしゃるのよね。お店の手伝いとかはされないの? 大きいお店だし、一人では大変だと思うんだけども」
「ふふふ、心配してくれてありがとう。大丈夫よ。普段はね、早朝の漁が終われば夫と一緒に手伝ってくれるのよ。今日は漁がいないから、そういう日はあの人達の仕事もお休み。日頃の感謝も込めてお休みはパーッと遊ばせてるの」
「へぇ、そうなのね。なんていうか、お互いに理解のある素敵なご家族だわ」
「あらぁ、ありがとう。リュウジさん、ああ、この村の漁業組合長さんに言われたのもあるんだけどね。仕事のある日はいくらでもこき使ってやって構わないから、たまの休みの日ぐらいはパーッと羽を伸ばさせてやって欲しいって」
「そうなんですね」
素敵だな、という感想のすぐ後で、そういえば、という疑問を二人は覚える。
「あの、もしご存知だったらでいいんですけど」
「なぁに?」
「そのリュウジさんの息子さん、リュウトさんってご存知ですか?」
「リュウトくん? ええ、知ってるわよ。あの子がどうしたの?」
「ええっと、その、ちょっと噂で聞いたんですけど、なんか不思議な力があるっていうのを聞いてて……どんな力なんだろうって」
「ああ、そういうこと。そっか、シアニちゃんもリリンドラちゃんも外の人だもんね」
そう言うと女主人は一度席を立ち、店のブックラックから一冊の絵本を持って戻って来た。
『うみのこえ』というタイトルの付いた表紙には、海を模した青い背景の中、大きな鯨と一人の男性が描かれている。これは?と、小首を傾げる二人に「この村の伝説」と女主人は言う。よくある伝記や逸話などを子供向けの絵本にまとめたものらしい。
「昔からね、海には声があるってこの村には言い伝えられているの」
「海の声?」
「そうよ。残念ながら私は聞いた事はないんだけど、この絵本の伝説によれば、海の声は海に生きとし生けるもの、海と繋がり、関りを持つ全てのものの声、なんだって。とっても綺麗で素敵な声だって昔ナミちゃん……リュウト君のね、お母さんが私に教えてくれたの」
「リュウトさんの、お母さん……」
「そうよ。青い目をした綺麗な子だったわ。本当かどうかはわからないけど、彼女は海の声を聴いていたみたい。この村では青い目をした人は海の声を聴く事が出来るっていうのも言い伝えられているの」
そう言えば、と、リュウトの姿を思い出す。
確かに彼も、澄んだ海のような青い目をしていた。
「実際にリュウトさんが海の声を聞いた事はあるのかしら?」
「んー、本当にそうかどうかは本人しかわからないのだけど、でも、そうね、多分彼にも聞こえていると思うわ。つい一ヶ月ほど前だったかしら。どこからか声が聞こえるって言って迷子の子鯨を彼が見つけた事があったのよ」
「迷子の鯨さん?」
「ええ。この村周辺の海は、海流の関係でいろんな生き物が来るの。その中でも時々、早い海流に流されたり、餌を夢中で追い掛けたりして群れから離れてしまった生き物が来ることがあるの。あの子も多分そんな感じだったんじゃないかしら。この辺では見ない、真っ白な鯨だったから」
「そうなのね」
「ええ。ナミちゃんもよくそういう生き物を見付けては、怪我を手当てしたり、穏やかな海流の外へ案内しては群れに返してあげていたわね。だからかしら、リュウトくんが子鯨を見付けた時も、ああって思ったのよ。この子はやっぱり、海の声が聞こえるんだって」
「そうなんだ、凄いなぁ……あ、迷子の鯨さんってどうなったんですか?」
「ああ、そう言えばここ一週間くらい姿を見てないわね。あの子、足音でわかるくらいリュウトくんに懐いていたから、てっきりそのままこの海で暮らすと思っていたんだけど。やっぱりお家が恋しくなっちゃって帰ったのかもしれないわ」
元気にしていてくれたらいいんだけども。
そう言って女店主がソフトクリームの最後の一口を口に運ぶ。
シアニもリリンドラも、彼女とほぼ同時にそれを食べ終わると、お盆の上へと器を戻した。
「さ、そろそろお店を再開しなくちゃね。もうひと頑張り、よろしくね?」
「「はーいっ!」」
アイテム:予備のバブルガン×2を入手しました。
緊急時に簡易潜水服として使用が出来ます。使用の際はプレイングにその旨をお書きください。
使用出来るキャラクター:シアニ、リリンドラ
尚、こちらはアイテムの使用及びシナリオの参加を強制的に促すものでは御座いません。上記事項に関しての判断は全てPL様に委ねられます。
●海底の花畑と白い少女
目印のブイの付近に船を停泊させて、不思議な銃の不思議な|泡《シャボン玉》の膜に体を包まれて。一気に、海へ、飛び込む——————
そんな不思議な準備をして飛び込んだそこで待っていたのは、不思議な感覚だった。
海の中にいて、水に濡れない、息が出来る、まるで魚の様に自由自在に動き回れる。
目を凝らして凝らして凝らしても見えるかどうか程度の薄い薄い|泡《シャボン玉》の膜に包まれているというのに、その感覚はほぼ無に等しい。陸と同じ感覚で海の中に居られるという不思議に、波路が思わず感嘆の声を零した。
波路が一歩、足を踏み出す。何もない筈の海中に足が付く。見えない床を踏みしめたかと思えば、次の瞬間、それが消えて海の底へと落っこちる。手を伸ばして、咄嗟に何かを掴もうとすれば、掌が何もない海中を、けれども確かに掴み、落下を止めた。
「大丈夫か?」
「はい、大丈夫です! 白片さん、これ、凄いっす……っ!」
きらきらと目を輝かせる波路に、白片がふっと、僅かに口元を緩める。
「確かに新感覚だな。なんというか、自分の思考と連動してバブルガンだったか? その|泡《シャボン玉》が床なり壁なりを即座に作り出している……なるほど、海底散歩ではなく海中散歩と言われた意味がよく分かった」
「あはは、凄いでしょう、それ。先人の知恵ってやつですね。
僕も仕組みはよくわかりませんが、白片さんの仰る通り、バブルガンで形成された|泡《シャボン玉》の中に入ると、それが入った人の考えを読み取るみたいで。そこに床があると思えば足の裏だけに床が出来たり、掌で触っている|海中《ばしょ》が壁だと思えば壁になったりでっぱりみたいになったりするんです。勿論、普通に泳ぐことも出来ますよ。慣れない内は大変かもしれませんけど、コツを掴むと陸よりも動きやすかったりいろんな事が出来たりするので、結構楽しいですよ」
「「へぇー」」
ただし、あくまでも薄い|泡《シャボン玉》の膜である。海流には流されるし、強い水圧や内外からの強い衝撃であっという間に弾けて消えてしまうらしい。また、|泡《シャボン玉》を構成する主な構成物質は空気、正確には陸上の空気と極めて近い性質を持つ力である。大声で話しをしたり、過剰に動き回ってそれを消費するような行動を取り続けると、同様に消えてしまうらしい。
「個人差はありますが、大体25~30分が海中散歩可能時間と思ってください。膜が消えた瞬間に海の中に投げ出されますから、出来るだけ余裕を持って上がるようにしましょう」
「(なるほど。だから命綱みたいなのは付けるんだね)」
くいくいと、腰のザイルロープを伊沙奈が引っ張る。
海に潜る際には絶対必要だと念を押されて装着したものだ。先は真上、海上に停泊する大きな船に繋がれており、緊急時には巻き取り装置を使って引き揚げられたりもするらしい。
「はい。海は何が起こるかわかりません。自然の力は決して侮ってはいけないですから、万が一の保険は大事ですよ」
「ふうん……ああ、あと、これは個人的な興味からなんだが、今こうして普通に会話が出来ているのは、泡の中で空気振動が起こっているからか?」
「御名答、そこまでわかるなんて凄いですね。その通り、空気振動が泡の中で起こっているので陸と変わらず普通に喋る事が出来ます。ただ、陸地よりも届く範囲はずっと狭いので、どんなに声が大きな人でも1メートルも離れてしまえば何も聞こえなくなります。離れてはぐれないように気を付けてくださいね。っと、ああ、見えてきましたよ」
ほら、と、リュウトが指差す先にあったのは———青と光の絨毯だった。
小さな小さな花、ネモフィラにも似た可憐な花が、そこには確かに群生している。ホタルイカのような淡く青く色付いたそれらはが、その色のままに静かに発光し、蛍火にも似た鱗粉のような光をきらきらと周囲に放っては、帆の暗い海の底を幻想的に照らし出している。草の代わりには可愛らしい珊瑚礁や海藻が顔を出し、蝶の代わりの小魚達が遊ぶように回遊しているのも見えるだろう。よくよく見れば、花畑全体が大きな鯨の形になっているのもわかる。離れていても花の生命力のような力を感じるからだろうか。その形だけの鯨は、骨も皮も肉も存在しない筈なのに、それは今にも本物の鯨となって動き出しそうな錯覚さえ覚える。
わぁ。と、波路が感嘆の声を零した。白片も伊沙奈も、その光景に暫し魅入り、小さく息を零す。
「凄い、想像以上っす……」
「ああ、もっとこう、珊瑚礁や海藻の亜種みたいなのを想像したのもあるが、これは、本当に、凄いな……」
「(凄く、綺麗)」
「あはは、お気に召していただけたのなら嬉しいです。観光名所になるのも納得でしょう?」
リュウトの言葉に、三人は揃って頷く。
「良かったら花畑の中までどうぞ。悪戯に荒らすような真似をしなければ中を散歩しても大丈夫ですよ。どうぞ心行くまで堪能してください」
「本当ですか?! やった、それなら早速……」
———……ちゃん、
「(声? 誰かいる?)」
「ええ、そうですね。えっと、あ、あれは……」
リュウトが真っ直ぐに花畑へと駆け寄って行く。
彼の視線の先、鯨の、丁度尻尾の辺りに、小さな人影があった。
クーちゃん、と、リュウトが名前を呼べば、それは待ち侘びたかのように彼へと駆け寄り、満面の笑顔を持って彼を出迎える。年の頃は10代後半といったところだろうか。真っ白なキャンバスにも百合の花にも似た、真っ白な髪に真っ白な肌をした少女だった。
「やっぱりクーちゃんか。今日もここに居たの?」
「うん、リュウちゃんを待ってたの。……その人達は、お客様?」
「ああ、そうだよ。今日はこの人たちをここに案内していたんだ」
「へぇー、そうなんだ」
ひょっこりと顔を覗かせて、少女が三人へと頭を下げる。
「(その人は?)」
「あーすみません。えと、この子はクーちゃん。この場所が好きで、よく遊びに来る子です。村の子じゃなくて、すぐ近くの別の街から来ているらしいんですけど、その辺は詳しく聞いてないからよくわからなくて」
「はぁ、そうなんですね。えっと、クーさん、でしたね。僕らこの場所をちょっと調べたくって来たんです。おくつろぎの時間を邪魔してしまったのならすみません」
申し訳なさそうな表情で少女は首を振る。
「えっと……お仕事、みたいだね。私こそ邪魔しちゃってごめんね」
「いや、いいよ。僕もいるとは思わなかったから、驚かせてしまったならごめんね。また今度、ゆっくり話そう」
「うん……そう、だね……」
言葉ではそう言いつつも、少女は離れがたそうに、リュウトの服の袖を軽く引く。
彼の事を理解して尚、我が儘を言いたいような、それを耐えようとしているような、なんとも言えないいじらしさがそこにある。もう少しだけ、あと少しだけでいいから話をしたい。一緒に居たい。そんな彼女の気持ちを察したのか、白片が小さく息を吐いた。
「あー……こちらが言うのも変な話だが、どうぞお構いなく。先程波路も言ったが、元々俺達は|花畑《ここ》を調べに来た身だ。観光案内みたいなガイドは別段必要じゃない。なにか普段と違うような変化があるなら教えて欲しいが、そうでないなら自由行動という形で調べさせてくれると有り難いな」
「ああ、お気遣いをさせてすみません。そう、ですね……花畑には変わったところはないので、気になる事があれば聞い頂ければと」
「わかった。それじゃあそういう形で行動させてもらう」
「ええ、すみません」
申し訳なさそうに頭を下げるリュウトの隣では、対照的に表情を明らめた少女がある。
先程よりも大きく勢いよく彼女は頭を下げると、そのままの表情でリュウトの腕を掴んだ。
「リュウちゃんありがとう! 大好き! ねぇ、早くお話しようよ!」
「わかったわかった、わかったから引っ張らないで! あと、お礼を言うなら皆さんに……ちょ、ちょっとクーちゃん!」
少女に手を引かれるまま、花畑の奥へ奥へとリュウトが引きずられていく。
微笑ましさ半分、大丈夫かなという心配と呆れも半分。彼らをやんわりと見送った三人は、それぞれのペースで花畑へと近付いて行った。
「近くで見るとますます綺麗だなぁ」
「ああ、形はネモフィラに似てるが、大きさは一回り程度大きいか……不思議だな、空気も陽の光も無いのに、確かに咲いている」
「ええ」
徐にそっと、波路が花の花弁に触れた。膜のせいでしっかりとした感触はわかりづらいが、それは本物のようにやわらかく、ひんやりとあたたかい。悠久の時をここで過ごし、世界の終わりまでここで夢見、咲き続ける存在とでもいうのだろうか。花弁を撫でる。どうしてだか、寝息にも似たやわらかな息吹を感じた気がする。全ての花が見るもの全てを慈しみ、癒し、見守り、愛で包み込んでくれるような、そんな優しさも。
綺麗だな。素直な言葉が自然に零れる。
「本当に花かどうかは持ち帰って確認したいところだが、それは野暮か」
「……そうっすね。これが本当は何なのかとか、正直どうでもいいなぁ」
例えそれが得体の知れないモノであれど、美しいものを美しいと感じる事に罪はない。
スケッチブックを取り出す。ずっと昔からここに有るというこの花畑は、ともすれば長い長い間、村を災厄や災害から守り続けてくれた存在なのかもしれない。知らないけど。わからないけど。だからこそ、そうだったらいいと小さな願いを線に乗せる。海のネモフィラとでも名付けようか。この美しさを、胸に溢れる眩い感覚を、余す事無く書き留めたい。白片が、またふっと笑みを零すのがわかった。
「……ま、今はこれの正体云々よりも、依頼の遂行が第一だしな」
「ん、そうですねー」
「生返事か……真剣なところ、邪魔して悪い。ま、この分だといい絵が描けそうだな」
「ふふ、だと良いな。そう言えば、ぷわちゃんたちは何してるの?」
「アイツらか? 村に来てからはしゃいでばっかりだ、正直うるさくてかなわん」
白片の視界の中、半透明の|豹模様の蛸《ブルーリング》がそのヒョウ柄をご機嫌な花柄に変化させ、ぷわぷわふわふわと開花を繰り返している。もう一体、|硝子箱の海月《シーワプス》は花畑に同調するようにぷわぷわと淡く発光している。その様子をやれやれと波路に伝えれば、楽しそうだと肩を揺らした彼に「ぷわちゃんたちも描いてあげよっか?」と言われ、白片は苦笑と溜息を同時に吐き出した。
その一方で、
『お喋りしようか ———|友達ごっこ《ハロー・フレンズ》』
伊沙奈は本来の声を奏でていた。
それは、彼以外の誰にも聞こえない|周波数《おと》、凪いだ海面のような穏やかな流れとなって周囲に広がり、うっとりと身を震わせたインビジブルを|架空の友人《小さな鯨》へと変化させていく。姿を変えたインビジブルが、自分と同じ音を発し、自分の音を聞き取れるようになるのは、√能力という奇跡の力がなせる業か、それとも自身の中に眠る仄かな願望か。
『やあ|インビジブルくん《架空の友人》、元気? 最近さ、海の生き物の様子がおかしい時があったみたいだけど、何か見てないかなぁ?』
『ごきげんよう|目覚まし時計《架空の友人》さん。確かに最近、海の生物がよく暴れているところは見るなあ。物騒だね。あと変なものかどうかはわからないけれども、そうだね、どれくらい前かは定かじゃないけど、迷い鯨が来たかな』
『迷い鯨?』
『うん、そう。なんだか凄く寂しそうな子供の鯨だったよ。ここ最近は姿を見ていないなぁ』
『そうなんだ。迷い鯨なら群れに帰ったんじゃないの?』
『だったらいいんだけど、アレはどう見ても群れから追い出されたというか、自分から逃げてきたって感じだったから、そういうのじゃないと思うんだよね』
『ふぅん、ならまたどこかに行ったのかもね。姿を消す前の様子とかはどうだったの? 様子がおかしいとか、そんな感じはあった?』
『そうだなあ、別段変わった感じじゃなかった気がするけど。ああ、なんだろう、誰かと話していた気がするな。確か人間の女?かな?水面越しで何か話し込んでいたような気がするよ』
『鯨が女の人と話してた? どんな人? どんな内容だった?』
『さあね。女の人は陸にいたんじゃないかな。なにせ三日以上前の記憶だ、しっかりとは覚えてないよ。いやに黒い人だなとは思ったけど、それ以外は何も』
『そう……』
『ああでも、最後にこんな事を言っていたのは聞いたかな』
『なに?』
『ええっと、待ってね。確か———私はただ、貴方みたいな方は放って置けないので。だったかな』
『放っておけない? どういう事?』
『そんなのわからないさ。それ以降は女の人も鯨の姿も見てないし』
それだけを言って、ぷいっとそっぽを向いたインビジブル。
そのまままた透明な存在へと戻るそれを見つめたまま、伊沙奈は小首を傾げる。正直、肝心な事は何一つとしてわからないけど。とりあえず得た情報を忘れないようにとメモを取り出せば、直後、突然の突風ならぬ海流にメモが揺られ、そのまま流されてしまった。
(あ)、と、声を上げる。伊沙奈が手を伸ばすよりも早く、それを捕まえてくれた存在があった。
「大丈夫ですか?」
リュウトだ。返事代わりに頷いて、メモを受け取る。
防水加工のなされているものとは言え、流石に丸ごと水に飲まれれば、駄目になったページが何枚も出てしまうのは仕方ないだろう。辛うじて文字の書けるページに「(ありがとう)」とペンを走らせれば、リュウトはなんでもないと言わんばかりに首を振った。
「いえいえ、どういたしまして。あ、そうだ」
(?)
「あの、変な事を聞くかもしれないんですけど、あなた、ええと、伊沙奈さん? なんで、話せるのに筆談をしているんですか?」
(え)
大きく心臓が跳ねた。同時に、思考が停止した。
何の前触れも無しに、雷に打たれたみたいな衝撃が、伊沙奈の全てを停止させたのだ。今、この青年は何と言ったのだろうか。|話せるのに筆談をしている《・・・・・・・・・・・・》———?それは、その意味は?人工声帯で話したことを言っているのか、いや、でも、彼と出会ってから一度もそれでは話していない。なら、声というのは……、
物の試しか、興味本位か、本来のそれで伊沙奈は話し出す。
『君、僕の声が聞こえるの……?』
「え? はい、聞こえますよ。澄んだ硝子細工みたいな透明で綺麗な声ですよね。ああ良かった、さっき誰かと話してるの、気のせいじゃなかったんだ」
『聞いてたんだ……結構距離があったと思ったのに』
「あー確かにそう、ですね。なんでだろう。よくわからないんですけど、なんとなく聞こえたんですよ。あ、盗み聞きしちゃったみたいですみません」
その目には、嘘も偽りもなかった。
極々普通に、酷く当たり前に、彼は本当に思った事を口にしただけ。
ただ、それだけなのだ。
「あ、話してるの内緒にしたい、とかだったら申し訳ないです」
『ううん、大丈夫。そういうわけじゃないよ……そっか、僕の声って他の人からはそんな風に聞こえているんだね』
「ええ、僕にはそう聞こえますけど。あ、もしかして、その、そういう風に言われるの、嫌でしたか?」
『嫌じゃないけど、わからない……不思議な感じはするかな』
「不思議な感じ?」
『うん』
ふふ、と、零すように伊沙奈が笑みを浮かべる。
今まで誰にも触れられなかった部分をそっと指先で撫でられたような、くすぐったい感覚がする。嬉しい、とは、似て非なる感じの、きらきらした不思議な感じ。
笑顔のままリュウトを見れば、不思議そうに目を丸めていた彼も笑う。もしかしたら、友達と他愛も無い話をしてただただ笑い合うというのは、こんな感覚なのかもしれない。『ねぇ』とくすぐったさのままに話をしようとして、けれども伊沙奈のそれは、別の少女の声によって掻き消されてしまった。
「もうリュウちゃん! お客様を口説いちゃ駄目じゃない!!」
「ええっ?! ちょっとクーちゃん何言ってんの!? そんなつもりはないよ! 伊沙奈さんも、違いますからね?! ね?!」
『うーん、必死になるのはちょっと怪しいかも』
「ね? 怪しいよねー?」
「えー?!」
リュウトが慌てる様が面白いのか、二人はくすくすと肩を震わせる。
少女がどこか拗ねた様子で何事かを話しては、リュウトがあわあわと大袈裟に困る。時折少女に加勢しているのか、伊沙奈が楽しそうに何かを告げている。そんな微笑ましいやりとりを続ける三人を眺めながら、波路はスケッチブックの中と外の世界に視線を行き来させながら線を描き続けていた。海底の花畑、海のネモフィラ、その凡その輪郭を描き続けている最中、ふと、その手を止める。視線はスケッチブックの外の世界———三人の姿を見据えたまま、彼は静かな目で、静かな声で言葉を落とした。
「ねえ、白片さん……」
「ああ。気付いている……最初は距離のせいかとも思ったんだがな。どうやら違うらしい」
白片も、波路と同じく、静かな目を三人へ向けたまま、静かな声で、言う。
———あの少女の声は、俺達には聞こえない。
●海の声
5人と別れ、カレンとクラウスの二人は漁業組合の事務所へと訪れていた。
が、生憎と本日は休業日らしく、事務所の方には電話対応の事務員が二人ほどいただけだ。
狂暴化する生物の事、黒い髪の女の事、その他異変や気になるものがないか等、一通りの事は尋ねてみたものの、彼らから聞けた話はリュウトからのそれと大差はなかった。
「餅は餅屋だと思ったんだがな……まさか休業日だったとは」
「本当に申し訳御座いません。生態系を壊さないよう、予想以上の大漁があった次の日なんかは漁をお休みしているんですよ。一応、観光客向けの海底ツアーの申し出があれば船を出すので、何名かはこうして残っているんですが、組合長の方はお暇を頂いている状態でして……」
申し訳なさそうに頭を下げる事務員に「いえいえ」と、カレンが苦笑したまま首を振った。
「とんでもないです。こちらこそ、事前にご連絡すれば良かったのに、ご迷惑をおかけしてすみません」
「いやいやいや、まさか組合長のご依頼を引き受けてくださった方とは。お力になれず、本当に申し訳御座いません。もし宜しければ組合長を探してお連れ致しますが」
「うーん、出来ればそうして頂けると大変有難いんですが、折角のお休みに水を差すのも申し訳ないので結構ですよ。まだ情報収集がてら村の中を探索しようと思っていますので、その際にお逢い出来たらお話を伺おうかな」
「そうですか……お気遣いから何まで本当にすみません」
「いえいえ」
カレンと事務員がそんなやりとりをする傍らで、クラウスは静かに何かを思案していたらしい。二人の会話がひと段落すると、一呼吸を置いて彼が口を開く。
「少し、良いですか?」
「あ、はい! なんでしょうか?」
「先程、予想以上の大漁があったと仰られてましたが、そういうのはよくあるんですか?」
「いえ、あまり、というか、滅多にあるものではないですが……ああ、でも、最近確かに漁獲量が増えているような気がしますね。ここ一週間はずっと大漁続きでしたから、ちょっと気味が悪いなって組合長も言ってました」
「なるほど……因みに過去にそういった出来事ってあったりしますか?」
「うーん、そうですね、少々お待ちいただけますか?」
そう言いながら、事務員は自らの目の前に置かれたパソコンを操作する。
しばしの間、高速でキーボードを叩く音が室内に響いては止まり、止まる度に事務員が難し顔をしてその画面を見つめている。
「あの、一体何を……?」
「……今、過去の漁獲量のデータを見比べています。ここ10年遡って見ているんですが、確かに今年ほど大漁続きの年は記録されてないですね。大抵は波のようなグラフになっているので、それを思うと今年の漁獲量は少し異常なのかな」
「そうなんですね。あの、それって、狂暴化した生物の記録とかもされてませんか?重ねてみたら何かわかる事とかないかなって思ったんですけど」
「ふむ、なるほど……そう、ですね、やってみます」
そうしてまた事務員がキーボードを叩く。
「どうですか?」
「出来そうですね。ただ、少々時間がかかると思いますので、宜しければ事務所内を見学してお待ちいただければと思います」
「「わかりました」」
パソコンに向き直る事務員を横目に、二人はそっと席を立つ。
そのまま思い出したように事務所内を見回せば、観光客向けだろうか。受付カウンター横には小さな休憩スペースのような場所があり、そこにはちょっとした資料館の一角のようにこの村の海に関する様々な資料が置かれていた。
50㎝四方のミニチュアにされた島の全体図に、大人の両手ほどのサイズにまで縮小された鯨の骨格標本やこの海に生息している魚の一覧。簡単な説明文を添えた写真や中には可愛らしくデフォルメ模型があり、更には簡単な分布図もある。
「わぁ、いろんな魚がいるのね……予想よりもずっと多いわ」
「そうだな。海流の関係云々の説明文によると、多い日は一度の漁でおおよそ400種類以上の魚が捕れるみたいだ。海辺の村とはいえ、確かにこれは凄いな」
「そうね……あ、でも、ふぅん、比較的浅瀬が続く場所が多いみたいだから、鯨や大型の鮫みたいな体の大きいサイズの海洋生物は生息してないんだって。時々迷い込むみたいにやって来るって書いてあるわ」
「なるほどな。温暖な海で餌も多くて外敵になる大型の海洋生物も少ないなら、小魚が繁殖しやすいって事か。季節によっては回遊魚なんかもたくさんやってきそうだな」
「そうね。今は……あ、鯖とか光り物の魚が多い時期だって。ヨシマサさんと渡瀬さん、今頃光り物たっぷりの海鮮丼を食べてるのかもね」
「……あの様子だと、調子に乗って一品料理も頼んでそうだな。依頼に支障ないと良いんだが」
「ふふふ、そうなったら食べた分だけ沢山動いてもらいましょうか」
「そうだな。存分にこき使ってやろう」
そんな話をしながら展示物を眺めていれば、二人はふと、気になる展示物の前で足を止めた。そこにあったのは、壁一面に貼られた絵本の頁だ。右から順に眺めて読むような形式になっており、やわらかくも美しいタッチで描かれた海洋生物や海や村の景色が描かれている。概要としては、村の歴史とあの海底の花畑の成り立ちだろうか。ひらがなが多く使われた説明文には、こう書かれている。
うみのこえ ~|鯨鳴き《くじなき》村の伝説~
むかしむかしあるところに、ひとりの男が村にすんでいました。
男はふつうの人間でしたが、村人とは少しちがう場所がありました。
男の目は、海をそのまま閉じ込めたような大変美しい青い目で。生まれたときから不思議な力があったのです。
男はよく、ふしぎな声を聞いていました。
海にすんでいる生物や、波音のような海そのものの声です。
それを聞くたびに、男は怪我をした大きなイルカやクジラを助けたり、大波や嵐を予言しては、村の人達を助けていました。
ある日、男は浜辺でぐったりとしている大きな大きなクジラを見付けました。
クジラは全身が怪我だらけで、今にも死にそうなほど弱っていました。
他になかまはいません。たった一頭で浜辺に打ち上げられたまま、悲しそうに泣いていたのです。
「どうしたのだ。こんなにも傷付いて、ぼろぼろになって、一体何があったんだ」
男が声をかけても、クジラは泣くばかりです。
『ああ、ああ、わたしがいくら話したって、どうせだれにも聞こえないのだ。わたしはいつだってひとりぼっち。群れのなかまにすら、声をとどける事が出来ない、声を聞いてもらう事すらできない。わたしの声も、おもいも、何一つ、伝わらないのだ』
「そんな事はない、私には聞こえている。あなたの声も、おもいも、すべて聞こえているよ」
男の言葉に、クジラはたいそうおどろいて、けれどもひどくうれしそうに鳴き声を上げたのです。
それからすっかり、男とクジラは仲良しになりました。
クジラのけがが良くなるように、男は毎日毎日クジラの元をたずねました。
男はかいがいしく世話を焼きます。クジラも男がくるのを楽しみにまっていました。
二人はいろんなお話をして、時にはいっしょに海で泳いで、いっしょにご飯を食べて、いっしょにねむって、まるで家族のようにすごしていました。
どんどんとクジラのけがは良くなって行きました。
ある日、クジラは言います。
『けがが良くなったら、わたしは帰らなければならないのだろうか。だとすれば、わたしには帰る場所がない。それならいっそ、けがなんて治らないで、このままずっとあなたと一緒に暮らしたい』
男は大きな声で笑いながら、クジラに言います。
「だったら帰らなくていい。けがが治っても、ずっとここで暮らせばいい。私は変わらず、毎日あなたの元へ来よう。そしてまたいっしょに話し、遊び、ご飯を食べていっしょに眠ろう」
クジラはその言葉がうれしくてうれしくてしかたがありません。
『ああ、なんとお礼をすればいいのだろう。けれどもわたしに返せるものはない。だからちかおう。もしもあなたが、あなたの大切なものが大変なめにあったのならば、わたしはいのちをとしてあなたを守ると』
それからしばらくして、クジラのけがはすっかりとよくなりました。
そして男との約束どおり、二人は変わらず毎日を過ごしていました。
そんなある日です。
村に、とてもおそろしいカイブツがやって来たのです。
大きく黒くやみのようなそれは、あっという間に村の半分を飲み込むと、村人の命を次々とその腹の中におさめていきます。ひめいをあげてにげまわる人々を、カイブツは一人、また一人とのみこんでは、むらをこわしていくのです。
「ああ、村はおしまいだ!」だれかが叫びました。
男はクジラに言いました。
「あなただけでも逃げるんだ。今ならカイブツは村人にむちゅうであなたには気付いていない。気付かれない内に、さあ、早く!」
けれどもクジラはそっと首をふります。
『いいえ、いいえ、わたしはにげないよ。今こそちかいを守る時、あなたとあなたの大切なものを守る時』
そう言って、クジラは男の声も聞かず、海へ、カイブツの元へと泳ぎ出しました。
黒く、大きなカイブツは、とてもおそろしいものでした。
けれどもクジラはゆうきをふりしぼって、カイブツへと体当たりをすると、その大きな大きな口を開けて、カイブツにかみつきます。
たまらずひめいを上げるカイブツを村の外へ外へと連れ出すように、泳ぎ、そしてそのまま、カイブツと共に海の底に沈んでいったのです。
カイブツは二度と、村へは帰ってきませんでした。
そしてクジラも二度と男の前に姿をあらわしませんでした。
やがてクジラが沈んだ海の底には、美しい花畑ができました。
青い青い、海を閉じ込めたような美しい花は、男の目の色にもよく似ています。
男をおもい、ちかいをまもったクジラのおもいが花になったのだと言われています。
今も海底の花畑には、そんなクジラのおもいが咲き続けているのです。
一呼吸の沈黙の後、「こんな伝説があったのね」そう零したのはカレンだった。
その目は真っ直ぐに最後の頁を見つめたまま、彼女の隣で頷くクラウスも、彼女同様にそれを見つめ続けている。
「海底の花畑……珍しい場所だとは思っていたが、まさかこんな風にして出来たとはな」
「ええ。何かあるとは思っていたけどね。それにしても、このカイブツって一体何なのかしら」
「……特に明記はされてない、な。狂暴化した海洋生物に関係があるのかもしれないが、昔話のカイブツだ、災害を擬人化したものかもしれないね。あとは、この男の不思議な力……リュウトにも不思議な力があるらしいが、もしかしたらこの事なのかもしれないな」
「そうね。それは私も思ったわ、あとで聞いてみましょうか」
「そうだな」
クラウスが肯定の意を返した時だった、
「すみません、大変お待たせいたしましたー!」という事務員の声と、そして、
そちらを向こうとした瞬間、視界の端で薄ぼんやりとちらついた———影。
「クラウスさん? どうしたの?」
「あそこに……」
「あそこ?」
クラウスがそっと指を指す。
カレンが目を凝らせば、そこにいたのは一人の女性だ。
長い髪に優し気な面持ち、どことなくリュウトの面影を感じる彼女の目には、リュウトと同じ青い青い海の色の瞳がはめ込まれている。その人は、優し気な笑みを浮かべながらも、どこか決意に満ちた眼差しでこちらを見つめている。
「誰かしら……何か言いたそうにしているけど」
「ああ、そう、だな……」
事務員の声が聞こえる。
彼からしたら、明後日の方を向いたまま動かない二人が不思議で仕方ないのだろう。
「どうしたんですか?」と声を掛けてくる事務員の声を背中で聞きつつ、二人は静かに視線を合わせる。
「カレン、すまないが事務員さんの方は任せてもいいかな」
「ええ、良いわよ。それじゃああの人はお願いね、なにかわかったら教えて」
「ああわかった」
クラウスが女性の元へと歩み寄るのと同時に、カレンも事務員の方へと歩みを進める。
不思議そうに首を傾ける彼に「すみません」と苦笑を浮かべながら、カレンは彼と向き合った。
「それで、どうでした?」
「そうですね……実際にご覧いただいた方が早いかもしれません」
事務員がパソコンを持ち上げ、カレンにも画面がよく見える位置に置いた。
波のようなグラフの中に、時折大きな赤い点が記載されている。事務員曰く、その赤い点が狂暴化した生物が出現した記録らしい。
最初に事務員が言った通り、ここ10年内の漁獲量に関しては波があり、海流の早くなる時期、遅くなる時期に合わせて上下しているのが見て取れる。異なる海流に乗ってやって来る魚の動きがそうさせるようで、過去のグラフはどれも一定間隔の波を作って安定した漁獲量であるのが見て取れた。
「こうして見ると、やっぱり今年の漁獲量はちょっと異常なのかしら」
「そうだと思いますよ。特に今月に入っては、波どころか直線の様になってますからね」
「そうですね……狂暴化した生物も、直線の上に点々とある感じだし……あっ!」
カレンが目を見開き、一瞬、言葉を失う。
そのまま何かに気が付いたように、画面を見つめたまま「すみません、もう一度データーを見せて頂いていいですか?」と告げた彼女に、事務員はまた小首を傾げつつも言われた通りにパソコンを操作した。
過去のデータがまた、次々と可憐の目の前に映し出されていく。
先程見たのと変わらない、波のグラフと赤い点、然して、そこには、確かな法則性がある。
「あの、これは私の感想にも近いんですけど、この赤い点の出現前って、必ずと言っていい程漁獲量が増えてませんか?」
「え? ……ああ、本当だ。確かにそう、ですね」
無論、イレギュラー的に発生する赤い点もあるが、それは極稀なもの。一年どころか2,3年に一度ある程度の頻度だ。それ以外の殆どが、漁獲量が最大、グラフの波の頂点になった直後に出現している。
「……漁獲量と狂暴化した生物の出現って、強ち無関係じゃないのかも」
「そう、ですね……重ねてみるまで気が付きませんでしたが、確かに……」
「そういえば、えっと、組合長さん? が、漁獲量がおかしい、みたいなこと、仰ってたそうですが、他に何か仰ってた事ってありませんか?」
「組合長、ですか?」
「ええ。なんていうか、歴戦の兵士の勘にも近いものがあるんですが、そういう違和感を感じられる方の感覚って、私達の想像以上に鋭いんです。小さな違和感でも、それが大きな発見になる事が多い。だから、なんでもいいんです。小さなことでも、例え妄言みたいなことでも、何かの手掛かりになるかもしれません。なにか、他に何か仰ってませんでしたか?」
「あー……そう、ですねぇ……」
うんうんと唸り声を上げ、事務員は険しい表情で暫く考え込んでいた事務員は、そういえば、と、自信無さげに声を上げた。じっと見つめてくるカレンに、困惑したような表情を浮かべながら、
「えっと、これは組合長以外に誰も気が付かなかった事なんですけど、」
「はい」
「その……花が、強く光ってる、と」
———一方で、
『少し、話を聞いてもいいかな —————|穏やかな対話《オダヤカナタイワ》』
クラウスは女性と対峙していた。
彼の呪文のような言葉は、その言の葉に乗せた確かな心の力によって淡く輝き、薄ぼんやりだった女性の姿をより明確化させ、生前の姿へと舞い戻していく。長い髪と海閉じ込めたような瞳、その特徴をより強く顕現させながらはっきりと姿を見せた女性は、年の頃20代前半と言ったところだろうか。やはりどこか、リュウトの面影を感じる。
「あなたは?」
『……』
それはどこか寂しそうな表情だった。
言葉もなく、ただ曖昧に微笑む女性は、クラウスの問い掛けの返答を断つかのように別の言葉を発する。
『海が、泣いてるの』
「うん? 海が、泣いている?」
『ええ。カイブツが来たの、カイブツが、海に悪い魔法をかけたのよ』
「カイブツ……? それは、あの伝説のカイブツなのか?」
『あれじゃない。でも、あれに匹敵する強い力を持ったそれよ。早くしないと、海が、飲まれてしまう』
「海が、飲まれる? すまないが、もっと具体的に、」
『ああほら、』
「?」
訝し気に眉を寄せるクラウスから、女性が視線を外した。
その顔は酷く悲しげで、儚げで、何かに酷く心を痛めているようにも見える。
クラウスが何事かと口を開く前に、彼女は言った。
—————— また、海が泣いてる。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴 苦戦
第2章 集団戦 『EGO』

POW
D1VE
半径レベルm内にレベル体の【EGO】を放ち、【トキシックパウダー】による索敵か、【エンジェルウェイヴ】による弱い攻撃を行う。
半径レベルm内にレベル体の【EGO】を放ち、【トキシックパウダー】による索敵か、【エンジェルウェイヴ】による弱い攻撃を行う。
SPD
2ONE
爆破地点から半径レベルm内の全員に「疑心暗鬼・凶暴化・虚言癖・正直病」からひとつ状態異常を与える【イマーシブルエッグ】を、同時にレベル個まで具現化できる。
爆破地点から半径レベルm内の全員に「疑心暗鬼・凶暴化・虚言癖・正直病」からひとつ状態異常を与える【イマーシブルエッグ】を、同時にレベル個まで具現化できる。
WIZ
3ANG
自身の【羽】を【極彩色】に輝く【成長体】に変形させ、攻撃回数と移動速度を4倍、受けるダメージを2倍にする。この効果は最低でも60秒続く。
自身の【羽】を【極彩色】に輝く【成長体】に変形させ、攻撃回数と移動速度を4倍、受けるダメージを2倍にする。この効果は最低でも60秒続く。
●孤独な鯨は乞い歌う。
あなたの声が好き、優しい手が好き。
泳いでいる姿も、困った顔も、わたしの我儘を聞いてくれるところも。
全部全部大好き。
あなたと話すと楽しくて、あなたに体を撫でられると幸せで。
あなたが笑いかけてくれると、私の胸にはいつも花が咲く。
それは淡い淡い蛍火のような、深く優しい海のような淡く、儚く、優しい色をした花。
あなたにこの花を贈ったら迷惑かしら。
あなたはこの花を受け取ってくれるのかしら。
ううん、無理よね、きっと、無理なのよね。
わたしはクジラ、あなたは違う。
わたしはあなたの世界では生きられない。
あなたはわたしの世界では生きられない。
どんなに希い、恋焦がれ、神に願いを乞うたとしても、所詮は詮無き事。
それはこの命で生まれてきたものの定め。変えてはいけない自然の摂理であり理であり。
ああ、やはり届かないのね。
わたしのこの想いは、わたしのこの声は、この心からの叫びは。
いつだって、本当に届いて欲しい人には届かない。届いてはいけないものなのね。
あなたの声が好き、優しい手が好き。
泳いでいる姿も、困った顔も、わたしの我儘を聞いてくれるところも。
全部全部大好きで大好きで、大好きなのに。
今はこんなにも、わたしを苦しめるのは何故だろう。
今はこんなにも、悲しい気持ちに、寂しい気持ちにさせるのは何故だろう。
こんなにも苦しいのなら、いっそ、離れてしまえばいいのに。
それでも離れがたいと。あなたの側にいたいと、そう願って止まない己の浅ましさに、海の水が少しだけしょっぱくなった気がする。
嗚呼、嗚呼、嗚呼、誰か、誰か、誰か———わたしの願いを叶えてください。
人魚姫の魔女がいるのならば、わたしは喜んで声を差し出すから。
その身が苦痛と激痛に苛まれたまま、満足に踊りを踊れなくなっても構わない。
あなたの側にあれないのならば、海の泡になって消えたっていい。
嗚呼、溺れる、溺れる感情に溺れる。
愛してる、愛してます。大好きな、大好きな、わたしの|王子様《リュウト》。
どうか、だれか……
——— 可愛い可愛い人魚姫、あなたの願いを叶えましょう。
●襲来する脅威
海が揺れた。
海と共に生きる青年は、その潮の流れの変化を敏感に察知すると、海中からいち早く舟へと舞い戻り、海にいた全ての人間を船へと引き上げていく。
先程までの晴れた空が嘘のようだった。不気味な海風が、嘲笑うかのように人々の頬を撫でる。胸のざわめきを、覚えてしまった一抹の不安を、現実として突きつけるように凪いだ海はその表情を変える。徐々に徐々に高波となっていく波、遠くの空からは暗雲が迫り来る。
いつだって自然は気まぐれだ。その機嫌は神のそれと同等で、どんなに聡明で力のある人間であっても、その自然の中にただ生きるだけの、ちっぽけな命が窺い知る事なんて出来るものではない。ましてや、その機嫌を直す事など猶更だ。
嗚呼、海が、泣いている。苦しんでいる。
それだけを理解して、青年は逃げるように船を陸地へと引き戻す。
砂浜では、観光客や海水浴客を避難させようと躍起になっている村人達が。何事かと、すっかりと酔いの覚めた顔で漁師たちが次々と姿を見せ始めている。
「リュウちゃん、待って、いかないで———!!」
少女の声に重なる様に、海の悲鳴が聞こえた。
青年は気が付く。彼女は、彼女だけは、未だに海の中にあって。
だから、その悲痛な顔は、その伸ばされた手は、助けを求めているのだと。
青年は咄嗟に手を伸ばす。刹那、嫌な予感がした。何の予感かはわからない、けれども、海が言う。
そ の 子 に 触 る な ———!!
世界が、反転する。
鼓膜を揺らす水飛沫、次いで聞こえてきたのは、泡が生まれて消える音。
見開いた視界の中にあったのは、幸せそうな笑みを浮かべて自分を抱き締める少女。そのはるか下には、爛々と光を放つあの、海底の花畑。
ごぼり、ごぼり、と、泡音が聞こえた。太陽音光が遠ざかり、ゆっくりと花畑が近付いていく。
沈んでいる、沈み続けている。
自分を抱き締めたままの少女と共に、ゆっくりと、沈んでいく———。
くーちゃん、と、少女の名前を呼ぼうとして、
ごぼり、強く肺が圧迫される。酸素が限界まで吐き出されて、一気に意識が霞む。
海月の様に纏わり付き体に食い込む、細く白い少女の腕。
くーちゃん、くーちゃん、心で少女の名前を呼ぶ。
リュウちゃん、リュウちゃん、それに応えるように嬉しそうな声がする。
「もうね、わたし、限界なの。
リュウちゃんに——————しないとね、もうね、一緒にいられないの。
黒い————女さんが言ってたわ。この薬の効果はひと月程度、胸の宝石が砕けたらおしまいだって。わたしがリュウちゃんと一緒にいるには——————なの。
そうじゃなきゃ泡になって消えちゃう。二度とリュウちゃんに会えなくなるの。
そんなの嫌。絶対に嫌、だから、だから——————」
声が、遠い。意識が、視界が、霞んでいく。
少女が何かを告げている。青年は少女の名を呼ぶ事しかできない。
「リュウちゃん——————」
悲しそうに、少女が笑った。刹那、その笑みに呼応するように花が光る。
その光の中、産声を上げる怪異達が、彼らを祝福するかのように不気味な笑い声を上げ、そして、祝祭の贄を求めるが如く、陸地へと牙を向いた。
●MSより
海より生み出された感情の怪異・EGOとの集団戦闘となります。
陸地には、観光客や海水浴客、海の家の店員や漁師の姿があります。村の人間は脅威を理解している為、外部の人間を避難させつつ自分達も逃げる体制を取っていますが、そうでない人々は、突如として出現した怪異の存在にパニックを起こしています。
やる事は主に三つです。
1,陸地の人々を守りつつ怪異を撃退する。怪異は|非能力者《村人や観光客など》を餌として見ている為、彼らを食し、肉を咥えて海に引きずり込んでいきます。
2,海に引きずり込まれたリュウトを救出する。彼は現在、海底の花畑に少女と共に沈んでいます。バブルガンの恩恵を受けていない為、このままでは溺死します。
3,その他。戦闘後にやりたい行動がある場合、何か一つ行動が出来ます。この行動に制約はありません。コレをやりたい!これをもっと知りたい!等ございましたらご自由にプレイング頂ければと思います。
尚、前章で得た情報は、新規・継続を問わず共有されているものとします。
それでは、皆様のプレイングをお待ちしております。
どうぞよろしくお願いいたします。

気になることは色々あるけど、まずは人々を守らないと
「落ち着いて!頑丈な建物の中に隠れて!」
慌てている人々に声を掛けて建物の中への避難を促す
落ち着いている人がいたら協力を頼みつつ、レギオンスウォームでレギオンを呼び出して一部を人々の誘導に回す
それ以外のレギオンは全てEGOに向けて飛ばし、とにかく人々に接近されないようにレギオンミサイルで攻撃させよう
避難がある程度進む、或いは敵に迫られたら俺自身も攻撃に参加
決戦気象兵器『レイン』でレーザーを広く撃って怯ませつつ、高速詠唱+全力魔法+範囲攻撃での魔法攻撃で敵を減らす
人々が襲われたら割り込んで庇い、マヒ攻撃で動きを止めて被害を防ぐ
戦闘後は(無事なら)クーちゃんに会いたい
迷いクジラと黒い女が話していたというインビジブルの証言を考えると、鯨が女の力を借りて人の姿を得たのがクーちゃんなんだろうか
だとすると……
「明正の時と同じか……」
宝石を確認して顔を顰める
この子も、明正みたいになってしまう?それだけは避けたいけど、どうすればいいんだろう

さっきまで楽しくて穏やかだったのに…。なんでこんな…
あたしは陸の人たちを守るね。あたしはあたしにできること、頑張らなくちゃ
√能力でありったけのミニドラゴンちゃん達を召喚。指示は火球+座標入替。連撃分でドラゴンキッスと念話
海からの怪異に火球を連発させて押し留めてもらってる間に避難誘導するね
襲われてる人がいたら座標入替であたしを呼んで。ハンマーでぶっ飛ばしちゃうから。怪我人がいるならドラゴンキッスで治療を
海に引きずり込まれてる人がいたら誰かに命綱をお願いして、借りたバブルガンを使って助けに行くね
怖い怖い怖い、けど…。何も知らない人たちはもっと怖いはずだから。動け、頑張れ、あたし
攻撃したらきっと泡が破けちゃうだろうからしっかり狙って一撃。あとは抱き付いて合図して引っ張り上げてもらう
もう一度ミニドラたちと手分けして黒い髪で褐色の女を探したい
誰かの想いを歪ませるやり口に胸の宝石。木蔦の時に似ていてじっとしてられないの。怒ってるんだよあたし
仕込みがどうなったか気になって近くで見てるんじゃないの…?

ここの人たちは大丈夫そうね、観光客が多そうなおところに向かいましょう!
私はあまり魔法みたいなものは使えないからどうしようかと思ってたけれど……地上でのフィジカル戦なら任せてちょうだい。
それに防衛線は得意なの、なるべく多くの人をかばいながら逃がしていくわ。
リュウトさんに関しては仲間に任せて、とにかく私は敵を引き付けて民間人を守ることに集中するわ。
優先的に守るべきは子ども、あと死が近い人……この判断を間違えると、より多くの人が不幸になってしまうから。
決死戦による牽制と捕縛をうまく使いながら、敵が立ち止まった隙に上がった移動速度で接近して片付けていくわね。
激痛だって大丈夫よ、継戦能力には自信があるしあのときのアンナに比べればこんなもの……どうってことないわ。
戦闘が終わって一息ついたら、リュウジさんに奥さんのことを聞いてみようかしらね。
さっき私たちが見たのはきっとその人なんでしょうから。
いまはそれどころじゃないのも分かるけど、たまにはそういう話も聞きたいんじゃないかなって思って……なんてね。

ふふ~、ちょうど食堂でご飯を食べ終えたところです。食事後の運動と行きましょうか。
もちろん①陸地で人々を守りながら怪異を撃退します。もちろんいつもの『爆拡形態』で!
ちょ~っとイカつい重火器がボクの手持ちのトランクカバンから出てくる様子は住民の方には刺激が強そうですが…まあそうも言ってらんないですよね!
あ、一応ボクも√WZの軍人ですからパニックを起こした住民の避難指示には慣れてます。はいは~い、あっちの一番大きな建物は?みんなでそちらにいてくださいね。はい、走って~。
それにしてもクジラの花ってなんでしょうね~?インビジブルと関係があるのかな~…まあこの辺はピンと来る人におまかせしましょうか~。

声で話が出来たリュウトさんと、ちょっと話が弾んだクーちゃんが、沈んで行っちゃった
ちょっと聞こえた、クーちゃんの悲しそうな声は多分……でも、助けなくっちゃ
『リュウトさん、クーちゃん……待って!』
陸地に飛んできた怪異たちには、√能力:独唱くおん
レイン砲台(スノーノイズ)の音響弾で範囲を狙って攻撃するよ
『聴いてくれるよね。ならば……退いて』
陸地では人工声帯を介して仲間と連絡を取り合う
ちょっとしんどいし、ノイズ入っちゃうけど……
バブルガンを持っている人はいるかな
他に助けに行くって人が居れば同行するよ
花畑の光は目印になるだろうし、一回見に行ったから道案内
声じゃなくても、手振りでなら誘導できる、きっと

伊沙奈さんとリュウトさん、それにクーさんとの会話が白片さんと波路さんには聞こえていなかった件。
少し確認しておきたかったけれど、今はその余裕もなさそうね。
一旦わたしが優先するのはリュウトさんの救出よ。
幸い海の家で借りた予備のバブルガンが手元にある。
でもこの状況で、村の方々に船を出していただくわけにはいかない。
だったら、わたしの力で行くしかない。海底の花畑まで。
確か目印のブイが海上に浮いているって話だったわね。
出し惜しみしている時間はない。
正義完遂で黒曜真竜に変身し、上空からブイを探すわ。
目標を見つけたらそのまま着水、能力を解除してバブルガンを使用。
海中は慣れない環境だけど、躊躇っている暇はない。
一度深呼吸、覚悟を決めて潜水へ。
リュウトさんを見つけたら、まずはバブルガンを使用して保護、意識を確認するわ。
もし目を覚ましてくれるなら、手を取って花畑を脱出。
途中、海中で襲撃があってもわたしが絶対に護るわ。
意識がない場合は、バブル膜の中へ彼を抱き入れ、
気道を確保して、人工呼吸と胸骨圧迫を試みるわ。
サバイバル活動の一環で人命救助の訓練は受けてるから大丈夫。
それでも反応がなければ、浮上して再び正義跳躍を使用。
海上から一気に、陸地にいるインビジブルの元まで跳躍するわ。
戦闘後は村を巡回して、要救助者が残されていないかを確認。
怪我人には正義恢復を使用。
お世話になった海の家の無事も……必ず確かめに行くわ。
●極彩色の津波
……、こうして人魚姫は、海の泡になって消えてしまいました。
ねぇねぇ、どうして人魚姫は泡になったの?
王子様を殺して自分も死んでしまえばずっと一緒に居られるんじゃないの?
一人だけ死んじゃうなんて寂しいじゃない。死ぬ時までひとりぼっちなんて辛いじゃない。
そうね、確かにどうしてなのかしら。
難しい話よ。答えのない謎解きのような難しい話。
答えのない、謎解き……。
そうよ、だからね?
———答えはあなた自身が確かめるといいわ
津波のような極彩色が迫り来る。
海水浴にバカンスに。そうして人々が作る筈だった楽しい思い出は瞬く間に幻想へと散った。彼らの希望も、未来も、ささやかな幸せすら飲み込むかの如く開かれた口、その中に光る目玉は、確かな嘲笑を浮かべながら力無き者達へと襲い掛かる。
数は、暴力だ。その数が圧倒的であればある程に、力は容赦なく、時に災害のような圧倒的なものとなって襲い来る。例えここに一騎当千の英雄がいたとて歯が立たないであろう。千を倒せども万の力が波と成り、暴力と成り、全てを飲み込まんと牙を向くのだから。
波音を悲鳴がかき消した。白い砂が真っ赤に染まる。貝殻やシーグラスにように転がっていく、人だったものの塊。海より生み出された感情の怪異・EGOは、それをさも可笑しそうに眺めながら、美味そうに咀嚼しながら、海へと肉を運ぶ。
祝福の宴だ。|幸福の始まり《地獄へのカウントダウン》だ。
祝祭の贄を捧げよ。|コレを完全とする《この恋を成就させる》為に、さあ、さあ、あの、少女の元へ ———
「きゃあああああああああああああああああああああああああっっ!!!」
砂浜にまた、新たな悲鳴が木霊する。
瞬く間に急降下する怪異は、その鋭い牙を光らせ、新鮮な血肉を貪らんと迫り来る。
嗚呼、また、白い砂は赤へ。貝殻は肉片によって汚されてしまうのだろうか。
人々の頭に浮かぶ絶望を、然して、そんな|悲劇《想像》を打ち砕かんと光るは、———黒き希望の拳
——— |黒鉄の拳《フォーティ・キャリバー》!!
「大丈夫ですか?! けがは?! 走れますか?!」
「あ、ああ……あ、うぅ……」
目を見開いたまま、震える観光客にカレン・イチノセは安堵と落胆の二つの意味で息を零した。過ぎた恐怖は、人の思考を、動きを、その感情すらも捕らえ、支配してしまう。そうなった人間の殆どは最早、自らの意志でそれを抜け出す事は出来ないだろう。出来れば観光客の肩を支えて、その背を撫でて、そうして落ち着かせてあげたいところだけれども。
「カレン!」
「ええ、わかってるわ!!」
クラウス・イーザリーの怒声が、その手から放たれる魔力の閃光が轟く。
閃光は広範囲を焼き払い、薙ぎ払い、敵を討つ。然してそれでも尚、絶える事無く空から飛翔する、影、影、影。波のように押し寄せる敵、敵、敵。空を覆い尽くさんばかりの無数の極彩色。当り前なれど、奴らは待ってくれない。こちらの事情などお構いなしに、むしろ、動きを止めた格好の餌を逃すまいと襲い来る。
観光客の短い悲鳴と同時に、黒い残像が、音を置き去りにする一撃となって敵を撃った。
わかってる、この人だけに構っている暇は無い。
背後から悲鳴が聞こえた。右からも、左からも、遠くからも、近くからも。もはや悲鳴が、肉を断たれる音が、命を食い潰される音が、そこにある全ての音が歪で醜い協奏曲を奏で続けている。声の聞こえない場所などない。だから、だから、
「クラウスさん、この人をお願い」
「ああ任せろ!!」
カレンは駆ける。一人でも、ひとつでも、多くを救う。その為に。
そうして拳を揮うカレンを見送ることなく、クラウスは己の集中力を極限にまで高める。両の手に構えた獲物を振るい、時にはあの閃光を放ち、体はそうして戦いを続けながらも、彼の頭はそれとはまた別の思考回路を働かせる。電子音を響かせ空中を浮遊する、その、どこか愛嬌のある丸いフォルムをした機械———レギオン。
『大丈夫、貴方達は絶対に死なせない! 落ち着いて! 頑丈な建物の中に隠れて!』
クラウスの声が複数のレギオンから放たれる。
同時多発的に観光客に呼び掛け、同時に、他複数のレギオンからは怪異に向けて容赦なくミサイルが撃ち放たれる。
『安全な場所まではコレが貴方達を守る! だから、早く逃げて!!』
「で、でも、安全な場所なんてどこにあるのよ……!!」
絶望の中に非難と悲愴を交えた声がレギオン越しに聞こえてくる。
目の前の観光客も、依然、目を見開いたまま、がたがたとその身を震わせて答えを待っている。打ちたくもない舌を打ちそうになった。確かに、見渡す限りの極彩色。押し寄せる怪異の大群によって、並大抵の建物は打ち砕かれ、瓦礫や残骸と化している。岩場の奥に隠れた子供が、岩ごと食い潰された光景だって見たくはないが見てしまったのだ。この猛攻を耐えうる頑丈な建物、なんて、そんな都合のいい場所は、
「クラウスさぁぁぁぁぁん!!」
「こっちよ!! こっちに非難してもらって!!」
「!」
振り返る。然しその先にあったのは、極彩色の壁だ。
一体誰が。クラウスが武器を、魔力を揮う直前に、
「「はああああああああああああああああああああああああああっ!!!」」
ぶぉんと、鈍く重く怪異共を撃ち潰す音———
ひゅんと、鋭く強く怪異共を切り伏せる音———
その二つの音が打ち砕いた極彩色の壁の向こう、開かれた道の先にいたのは、可憐な水着姿に似合わぬ武器を構えた二人の少女、シアニ・レンツィとリリンドラ・ガルガレルドヴァリスだ。
彼女達の背後には、お世辞にも頑丈とは言い難いが、それでもこの極彩色の中、確かに建物としての形を残し続けているものがあった。所謂、海の家という場所なのだろう。少々年季の入った木造造りのそこには、避難する人々が身を寄せ合い犇めき合っている。不意に、二人の死角から怪異が襲い来る。空から急降下し、体当たりで家の屋根をぶち破らんばかりのそれに、クラウスが、あっと口を開いた時だ。
甲高い咆哮。空を焼くのは極彩色よりも眩い炎。その可愛らしい羽音を勇ましく響かせ、海の家の四方八方を囲む生ける城壁となったミニドラゴン達の姿がある。彼らに指示を出しつつ前線で大槌を揮うシアニに、彼女の盾とも剣ともならんと大剣を揮うリリンドラ。よくよく見れば、二人とミニドラゴンをサポートするように銛や刺身包丁、各々の武器を手にした漁師たちの姿もある。
「ここがこの海岸沿いで一番大きな建物なんだって! ここなら安全だよ! それにねっ! 少しずつなんだけど、隙を見て漁師さん達とミニドラゴンちゃんで観光客さんを村の出口まで逃がしてるの!!」
「ええ! だから早くこっちへ! 大丈夫、ここの安全はわたし達が全力で保証してあげるわ! 何があろうと意地でもわたし達が守るから!!」
「わかった!」
すっと、息を吸った。
呼吸を整えている暇などない。だからこれは、呼吸を止めない為の悪あがきだ。
酸素を送り込んだ体に命ずる。動け、動け、動け。
酸素で回した思考に命ずる。守れ、動かせ、そして命ぜよ。
『皆さん、海岸沿いに海の家があります! そこに逃げてください!!
そこには今、戦える者達が集まっています! この海岸にあるどんな場所よりも安全な場所です!! そこに辿り着けば、村の出口にも案内出来ます!! どうか生きたいと思うのであれば、死にたくないと思うのであれば、そこへ逃げてください!!
道がわからなければこの丸い物体が案内します! 大丈夫! 道中は俺達が命を賭けて守りますから!!!』
この混乱の中、どれだけの人に声が届いたのかはわからない。
けれどもクラウスの声に希望を見出したのか、それとも恐怖から逃れたい一心か。ひとり、またひとりと海の家へと足を急がせる。
「あなたも、急いで」
「……っ」
目にいっぱいの涙を溜めて、それでも観光客が走り出す。
ああよかった、なんて、安堵するのはまだ早い。膨大な映像が、音声が、衝撃的な一コマだけを切り取ったような画像が、|音《もじ》が、現在進行形でレギオンを通じ、脳に送られ続けている。休んでいる暇は無い、呼吸を整えている暇もない。苦虫をどれだけ噛み潰せばいいのかわからない程の、苦い苦い笑みが浮かぶ。と、
「クラウスさん!」
「どうしたカレン!」
「あそこ!!」
波打ち際、戦いの最前線に防衛ラインを引いたカレンが声を上げる。
己が全身を武器とし鎧とし、休む間もなく極彩色の波を切り裂いていく。彼女もまた、休息も呼吸を正す暇すらない。敵を打ち倒し、助けを求める声へと駆け回りながら、カレンは最前線でひとり、終わりなき奮闘を続けているのだ。華麗な回転蹴りで周囲の敵を吹き飛ばした直後、彼女は声を上げ即座に海の向こうを指し示す。
浅瀬の沖合、一層強い極彩色の壁がぐるぐると回転しながら一艘の船を取り囲んでいる。壁に阻まれてよくは見えないが、船上で敵を迎撃しつつ右往左往する人の姿には見覚えがあった。
(っ! 数が、多過ぎる———!!)
|伊沙奈・空音《いさな・くおん》がその表情を大きく歪めながらも、看板を蹴り、空中で身を翻し敵の攻撃をかわす。そのまま着地と同時に一回、二回とバク転の要領で距離を取ると、同時に自らの喉元に片手を当てた。きつく敵を、空を覆う極彩色、その全体を睨み付けるように顔を上げる。マスクの下、開いた口から放たれたのは、声無き唄———|独唱くおん《ロンリネス・リプル》。
空気が揺れる。その独唱は残酷なまでの美しき怪音波、残響となって次々と敵を討つ。極彩色の全体に開いた大穴は、然してすぐに無数の敵によって再生されてしまう。
(やっぱり、僕一人で残るんじゃなかったかな……)
一緒にいた二人は、陸地の援護をするからと備え付けのボートで先に行ってしまった。
酷く心配そうな声で、後ろ髪を引かれ続けているような表情で「無茶をするなよ」、と、こちらを見つめられていたのは記憶に新しい。
やっぱり、自分も一緒に行けばよかったかな。でも———。
攻防の合間に、ちらりと海を覗き見る。リュウトと花畑で出会ったあの少女・クーの姿はもうそこにはない。折角、自分の声を聞いてくれる人がいたのに、話をしてくれた人がいたのに。二人は沈んでしまった。目の前で、あっという間に、海の底へと。
(っ、何とか隙を見付けなくちゃ)
今、海へ飛び込もうと背を向ければ、敵に襲われるのは必然。
四面楚歌のこの状況下で、攻撃の構えを解くのも同様。彼らを助ける前に、自分が海の藻屑と化してしまう。くっと唇を噛み締める。リュウトは、あの不思議な銃の効力が切れていた。腐っても漁師、とはいえ、生身の人間が海の中でいつまでも生き続けていられるわけがない。早く、早く、助けなくちゃ。助けなくっちゃいけないのに。目の前の黒が邪魔だ。襲い来るこの黒い波が邪魔だ。嫌でも気が焦る。どうしたらいい。考えろ、考えろ、頭を、体を、動かして————
再度、喉元に片手を当てる。襲い来る敵の軍勢を迎撃せんと口を開こうとした時だ。
目の前で激しい爆発音が響いた。断末魔を上げ、無数の怪異が黒い灰へと化していく。ほんの一瞬、見開いた視界の中、飛び込んできたのはどこか愛嬌のある丸い浮遊機械。
『伊沙奈さん大丈夫か?!!』
この声は……クラウスさん、だ……!!
伊沙奈は咄嗟に喉元に手を当てる。武器としての音を放つ為ではなく、人と話す為の人工声帯を機能させる為に。喉元が淡く光る。あー、あー、あーなんて、突如として聞こえてきたこのノイズ交じりの声に、仲間達はどんな反応をしているのだろうか。
「びっクリさせてたラ、ごめんネ。ダイ丈夫、ぼクは平気。ただ、リゅうトさンとくーチャン……花畑デ会ったオンナノコが、海のナカに」
『なんだって!?』
「ッ、しかも、さイ悪な事に、リゅうトさンノばぶルガンの効果ガ、もう、切レてるかもしれないんだ」
早く助けに行かないと。と、それを告げようとして、敵の攻撃がそれを阻む。
鋭い牙が腕を掠めた瞬間、低い唸り声が上がった。『どうした?! 伊沙奈さん?! 伊沙奈さん!!!』クラウスの声が響くと同時に、ぼたりぼたり、鮮血が甲板を濡らしていく。
「っ、だ、大丈ブ! かすッたダケ。でも、ちょっと、ヤバイ? かナ。このママだと、あんマりもたないかも……ッ!!」
目の前で無数の目玉が嘲笑う。
手負いの獲物をいたぶる捕食者の如く、牙を光らせ、まるでわざと致命傷を避けるかのように次々と襲い掛かっては伊沙奈の腕を、脚を、全身を引き裂いていく。赤く染まる甲板、肉を引き裂く鋭音と共に海面を揺らすのは、ノイズ交じりの悲鳴だ。すぐさま『伊沙奈さん!』クラウスのあの丸い機械が応戦に入る。が、たった一人の迎撃に、たった一体の機械が加わった程度では、状況をひっくり返す決定打には成り得ない。雀の涙にも等しい助力に、それでも礼を告げながら、伊沙奈はまた唇を噛み締める。
———ヤバいな、このままじゃ……もたないかも、
「……シアニさん、」
「なに? リリンドラさん」
肩で軽く息をしながら、二人は互いに言葉を交わす。
呼ばれるがままにシアニがリリンドラの方へと視線を寄越せば、彼女はこちらを覗き見る事も無くなく、真っ直ぐに前を、伊沙奈のいる大海原を見据えている。
「……時間がないから簡潔に言うわ。あなた、ひとりでここを守り通せる?」
言いながら、彼女の剣が一閃、敵を裂く。
一撃、二撃、三撃、立て続けに放たれるそれは、瞬きの間に周囲の敵を塵へと帰す。
リリンドラは盾だ。複数のミニドラゴンを操り、海の家を守り続けるシアニの負担を減らさんが為に、彼女の盾としてその剣を振るい続けているのだ。
それ故か、それとも唐突で意外が過ぎるその発言のせいか。シアニは一瞬、何を言われたのかがわからなかった。例え何があろうとも自らの役割を投げ出す事をしない彼女が、盾の役割を放棄したいと告げたにも等しかったのだ。「えっと、」と多少の動揺と困惑を示すシアニに、リリンドラは続ける。
「伊沙奈さんの話は聞いていたでしょう? わたし、彼を助けに行きたいの」
「!」
大剣が閃く。
甲高い鳴き声と共に、ミニドラゴンが次々と火を噴く。
「あなたもわかっていると思うけど、彼のいる場所は沖合よ。今、この状況下で船を出してくれる人間はいない。何より海を泳ぐなんて選択肢は論外だわ」
「うん」
「だから、わたしの力で行くしかない」
静かに言い放ちつつ、リリンドラは自らの腕を鈍く光らせる。
光の中、僅かに変化するその腕は、闇よりも尚暗く黄昏よりも赤き血潮をたぎらせる存在———|黒曜真竜《オブシディアンドラゴン》。コレに変身して一気に伊沙奈を、そして、海底に沈んだというリュウトと少女を助けに行きたいのだとリリンドラは告げる。
「でも、わたしがここを離れれば、あなたは実質一人でここを守らなきゃならない」
カレンやクラウスは未だ、浜辺で混乱状態にある人々を守り、避難の手伝いを続けている。彼のレギオンも、その数体が伊沙奈の援護に、人々の誘導や護衛に回っている。通信用の一体以外、こちらにまで回している余裕はないのだろう。彼らとの合流には、まだ今少しの時間も必要だ。今少し、とはいえ、いつまでかかるかも知れない未知の時間。その時間の間、シアニはリリンドラ無しで、たったひとりで、この場を守り続けなければならない。
「できる?」
ちらりと彼女の目がシアニを見た。どきりと心臓が跳ねる。正直に言えば不安はある、心細さはある、嫌な想像が、これから訪れるであろう苦行が頭を過る。けれども、
「うん! 出来るよ!!」
シアニに迷いはない。リリンドラの目を真っ直ぐに返し、ひとつ、頷く。
「大丈夫、辛い戦場なんて幾つも越えて来たんだもん!! 任せて! ここは絶対にアタシが守って見せる!!」
「そう……それなら頼んだわよ!!」
迷い無き瞳に返す笑みは信頼の証。振り返らぬは、只、仲間の言葉を信じるが故。
大剣を振るい、敵を裂き、波のような極彩色を割ってリリンドラは空に手を翳す。
待ってて、必ず助けるから———|正義完遂《アクソクメツ》!!
極彩色を焼く一陣の|息吹《プラズマ》。
それを産声に、その翼をはためかせ空を駆けて行く|黒曜真竜《オブシディアンドラゴン》。羽ばたき、空を掛けるそれを見送ることなく、シアニも声を上げる。
「みんな、お願い! あたしに力を貸して!!———|幼竜の集会所《サモン・ミニドラゴン》!!!」
展開された魔法陣は、曇りなき空の青。少女の声に応えるように、一体、また一体とミニドラゴンが顕現する。甲高い産声を上げ、己を奮い立たせるミニドラゴン達を背に、シアニが大槌を構え、気合いを入れようとした時だった。
「?!!!」
喧騒を切り裂く爆音が、彼女の背後から鳴り響いたのである。。
同時に無数の光線が宙を舞い、敵を、極彩色の空を割っていく。
「ふぇぇぇぇぇっ?! なになになに?!!!」
「どーもー、お待たせしましたー」
「へ?」
丸めた視線の先、のんびりとした足取りで歩いてくる人の影。
蛍光色の光を放つエネルギーパックに無数のコード、長い筒状の銃口に様々なギアをちぐはぐに組み合わせて作られたような厳つい重火器を手に、へらりとした笑みを浮かべる男———ヨシマサ・リヴィングストン。
「お腹一杯、元気100倍、やる気もありますヨシマサ君で~す!!」
いつも通りの飄々とした態度で、重火器を構え、撃ち放つ。
いつもと違うのは、口にご飯粒が一粒ついている事だろうか。天然なのかワザとなのか。その真意は定かではないが、まるで食後の運動をしに来ましたと言わんばかりの彼に、シアニはぽかんと口を開いたまま固まる他ない。「ヨシマサさん?」なんて零すように名を呼べば、ますます口元に笑みを湛えた彼の背後から豪快な笑い声が聞こえて来た。焼けた肌に筋骨隆々の体、立派な髭を蓄えたその顔は、星詠みの資料にあったあの漁師・リュウジだ。
「おー、ここはまだ無事みてぇだな! ありがてぇ! 嬢ちゃんよく頑張ってくれたな、ありがとよ!!」
「う、ううんっ、あたしだけじゃなくて、みんなで守ってるから! みんなの力だよ!!」
ほら、と、指を指す。
浜辺で奮闘するカレンとクラウスは勿論、空では、黒竜が光を吐き、敵を焼きながら船へと飛んで行く。無論、こうしている間に襲い来る敵はミニドラゴンが、ヨシマサが、次々と火を放ちながら迎撃を続けていく。
「ん~、近くに来るとマぁジで大漁っすねぇ~。コレがお魚サンだったらいーい晩御飯になったんすけど」
「だなぁ。何体か出口の方に流れちまってるが、あのあんちゃんなら大丈夫か」
「う? あ、あの、あのあんちゃんって……?」
「ん?ああ、コイツの連れの兄ちゃんの事だ。あいつは村の出入り口で戦うって言ってよぉ。あっちは敵も少ねぇし喧嘩の強ぇ若い衆も一緒だから、ま、大丈夫だろ!!」
そう豪快な笑い声を上げるリュウジの手には、豪華客船の碇と見紛うばかりの先端をした巨大な槍が握られている。彼は軽々とそれを振るい敵を追い払うと、にいっと歯を見せて笑った。
「生憎と最前線で戦える力はねぇがよ、自分の命と大事な|人《もん》守るくらいの事ァ出来る。ちったぁ手伝わせてもらうぜ!」
「おっ、いーっすね。海の男も戦う男ってやつっすか? そーいうの、嫌いじゃないっすよ、ボク」
ヨシマサが口の端を吊り上げて笑う。
そのままノーモーションで放たれた光線が、また目の前を覆う極彩色を真っ直ぐに裂く。
然して刹那、裂かれた場所には新たなる極彩色が塞いでいく。止めどなく溢るる水のように、次々と生み出される怪異の勢いは未だ衰える事もない。大海を相手に喧嘩を売るような、途方もない戦い。絶望にも似た感情が誰しもの頭を過り、けれども、だからこそ、希望を掴み取る為に、誰しもが歯を食いしばり立ち向かう。
「無理しちゃ駄目だよおじさん!」
「はっはーっ! 言うなァお嬢ちゃん! まあ任せろや! 海の男の底力、見せてやるぜ!!」
●突入
翼で空を切る。頬で感じる風は心地良く、塩の匂いをやわく孕んでいる。
極彩色の海に飛び込むと言えば、幾分か聞こえがいいかもしれないけれども、現実はそんな美しい物じゃない。例えるなら、水辺に屯する羽虫の群れに飛び込むようなもの。飛び込んで来た獲物を加虐するかの如く、その極彩色はケタケタと耳障りな音を立てて、一匹、また一匹と纏わり付いてくる。どんなに牙を突き立てられようとも、無敵の|黒曜真竜《オブシディアンドラゴン》の体には傷一つ付かないけれども。それでも、嫌悪感と不快感に表情は歪む。ちくりちくりと肌の上を牙が滑る度に増していくそれにぐるると喉が鳴る、鬱陶しいわね。と、言わんばかりの咆哮を上げてリリンドラは光を吐き出した。
一閃。極彩色が割れる。バラバラと黒い塵とも灰とも付かない姿となって落ちていく敵を視線で見やれば、それよりも更に下、停泊する船の上でレギオンに守られるようにして戦い続ける少年の姿があった。腕も、脚も、体の至る所を悪戯に切り裂かれ、今にも倒れそうな体を必死に立たせながら、その歌声で少年は、伊沙奈は敵と戦い続けている。
「伊沙奈さん!!」
「?! く、くロい、りゅウ?!!」
『リリンドラか!』
レギオンの向こう側から、どこか安堵した声が聞こえてくる。
一瞬、新たな敵の出現かと身構えた伊沙奈も、その声に大きく目を丸める。
「エっ?! リリんどラサん?」
「ええ、そうよ。この姿で逢うのは初めてだものね、驚かせてごめんなさい。助けに来たわ、あなたと、そしてリュウトさん達を」
「!!」
先程とは別の意味で目を丸めた伊沙奈に向かって、リリンドラはとあるものを寄越した。
それは、この村特有のアイテム。海に入る時に必要な潜水服代わりの泡沫を生み出すもの、バブルガンだ。おっ、と、と、慌てて受け取る彼を己の翼で、体で、敵から遠ざけながら、リリンドラは言葉を続ける。
「それがなんなのか、なんて、花畑に行ったあなたに説明は不要ね。
悪いんだけど、この姿だと引き金に指を掛けられないの。撃ってもらってもいいかしら? 端的に海に入る為のシャボン玉製造機って聞いてるから、撃たれても痛みはないらしいんだけど。その情報は確か?」
「う、ウン。そレで合ッテるヨ……」
「そう、良かった」
ばしりと自らの尾で敵を討ち祓いながら、リリンドラは瞳だけで笑った。
「りリンドらサン」伊沙奈の呟きのような呼びかけに、「なに?」穏やかな声を返す。伊沙奈のその真っ直ぐな目に、何を言われるかを即座に察することは出来たけれども。リリンドラは敢えて何も言わず、促す事もしない。はあはあと切れ切れの息で、慣れない声で、それでも懸命に言葉を紡ごうとする彼の、その強い意志を感じ取れたからなのかもしれない。
一呼吸、小さく息を整えて、伊沙奈は言う。
「……ボくも行く。ツれテ行って欲しイ」
「ええ、勿論そのつもりよ。言ったでしょう? わたし、泳ぎは苦手なの。海中のナビゲートは任せたわ」
「うん、アリガとう」
ほっと、目を細める伊沙奈に、リリンドラも目を細める。
そうして彼が手にしたバブルガンを撃ち放とうと構えた時だった。「待って」と、リリンドラが静かに制止を掛ける。
「バブルガンの泡は強い攻撃に当たると壊れてしまったはずよ。此処で悪戯に打ち放っても、あっという間に奴らに壊されてしまうわ。だから……」
視線を、空へ向ける。
極彩色の波の中、揺蕩うようにしながらも、二人を守らんと懸命に攻撃を続けるレギオンの姿がある。ひとつ、ふたつ、みっつ……計6体のそれが、不規則にトライアングルを描くようフォーメーションを取りながら、休む事無くミサイルを撃ち放っている。「クラウスさん」声を掛ける。フォーメンションを崩さぬまま、その内の一つがくるりとこちらを向いた。
『どうした?! なにか問題か?!』
「ううん、違うわ。ちょっと頼み事があるの」
『頼み事?』
「そう。少し時間を作ってくれないかしら」
『時間?』
「ええ、長い時間は要らない。ほんの一瞬でいいの、私達がバブルガンの泡に入って海に飛び込むまでのその時間を稼いで欲しいの、頼めるかしら」
『それは……なるほど、了解した』
レギオンの向こうで、すっという呼吸音がした。
一瞬の沈黙は、思案と決意の間か。無茶な提案をした自覚はあった。一人でも多くの戦力を必要とする今、人命救助の為とはいえ、2人の能力者が戦線を離脱する上、その時間を稼がなければならない。それだけならまだしも、海岸沿いの人々の救助に避難場所の護衛など、やる事は山積みだ。そんな中にあって、無理だとも言わず、否定もせず、こちらの意見を受け入れて、その為に知恵を回してくれる仲間の存在が、こんなにも大きくて、こんなにも有難い。感謝の意を胸に、そっと目を伏せる。全てが終わったら、礼を。今はただ、出来る事に全力を。
一呼吸の間、レギオンから凛とした声が響き渡る。
『カレン! シアニ! ヨシマサ! 話は聞こえていたな?!
5分、いや、1分でいい! リリンドラ達が海に入るまでの時間を俺にくれ!!
今から全レギオンを海上に回し、一斉射撃で船周辺の敵を殲滅する! その間、一切の通信手段がなくなる。各自、自己判断で行動してくれ! かく言う俺も、自分の身を守る以外の行動はぼぼ取れないと思ってくれていい。観光客の事、海の家の事、その一切合切は任せたぞ!!』
『『『了解!!』』』
声の刹那、海岸沿いで激しい爆発が起こる。
開戦の狼煙———その煙の中を、無数の丸い機械が浮遊し真っ直ぐにこちらへと向かって来る。
『そんじゃ、ボクは臨機応変にいきますよっと。あ、一応ボクも√WZの軍人ですからパニックを起こした住民の避難指示には慣れてますんで。任せてください?』
『オッケー! 海の家はあたしに任せて!! クラウスさんみたいにちゃんとした通信機器にはならないけど、皆の様子はミニドラゴンちゃんでみてるから、何かあったらミニドラゴンちゃんに伝えてね!!』
『助かる。ああ、念を押すが俺の事はかまうなよ。自分の身は自分の身は守る!』
『了解よ! だったら私は走るわ! 観光客の事は任せてちょうだい! 防衛線にもフィジカルにも自信はある、心配は無用よ!
リリンドラさん、伊沙奈さん、こちらのことは何の心配もいらないから、二人共気を付けて、リュウトさん達の事は任せたわ!!』
「カレンさん……ええ、ありがとう。そっちも武運を」
「頑バるよ!!」
通信は途切れない、然して、互いに交わす言葉は途切れる。
言葉の代わりに聞こえてくるのは、それぞれの怒声、雄叫び、気合いの声。
激しい攻防の音が、レギオン越しに耳に届く。無論、リリンドラと伊沙奈の方もそれは同様で。傷を負った伊沙奈を庇うようにリリンドラが翼を広げ、尾を振るい、高らかな咆哮と共に|光《プラズマ》を吐き出す。
またひとつ、またひとつと空を縫い、レギオンが飛んでくる。
『レギオン全機、目的地に到着! これより一斉射撃による敵の殲滅に入る!
リリンドラ、伊沙奈さん、なるべく当たらないようにはするが、全てはカバーしきれない!申し訳ないが、ある程度は自分達で回避してくれ!!』
「了解! 十分よ、ありがとう! 伊沙奈さん、バブルガンを!」
「うン!」
伊沙奈がバブルガンを握り締める。
『合図を送ったら飛び出せ!!』
「「了解!」」
レギオンがバラバラに宙を舞う。
不規則に、けれども秩序と統率を持って飛び交いながら、それは空の極彩色を囲み込んでいく。レギオンを点と見るのならば、それらを繋ぎ合わせた先に出来上がるのは巨大な檻。そう理解した刹那、それらが動きを止める。
『一斉射撃まで、残り5秒……』
クラウスの声。
高らかに発せられるは、カウントダウン。
3、
2、
1、
『———飛べ!!!!!!!』
刹那、雲が割れた。
その名を表す雨のような光線を放つのは決戦気象兵器「レイン」。
降り注ぐ光線の隙間を縫うように、そして一匹たりとも逃すまいとレギオンがミサイルを撃ち放ち、鉄格子無き空中の檻を作り上げる。そうして次々と塵と化す極彩色の光の雨の中、咆哮上げた黒竜が飛び立った。その背には、片手で銃を構えた少年。
「海ニはイル直前に、撃つネ!」
「了解よ! しっかり掴まってて!! このまま一直線に飛び込むわ!!!」
「ワかッタ!!」
くるくると空を旋回しながら急降下する黒竜。
その鼻先が海面に触れる直前、二発の泡が二人を包み込む。
派手な水飛沫が上がった。地表に穴を空けるドリルのような回転を続けながら、黒竜は海底へと突き進む。
———リュウトさん、クーちゃん……待ってて!
ぽっかりと空いた海底の闇の中。
少年は祈りを、願いを、固く握り締めた。
●黒い髪の女
———飛べ!!!!!!!
|レギオン《通信機器》を介さずとも、その凛とした声は海岸中に響き渡る。
「うおー、気合入ってるなぁクラウスさん!」
「っすね~、アチアチっすわ~」
「ふふー! そうだね、アチアチだね!!」
ぶおんっ、と、鈍く風を切る音に次いで、重たい破砕音が鳴り響く。
吹き飛ばされた怪異は、暴投されたボーリングのように様に別の怪異をも吹き飛ばし、その一切を塵へと変えていく。「負けていられないな」不敵な表情でシアニは笑う。「そーっすねぇ」なんていつもの調子で口元を緩めるヨシマサも、重火器を手足の様に操りながら敵を撃ち抜く。二人の会話はまるで日常の一コマの様に穏やかなものなのに、その行動は死と隣り合わせの戦士そのもので。傷付き疲弊を露にし始めたその身で、そのような会話を続けている事に、二人は奇妙な可笑しさを覚えずにはいられない。
「だいぶ数は減って来たっぽいっすけど、観光客の避難の方はどうなんでしょ?」
「うーんと、ちょっと待ってて! ミニドラゴンちゃんに聞いてみる!!」
シアニが言葉を念じれば、返答にと様々な声が、映像が、音楽にも似た雑音が一斉に送られてくる。留まる事無く、そして情けも容赦もなく送られてくるそれらに、シアニは苦い苦い笑みを浮かべる。何度やってもこの感じはちょっと苦手だ。頭の中へ無遠慮に投げ付けられる膨大な情報の中から必要なものを探しつつ、敵を迎撃する為に体も動かさねばならない。一見、ただただミニドラゴンに指示を出しているようで、その実、思考も五感も行動の全てがバラバラにされると言っていいこのマルチタスク、傍目からは想像もつかない負担が掛かっているのもまた事実で。
不意にずきり、と、頭が痛みを訴えた。このまま念じ続けるのは危険だ。脳味噌の許容量を超える情報に頭がオーバーヒートしてしまう。携帯の画像フォルダをフリックするように、次々と映像を切り替えて、無遠慮に送られてくる映像群から情報を探す。クラウスが海上の敵を殲滅してくれているおかげで、海岸周辺の敵はだいぶ数を減らしているらしい。映像の中、疲労困憊の彼が肩を揺らしつつも、懸命に獲物を振るい、レギオンを操り続けている。その側では、カレンがさりげなく彼へ向かう敵を打ち倒しつつも、観光客の避難の為に駆け回っている。ひとり、小さな女の子を見付けたらしい。泣いているその子を抱えたカレンが、こちらへと駆け出したところで映像を切り替える、切り替えて、切り替えて、また、切り替えて。
「うぎぃ……っ!!」
「っと! 大丈夫っすか~?」
「う、うん! 大丈夫! 今ね、カレンさんが女の子を保護したみたい。多分だけど、観光客はその子で最後だよ。他に人影はなかったと思う」
「りょーかいっす~」
言いつつ、懐へと飛び込んで来た怪異を蹴り飛ばす。
だいぶその数は減った、とはいえ、まだまだ油断ならない隊群である事には違いない。
念じるのを止めたシアニも、すぐさま攻撃の態勢へと転じる。
「うー、通信機器がないってやっぱりちょっと不便だね。ミニドラゴンちゃんだと、伝えたい言葉は受け取れても、それを相手に伝える為にあたしが翻訳しないと難しいし」
「そっすね。流石にドラゴンの言葉はわかんないっすわ」
刹那、海の家の方から悲鳴が聞こえた。
屋根に体当たりした怪異によって、その一部が崩れたらしい。すぐさまミニドラゴンがそれを迎撃し、崩れたそこを修繕しようとする漁師たちを援護する。怪我を負ったものがいないか、再度映像を確認するシアニに、ヨシマサはにっと歯を見せた。
「ま、でも、レギオンじゃ怪我は治せませんし~。ケーズバイケース? あ~、適材適所っていうんすかね。そういう感じで、出来る事をやればいいと思いますよ。ボクも機械は強い方ですけど、戦闘スタイルって言うのかな~、そういうのが合わないから、レギオンみたいなのはあんま使わないですし」
「そっか、うん、そうだね! ありがとうヨシマサさん!」
「どういたしまして?」
互いにニッと歯を見せて、笑いながら笑みのを揮う。
使えたら便利だとは思うんすけどね~。特攻上等。命を投げ捨てている訳じゃないけれども、それでも最前線で重火器をぶっ放す方が性に合っているのだから仕方がない。適材適所、適材適所。そんな事を思いつつ、迫り来る敵を光線でぶち抜く。
この辺がちょっと落ち着いたらクラウスさんの手伝いにでも行こうかな。カレンがこっちに向かっていると言っていたし、彼女と入れ替わりで海岸に向かってもいいかもしれない。そんな風に思考を巡らせ、敵の姿を探して視線を巡らせた時だった。
「お?」
村と砂浜との境界とでも言おうか。
岩場にも程近い場所、比較的敵の数の少ない場所にひとり、人の姿がある。
黒い髪を潮風に靡かせた、美しい女———
「ヨシマサさん?! どうしたの?!! どこ行くの?!!」
「ちょーっと人の姿を発見したんで行ってきまーすっ!」
「え? ええええええええ?! いってらっしゃーい?!」
シアニの困惑した声に思わず苦笑を零しつつ、ヨシマサは駆け出す足を止める事はしない。
もしかしたら、という想像が、漠然とした確信を帯びて頭を巡る。
想像?いや、違う。これは予感だ。外れる事のない予感。
一歩、一歩とそれに近付く度に、どうしてだか胸が躍る感覚がする。
遠足前の子供のように期待に胸が膨らんでいく。
こんな時なのに、不謹慎だ。ああでも、きっと、絶対、楽しい事が待っている。そうに違いない。
「おーいおねーさん」
「あら……どなたでしょう?」
ゆっくりとこちらを見つめる女は、夜を体現するかのように前肢が真っ黒だった。
褐色の肌に長い黒髪。豊満な体を覆うのは、東洋の占い師のような丈が長く黒いドレスだ。体のラインに沿うデザインのせいか、露出を極力排除しているにも拘らず、一度見たら引き込まれてしまうような酷く妖艶な雰囲気と魅力が醸し出されている。黒い髪の女、と、称されるように、腰まで伸びた長く美しい烏の濡れ羽色の髪が、潮風に揺れていた。
ゆったりと、優雅に微笑む彼女にヨシマサも笑みを返す。
「こんな時にこんなところにひとりとか、危ないっすよ? 大丈夫っすか? 怪我は……ないみたいっすね」
「ええ、大丈夫です。ご心配をおかけしてしまったみたいですね、すみません。ありがとうございます」
「いえいえ~。おねーさん、観光客の方っすか? まだここ危険なんで、とりあえずあっちの海の家に避難してもらっていいです?」
「あら、そうでしたか……でしたら心配はご無用です。私、強いので」
「へぇ……そうすか……」
この混乱の真っ只中にあって尚、やわらかく微笑む女の存在は異質だった。
狂気と恐怖で我を失った人のそれとは違う。至って普通に、散歩がてら公園の花でも見るかのような優雅さと平静を持ってその女はそこにいるのである。この女はおかしい。と、ヨシマサが違和感を覚えると同時に、星詠みの声が蘇る。
———黒い、髪の女
「ねぇおねーさん? ちょーっと個人的なお話で申し訳ないんすけど、いいっすか?」
「なんでしょう。私で答えられる事なら何でも……」
「ありがとうございます、それじゃあですねぇ」
いつもの表情を崩さぬまま、銃口を女に向ける。
「……おねーさん、|星詠み《クルス》さんの言ってた、黒い髪の女じゃないっすか?」
「|星詠み《クルス》……」
その名を口にした瞬間、女が花のような笑みを零す。
可笑しそうに肩を揺らし、頬を赤らめ、呟くようにその人を呼んで、そうして、
「そうだと言えば?」
「あー、そうっすねぇ
……排除します」
言葉を発するのと、引き金を引くのは同時だった。
目の前で激しい閃光が弾ける。爆音に鼓膜が揺れる。目の前を覆う光と砂煙で気配を見失わないよう、全身の感覚を研ぎ澄ませ、じりじりと後退する。重火器は距離が命だ。今の一撃で倒れてくれていればいいけれども、そうでない場合には多少の距離が欲しい。
まあ、この至近距離で当たってたら、倒れなくても大ダメージは確実だと思うんすけどね。
いつもならそう安心して慢心出来るのに、どうしてだか、今はその感情が沸かない。口元の笑みが消える。頬を流れる汗は、この、何処からともなく与えられる巨大なプレッシャーのせいだろうか。好奇心と胸のわくわくのまま、悪戯に接近したのは少し失敗だったかもしれない。周囲を用心深くみやりながら、ヨシマサは再度銃を構える。
と、
「っ!?」
頭の中で、イメージが過った。
体を腰で真っ二つにされた瞬間の、そんなイメージ。
一瞬、灼熱の刃で引き裂かれたような熱を覚える。刹那、激痛が全身に巡る。平衡感覚を失ったからだが、勢いよく後ろへと弾き飛んだ。ピンボールの球にでもなった気分だ。岩場に叩き付けられたそれがその勢いのままに地面に倒れ伏す。声を上げる間もなかった。否、声を上げる事すら忘れてしまった。突然猛スピードで突っ込んだ10tトラックに轢かれたとでも言えばいいのだろうか。一瞬にして全身の骨が砕け、内臓が押し潰されたような衝撃に、脳が、感覚を受け入れる事を拒んだのだ。
どくどくと心臓の音がする。言葉を発しようとして、鼻と口から盛大に血液が噴き出す。ぐっと握り締めた掌には、壊れかけた重火器の感覚。呼吸ひとつ、身動ぎひとつするのも辛い。熱くて、痛くて、熱くて、熱くて。
「……|獲物《武器》で咄嗟に防御するなんて、あなた、なかなかにお強いのね」
「はは、っ……おねーさん、こそ、強いっす、ね……」
「痛み入りますわ」
その顔は、まるで容姿を褒められた少女だった。
花もはにかむ可憐な笑みを、穏やかな笑みを浮かべたまま、女はゆっくりとヨシマサへと歩み寄る。倒れ伏しながら、苦し紛れに放った光線は女の指先でふんわりと、春風に撫でられたように掻き消された。ちょ、強いっていうか、次元が違いません?この人。一歩、一歩と女が近付く度に、心臓が嫌な音を立てて暴れ出す。真綿で首を締めあげられるような息苦しさに呼吸が荒ぐ。駄目だ、駄目だ、ノイズ交じりの映像が頭に走る。薄ぼんやりと見えるイメージは、駄目だ、駄目だ、理解してはいけない。生物としての本能が、この女の存在を拒む。
ヤベェ、これは、死ぬ———
恐怖が全身を舐め上げる、なのにどうしてだか、口の端が釣り上がる。
恐怖?狂気?愉悦?歓喜?興奮?感情の詳細はわからない。
けれどもこの胸の高ぶりは本物で、にぃっと浮かべた笑みは紛れもなく心の底からで。
嗚呼、
「……あなたは、|壊れた愛で遊ぶ人《愛を知らない子供》なのですね」
圧倒的強者に蹂躙される弱者とは、
意識もされぬまま、踏み潰される虫の心境とは、こんなものなのだろうか。
「おやすみなさい、可愛い子———あなたが愛を知るその時まで」
女が手を翳す。薄ぼんやりだったイメージが鮮明になる。
あまりにもやわらかい光、優しい光が、女の手から生み出されていく。ぞくぞくと背を撫でる寒気にも快感にも似たこの感覚に、見開いたままの目が、歪んだままの唇が、また笑みを作る。決して、蛇に睨まれた蛙ではない。迫り来る『死』に目を背ける事も無く、ただただそれを受け入れるかの如く、ヨシマサは、女を見上げたまま動かない。
ああ、死ぬ、死ぬ、死ぬ
でも、これは、なんて、幸福な、|死《オワリ》——————
「おや、」
「っう!! なんて、重さ……!!!」
目の前で太陽の色が揺れた。遅れて声が、鈍い衝突音が耳に届く。
死は、訪れなかった。代わりにやって来たのは現実で。ヨシマサの目の前、両手を交差させたカレンが、鋭く巨大な光の爪、女の一撃を受け止めている。表情は伺えない。けれども、カレンの細くしなやかな体は固く強張り、巨大な鉄の塊でも持ち上げているが如く小刻みに震えている。ふっとひとつ息を吐くだけで弾き飛ばされる。そんな、瀬戸際で耐えるカレンの背をぼんやりと眺めていれば、
「ヨシマサさん、っ! 大丈、夫?! 動ける?!!」
「ぁ、」
声が、現実が、ストン、と、落っこちて来た。
口を動かす。肯定の意を返せているかはわからない。だから、体を動かす。体のあちこちに痛みが走って、ああ、ここは現実だ、確かに現実なんだと告げてくる。一歩、踏み出そうとして、足の感覚が酷く朧気な事に気が付いた。多分、折れている。あばらもきっと、何本か逝っているのだろう。骨が内臓に刺さっていないといいけれども。一歩踏みしめる度に走る激痛に眉を寄せ、それでも尚、ヨシマサは口の端を吊り上げて笑う。こんな状況下にあって、楽しい。なんて感情が浮かぶ自分は、確かに、嗚呼、|壊れた愛で遊ぶ人《愛を知らない子供》なのかもしれない———。
一歩、二歩、距離を取る。壊れかけた重火器を構える。その気配を察知したカレンが、女の詰めを受け止めたまま大きく膝からしゃがみ込み、そのまま高く飛び上がるかの動作で女の腕を弾き飛ばした。「っ!」反動で背を仰け反らせ、あわやそのまま転倒しそうなところを何とか耐えると、体勢を立て直し、カレンは目の前を睨む。
「急にどこかに行っちゃったって、シアニさんが心配してたわよ。もう、ひとりで無茶な事するんだから!!」
「うーん、それは……はい、いろいろ申し訳ないっす」
「気を付けてくださいねー?」
「ははは、はーい、すみませーん」
和やかな言葉を発しながらも、その声はぴんと張り詰め、僅か、強張っている。
鋭い眼光を、銃口を向けられても尚、女は何事も無かったかのようにそこにいた。
優雅な笑みを湛えたまま、このままゆるりと街を散歩するような雰囲気でもって二人を眺めている。
「あなた……|星詠み《クルス》の言っていた黒い髪の女ね。随分と余裕じゃない。高みの見物でも決め込みに来たってわけ?」
「高みの見物なんて、そのような事は決して———私はただ、物語の結末を見届けたいだけですよ」
「物語の結末……? 何を言ってるの?! あなた、自分が何をしたか理解してる?! この現状を見なさいよ! 全てあなたのせいでしょう?!!」
「いいえ」
女は穏やかな笑みを浮かべたまま、ゆったりと首を振る。
「私は|恋する鯨《人魚姫》の願いを叶えてあげただけ……これはあの子の願い、あの子の望み。この極彩色の|感情達《怪異達》は、あの子の想いが具現化した存在そのもの。あの子は彼を愛し、この村を愛している。全てを腹に収めてしまいたいほどに」
「ふざけないで!!!」
微笑みを崩さぬ女に、カレンは拳を振りかざす。
食いしばった歯で怒りを噛み殺し、踏み込んだ勢いと上体を捻った反動のままに放たれたそれは、音を置き去りに、衝撃波すら生み出す渾身の一撃だ。軽やかにそれをかわした女の黒髪が数本、ひらひらと宙に舞う。間髪入れずにカレンは声を上げ、その黒鉄の拳を、全身を振るい攻撃を続ける。
「何が! |恋する鯨《人魚姫》の願いよ! 望みよ! この怪異生み出しているのがその子だとしても、生み出す力を与えたのは間違いなくあなたよ!! あなたが何もしなければこんな事にはならなかった……! 自分のした事をさも他人の為なんて言って責任転換しないでよ!!!」
許さない!逃がさない!!
———|決死戦《デッド・オア・アライブ》
牽制代わりに弾丸を撃ち放つ。
当たらなくたって構わない。元よりこれは目晦ましの役割も兼ねているのだから。
光の泡となって霧散した弾丸、その泡の軌跡が女の視界を奪う。怯む事無く飛び込んで、掌から放つのは、黒き信念の鎖———
「なっ?!」
それが女の体を縛り上げた直後、ぱりんと音を立てて砕け散る。
踏み込もうとした一歩を寸前で留まれば、目の前の地面が派手な音を立てて砕け散る。同時に大砲のような衝撃と瓦礫群がカレンを襲った。身を守る為に、両手を交差させれば、砂煙の向こうで女が長く巨大な光の爪を振りかざし、笑っている。
「あなたは、酷い事を仰るのね」
「っ?!」
一瞬だった。目の前には、女の顔。
考えるよりも早く、戦場の経験が、生存本能が、カレンの体を大きく一歩、後ろへと動かす。音もなく、今度は空が裂かれた。その余韻で裂かれた髪がひらひらと舞い、片方の頬が大きく裂ける。痛みに顔を歪めながら、身構える。
此処で、逃げては駄目だ。女を見失ってはいけない。ここで、後ろを見せた瞬間、死ぬ。
「今のを交わすなんて……なかなかにお強いのですね」
「……どーも」
微笑みを絶やさぬ女に、カレンはくっと唇を歪める。
強いなんて、冗談はやめて欲しい。さっきからこっちは、異次元の化け物を相手にしているような酷いプレッシャーに押し潰されそうだというのに。
爪を揮う女に、カレンは防御姿勢を崩さぬようにしながら、攻撃を再開する。
踏み込むな、踏み込み過ぎるな。安い挑発にも乗ってはいけない。
拳が空を切る。重たい一撃を受け止める度に、体が悲鳴を上げる。
「ッ! こんな力があるなら、最初からあんたが戦いなさいよ!! 何をしたかは知らないけど、でも、平穏に暮らす人々を巻き込まないで!!!」
「私はただ、物語を見たいだけ、それだけなのですが……」
「うるさい! なにがっ! 物語よ!!」
渾身の一撃を振りかざす。
女の胴を捉えたそれは、けれどもあの光の爪によっていとも簡単に弾かれる。
「っ!! あんたが関わらなければ、こんな惨事が起こる事なんてなかったはずよ!! 物語が、っ、見たいのなら、本でも読んで大人しくしてればいいじゃない!! もう一度言うわ、平穏に暮らす人々を巻き込まないで!!」
「ならばあなたは、叶わぬ恋を抱えたまま嘆き悲しむ少女を放っておくのですか? 絶望の淵にいるものを放って、見て見ぬふりをするとでも?」
「っ! そ、そんな事は言ってない!! もっと、別の方法で……!!」
「そう……あなたはまだ、恋を知らないのですね」
「は? はぁぁぁっ?!!!」
あまりにも予想だにしない一言に、カレンが大きく目を見開く。
女がふっと口元を緩めた。気が付けば、彼女はカレンの目の前、鼻先同士がくっつきそうな距離にまで近付いている。するり、と、頬を撫でられた瞬間、噎せ返るような、甘い甘い花の匂いがした。胸を焼いて、脳を溶かして、くらくらと、骨まで抜かれてしまうような、甘い甘い毒の匂い。一瞬、くらりと意識が揺れた。霞んだ視界で女が笑った瞬間、本能が恐怖を、けたたましい危険信号を訴える。
「お嬢さん」
「な、によ……!!」
「鯨と人間と、種族も住む世界も何もかもが違う存在に恋をしてしまう|愚かさ《愛しさ》を、あなたは理解出来ますか?」
「理解……?」
「|恋する鯨《人魚姫》を救う為に、別の方法等ありません。
都合のいい言葉も魔法も、所詮は都合のいい夢しか見せないまやかしに過ぎない。
実る事も気付かれる事も無く枯れゆく憐れな恋。その何と愛おしい事か。
それは、口にしてはいけない禁断の果実を口にした愚か者のように、してはならないと、内に秘め、諦める他ないとわかっていても尚、止める事等出来ないもの。一度でも狂おしい程の愛を、その胸に芽吹かせてしまえば最後、芽吹いた愛に狂い、煉獄の感情に身を焼かれ、恋に焦がされ、もがき、苦しみ、嘆く他ない。
恋を知らぬあなたは、そんな想いというものをまだ知らないのでしょうね」
「っ、だ、だから、なんだって言うのよ!」
危険信号は鳴り響いたまま、再びカレンの拳が空を切る。
バク宙の要領で後ろに大きく移動した女を逃すまいと、ヨシマサの銃口が立て続けに光線を撃ち放つ。「ちぇ」と、小さな呟きが零れた。当たらない、どんなに照準を合わせても、着弾地点を予測しても、逃げ場も無く打ち放とうとも春風のように掻き消され、女にはかすり傷ひとつも負わせる事が出来ない。円舞曲のフィニッシュのような優雅さで地面に足を着けると、彼女はやはり穏やかな微笑みを浮かべたまま、二人をそっと見つめる。
「恋を知らない子供達、あなた達には、愛に狂った者の想いをとどめる事は出来ても、救う事は出来ませんわ」
「救い、って……」
カレンが言葉を続けようと口を開いた瞬間、沖合の方で巨大な水柱が生まれた。
派手な飛沫を上げ、水柱の中から黒竜が飛び出してくる。その背には2人の少年の姿もあった。
「……ああ、そう、ですか」
旋回し、海岸へと舵を切った黒竜を見、女は呟く。
一瞬、酷く愁いを帯びた目が悲しそうに細められ、そして次の瞬間、なにもかもに興味を失ったかのように表情を失くして、二人に静かに背を向ける。
「待ちなさい!!」
「勝ち逃げは、卑怯っすよ!!」
カレンが拳銃を打ち鳴らす。黒鉄の鎖を発する。
ヨシマサもありったけの出力で光線を撃ち出す。
響く爆音に、爆発に、舞う砂煙。けれどもその中に手応えはない。
人影が静かに振り返る。こちらを向いて微笑みを浮かべた女は、そのまま、砂煙と共に消えた。
●不穏な影
ふーふーと肩で息をする。
目に見えて敵の数は減った。
あと少しで、ここはまた平穏を取り戻せるのだろう。
光の雨を降らせ、檻を作り、敵を殲滅し続けるクラウス。
ミニドラゴンを操り、海の家を懸命に守護するシアニ。
二人の口元に、同時に笑みが浮かぶ。もう少しだ———
その希望を表すかのように、海から巨大な水柱が上がった。
派手な水飛沫を巻き散らしながら顕現した黒竜は、間違いなくリリンドラその人で。
帰還を示すかのように高らかな咆哮を上げながら、彼女は|光《プラズマ》の息吹を撃ち放つ。
「クラウスさん! リュウトさんは救出したわ! このまま空から海上の敵を殲滅する!!」
「タ分、もう敵ハ生まレナイ……だカら、こノマま」
『了解!!』
伊沙奈の言葉になにか含みのような小さな違和感を覚えつつ、今はそれを聞くべきでないとクラウスはレギオンに指示を出す。リリンドラと共に海上を殲滅する期待を数体残して、残りを海岸へと帰還させる。浜辺一帯の敵の殲滅と、そして仲間達の通信手段の為だ。あの海の家のそばまでそれを飛ばせば、入り口付近で忙しなくミニドラゴンに指示を出すシアニの姿を見付けた。彼女の側には、シアニを守る様に拳を構えるカレンと、そしてぐったりと意識を失っているヨシマサの姿がある。出血を伴うような目立った外傷はないものの、全身に酷い打撲痕があり、片足が不自然な方向に曲がっている。激しく喀血したのだろう。鼻と口の周辺には血液がこびりついていた。ひゅー、ひゅー、と、今にも消えそうな息遣いが痛々しい。
「ヨシマサ?! どうした?! なにがあった?!!」
『あっ、クラウスさん!!』
シアニの鳴き出しそうな声が、瞳が、レギオン越しに伺える。
あのね、えっとね、と、ミニドラゴンを操りながら口をまごつかせるシアニの頭を、ぽん、ぽん、カレンが優しく撫でた。
『私が説明するわ。シアニさんは治療に専念して』
『う、うん、ありがとう……』
シアニが片手で涙を拭う姿が見えた。
あたしも一緒に行っていれば、という彼女の小さな呟きをかき消すように、こほんとひとつ、カレンが咳払う。
『端的に言えば、黒い髪の女に会った。ヨシマサさんの怪我は、その女にやられたものよ』
「っ?! 黒い髪の女がいたのか?!」
『ええ、逃げられてしまったけどね。少しだけ話は出来たわ。直接事件を解決出来るような有益な情報とは言い難いんだけども、彼女は物語を見届けるって、ただそれだけのためにこの場に留まっていたみたい』
「そうか……」
『ええ。|恋する鯨《人魚姫》に力を与えたとも言っていたけれど、結局それが何なのか、それを何とかする方法も何も聞き出せなかったの。ごめんなさい、大事な情報源だったのに』
「いや、いいさ。無事だったのならなによりだよ。とりあえず今は、残りの敵の殲滅に務めよう」
『ありがとう。そうね、もうひと踏ん張り、頑張りましょう!』
最後にぎこちない笑みを浮かべて、カレンはまた戦場へと舞い戻る。
ひゅんっと、風を切る音が聞こえた。目の前を過る鋭い牙に、小さな舌打ちをひとつ零してクラウスは獲物を振るった。会話に集中して、自分の身の守りがおざなりになっていた事を自覚する。まだ、ここは戦場だ。一寸たりとも油断してはならない。
敵を片付けつつ、じり、じり、海の家へと足を進める。海上はリリンドラと伊沙奈が奮闘してくれているおかげで、もう間もなくすれば敵の姿はなくなるだろう。彼らも馬鹿じゃない。完全の消耗しきる前には戻って来る。リュウトは———光の羽根に包まれて、今は眠っているみたいだ。リリンドラの能力だろうか。なにはともあれ無事でよかった。
ほっと息を吐こうとして、また空を切る音が聞こえてくる。
なんなくかわして獲物を振るえば、奇声を上げてそれが塵に変わった。
「黒い髪の女、か……」
何度か共闘して、ヨシマサの強さは知っている。ああ見えて頑丈な奴だ。ちょっとやそっとの怪我程度じゃへらへら笑ってやり過ごせる。なんなら、強敵や絶体絶命のピンチには嬉々として足を踏み入れ、自ら大怪我を負う男だ。そうなっても尚、しぶとくその場に立っているのが当り前。そのヨシマサが意識を失う程の大怪我を負っている。カレンも隠していたみたいだが、明らかに極彩色の敵のものとは思えない怪我を負っていた。ぎこちない笑顔に滲んでいたのは、明らかな疲労だ。彼女とも何度か共闘したから、その体力も知っている。砂浜を駆け回っただけの疲労では、ああはならないだろう。あの二人をここまで消耗させるなんて。
「一体、何者なんだ」
『クラウスさん、通信は繋げる?』
「ん? リリンドラか、繋げるよ。どうした?」
『少しね、気になる事を伝えておきたいの』
「気になるもの?」
『ええ、わたしじゃなくて伊沙奈さんがね。伊沙奈さん、海底の花畑、で、いいのかしら、アレ』
『ウン、いい、はズだよ……僕がミたもノトは、全く別モノだッたけド……』
「別物?」
『うん……』
言い淀む、というよりは、どう話そうか思案しているのが見て取れた。
時折苦しそうな咳を吐き出しつつ、伊沙奈は零すように話し出す。
———アレは花畑じゃない。おばけクジラだ、と。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴🔴 成功
第3章 ボス戦 『深骸の泡沫姫』

POW
深骸海獣の召喚
【深骸海獣】を召喚し、攻撃技「【噛み砕き】」か回復技「【自己犠牲】」、あるいは「敵との融合」を指示できる。融合された敵はダメージの代わりに行動力が低下し、0になると[深骸海獣]と共に消滅死亡する。
【深骸海獣】を召喚し、攻撃技「【噛み砕き】」か回復技「【自己犠牲】」、あるいは「敵との融合」を指示できる。融合された敵はダメージの代わりに行動力が低下し、0になると[深骸海獣]と共に消滅死亡する。
SPD
深骸への誘い
「【あなたも私と一緒になりましょう!】」と叫び、視界内の全対象を麻痺させ続ける。毎秒体力を消耗し、目を閉じると効果終了。再使用まで「前回の麻痺時間×2倍」の休息が必要。
「【あなたも私と一緒になりましょう!】」と叫び、視界内の全対象を麻痺させ続ける。毎秒体力を消耗し、目を閉じると効果終了。再使用まで「前回の麻痺時間×2倍」の休息が必要。
WIZ
深骸大海獣出現
インビジブルの群れ(どこにでもいる)に自身を喰わせ死亡すると、無敵獣【深骸大海獣】が出現する。攻撃・回復問わず外部からのあらゆる干渉を完全無効化し、自身が生前に指定した敵を【青白い熱怪光】で遠距離攻撃するが、動きは鈍い。
インビジブルの群れ(どこにでもいる)に自身を喰わせ死亡すると、無敵獣【深骸大海獣】が出現する。攻撃・回復問わず外部からのあらゆる干渉を完全無効化し、自身が生前に指定した敵を【青白い熱怪光】で遠距離攻撃するが、動きは鈍い。