嗤う星霜夜夢
湿り気を帯びた宵の風は生温くて、長い髪がいちいち頬に張り付くようで少し不快だった。肌に触れる髪を耳に掛ける際、黒猫が目の前を横切っていくのが見え、指が止まる。街灯の光を青く照り返す毛並みをした黒猫は、その金色の眼で雨夜・氷月を一瞥したが、すぐ興味はないといった風に顔を逸らして路地へと消えて行った。
前にも似たようなことがあったなと思い、暇を持て余していた氷月は猫のあとを追いかけるように路地へ滑り込む。
「……ん?」
常に陰鬱で薄暗く、梅雨のようにじとりとした空気感が漂う汎神に己はいたはずだ。それなのに氷月の眼前に広がる景色は、藍色から桃色へと変化する宵の空の下で、石畳にあたたかな色を投げかける灯籠と朱色の鳥居が連なる、からりとした細い路地であった。かすかに聞こえてくる話し声や笑い声も明るくて、活気がある。
「別の√に入った、ってことかな」
へえ、と楽しそうに双眸をゆるめた氷月は黒猫のことなぞ忘れ、ぞろりと着た羽織の裾を大きくなびかせながら鳥居をくぐってゆく。
黄昏時であったので鼻先を掠める匂いは食い物ばかりであったが、それも少し往くにつれて雨に濡れた花のような香りに変わっていった。雨など降ってもいないし、花も紫陽花ばかりでそれほど香るようなものでもないのに不思議なところだと思いながらも歩を進めていく。
「――どうしてこんな物が……」
このまま明るい表通りに出てしまおうか、と思ったときだった。
耳朶に触れた女の言葉に覚えがあり、歩みを止めた氷月が上体をのけ反らせるようにして脇に延びる路地裏を覗き込むと、数軒先で白い着物を着た女が立ち尽くしている横顔を見つけた。
「あれは……」
白い膚に白い髪。この宵の空みたいな色を閉じ込めた瞳の女を認めて、脳裏に少し前の出来事が蘇り――そこで氷月はピンと来た。
わざと足音と気配を消して女に近付くと、その背後に立ち、細い肩越しに声を掛ける。
「此処が物部の店?」
「ひぃっ!」
びくーっと両肩を小さく寄せて飛び上がった女――物部・真宵は胸の前で両手を抱き込むようにして振り返った。それから、へらりと笑う長身の男の顔を目にすると、それが見知った氷月であると分かるや否や全身の力が抜けてしまったらしい。店先を彩る青い紫陽花が植わった花壇のふちによろけながら腰かけた。
「あ、雨夜さんでしたか……すみません、びっくりしちゃって」
「いーよー」
氷月としてはわざと驚かせるつもりであったので、予想以上にイイ反応をしてくれたなぁとにやにやしてしまう。大きな窓ガラスからひょいと店内を覗き込んで「へー」「なんかイロイロあるんだね」と呼びかければ、彼女はちいさく笑ってみせた。
「けっこうふつうの|骨董屋《アンティークショップ》ですよ」
「ふぅん? あ、俺ちょうど探してる物があるんだよねー此処にないかな?」
真宵はぱちりと瞬きをひとつ。
「まぁ、そうでしたか。何をお探しで?」
「なんかイイ感じの武器って無い? 今使ってるやつがどうも馴染まないんだよね」
「武器……?」
問いかける言葉が少し呆けていたので「おや?」と思い氷月が彼女へと視線を落とすと、両目を真ん丸とさせた真宵が小さくハッとして、それから勢いよく立ち上がる。
「いま、武器っておっしゃいましたよね?」
ずずいと近付いて繰り返す真宵の勢いに、今度は氷月が目を丸くする。
「おー? うんうん。武器。なんかある感じ?」
「それならこちら、差し上げます!」
そう言って、彼女が両手を広げて示したのは、花壇の目の前にドンと置かれた大きな物体。かぶせられていた黒い布を一気に引き抜いた真宵は、その布で自分を隠すように身構えながら、氷月を仰ぐ。
「ついさっき持ち込まれたものなんですけど、困ってたんですよぉ……」
それは連装式の白い大型ガトリングガンであった。複数の銃身は白金色に輝き、フレームの細部には花の模様が彫られていて、大きさのわりにはどこか武骨さに欠けているように思われた。だが、聞けばどこぞの貴族が特別に作らせたもので、金はたっぷりと掛けているから武器としての性能は問題ないらしい。
「そして、こちらが……」
言葉を呑み込んだ真宵が、小さなトランクケースを持ち上げたかと思うと氷月によく見えるように開いてみせた。そこに並べられているのは注射器だった。しかもすでに何かが注入されており、それはちょうど日が暮れ始めた刻限の空みたいな宵色をしていた。ちかちかと明滅する何かは、月と星が瞬いているように見える。
「キレイな色してるじゃん」
「……これ、怪異の肉片から抽出された毒薬だそうです」
なるほど、どこか泣きそうな顔をしているのはこの毒薬のせいか、とすぐにピンと来た氷月はトランクケースをあえて受け取らず、まじまじと見るふりをしながら説明を続けさせた。
「これを装填して射出するらしいんですが……あら?」
恐々とトランクケースを覗き込んだ真宵は、注入された毒薬を目にして瞠目する。
「これ……色が変わってます。わたしが最初に見たときは、真っ青な液体の中で白い光が浮かんでたんですよ。それなのに……」
宵の空のような色をしている。
そろりと視線を重ねた二人は同時に空を仰ぎ、それから再び注射器を見る。
「もしかして、時間帯で色が変わる……?」
「かも、しれません」
「ふぅん」
注射器を一本手に取って、仔細を眺めるようにまじまじ見る。そんな氷月の様子を、どこか引き気味に見ていた真宵に気付き、にこーっと笑った氷月は、ちょっと驚かせてやろうかと悪戯心が擽られたものの、カワイソウなのでやめておいた。
「物部の店って他に何取り扱ってるの? ……って聞きたいところだけど、この後用事があるんだよねえ」
注射器をトランクケースに戻して閉じると、人差し指で留め具を弾く。大きくて重厚なガトリングガンをひょいと軽々肩に担ぎ、真宵からトランクケースを引き抜いた氷月は、そのまま歩き出したかと思うと頸だけで振り返る。
「次は時間がある時に遊びに来るよ。またねー」
へらりと笑った氷月は、呆気に取られた真宵をひとり残し路地の奥へと消えて行った――。
*
「|星霜夜夢《リベラメンテ》」
刻限により色を変えるその毒薬は廻れば覚めぬ悪夢となり、その身を蝕み喰らい尽くす
元武器:シリンジシューター
時に優しく、時に残酷に訪れる「夢」をモチーフにご提案をさせて頂きました。
空をイメージして変化する色合いの毒薬ですが、使用される氷月さんの心に共鳴して色が変化しても面白いかなと思います。
ルビの「リベラメンテ」は「自由に」という意味を持つイタリア語です。
名前・説明ともに改変もご自由にしてください。また無理に作成されなくても構いませんので、新武器を作成する手助けになればと思います。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴 成功