神と彼女の第二章
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取調室を思わせる殺風景な部屋がモニターに映し出されていた。部屋の中央にはスチール机が置かれ、病衣姿の少女がその前に座っている。
「彼女は本当に“あちらがわ”からの漂着者なんですか?」
「保護した状況から判断する限り、その可能性が高い。しかし、出身は“こちらがわ”だ」
モニターの中の少女を見つめているのは二人の男。両者ともに白衣を着ており、一人は眼鏡をかけている。
「間違いないんですか?」
と、眼鏡をかけた男――|城戸《きど》が念を押した。
「ああ」
と、もう一人の男――|叶《かのう》が頷いた。
「既に身元は判明している。名前は|燔《ひもろぎ》・|晴乃《はるの》。京都在住の学生だが、三週間ほど前から失踪していたらしい」
「長くとも三週間は異界で生き抜いたというわけですね。たいしたものだ」
「注目すべき点は他にもあるぞ。あの少女には――」
叶は意味ありげに声を潜めた。
「――名前がない」
「え? さっき、『燔・晴乃』と言ったじゃありませんか」
「言ったとも。しかし、彼女にとって、その名前は無いも同然なんだ」
●カウンセリング 第一回
叶「一連のやりとりを記録するけど、このレコーダーのことは意識しないでいいよ。身構えず、リラックスして、普通にお話しよう。ね?」
X「はい」
叶「まずは自己紹介から。僕は叶・|剣一郎《けんいちろう》。剣一郎の『けん』は健康の『健』でも賢明の『賢』でもなくて、『|剣《つるぎ》』なんだ。かっこいいだろう?」
X「叶さんはお医者さんなんですか?」
叶「まあ、そんなところかな。だけど、君は病人でも怪我人でもない。言ってみれば……そう、迷子のようなものだ。だから、僕の役目は君を治すことじゃない。正しい場所に導くことなんだ」
X「正しい場所って、どこなんやろう?」
叶「それはまだ僕にも判らない。二人で探っていこう。焦らず、ゆっくりとね」
X「……あれ?」
叶「どうかした?」
X「今、なんかヘンな音がしませんでした?」
叶「いや、聞こえなかったけど」
X「空耳かな……」
叶「緊張のせいかもしれないね。最初に言ったようにリラックスして」
X「はい」(深呼吸の音)
叶「さて、迷子になってるこの状況を改めて確認しよう」
X「はい」
叶「君には名前がある。でも、その名前を自分のものとして認識できない。そして、他者から名前で呼びかけられると、コミュニケーションに齟齬が生じる。そうだよね?」
X「はい」
叶「ちょっと試してみよう。ご機嫌いかが、|晴乃《はるの》さん?」
X「■■■■■」
叶「うーむ。これは『齟齬』なんてレベルじゃないな」
X「うち、今なにを言うんたんやろ? 自分でも判らへん……」
叶「僕にも判らなかったよ」
X「あ?」
叶「ん?」
X「また、ヘンな音か聞こえたような……やっぱり、空耳なんかな?」
叶「疲れてるのかもしれないね。今日はここまでにしておこう」
●
|連邦怪異収容局《FBPC》は米国の組織だが、日本各地に密かに出先機関を置いている。
燔・晴乃を保護した『|劔菱《けんびし》メンタルクリニック』なる施設もそれらのうちの一つだ。
「マズいことになりましたよ」
デスクルームに入ってくるなり、城戸が重苦しい声でスタッフたちに告げた。
「本局が再調査したところ、あの少女は|敷島《しきしま》流古神道宗家の関係者だそうです」
「それはあり得ないだろう!」
と、強い調子で否定したのは、三回目のカウンセリングを終えたばかりの叶である。
「そんな大物だったら、最初に身元を調査した時点で判っているはずだ」
「経歴が改竄されていたんですよ。それに家系もね。おそらく、敷島家が手を回したのでしょう」
「なんのために?」
「敷島家の意図など判りません。なんにせよ、彼女の扱いはもう少し慎重にしたほうがいいですね」
「今でも十二分に慎重だ」
叶は渋い顔で言い捨てた。
●カウンセリング 第四回
叶「どう? だいぶ慣れてきた?」
X「叶さんと話すのは慣れてきたけど……」
叶「けど?」
X「例のヘンな音がまだ聞こえるんです。今も聞こえました」
叶「ふむ……ストレス性の幻聴かな?」
X「そ、それは|違《ちゃ》うと思います! うちは叶さんにストレスなんか感じてません! むしろ、色々と話すことで、めっちゃ楽になってます! ホンマですよ?」
叶「そう言ってもらえると、僕としても嬉しいな。とはいえ、どんなに楽になろうと、名前を介してコミュニケーションできないのは不便だよね」
X「はい」
叶「そこで考えてみたんだ。当座の解決策でしかないけれど、ペルソナを作ってみてはどうだろう?」
X「ぺるそな?」
叶「そう。『晴乃』とは違う名前を……」
X「■■■■■」
叶「おっと、失礼。本名とは違う名前を持った第二の君を生み出すんだ。べつにクローンだの影武者だのという話じゃないよ。ざっくり言うと、『もう一人の自分』を演じるということ」
X「うち、演技とか苦手なんやけど……」
叶「そんなに難しく考えなくていい。本来の自分とまったく違う存在を演じる必要はないんだ。むしろ、本質的には同じ存在であることが望ましいね」
X「自分と同じものを演じることに意味があるんですか?」
叶「あるとも。『もう一人の自分』という鎧を着ているところをイメージしてごらん。あるいは『もう一人の自分』という人形を操っているイメージでもいい。他者が放った言葉をその鎧や人形は受け止めてくれるんだよ。君の代わりにね」
X「そやけど……あ?」
叶「どうしたの?」
X「また、あの音が聞こえました」
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「それは決定事項なのか?」
叶が確認した。
「はい。決定事項です」
城戸が無念そうに答えた。
そして、本局からの通達を繰り返した。
「あの少女を汎神解剖機関に引き渡すことになりました」
「取引というわけか……代わりに連邦怪異収容局が受け取るものはなんだ?」
「判りません。それを知ることができるのはリンドー・スミス氏クラスの上級局員だけでしょう。おそらく、それの恩恵を得ることができるのも……」
「引き渡すのはいつ頃になる?」
「一週間後です」
「一週間か……」
叶は暫し考え込んだ後、知の探求者としての決意を口にした。
「じゃあ、その間に有益なデータを搾り取れるだけ搾り取ってやろうじゃないか」
●カウンセリング 第七回
叶「ペルソナの設定が良い感じに固まってきたね。そろそろ、名前をつけようか」
X「はい。実を言うと、名前はもう考え済みなんです。前々回のカウンセリングの後で思いついたんやけど……」
叶「なんて名前?」
X「『水垣・シズク』です」
叶「素敵な名前だね。由来を教えてもらってもいいかな?」
?「『悶絶ノ果テニ死ヌノハタダ一度ノミ』ト言ッタノダ」
叶「え!? ……い、今、なんて言ったの?」
?「待テヌ。処断ハ決定シ、処刑ハ決行サレタ。シカシ、汝ハ幸運デアル。本来ナラバ、ソノ罪ハ万死ニ値スルガ、定命ノ人間ユエ、悶絶ノ果テニ死ヌノハタダ一度ノミ」
叶「いや、ちょっと待って……」
?「己ガ罪ヲ知レ。コノ娘ハ人間トシテノ名ヲ失イ、巫女トシテ完全ニ純化サレタ存在。謂ワバ、触レタモノ全テヲ断チ切ル清冽ニシテ凄烈ナ抜キ身ノ神剣。ニモカカワラズ、汝はソノ研ギ澄マサレタ刀身ヲ『ぺるそな』ナル鞘ヘ封ジテシマッタノダ」
叶「……いったい、なにを言ってるんだ?」
?「我ハ未来カラ過去ヘト逆行シツツ、罪深キ汝ニ語リカケテイル。最後ニ告ゲルベキ言葉ハ最初ニ告ゲタ」
叶「は?」
?「死ネ」
叶「■■■■■」
X「叶さん! 叶さん! どうしはったんですか!?」
叶「■■■■■■■■■■■■■■■」
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「叶君が体調を崩して長期療養に入ってしまったから、今日からは僕が君のサポートをすることになりました。よろしく」
机の向こうに座っている少女に対して、城戸は笑顔を見せた。
自然な笑みとは言えない。どうしても顔が強張ってしまう。
昨日、この部屋で叶は狂死した。
空っぽの眼窩から血を流しながら。
眼窩に収まっていたものを握りしめながら。
しかし、彼の無惨な最期を目の当たりにしたはずの少女は――
「はい。よろしく」
――なにごともなかったかのように笑顔を浮かべている。
城戸のそれとは違って、とても自然な笑みだ。
昨日のことは覚えてないらしい。
●カウンセリング 第九回
久保田「よ、よろしく……わ、私は久保田だ……」
シズク「城戸さんはどうしたんですか?」
久保田「彼は……その……体調を崩してね」
シズク「そうですか。お大事にって伝えておいてください。叶さんにもね」
久保田「あ、ああ……伝えておくよ」
シズク「……あれ?」
久保田「どうかした?」
シズク「今、なにかヘンな音がしませんでした?」
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