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Whimsical

#√EDEN #ノベル #梅雨企画「雨音」

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 風はいつも気紛れで、急に吹き荒れることもある。シンシア・ウォーカー(放浪淑女・h01919)はそれを良く知っていた。
 ここは√EDENのどこか。家々の灯りはとうに消え、人っ子一人見当たらない路地裏を風の向くまま、気の向くままに歩いていた。雨が降り出しそうな生暖かい空気と突然の風。それに合わせて、夜道には控えめな靴音が響く。片手には、つい今しがた購入したばかりの透明なビニール傘を相棒に、今日の宿はどこにしよう。それとももう少し冒険でもしてみようか。そんな思考を巡らせながら歩いていたシンシアの目に、柔らかい橙色の灯りが留まった。
「こんな所にお店が……?」
 おおよそ店には見えない掘っ建て小屋の入り口には注意書きが書かれている。
『梅雨の期間にだけ開きます。』
『雨音の邪魔はしないように。お喋りは禁止です。』
 その注意書きを見た途端、鼓動が跳ね、常日頃の落ち着いた表情から、ほんの僅かではあるが好奇心を隠さない少女の顔へと変化した。瞳はきらきらと控えめに煌き、面白そうだと言わんばかりの表情だ。そこから先は早かった。黒いレースを纏った指先が、扉らしき木の取っ手を引いていたのだ。
『ごめんください。』
 入店を告げる挨拶は心の中で呟く。表にお喋り禁止と書かれていたからだ。
 掘っ建て小屋と言う事もあり、中は狭いがそれでも一人で寛ぐには十分のスペースがある。入り口のキッチンらしき場所には、白いひげを整えた老紳士がシンシアに頭を下げた。シンシアもまた同じように頭を下げ、彼の片手が促すままに椅子へと腰を落ち着ける。
 メニュー表には本日のオススメとしか書かれていない。それがまたシンシアの好奇心を擽った。メニュー表の文字を人差し指でなぞると、後ろに控えていた老紳士が丁寧に頭を下げた。これで注文は完了したようだ。
 
 雨だ。細い雨。
 気紛れな風と共に雨が落ちる。
 突然の雨と風は、掘っ建て小屋の壁を叩き、この小屋全体を強い音で覆う。けれども今のシンシアには不安は無かった。確かに突然の雨には迷惑をしてしまうけれど、気まぐれな風と少しの雨のお陰でこうして不思議な店に出会えたのだから。
 シンシアは孤独も沈黙も恐れない、そんなしたたかさを持ち合わせた女性だ。今はソロの冒険者として故郷を探す旅をしている。とはいえ、それは旅を続ける言い訳にすぎない。その裏には、故郷を見つけた先への恐怖という物が漠然とあるのだろう。しかし、それ以上に新しい出会いは自らの好奇心を擽る。シンシアにとっては、故郷を探す事よりも旅先での新しい出会いの方が今は重要なのである。
 今だってこの音が、いつかの旅先で聞いたオーケストラに聞こえて来る。大ホールで聞いたヴァイオリンの繊細な響き、優しいクラリネットの音色。落ち着いた前奏が続いていたかと思えば、音は次第に激しさを増し、指揮者も奏者も一丸となって締めくくる。思わず立ち上がり、盛大な拍手を送ったあの時を思い起こさせるような音が、今ここで響いている。

 瞼を閉じて雨と風の音に耳を傾けていたシンシアの耳に、別の音が届いた。木の机と陶器の触れ合う音だ。はっ、と我に返りシンシアは瞼を開く。するとそこには、生クリームを添えたキューブ型のシフォンケーキに、透き通る青色のゼリーが雨粒のようにちりばめられた本日のオススメが置かれていた。飲み物はレモンティーだろう。カップには輪切りのレモンが添えられている。
 老紳士が小さく頭を下げるのを見送り、シンシアもまた頭を下げてナイフとフォークを手に取る。フォークでケーキを支え、ナイフの先をゆっくりと沈めた。力加減の難しい所ではあるが、淑女であるシンシアには手慣れたものだった。美しい所作でシフォンケーキを潰すことなく切り分け、添えていたフォークで一口分を早速口に運んだ。
 その瞬間、シンシアの瞳が微かに見開かれる。シンシアは老紳士を振り返った。思わず『美味しい』と言いかけたのを、老紳士を見ることでなんとか留めたからだ。
 シフォンケーキそのものはいたって普通の、所謂プレーン味なのだが、雨粒のようにちりばめられたゼリーがレモン風味だった。まさに嵐。想像もしていなかった味が、口の中で繰り広げられている。爽やかな味の一口目、二口目は添えられた生クリームを丁寧に乗せて口に含んだ。こちらは控えめなクリームが優しくレモンを包み込むまろやかで深い味わいに変化した。
 爽やかな味こそ口に中に残るものの、柔らかいシフォンケーキは何度か咀嚼をしてしまえばすぐにとけてしまう。それがあのオーケストラの余韻にも似ており、嘗て見た景色を鮮明に思い起こさせるようでもあった。

 風はいつも気紛れだ。
 この雨が止んだら、またあの町を訪れてみるのも良いかもしれない。音に耳を傾けていたシンシアは、移ろうシフォンケーキの甘さに舌鼓を打ち、これからの旅先に思いを馳せるのだった。
🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔵​🔴​🔴​🔴​🔴​ 成功

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