白日のレヴァリエ
街は陽炎で揺らめいていた。
じりじりと照りつける太陽。そのうだるような熱さは、シリウス・ローゼンハイム(吸血鬼の|警視庁異能捜査官《カミガリ》・h03123)をも等しく焼いていた。
(「……暑い」)
晴天。午後三時。
誰も居ない平日の、鉄板が如く熱されたアスファルトの坂道を、徹夜明けの疲れを引き摺り歩く。遠方には入道雲が見えていた。
ちりん、と鈴の音。
振り返るシリウス。道の脇では氷菓の旗が翻っている。
駄菓子屋だった。普段は気が付かなかった。
ふらりと軒先へ。クーラーボックスの蓋を開ければ、中では沢山のアイス達が白い霜に塗れていた。
(「ふたつ……いや」)
みっつ。いや、よっつ選んで店主にお代を渡し、腰掛けへ。
ふぅ、と一息。目の前の住宅街は白光に染まっている。
(「あいつ、喜ぶぞ」)
いつからだろうか。
こんなにも大事だと思うようになったのは。
プロキオン・ローゼンハイム。
隣り合う1等星の名を与えられた、実の弟。
呼び名はロキ。兄弟仲は昔から良好で。
(「しかし」)
仲良き事は良き事ではある。のだけれども。
汗を拭う。腕の影に合わせて蝉の声が掠れ……からん、と氷の音が割り込む。
振り返ると、先程の女性が笑顔で麦茶を差し出していた。
「あ、えと」
ありがとう、と会釈するシリウスに、どういたしまして、と引っ込む店主。
こくりと一口。シリウスは茹だった頭で虚空を仰いだ。
「……」
アイスが溶けない近道の選定は済ませている。
一緒に食べようと誘えば弟の事だ。ひとまず冷やそうとしてくれるだろう。冷凍室を開ける細い後ろ姿が目に浮かぶ。それでも構いまくっていれば、困り笑顔を見せてくれるに違いない。手に取るようにわかる。
いや、困っているのは表情だけで、本当は喜んでくれていると思う。なんだかんだで我儘を聞いてくれるところまで見えているから。買ったお土産も毎回笑顔で受け取ってくれるし、そう、今回も満更では無いに決まってる。
(「これって」)
良くはないかも知れない。今更ではあるが。
頭の中の何処を切り取っても、考えるのは弟の事ばかり。
如何にシリウスが所属する部署に舞い込むのが激務に次ぐ激務で、帰宅する頃には余計な事など考える余裕など残されていないとしても。
重度のブラコン──職場や出先で聞き知っている兄弟間の関係とを引き比べた結果、自分達のそれは世間一般ではそう呼び習わすのだと。そんな事くらいはシリウスも承知している。
だが仮にそうだとしても、任務の後は必ずロキの元へ真っ直ぐ帰るようにしているし、毎日相手が困惑する量の連絡を送って寄越してもいる。それらの事実の集積こそが、まさにシリウスの内心の吐露そのものであった。ならば今更何を恥じる事があろうか。
全ては可愛い弟のため──それ以上をシリウスが自己に問う瞬間は、正直な所、頻繁には無かった。
珍しい早帰りの空気と時期外れの暑さが、シリウスを別の思考に導いたものか、どうか──。
「……」
ぽたり、と顎から大粒の汗。水分補給とばかりに音を立てて麦茶を飲み干す。琥珀色の液体が涼やかな風味となって喉を通り過ぎていった。
(「あいつ、熱中症になって……ねぇか」)
医療従事者は伊達ではない。
きっと空調を整えた部屋で待っていてくれている。そうしたロキの面倒見の良さは誰もが認める所で、シリウスのちょっとした怪我も見落とさない。
頭の回転が速いのだ。それだけではない。シリウスを何度癒やしたか知れないその優しさが外見に反映されたかのように、ロキの肌は白磁のようで、見目麗しい女性と見紛う程。
シリウスと並べば対の彫像が如く美しい。長髪と素性の良さを感じさせる顔立ちは似ている一方で、兄の陰を帯びた鋭さとは対照的な穏やかさを湛えている。
無上の弟、無二の家族。
どうあっても帰らねばと決意させるには充分を遥かに通り越した存在。
シリウスが彼をAnkerにしたのは、必然であった。
(「そういえば」)
自身が√能力者になってからのような気がする。
今ほど心配になったり構いたくなるようになったのは。
理由を探ってみる。心当たりは無い。無いが、渇望にも燻る焦燥にも、あるいは何かを埋め合わせようとする時の衝動にも似た何かは胸中にあるようにも思う。
幽かな“此れ”が自身を無意識に後押ししていたのだとすれば、そもそも──。
「お待たせしました~」
は、と我に返る。袖にアイスの袋が通される。
ありがとう、と立ち上がる。
(「これ以上考えるのは」)
やめておこう。思考を打ち切りシリウスは街路に出る。
少し和らいだ陽射しが微かな黄みを帯びていた。
大事なのは思い悩む事では無い。
今も昔もロキが大切なのは変わりない事。
今も二人で暮らしている事。
それはとても喜ばしい事に違いないのだから。
「よし」
晴れやかな気持ちでシリウスは踵を返すと帰路を辿って行った。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴 成功