或る日常のひとかけら
今、何時だろう。
|如月・縁 《きさらぎ ゆかり》(不眠的酒精女神・h06356)はぼんやりした頭、ぼんやりした視界で辺りを見回す。眠りから覚めた感覚はあった――酒精を浴びる程飲んで落ちたものが眠りならば、の話だが。
「あー……酔ったー……」
眠れないから浴びるように飲んで、なんとか眠りに落ちる。最近はそれ以外の手段も見つけたが、|それ《抱擁の温もり》がいつも、且つ都合よく手に入るかというと難しいところだ。
だから結局のところ、こうして眠りに落ちるのがまあ、日常といえた。
――そうだ、時間。
時計を見れば、時計の針が頂点で重なろうかという時間。
それが夜中のものでないことは、小さなステンドグラスのはまった自宅兼バーの扉から漏れる光を見ればわかった。
「……まあ、家にちゃんと帰ってこられただけ上出来、かしらー……」
ここが自分のバーであることは分かった。しかし、体が痛い。頭も痛い。
どこで眠っていたのだろう、と見返せば、バーの奥のソファ席である。スツールで眠って転ばなかっただけマシとはいえ(あの高さでも、下手に頭を打つと危ないのである、もちろん経験済み)このソファもあまり寝心地は良くない。起き上がろうと動かした体がバキバキといやなな音を立てたのは、このソファのせいだろう。
ちなみに纏っている服は昨日着ていたドレスのままだ。着衣に眠っていた以上の乱れはないものだから、まあ危ない目にはあっていないことだろう、と自己判断する。
それにこの辺りでは自分はある意味有名なのだ。下手に手を出して居られなくなるのは相手の方ではないか?と縁は思う。
しかし、自分のことだ、どうせまた寝落ちるに決まっているのだ。いっそのことふかふかなソファへと交換してしまおうか。
だが、結局ソファはソファ。ふかふかになろうと、やはり眠る場所ではない。何より、狭い。
ぐるぐると、とりとめもなく思考は回る。酒精の残るぼんやりした頭に、その思考回路はいまひとつよくなかったようで。
「……ぅ」
吐き気がせりあがってくる……が、さすがにここで粗相をするのは気が引けた。毛足の長いこのソファは手触りも肌触りも悪くはないが、ともすると掃除が大変なのだ。
よろよろと歩く。カウンター奥のゴミ箱の方が近いが、そこまで頭が回らなかった。なんとか化粧室までたどり着くと、一息。
少しだけ、気分が楽になった。水を流すと、再びよろよろと歩き、なんとかカウンターまでたどり着く。
こんな時は迎え酒――ではない。アルコールによる脱水には、水分と塩分をとりしっかりと休む。しじみのお味噌汁や梅干しなども確かよかったはず、と冷蔵庫を開ける。
ああ、水分、水分。
冷蔵庫を開ければ、透明な瓶が目に入った。ラベルがないが、透明なボトルに入っている。確かチェイサー用の水だっただろうか。いや、あれはもう切らしてしまったのだろうか……?けれど、透明なんだから、きっと水だ。
回らない頭で縁はそう結論づけ、透明なボトルと梅干し、グラスをカウンターへと持ってくる。
残念ながらしじみの味噌汁などという上等なものは無かった。確かインスタントを買い置きしていたはずだが、昨日飲んでしまったのだった。……いや、あれは一週間以上前だったろうか。
縁がグラスとボトルを前に思案していると、ふとガチャリと扉が開いた。
「こんにちはー、如月さん、今日もお花を……って、大丈夫ですか?」
スツールに座り、カウンターにしなだれかかるようにしてる縁が、具合が悪そうに見えたのだろう。扉を開けたのは、あれから時折遊びにくるようになった花屋の青年だった。
「大丈夫大丈夫、いつものですから」
「いつものがこんなじゃ、体を壊しちゃいますよ」
「だーいじょうぶですっ。こうしてちゃんとお水もとってますし!」
縁はボトルの中身をグラスに注ぎ、一気に煽る。それを水だと信じていたからだ。しかし。
「っ、ごほ、ぷは…………」
盛大にむせる。強い酒の痺れが喉を直撃したからだ。
「だ、大丈夫じゃないじゃないですか! お水も飲めないって……いや、これお酒の匂い……!」
それは焼酎だった。そうだ、ちょうど一昨日仕入れたのを、酒で痺れた頭がすっかり失念していた。うっかり冷蔵庫にいれてしまったのは、一昨日も酔っていたからに他ならない。
「ち、ちゃんとお水飲んでください!失礼します、水道水ですが…!」
カウンターの内側にある水道の水をグラスにそそぐと、青年は縁に手渡す。
ありがとう、と例を言って縁は今度こそしっかりと水を飲む。梅干しをかじると、少しだけ頭がすっきりする気がした。
「あー、頭いた……梅干しが沁みる……」
「頭痛……ですか。何か、冷やすものはありませんか?」
「冷凍庫にロックアイスが……でも砕かないと氷のうに入らないかも……」
「それくらいいいですよ。休んでいてください」
カウンターに組んだ腕を乗せて、縁は青年がピックで氷を砕くさまを見ている。意外と手際が良いのは、花屋で力仕事に慣れているせいか。
それにしてもこの花屋、意外と面倒見がよいのである。
「来てくれたのに、こんなことさせてごめんなさいね」
「如月さん、有名ですよ、この辺りじゃ」
どうやら、噂を聞いて心配して来てくれたらしい。微かに花の香りがするのは、また花を持ってきてくれたのだろう。しかし今は受け取る気にはなれなかった。今はその匂いだけで悪酔いしてしまいそうだ。
「酔っ払い女神が自業自得だって? ……わかってますよ、そんなことくらい。偶には、ハメも外しますっ」
たまにはではないでしょう、というツッコミは聞こえないふり。言うようになったじゃないですか、と返せば、遠慮は良くないと学んだので、と返される。
「はい、どうぞ」
砕き終わり、氷のうに入れられたロックアイスを手渡される。ほおずりをして、額を冷やして、ついでに頭に乗せる。
「あー……きもちいー……」
氷のうの袋越しに、じんわりした冷気が頭痛をおさめてくれるような気がする。
「そうしていると、風邪引きみたいですね」
「病人には優しくするものだと、思いませんか?」
「自業自得って、自分で言ってたじゃないですか」
すげない言葉を投げられる。氷のうで頭痛は静まってきたものの、めまいばかりはどうしようもない。高めのスツールに腰かけているのもそろそろ限界だ。
「あー……動けない……誰かソファまで運んでくれないかな……」
ちらり。カウンターを出てこちらに来た青年を見やる。
「運んでくれないかなー……」
「もう、それぐらい自分で出来ませんか」
「ぐらぐらで。運んで、くれないかなぁー」
むぅ、とくちびるをとがらせ拗ねる姿に根負けしたのか、青年は縁に肩を貸した。
その際、たわわな何かが当たってしまって、青年は気が気ではなかったなどという話は余談である。
「本当は、ちゃんとベッドで寝て欲しいところですけど」
「連れていってくれます?」
「…………」
黙ってしまった青年は、おとなしく縁をソファへと運んだ。
となりのソファに丸まっていたブランケットがふわりと縁に掛けられる。それは少々ほこりくさかったが、青年の優しさが感じられた。
「鍵はカウンター裏……、ドア横の窓から落としてってくれれば、いいですから」
ゆっくりと、ブランケットの温もりと共にぼんやりと眠気が降りてくる。
扉の閉まる音が、聞こえた気がした。
🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔵🔴🔴🔴🔴🔴🔴 成功